理由

御影に平謝りを繰り返しながら(僕の謝罪の倍くらい御影は恐縮してしまっていたけれど)行き過ぎた道を戻って、ようやく秋野邸に到着した。

元々叶枝さんは僕らと同じように両親―――つまり僕らの叔父夫婦にあたる人たちだが―――と暮らしていたのだが、僕らが生まれるより前に亡くなってしまったという。

僕らの両親と叔父たちは関係が良くなかったようで、結果としてその遺産が全て叶枝さんに入り、その遺産の一つであるこの家に住んでいる、ということらしかった。

その秋野邸だが、資産家だった叔父夫婦を象徴するように、見るからに大豪邸であり、広さは一人暮らしには広すぎると言ってもいいくらいだ。

なので、僕たちが住んでも狭くて困るどころか、むしろ空きすぎていたスペースが埋まってちょうどいいとのこと。

……以上、叶枝さん本人の弁。

「よく来たじゃないか」

叶枝さんは、僕らの記憶の中の叶枝さんのままだった。

やや赤みがかった茶髪のロングヘアも、サバサバとした口調と性格も、何も変わっていないことに少し安心した。

「お久しぶりです叶枝さん。突然無理を言って押しかけてしまってすいません」

「そんなことは気にしないでいい」

本当に気にしていないような素振りで言ってくれる。

「光のことだから、時間ぴったりくらいに来るだろうと思ってたけれど……さすがに少し迷ったのかな?」

「ええ、まあ、迷ったというか、迷わず進みすぎたというか……」

「?」

もちろん御影は何も言わない。これが御影自身のミスだったらそうだと言っていたかもしれないけれど。

「まあいい。とにかく長旅で疲れたろう。寿司でもとろうかと思っていたけれど、やっぱりこういう時には蕎麦かなと思ってとっておいたよ」

「引越しと呼べるようなものなのかは判断しかねますけど……ありがたく頂きます」

叶枝さんは料理を含む家事ができないので、その辺りは自分がやろうとは思っていたが、さすがに今日はする気になれない。

なので正直、叶枝さんの気遣いはありがたかった。

「……お久しぶりです、叶枝さん」

「御影も大きくなったものだね。最後に会ったのは4年前くらいかな」

こくりと、御影が頷く。その頃はもう既に御影はこんな感じだったし、慣れているだろう。

「……うーん、なるほどね」

「何がですか?」

「いやなに、こちらの話だよ」

気にはなったものの、そのタイミングで蕎麦屋さんが来てしまったので、話は打ち切りとなった。




食事中、改めて、しばらくお世話になる旨と、その間のことについて話をした。

働き口については案の定ちょうど良さそうな場所はないとのことで、落ち込みかけたが、

「そういえば、知り合いが子供の家庭教師が欲しいと言っていた気がするな」

聞けば、大学受験を来年度に控えた高校生だということだった。御影より一学年上ということになる

確かに、だとすると僕の方が適任だろう。まあ仮に、御影の方が相応しかったとしても、僕がやることになっていただろうけれど。

ともあれ、ひとまずアルバイトの件については何とかなりそうだった。

叶枝さんはしきりに「そんなに気にすることはないのに」と言ってくれてはいたが、こちらの気がすまないので、固辞しておいた。

他には、御影の学校のことなども話さなければならないことだった。

しかしこちらの話については、通信制の高校もあるということで案外あっさり片付いてしまった。

正直、御影にだけは不自由させたくなかったので、この件に関しては僥倖だったと言える。

そんな話が終わって、時刻はもう夜の9時を回っていた。

御影は相変わらずの静かな表情の中に、ほんの僅かな申し訳のなさを混ぜたような表情で、

「……すみません、先にお休みさせて頂きます……」

と言って、寝室に行ってしまった。よほど疲れていたのだろう。こちらこそ申し訳ないことをしたという気持ちになる。

「……ちょうどいいタイミングだし、聞いておきたいことがいくつかある」

御影が行ってしばらくして、叶枝さんが切り出した。

「……御影がいない方が都合がいい話、ということですか」

恐らく、家を出た理由についての詳しい話をするのだろうと思っていた。

叶枝さんは僕ら同様、僕たちの両親にいい感情を持っていない。

それは、叔父夫婦と両親との仲のことを別にした感情だった。

―――確かに、この件についてはあんまり御影に聞かせたくはないかな。

そんなことを考えながら、次の叶枝さんの言葉を待っていた。

しかし、返ってきた言葉は、半分予想通りで、半分は予想を越えたものだった。

「……御影がいない方が都合がいい、と、そう思っているのは君だけだと思うけどね」

……え?

「どういうことですか?」

「もしかしたら勘違いをしているのかもしれないけれど、今私がしようとしているのは今君の生家にいる君の両親の話ではないよ」

一息おいて、叶枝さんは皮肉っぽい笑みを浮かべる。

「まあ、君が御影を連れて家を出るに至るまでの話、という点では共通しているかもしれないけれどね」

「………………」

僕が御影を連れ出すに至った理由であって、あの両親の話ではないというのなら―――

「もちろん、君の両親について擁護してやろうとか、『今はそう思っていなくても、君たちにとって必ずプラスだったと思える日が来る』みたいな高尚な話をするつもりじゃないよ」

「彼らがしてきたことを知っているし、それによって君たちが被ってきた実害も知っているつもりだ」

「今更隠しだてする必要もないけれど、彼らはクズだよ。そこは異論はない。君だって、そう思っているだろう?」

それは、もちろんそうだった。

そう思っていなければ、今僕たちはここにいないし、そうでなかったならば、今頃はこうする必要もなかっただろう。

「……まあ、いくらそう思っていても、身内の悪口を聞くのは気分が悪いだろうし、この辺りにしておくとしてだ」

「……そこはまあ、別に気にしなくてもいいんですけどね」

「あっはっは!まあそれくらいのことはされてきただろうしね」

別に今、僕は彼らに対して特別な感情は抱いているつもりはなかった。

今更関係のある人物だと思いたくない、というのもあったけれど、何より今はそれどころではないというのが大きい。

「話を戻そう。じゃあ質問を変えようか―――なんで今なんだい?」

一瞬、

本当に一瞬だけど、息が止まりそうになった。

言われた瞬間にその言葉の真意を捉えられていたわけでもないのに、心の本質を捉えられたような感覚「だけ」が身体に響いてきたようだった。

「今まで耐えて耐えて、それでも我慢の限界だったから―――とかならなるほど、良くわかるよ」

「でも、出発が確か御影が夏休みに入るタイミングだっただろう。中途半端に区切りが良いね」

口調は軽いままだけれど、その眼は全てお見通しだと言わんばかりに光っている。

それが「本質は別なところにある」ということを見抜かれているのか、

それとも、本当に全て見抜かれているのか……僕にはわからない。

「半衝動的にというのも合わない。君のことは私なりに評価しているよ。かなり頭が切れるし、冷静に物事を考えられる能力もある」

「本当に区切り良くするならば、御影の中学卒業とか、君の大学卒業とか、あるいは御影の高校卒業だって良かったはずだ」

「そのどれでもない、だけど中途半端に区切りの良い今というタイミングでここに来た真意―――」

これが完全な出鱈目・嘘八百を言っているのならば反論もできたんだろうけれど、今の僕には、それができない。

―――できるはずがなかった。

「御影の様子がおかしいことくらい、心理学がどうとか関係なしにわかることだよ」

「……やっぱり、わかってしまいますか」

「君たちのことを良く知っていればね」

御影の行動から、主体性が失われていることは、それほどまでにわかりやすいということだろう。

ここまで来たら、話すしかないか。

「やっぱり、叶枝さんにはお見通しなんですかね……」

「いや、こればっかりは『私だったから』っていうものでもないと思うけれどね」

そうして僕は「話した」。

御影の依存性と、それを作り上げる理由となってしまった環境についての考察、そしてその解決策について「話した」。

(―――但し、)

僕は一つ、秘密にしていることがある。

それは、その事実自体は叶枝さんも数日……下手をすると明日にでも気づいてしまうかもしれない。

しかし、しかしながらその事実を僕自身が把握している状況については、僕は話さないでおいた。

御影のため―――そう言えば、聞こえはいいかもしれないけれど……、

(結局は、僕がそれを抱えて過ごしていると、過ごすことのできる人間だと、知られるのが怖いだけなんだ)

僕の臆病のために、僕は問題を先延ばしにするしかなかった。

―――ごめん、御影。

僕は、どっちについて謝ったのだろう。

君を救おうと動き出したのに、それと矛盾した行動を取っていることについて?

それとも……。

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