その領主、ヘタレにつき。
ばけ
はじめ
広く、薄暗い部屋の中に、ふたりの人間がいた。
圧迫感すら感じさせるほど重厚な机に肘をつく青年と、その前に跪いている男。
歴史と値打ちを感じさせる肘掛椅子をきしりと鳴らして、青年は長い足を組み替えた。
「それで?」
鷹のように鋭い目に射貫かれた男が、小さく身を震わせる。
「も、申し訳ありません、領主様。税は必ずお納めします。ですがここ最近の不作で、我らも食べていくのがやっとでして……何とぞ、何とぞ今しばらくの猶予を、」
「僕が聞きたいのはそんな話じゃないんですよ」
もっと簡単なことです。
青年はそう言いながら、薄いシルバーフレームの眼鏡を押し上げた。
「払うものを払って今まで通り平和に暮らすか、それとも」
机上に散らばる手紙の山の中から、青年がすいとペーパーナイフを取り上げる。
分厚いカーテンの隙間から入る微かな光で、その刃が鈍く煌めいた。男が息を飲む。
「今すぐ……僕の目の前から消ぇがぶぽ」
舌の痛みと同時に、居た堪れない沈黙が広がった。
控えていたメイドが扉の脇にあるスイッチを押せば、かちりと無機質な音が響いて部屋が明るくなる。
目前に跪いていた男は、小刻みに肩を震わせたかと思うと、勢いよく立ち上がって息を吸った。
「――なんっでそこで噛むんだアンタは!!」
「ご、ごめん! ごめんって!!」
手にしていたペーパーナイフを放り出し、雷を怖がる子供よろしく頭を抱えて身を小さくする。
すると彼は続けかけた怒声を飲み込んで、腰に手をあててひとつ息をついた。
「そんなんだから、いつまで経ってもヘタレ領主なんだよ。もう二カ月だぞ。いい加減それらしい態度を身につけろっての」
何のためにこんな小芝居に付き合ってると思ってんだ、と言われてしまえば、ふがいなさに肩を落とすしかない自分の前に、温かい紅茶の入ったカップが差し出される。
渡してくれたメイドにお礼を言ってカップを受け取ると、彼女は「うむ」と頷いて、雰囲気を出すために閉めていたカーテンを開けに行った。
「お前もそうやって甘やかすなよ」
「おぬしこそあまり怒るでない。ジャックはジャックなりにやっておるのじゃ。もうしばし腰を据えて見守ってやればよかろ」
「うっせ、俺より男らしい対応すんな!」
軽く肩をすくめた彼女が、窓を覆う重ったるい布を勢いよく開け放つ。
陽の中に浮かび上がった室内は、書類ばかりで何とも殺風景だ。
元より豪華絢爛というわけではなかったけど、それでも二か月前まではたくさんの調度品や美術品が置いてあった部屋を見回して、はぁと溜息をついた。
「ごめんね……僕が頼りないばっかりに」
「その問答は散々やったろ」
聞き飽きたというように言葉を遮った彼は、こちらの手元からカップを奪って紅茶に口をつける。窓際でカーテンを束ねていた彼女が眉をひそめたが、彼は気にせずに話を続けた。
「確かにアンタは頼りない。黙ってりゃヤクザの若頭にしか見えねぇのに、中身がそれはもうヘタレだ。高級車にラジコンのエンジン積んでるようなもんで、まったく役にたたねぇ」
「ぐうの音も出ないよ……」
「だからってな、アイツらもアイツらだろ。
今までずっと仕えて来て、立派な親父がヘタレ息子に代替わりしたらハイサヨナラはねぇよ!」
「まぁ、皆もともと父と契約してたんだし……更新するかは自由だから」
「にしてもだ! もうちょっと何かあんだろ!! 仁義って言葉を知らねぇのかアイツら!!」
貶されているんだか何だか分からない言い様ではあったが、まるで自分のことのように怒ってくれている姿に、小さく笑みが浮かんだ。
けれど、やはり仕方がなかったと思う。誰だって頼りない上司について行くのは不安だ。
しかし中で働く人間の数に関わらず、仕事というのは怒涛のように押し寄せてくるものである。
整頓する暇もなく散らかり放題だった机の上を片付けていた彼女が、手紙の束を持ち上げて首をかしげた。
「これはもう片付けてもよいか?」
「うん、大丈夫。全部目を通したよ」
そう答えると、今度はそれを種類ごとに分け始めた彼女の手元を覗き込んだ彼は、呆れた様子で目を細めた。
「つーか、このご時世に手紙って。こんなもんメールで送れよ」
個人間の連絡はほとんどメールで行われる時代だが、公的な書類に関しては今もアナログな手法が用いられている。紙媒体を伝書鳩便でやりとりする、というものだ。
「効率より伝統を重んじるが貴族というものよ。
民からすれば不可解でしかなかろうが、これもまた世の習わしじゃ。ある程度は許容せい」
「どの立場から話してんだメイドが」
「それにやりとりがメールだけになっちゃったら、伝書鳩便で働いてる人と鳩が困るだろうしなぁ」
「アンタはアンタで鳩の心配までしてる場合じゃねぇだろ!」
まずは自分だ自分、と怒鳴られて、返す言葉もなく眉尻を下げる。
何にせよ自分も片づけを手伝おうと別の書類を手に取ると、彼もまた文句を言いつつ、いささか雑な手つきながらも机の上のものを纏め始めた。彼女がやれやれというように息をつく。
それを見て自分もまた笑みを浮かべながら、いつもと変わらない、窓の向こうの空を仰いだ。
――時は超新暦1700年。
これは古代暦2000年前後の文明のおもかげを残しつつも、なんだかちょっぴり昔の生活に戻った地球における、遥か未来のお話です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます