我が家が治める領地は、いくつかの街や村を含みつつ、東西南北ひたすら平野が続いている。

 気候もそれなりに安定しているが観光名所的なものは少なく、パッとしないが住みやすい、そんな土地が主だった。


 僕達が住んでいる領主屋敷があるのは、その中では最大規模となる街……の外れの外れあたりにある、木々が生い茂った丘の上だ。


「しっかし、この立地の不便さ、どうにかなんねぇの?」


 申し訳程度に作られた歩道を三人で早足に下りながら、柴が忌々しげに吐き捨てる。


「そう言われても、建てたの僕じゃないからなぁ」


 祖父の代にはもっと街中にあったらしいけど、代替わりしたときに父が今の場所へ移し替えたのだという。

 そういえば、あまり喧騒が好きではない人だったっけ。にしてもここまで外れに建てなくても。


「なら今度はアンタが街中に移して、駅近南向き30LDKを建てろ」

「3DKの借家が限界だよ……」


 せちがらい話だが、住民税もろもろは領地の維持と管理に費やされるし、地方領主の資産なんてものはほとんど絵画だの美術品だのに化けていて、ほいと出せる現金は意外に少ない。

 しかもうちに至っては、その形を変えた資産すらごっそりと持ってかれてしまっているのだから。


「そもそも、そんな余裕ないからバイトに行くんじゃないか」

「まぁ……そりゃな」

「ところであと五分ほどで出勤時間になるが、急がなくてよいのか?」


 けろりとした顔でルイーゼが告げる。

 どこか近くの木陰で、一羽の鳥がのどかな声を上げるのを聞いた。


 *


「一分三秒遅刻! ビジネスは時間厳守が基本ネ、日当下げちゃうヨ!」


 転がるように裏口から店の中に飛び込むと、すぐ切れのいい叱責の声が飛んでくる。

 その先で包丁片手に仁王立ちをしているポニーテールの少女に、肩で息をしながら頭を下げた。


「ごほっ……す、すみませ……」

「ざけんなパンダ女! あの位置から六分三秒で着けた時点で奇跡だぞ!」


 確かにちょっとした記録が出そうなくらいのものだったが、彼女は「遅刻は遅刻ヨ」と手にした包丁を器用にくるりと回した。


「でもいつも皆勤賞だからネ、今日のところは大目に見てあげるヨ」


 そう言って店先に消えた彼女とは入れ違いに、いつの間にか店指定のエプロンをきっちりと身に付けたルイーゼがやってくる。

 同じように走ってきたのにまるで息を乱していない彼女の涼しげに、柴が恨めしげな目を向けた。

 しかし彼女は気にした様子もなく、僕に同じエプロンを差し出してくる。


「あ、ありがとうルイーゼ」


 ようやく治まってきた息を改めて整えながら、それを受け取って笑う。

 するとルイーゼは嬉しげに口の端を緩めて、「うむ」と頷いた。


「おい、俺のは」

「ふむ。忘れておったわ」

「嘘つけ」


 慣れたやりとりに苦笑しつつ広げたエプロンには、ちょっと歪なパンダのイラストが描かれている。


 この店は“くまねこベーカリー”といって、街外れにある昔ながらのパン屋さんだ。


 しかし外れと言っても、もはや街の一部かどうかさえ疑わしい領主屋敷とは違い、こちらは周囲にちゃんと人々の生活の気配がある――まさに由緒正しき街外れといったところだろうか。


 さらに言うとパン屋はパン屋でも、厳選に厳選を重ねた素材と具材で作られた最高のコッペパンを提供する、コッペパン限定のパン屋……というかコッペパン屋であった。


「いつまでもジャレてるとホントに日当下げちゃうヨー」


 またひょいと店先から顔をのぞかせた彼女が、店主のリンさんことリンリンさんだ。

 ところどころ白のメッシュが入った長い黒髪のポニーテールを揺らして、手にしている焼き立てのコッペパンが大量に入ったカゴを掲げる。


「はい、今行きます!」


 僕の返事を合図にするように、ルイーゼと柴が各々の持ち場へと向かっていく。

 その背中を見送ってから、僕は裏口からすぐのところにある、こじんまりとした厨房に移動した。


 バイトを始めて早々に「そんな顔したヤツに店先に立たれたら、ウチのクリーンな営業実態が疑われるネ」と接客禁止令を出されてしまったため、ここでの簡単な仕込みやリンさんの手伝いが僕の仕事である。少し目頭が熱いのは気のせいだ。


 キッチンの端に積み上がった新作の中身予定らしい謎の食材からはそっと視線を外して、卵を割ったり粉を計ったりする作業に取り掛かる。

 こんな簡単な下ごしらえでさえバイト当初は中々ひどい出来だったが、やり続けて一ヵ月が経った今では、どうにかこなせるようになってきた。まぁ、それでも完璧にはほど遠いが。


 ぱこ、と卵を机の角にうちつけながら、何だか遠い昔のようにも感じる二ヶ月の日々をぼんやりと思い出す。


 父が亡くなって最初の一ヵ月。

 時間と使用人達は、わけも分からないうちに去っていった。


 そして二ヶ月目になり、ようやく少し落ち着いてきたと思ったころ。

 僕らはすごいことに気付いてしまった。


 換金できそうなものは軒並み持っていかれてしまい、家にあったそれなりの額の現金は父の葬儀やら使用人達の退職金やらに消え、毎月の税収はあるが前述したとおり生活に回すような余裕はなく。


 要するに――当面の生活費が、ない。


 まるでトドメのような現実に泣いて謝って柴に怒られたのも束の間、とにかくお金を稼がなくてはという話になった。

 そんな僕らを日払いで雇ってくれたのが、この店である。


 領主がバイトなんて外聞が悪いんじゃないかと思うかもしれないが、あの街外れのさらに外れに引きこもるように住んでいることもあり、領民のほとんどは領主の顔を知らない。

 おそらくは領主が代替わりしたことさえ、大人達が酒の肴にぽろりと零して、飲み込んだアルコールと一緒に流される程度の話題だろう。


 そのおかげというべきか、持ち前の人相の悪さで起きるトラブルを除けば、街での日常に困ることはなかった。


「センセ、それ終わったらコッチ頼むヨー」

「はーい!」


 掛けられた声に頷き、作業を終えた場所をきれいに片づけてから厨房を出た。


 センセ、というのは僕のことだ。

 二ヶ月前、僕が新米領主になった日から、リンさんは僕のことをそう呼ぶようになった。


 元々ここはリンさんのお父さんが開いた店で、うちも父の代からの長い付き合いだ。幼いころからよく顔を合わせていたため、彼女も我が家の事情を承知している。


 そんなリンさんに呼ばれるまま倉庫のほうに顔を出すと、室内には移動もままならないほどの、大小さまざまな箱や荷物が押し込められていた。

 絶妙なバランスで積み上げられたそれらを半ば感心するように見渡していると、背後から「げぇ」と苦いものを噛み潰したような声がする。

 振り返れば、声色そのままの表情をした柴の姿があった。続いてその横をすり抜けるようにして倉庫に入ってきたルイーゼが、僕の隣に並ぶ。


「リンさん、お店いいんですか? みんな来ちゃって……」

「もうピーク過ぎたから大丈夫ネ。それにお客さん来たらワタシ分かるヨ」


 さほど大きな店じゃないとはいえ、店先の音が倉庫まで聞こえる事は無いはずなのだが、どういうわけか彼女には店の様子が分かるらしかった。


 ニシキさんといいリンさんといい、なにがしかの肩書を持っている人間は必ずそういう能力を持っているものなのかと錯覚しそうである。

 それなら領主は一体どれほどの特殊技能を備えないと駄目なんだろう。何にせよ自分には不可能すぎて切なくなってくる。


「おいパンダ女、まさかこれ全部片づけろとか言うんじゃねぇだろうな」

「犬コロにしては勘がいいネ」

「誰が犬コロだ!」


 四次元なんとかでもない限り片付く量じゃない、と柴が毛を逆立たせるように唸ったが、リンさんは全く気にせずに、手に取ったハタキをくるんと回した。


「いいからさっさと働くヨ従業員共! はい犬コロはソッチ! お嬢はコッチ! センセはソコ!」

「うん、まぁ、とにかくやってみよう柴」


 まだぶつぶつと文句を言っている柴の肩をぽんと叩いて促すと、彼は不服そうながらも小さく息をつき、おし、と呟いて袖をまくった。


「ルイーゼもよろしく。何があるか分からないから気を付けてね」

「うむ。心得た」


 ずっと黙って隣に立っていたルイーゼが頷いて、指定された作業に向かっていく。

 それらを見届けて自分も片づけに取り掛かろうとすると、リンさんが何だか呆れたようにこちらを見て、ぽつりと呟いた。


「センセは、猛獣使いみたいだネ」

「はい?」

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