なな

 案内されて辿り着いたのは、小さな教会に併設された孤児院だった。

 庭先で遊んでいた子供たちが、シスター、シスターと彼女に駆け寄っていく光景を見ながら、柴がなるほどと息をついた。


「そういえばアンタの親父、寄付とかもやってたっけな。その関係で面識あったのか。俺はてっきり後妻かなんかかと、ッぐふ!」

「おおすまぬ肘が滑ったわ」

「てんめ……」


 後方の賑やかなやりとりに苦笑していると、女性――シスターは「どうぞ上がって」と僕らを促す。しかしそこで初めてお客の存在に気付いたらしい子供たちは僕を見て一気に凍り付き、後はまぁ泣いたり怯えたり果敢に立ち向かってきたりと大騒ぎであった。

 最終的に柴とルイーゼが外で子供たちの相手、僕だけ院内の談話室に隔離という形に落ち着いたのだった。


 借りたタオルで髪を拭きながらソファで一人たそがれていると、外の二人にもタオルを届けに行っていた彼女が、修道服に着替えて戻ってきた。まさに“シスター”といった出で立ちだ。


「お騒がせしてごめんなさいね」

「いえ、慣れてますから……」


 目の奥が熱いけど大丈夫です泣いてないです。

 こちらこそすみません、と自分の顔面の凶悪さについて謝ると、シスターはおかしそうにころころと笑った。


「でもお父様にそっくりね。

 私も初めて寄付のお礼に伺ったときは、もしかすると何かの陰謀なのかしらって冷や冷やしたもの」

「親子ともども紛らわしい顔で大っ変申し訳ありません」


 深々と頭を下げる。

 確かにあの顔で孤児院に寄付とか言われたら、人身売買の闇商人にしか見えないだろう。実の父に散々な言いようと思うかもしれないが、これはそのまま僕の顔面の評価でもあるためお互い様というか痛み分けだ。


 早くに亡くなった母は美しく、とても優しい顔で笑う人だったそうだが、僕は全くもってその血を継がなかったらしい。

 まぁこの話をするとルイーゼとニシキさんには黙って笑われるし、柴もなんとも言えない表情になるから、自虐は控えているが。


「寄付は今まで通りに続けさせて頂きますので、ご安心ください」


 僕たちが今現在きゅうきゅうとしている資金繰りは、あくまで日常の生活費に限った話である。領地運営に必要な経費はちゃんと確保出来ているので問題ない。

 後を継ぐと先代までの方針をガラッと変える領主もいるから、もしかすると心配しているかと思ってそう伝えたのだが、シスターは「それはありがたいけれど」となぜか逆に心配そうな表情を浮かべた。


「あなたは大丈夫?」

「え?」

「お父様が亡くなってまだそう経っていないでしょう? もちろん新しい領主としてやらなければ行けない事はたくさんあるのだろうし、領主様にお手数かけてる一領民が、こんな偉そうなこと言えた立場ではないけど……」


 シスターが、そっと僕の手を取った。


「ひとりで無理しないでね」


 僕に母の記憶はほとんど無い。でもその温かな眼差しは、“おかあさん”がいたならば、もしかするとこんなふうに自分を見たのかもしれないと、そんなことを思わせた。


「……はい。でも、大丈夫です。こんな僕を支えてくれる、頼もしい家族がいますから」


 本当に一人だったなら、多分とっくの昔に投げ出していた。

 それでも今の自分が何とか諦めずにいられるのは、屋敷に残ってくれた三人や、リンさんのような、“僕”を諦めないでいてくれる人達のおかげだろう。


 彼らの思いに報いられる自分に、なりたいのだけど。


 ちらりと胸に浮かんだ苦みを押し隠して笑うと、シスターはそんな思いさえ見透かしたように、それ以上は何も聞かず、ただ「そう」と言って微笑んだ。

 そんな表情を向けられることに慣れていなくて、僕は気恥ずかしさとも気まずさともつかない感覚に目をそらす。


 そのとき、玄関のほうから「たっだいまぁー!」という元気のいい声が聞こえてきた。

 タタタと軽快な足音が、僕達のいる談話室のほうへ向かってくる。


「あーつっかれたー。シスター! 今日の晩ゴハンな、……に……?」


 そしてひょいと顔を覗かせたのは、くすんだ茶色の髪に栗色の瞳を持つ、とても見覚えのある少年。

 僕と目が合った彼の動きが、ぎしりと固まる。


「おかえりなさいとんび。今日のお仕事はもう終わったの?」

「う、うん……終わった、よ……」


 ひきつった顔で笑いながら一歩下がろうとした少年の両肩に、左右からポンと手が置かれた。


「おぬし、鳶というのか?」

「さっきぶりだなぁ坊主」


 いつの間に戻ってきていたのか、ルイーゼと柴がいつにない満面の笑みを浮かべて、少年の肩をガッチリと押さえる。


「あら、皆さんお知り合いだったの?」

「そうなんスよ。ついさっき知り合ったんスけど、もうすっかり意気投合しちゃって」

「うむ。ぜひ我が家へ招待したいと申し出ておったところじゃ」


 普段からは考えられないほど抜群のコンビネーションを発揮した二人が、サクサクと少年の退路を塞いでいく。


「い、いやちがっ、シス……もぐふっ!」


 何事か言いかけた少年の口を、ルイーゼが胸に押し付けるように抱き込むことで物理的に塞いだ。それを役得と言い難いのは、彼女の腕力を知るゆえだろうか。

 まぁ話を聞きたいのは山々だし、ここはいったん連れ出したほうが少年のためにもいいかもしれない。現にルイーゼに押さえ込まれた彼はぴくりとも動かなくなっている。やばい。


「……そんなわけで、彼を招いてもいいでしょうか?」

「そうね、領主様のところならいいかしら」


 シスターの返事を聞いた二人が、少年を抱えて意気揚々と身をひるがえす。

 僕もお礼を言ってタオルをシスターに返しつつ、ソファから腰を上げた。


 そしてまた改めて代替わりの挨拶に伺う旨を伝えて、談話室を離れようとした僕を、シスターが控えめに呼び止める。


「鳶のこと、よろしくね。あの子いつもあちこち駆けまわって働いて、そのお給料ほとんど孤児院に入れてしまうの。

 そりゃウチは裕福ではないけれど、領主様からの寄付もあるし、そこまで経営に切羽詰まってないっていつも言ってるのに」


 そうちゃかすように笑った後、シスターはふと心配そうに眉根を寄せた。


「ねぇあの子、配達の仕事をしてるって言うんだけど……何か危ない事とかに手を出したりしてないわよね?」


 先ほどのルイーゼ達の様子を見てというよりは、前々から抱いていた思いを吐き出すように言うシスターに、僕は小さく笑みを返した。


「……彼、さっき僕が困っているのを助けてくれたんです」


 柴の指摘であれだけ必死に逃げてみせたところからして、あの少年は詐欺事件に関係しているのだろう。それはきっと事実だ。

 けれどそんな彼が、賭場で困っていた僕を助けてくれたのもまた事実だった。


「やさしいお子さんですね」


 僕の言葉を聞いてシスターは一瞬目を丸くした後、花がほころぶような顔で微笑んだ。


 *


 孤児院の外に出ると、そこでは柴とルイーゼが待っていた。いったん離してもらったらしい少年も、ぐったりとした様子でおとなしく二人の間に立っている。まぁ、あの配置では逃亡を試みる気も起きないだろう。


 苦笑して彼らの元に向かおうとした僕の右足が、後ろからツンと引かれた。

 反射的に見下ろすと、そこにいた小さな影がさっと離れて、孤児院の塀の向こうに隠れる。


 そこから顔だけをこちらに覗かせたのは、シスターと会った時に一緒にいたあの女の子だった。

 慌てて手で自分の顔を隠し、指の隙間から様子を伺った僕を、あの子がちらりと見上げてくる。


「……ころんだの、しんぱい、ありがと」


 その口から零れたのは、小さな小さな、お礼の言葉。


「これ、あげる」


 女の子は塀の影から目いっぱいこちらへ腕を伸ばして何かを地面に置くと、すぐに身をひるがえして孤児院の中に戻って行った。

 僕は顔から手を下ろして、あの子が置いていったものをそっと拾い上げる。


 手のひらサイズのアヒルのオモチャ。


 軽く握ると、それは「ぷきゅう」と間の抜けた音を立てた。

 思わず噴き出して笑った僕の背に、行くぞ、と柴の声が掛かる。うん、とひとつ頷いて、僕らは薄闇に染まり始めた道を歩き出した。

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