いち
「だからよ」
十何人もが同席出来る長テーブルの角を三人で陣取って、朝食をとる最中、野菜をつけたままのフォークを彼がピッとこちらに向けた。
「いっそ口聞かなきゃいいんじゃね? もう顔の怖さで押し通せよ」
「それはちょっと……」
出席するだけの式典とかならともかく、来客を前に話さないわけにはいかないし、そもそも顔の怖さで押したくはない。
とはいえ彼が本気でそれを提案しているわけではない事も分かっていたので、却下の代わりに、フォークで人を示す行儀の悪さを指摘する。
すると彼――柴は、ふん、と小さく鼻を鳴らして、それを正しく口へと運んだ。
「わらわは体を鍛えるのがよいと思うぞ」
反対に行儀の良い手つきでクロワッサンをちぎっていた彼女――ルイーゼが、活き活きと瞳を輝かせながらこちらを見る。
それもどうかと苦笑するしかなかった僕の隣で、柴が呆れたような表情を浮かべた。
「自分だけじゃ飽きたらず、他人まで筋トレ漬けにする気か。この雌豹女」
「ほう。それはアレかの、巷で話題の肉食系女子とかいう」
「お前に関してはまんまの意味だ! そのまんまの!」
柴は怒鳴りながら、先ほどと同じようにフォークを向けようとしたが、途中でぴたりと動きを止めて、しばし考えた末にそれを皿の上においた。
その間にきちんと租借を終えたルイーゼが、何やら不必要なほど凛々しい顔で会話を続ける。
「ところで雌豹女では言葉が重なってしまうぞ。頭が頭痛じゃ」
「今そういう話じゃねぇし!!」
いつもと変わらない二人のやりとりに、僕は小さく笑った。
広い広い屋敷の中で、賑やかなのはここだけだ。
少し前までは幾人ものメイドや召使が並び立っていた食事時の食堂も、今は僕らの姿しかない。
まがりなりにも領主の屋敷がどうしてこんな有り様になっているのかというと、事の起こり……というか、終わりは二か月前。
長年この地で領主を務めていた、厳格な父が亡くなった。
そして息子の自分が後を継ぐことになったのだが、それにはひとつ大きな問題があった。
人を怯えさせることに定評のある顔の怖さは父親譲りな息子が、中身のほうは全くといっていいほど似なかったことである。
それも、駄目な方向に。
「要するにこのヘタレをどうやって矯正するかっつーことなんだよ!」
「む、ジャックはヘタレなどではないぞ。少々気が優しいだけじゃ」
「新聞勧誘の電話にも泣かされる奴のどこがヘタレじゃねぇんだよ!」
「今まさに泣いていいかなぁ……」
そう。厳しくも優れた領主だった父の息子は、それはもう、ヘタレだった。
小さなころからずっと言われ続けてきたことなので自覚はあるが、こう連呼されるとさすがに悲しいものがある。
重く溜息をついたところで、食堂の扉が丁寧にノックされる音が響いた。
「はい」
「失礼致します」
入室してきたのは、白髪をきれいに整え、皺ひとつない燕尾服を着た初老の男性だ。
「紅茶のお変わりはいかがですかな」
頂きます、と返事をすると、彼は鉄壁の無表情のまま、無駄のない動作でテーブルを整えていく。
「ニシキさんも一緒にどうですか?」
「いえ、私めはもう済ませましたので」
彼――ニシキさんのいつも通りの返事を聞いて、僕もまたいつも通りに「そうですか」と頷いた。
毎回誘ってみてはいるが、僕は物心ついてから今日まで、この人が何か口にしているところを見たことがなかったので、断られたからとさほど寂しく感じる事もなかった。
お互いの立場上、そんな光景に出くわす機会がないだけかとも思ったが、同じく使用人の立場として働くルイーゼや柴でさえ、食事どころか、うたた寝する姿も知らないらしい。
……一体いつ休んでいるんだろう。
目の前のカップに紅茶がそそがれていく傍らで、ルイーゼと柴は別のポットを使って各々勝手に紅茶をつぎ足していた。
実のところ、僕もお茶のひとつやふたつ自分で淹れたって一向に構わないのだが、前にそう提案したら、当のニシキさんに却下されてしまった。使用人に任せてどんと構えているのも領主の仕事、ということらしい。
こんな状況で領主も何もないだろうに、と小さく自嘲する。
――使用人の皆は、そもそも情けない息子にまで仕えるつもりはなかったのだろう。
彼らは父が亡くなったあと、早々に荷物をまとめ、何人かは給料代わりにと屋敷にあった美術品などを持って出て行ってしまった。
最後は、ひどくあっけないものだった。
残されたのは領主という肩書と、それに付随する重たい仕事の山。
そして。
「つーか前いたコックより美味いよな、ニシキの旦那のメシ」
使用人の柴。
癖のある赤茶色の髪と黒みがかった目を持った、僕よりいくつか年上の青年だ。
口も態度もあまり良くないが世話焼きで、色々言いながらも屋敷に残ってくれた。
「まったくじゃな。以前からお作りになっておればよかったものを」
メイドのルイーゼ。
濃い灰色をした長い髪と、藍色の瞳がきれいな同い年の少女で、こんなことになっても文句もひとつも言わず、ただ傍らにいてくれている。
黙れば美人、喋れば男前、と僕よりはるかに良い領主になれそうな子だった。
「私めには私めの、コックにはコックの領分がございますから」
執事のニシキさん。
古くからこの家に仕えてくれている人で、今は屋敷内のほとんどの仕事を彼が一手に引き受けていた。僕のおぼつかない領主業がどうにかこうにか成り立っているのもこの人のおかげだ。
しかし前述の通り、寝食をはじめとする日常の一コマ的なところを未だかつて目撃出来たことがないため、柴などはニシキさん人間じゃない説を浮上させている。さすがにそれは無い……と思うが。ううん。
そんな彼ら三人と自分。
たった四人になった屋敷の中は、それでも、彼らのおかげで温かかった。
けれど、いつまでも皆に頼りきりというわけにもいかないだろう。僕も早く、父のような立派な領主にならなくては。
カップを持つ手に、グッと力が入った。
「なぁジャック。そういやあのコックの野郎、調理器具には一切手ぇ付けずに金目のもんばっかり持ってったよな?」
問いかけられてはたと意識を引き戻すと、軽い声色にそぐわない真っ直ぐな目で柴がこちらを見ていた。
「そう、だっけ?」
そのころは相続の手続きやら何やらでそれどころでは無かったため、最近になってようやく“何を”持っていかれてしまったのかというリストを作り始めたばかりで、“誰が”となるともうさっぱりだった。
だから返事は何とも言えず半端なものになってしまったのだが、柴はなぜか満足したように視線を外した。
その話を聞いていたルイーゼが、む、と眉根を寄せる。
「今思うと、ちぎっておけば良かったのぅ」
「どこをだよ。そうやって突然 野獣スイッチ入れんの止めろよ、こえぇな」
「ちぎるのはダメだよルイーゼ……」
「うむ、ならばちぎらぬ。約束しよう」
一転、ルイーゼは凛々しい表情で頷いてみせる。
返事はかっこいいのだが、常に野生動物さながらの本能で行動する彼女の「約束」の達成率は低い。
それでも一応守ろうとは思ってくれているようなので、まぁいいかと苦笑した。
「ところでぼっちゃま」
「はい?」
食事を終えた食器を下げ始めていたニシキさんが、おもむろに僕を呼んだ。
そろそろ“ぼっちゃま”は止めて欲しいと思いつつも返事をすると、彼は世間話のついでのように呟く。
「お仕事に向かわれるならば、そろそろ準備をなさったほうが宜しいかと」
時計を確認して、僕は悲鳴を上げた。
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