1日目

嚆矢

依原村は中部地方の山岳地帯のふもとに位置する小さな村だ。

昔来たことがあるにはあるけれど、記憶はほとんど残っていなかった。

ここに来る前に以前のことを思い出そうとして断念した時には、きっとそれくらい昔のことなのだろうと決めつけていた。

しかし今、依原駅の改札口を出て、それが間違っていたことを思い知らされる。

「何もないんだな……」

よくある表現ではなく、文字通り「何もない」のだった。

電車から下りるまで車窓から見えていた田園風景が、そのまま駅前から見える風景になっただけの状態といったところか。

とはいえ、住まわせてもらう立場で失礼な言い回しではあるけれど、こんな場所でも叶枝さんは普通に暮らせているし、心配はないだろう。

「………………」

一方、御影は何も言わない。

何か思うところがあるけれども表に出さないだけなのか、本当に思うところは何もないのか……。

今目の前を見つめている御影の瞳には、どちらの色も見出すことができなかった。

……あまり駅前で惚けていてもしょうがない。

僕は叶枝さんから送ってもらった地図を頼りに歩き出す。

少し遅れて、御影も僕の後をついて歩き出した。

ちょうど、2歩ほど後ろ。

「………………」

相変わらず、何も言わない御影。

昔は横を歩いてくれていた御影は、いつから後ろを歩くようになってしまったんだろう。

……本当は、全てわかっているくせに、そんなことを考え続けている自分にも気がついている。

でも、今僕が何をすればいいのかという肝心な部分だけが、わかっていない。

そもそも僕はどうしたいのだろう。

単に御影に隣を歩いて欲しいのか?そうじゃないだろう。

(「隣を歩ける御影」であって欲しい……)

結局、それを実現させるには、今僕が「隣に来てくれ」ということは悪手中の悪手と言えるだろう。

じゃあ、僕はどうすればいいのだろう?

(それを見つけるために、ここにいるんじゃないか……)

自然と、足を進めるスピードが速まる。

でも、御影は同じ距離を保っている。

何も言わず、ただただ同じ距離でついてくる。

―――それじゃダメなんだよ、御影。

僕は密かに、唇を噛み締めた。


さすがに、村中何もないということはなかったようで、

叶枝さんに教えられた道を進んでいくと、次第に家や商店が顔を見せ始めた。

ひとまず安心したところで、僕は目的地を目指しながら、別なものを探すことにした。

叶枝さんの家にお世話になるとはいえ、生活費を全く払わずに居候、というのは気が引けた。

僕が本格的に働き始めればその心配もいらなくなるのだろうけれど、それまではアルバイトを探すしかないだろう。

とはいえ、果たしてこの村にアルバイトを求めている場所があるのだろうか……。

しかし、なかったとしても「じゃあ仕方ないですね」と言って済ませるわけにはいかない。

そもそも、僕のことはどうでもいいとしても、半ば僕に強引に連れ出された形になっている御影に不自由をさせるわけにはいかない。

これは、ここに来た目的とかそういうのを抜きにして、最低限僕が果たさなければならない責任というものだろう。

……見つからなかったら、叶枝さんに伝手を探してもらうしかないのかな。

「兄さん」

そんなことを考えながら歩いていたら、珍しく御影の方から声をかけてきた。

「どうした?喉でも渇いたか?」

「いえ、私に不便があるというわけではなくて……」

一瞬言い淀んで、それから御影は続けた。

「恐らくですけれど……叶枝さんの家を通りすぎています」

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