【9】

 無限に続くのではと不安になるほどの螺旋階段を駆けおりていく。

 等間隔に並ぶ壁に備え付けの洋燈が視界を横切っていく度、暗く深い海の底に誘われるような錯覚に襲われ、不快感に神経を蝕まれる。

 移動集落の心臓部に程近い円形のホールに至ると、リアンの視界に無骨な鉄格子が移る。その隙間からはほのかに青い炎の光がちろちろと煌めいていて、中に閉じ込められた人物の長い髪が薄闇の中に浮かび上がる。


「ソフィア……!」

「その声は……リアン……!?」


 鎖を繋がれたまま俯いていた少女がそっと顔を上げた。

 ちょっと離れてろ、と言ってリアンが多少の火の魔力を込め、熱気をまとった剣を一閃すると――じゅ、と音を立て白い煙を噴き出し鉄格子は溶断された。

 同じ要領で彼女の腕と足を拘束していた鎖も切断すると、リアンはにっと笑って手を差し出す。


「助けに来るのが遅れてごめん。無事か?」

「リアン……やっぱりさっきの揺れはあなただったんですね。でも、どうして……」

「どうしてって、仲間なんだから助けるのは当たり前だろ」


 自分でも青臭い台詞だと思いつつもリアンはそう言い切った。それは、偽らざる彼自身の正直な気持ちだ。


「…………」

「ソフィア?」

「……い、いえ……」


 ソフィアはリアンの手を取りながらも、その目を彼と合わせようとしない。


 ――どうしたんだろう?


 脳裏を疑問が過ぎり訝しげに首をかしげる。しかし今は一刻も早くこの場を逃げ出さなければならない状況、追及している余裕なんかあるわけもない。


「とにかくここを出よう。『黄昏の白百合』の人達が帝国兵を止めてる間に――」

「は、はい……」


 心ここにあらずといった様子でうなずき、監禁状態で弱った下半身にかろうじて力を込めたふらふらした足取りで歩き出すソフィア。


「――待ちなさい」


 ホールに出た二人の耳に静かな、それでいて綺麗に通る女性の声。


「……ッ! お前は――」

「あなた達を逃がすわけにはいかないの。ヴィクトル様が――そう望まれているから」


 闇より深い黒衣。冷たい光沢を放つ長い髪。

 人形じみた感情のない目は熟達の暗殺者のように冷徹に、冷酷に二人を見つめていた。

 ――フォルティナ。

 帝国軍中尉、ヴィクトルの部下、怪しげな魔導士。


「ソフィアを攫った女……しつっこいんだよ! 何度も何度も現れやがって!」

「私の台詞よ。何度も手間をかけさせて。力も大義もない子どもが邪魔をしないで」

「大義だと……? お前らのどこに大義があるって――」

「あなたみたいな物知らずはどうでもいい。神族の娘、あなたはもう聞いているはずよ。ヴィクトル様の真意を。我々の求める未来の姿を」

「…………」

「……ソフィア?」

「ごめんなさい、リアン。わたしは、やっぱり……このまま帝国に行った方が、いいかもしれないんです……」

「はあっ!?」


 想像もしなかった言葉にリアンの声が派手に裏返る。

 呆然とする彼の手から自分の手をそっと解いて、ソフィアは困ったような、悲しいような、いまいち判然としない笑顔を浮かべてみせて。


「この大陸が、崩壊するかもしれないんです。それを防ぐにはわたしの力が必要で――」


 たどたどしく、弱々しく、彼女は説明した。

 ヴィクトルに告げられた大陸の現状を。

 ソフィアの身体と能力が大陸の滅びから民を救うために必要であることを。

 そのすべてを話し終えて――。


「自由も、冒険も、この世界があってこそ。それがなくなったら、リアンが求めた楽しいことは全部なくなっちゃうんです。だからわたしは行かないと――――ひゃうっ!?」


 切々とした訴えはデコピン一発で中断され、間抜けな悲鳴が漏れる。

 顔とおでこを真っ赤にしたソフィアの目がみるみるうちにつり上がり――。


「な、なな、何するんですかっっっ」

「ワケわかんないこと言ってるんで、ちょっと壊れてるなら叩けば直るかと思って」

「イングリットさんがたまに機械にやってたやつ!? 物と同じ扱いってひどいですっ」

「そう疑いたくなるほど判断力失ってたぞ、ソフィア。考えてもみろよ」

 リアンは赤い額を優しく指で撫でた後、背後のフォルティナに親指を向けながら。

「あいつらの言葉が本当なんて保証はどこにもない」

「な……ヴィクトル様が虚言を吐いたとでも!? 許せない、侮辱にも程がある!!」

「じゃあ教えてみろよ! ソフィアの力があれば、お前らの求める移動集落が建造できるっていう根拠はなんだ!? 他に方法がないなら実験もできない、実験もできないことを、どうしてできると言いきれるんだよ!!」

「それは……それは……う、うるさいっ、お前のような子どもに何がわかる!!」

「わからないから聞いてるんだろ!! いいから正直に答えろよ。成功するかどうかも不明な実験をするためだけに、ソフィアの身体が必要だってさ!!」

「……!!」


 リアンの啖呵に押され、フォルティナが、ぐ……と喉を詰まらせた。

 怜悧な瞳は揺れ、拳は手首が真っ白になるほど握りしめられている。

 そして、追い詰められたような彼女の口から――。


「……実験なら……とうの昔から、やっている……!」


 ――絞り出すように、意外な言葉が放たれた。


「何人も、何人も、ただの人でしかない少女が捕らえられ、肉体への負荷などお構いなしに、いじられ、調整され、疑似的に神族と同じ力を得た『魔導兵器』は――何人も何人も造られてきたんだ」

「その魔導兵器たちが神族の力を使えるなら、どうしてソフィアの力が必要なんだ?」

「――足りないから」

「え?」

「命の量が足りないから。太陽石の力を引き出しきるまで、私たちの――魔導兵器たちの肉体が保たないの。イミテーションでは、任務を完遂する前に崩壊してしまう。だから、本物が必要なの! 神族の血を引く、選ばれた魔力の持ち主が!」

「うるせえ! やっぱりソフィアがやったところで安全だって保証もないような、危険な仕事なんじゃねえか! コイツを巻き込むな。お前らだけで勝手にやってろ!」

「――やりたかったに決まってるだろッッッ!!」

「……ッ!?」


 フォルティナの胸が張り裂けんばかりの叫びに、リアンはたじろいだ。

 その瞳に大粒の涙を湛えた黒き魔導士は、黒衣の胸元を皺になるほど強く握りしめ。


「できることなら私がやりたかった……ヴィクトル様の掲げる理想の一助になれるなら、この命のひとつやふたつ、喜んで捧げてみせる……でも、私にはそれだけの力がない……。本物の神族じゃない私には、たとえ命を捨てたところであの方の夢を叶えて差し上げる事ができない!!」

「フォルティナ……あんたそこまで帝国に忠誠を誓ってるのか」

「違う。帝国なんかどうでもいい。私の忠誠は常にヴィクトル様――私を救ってくれた、あの方へ!」


 フォルティナは叫び、ソフィアを睨みつける。

 深い憎悪とそれと同等の――羨望を秘めた目で。


「あなたが憎い。ヴィクトル様の欲する力を秘めながら、あの方の手を払いのけるあなたが、殺してしまいたくなるほど憎たらしい……! 絶対に逃がしたりしない。私にできるのは、これだけだから……!」


 激昂とともに彼女の口が高速で呪文を紡ぎ始めた。

 どす黒い魔力が渦巻くのを呆然と眺めながら、彼女の迫力に圧されたソフィアがぼそりとつぶやく。


「フォルティナ……さん……」

「聞いちゃだめだ、ソフィア」

「でも……」

「あいつの気持ちは本物だろうし、帝国の事情もわかる。だけどこれは全然対等な話じゃないんだ」

「……ど、どういうことですか?」

「考えてもみろよ。あいつらは自分の考えで生きて、自分で決めて、自分で行動してる。でもソフィアはどうだ? このままおとなしくついて行ったら生きることも死ぬことも、やりたいこともやりたくないことも何ひとつ自分で選べないんだぞ。不自由なシナリオしか与えられない毎日でいいのかよ? よくないだろ、ソフィアっ!」

「……! でも、大陸が……」

「大陸を救うためにセレスを目指すってことは、あいつらも神族の技術に頼らざるを得ないってことだ。もう一度大地に精霊の祝福を施すための方法を聞きに行くってことだ。それは、あいつらの実験動物にならなくてもできるだろ?」

「あ……」

「俺達でセレスに行けばいい。帝国の怪しい実験に頼らなくても、きっと方法は見つけられる。そうだろ!?」

「リアン……」


 力強く訴える声に、ソフィアはぎゅっと胸の前でこぶしを握る。

 言われた言葉の意味を胸の中で砕いて、理性と感情を天秤にかけて、どうするべきか、どうしなければいけないのか、自分がどうしたいのか、溢れてくる感情に折り合いをつけようと、思考を巡らせようとして――。

 しかし最後は、理性や計算なんて、何の意味もないことだと気づいた。


 ――嫌だ。


 帝国に囚われ、自分の意思も、夢も、自由もなく、ただ目的遂行のための機械に徹するなんて。

 そんな生き方は、したくない――!!


「わたし……まだ……冒険者でいたいです……!」

「なら行こう。外へ!」

「はいっ」


 と、ソフィアが力強くうなずいた瞬間――。


 ――床が、隆起した。


「うおっ」

「きゃあああっ!?」


 堅く頑丈な建材で造られていたはずの床がバキバキと派手な音を立てながら盛り上がる。それに足を取られたリアンとソフィアは互いに支え合いながら、かろうじてバランスを取った。


「逃がさない――『ストロングレイヴン』よ、聞きなさい! 餌はここにある! いくらでも私の魔力を食わせてやる! 邪神を、おぞましきその子袋から貸しなさい!」

「なんだこれ……床から……怪物が……!?」

「これが神族の力。移動集落の精霊を制御し、都市に変異をもたらす秘法。神族のデータベースに記録された邪神――」


 黒く渦巻いた魔力が床に壁に吸い込まれ、振動はどんどん大きくなっていく。

 隆起し、割れた床から、無数の触手が突き出される。


「……ッ」


 床を突き破って現れた邪神のあまりのおぞましさに、リアンとソフィアは言葉を失った。

 太くぬめった無数の触手。

 中央には、唾液をたらした大きな口。その深淵めいた大穴から紫色の霧を吐き出している。肉の塊のような不気味な身体を蠢かせ、邪神は低いうなり声を漏らす。

 そんな怪物をまるで玉座として扱うかの如く、頭の部分に腰をかけたフォルティナが、悠然とふたりを見下ろした。


「さあ、『ストロングレイヴン』の邪神よ。あの二人を捕らえなさい」

「くそっ! 冗談じゃない、あんなのに捕まってたまるか!」


 見ただけで危機感を煽られて、リアンはソフィアの手を引いて走り出した。

 螺旋階段を駆け上がっていきながら肩越しに振り返ると、邪神は無数の触手を器用に動かしながら怒涛の勢いで後を追いかけてくる。

 ひたひた、ひたひた、とぬかるんだ沼を走るような足音が耳に入るたび、ぞっとするような寒気に襲われる。人間の奥底に潜む恐怖心に直接訴えかけてくるような感覚をリアンは歯を食いしばって耐えた。


「馬鹿ね。どこまで行っても私から逃げられるわけないのに」

「何……ッ!?」

「言ったでしょう。神族の力は移動集落を意のままに変異させられる――故に!」


 邪神の頭上でフォルティナが手をかざした瞬間、凄まじい振動とともに足元が崩れ始める。


「うぉわっ!?」

「きゃあああああ!!」


 螺旋階段の崩壊に巻き込まれ、二人の身体が落下していく。

 いつの間にか階段は、最初から存在しなかったかのように消え去り、どこまでも続くような穴が口をあけていた。

 数秒、数十秒――落下にかかる、無限にも思える体感速度。


 ――まずい。俺はともかくソフィアは受け身を取れない!


 落ちながらも、リアンは必死に体をひねり、ソフィアの身体を抱え込んだ。

 そして――衝撃。

 背中から地面に叩きつけられ、リアンは肺腑から酸素がすべて抜けるような感覚に襲われる。


「リアン、大丈夫ですか!?」

「ああ……なんとかな」

「わたしを庇おうとして……ご、ごめんなさい」

「それはいい。それよりも、まだ終わってない……来るぞ……!」

「……ッ」


 リアンが指さした先、頭上から無数の触手が降ってくる。

 ずん、ずん、といろいろな場所に、肉の柱のように突き刺さるそれらを這うようにして避け、周囲を見渡す。

 そこはやたらと拓けた広い空間だった。

 部屋全体が青白い灯りに照らされている。

 よく見ると足元に大きな魔法陣が描かれており、それが発光しているようだった。

 部屋の中央には無数の管で繋がれた大きな卵型の機械――。


「ここは……『ストロングレイヴン』の心臓部。精霊炉の中、ですか……!?」

「マジかよ。そんな深いところまで落ちちまったのか、俺達!?」


 二人は室内の様子を確認し、そう叫んだ。


「もう逃げ場はないわ。あなたたちはここで倒れ、邪神の洗脳を受ける」

「くそっ……正面から戦わなくちゃいけないのか」


 二人に続いて地面に降り立った邪神とフォルティナに相対し、リアンは剣を構える。


「精霊さんが、こんなに……ひどい……」

「精霊? ……なっ、なんだこれ!?」


 ソフィアの声に振り向くと、彼女の視線の先には凄惨な光景が広がっていた。

 精霊炉の中では憔悴しきった精霊が閉じ込められている。

 さらに部屋の隅に所せましと並んだ棚にはラベルの貼られた瓶がいくつも並んでいて、そのいずれの中にも悲しげな顔でうつむき、絶望した様子の精霊の姿があった。


「フォルティナ! お前ら……精霊に何をしてるんだ!?」

「五月蝿い。あなたたちが知る必要のないこと」

「ふざけんな! 何が精霊の祝福を失いかけてるだ。こんなことしてたら、祝福なんて受けられるわけないだろうが!!」

「……黙れ!! 先にグルディア帝国から姿を消したのは精霊の方だ!! 我々の目的を達するためには、他の地域で捕まえた精霊のプロトコルを破り、無理矢理命令を聞かせる必要があった。そいつらは大義のもとに集められた道具よ……!」

「ひどい……」


 ぽつりとソフィアがつぶやく。

 その瞳に確かな意志の光を宿して、彼女はフォルティナを見返した。


「こんなの、ひどすぎます……やっぱり、あなたたちは信用できませんっ」

「五月蝿い五月蝿い五月蝿い。あなたの意思なんて関係ない!」


 フォルティナの怒りに呼応するように邪神の触手がうねる。

 殺意のこもったそれがソフィアに振り下ろされ――。


「危ない!」


 ――彼女の前に立ちはだかったリアンは、その剣で触手を両断した。

 粘液と血しぶきが飛び、触手が切断される。


「大丈夫か?」


 ソフィアの安否を確認するために振り返る。

 ――それが失敗だった。


「リアン、まだ油断してはダメです。切断した触手が、再生して……!」

「えっ? ……うわあっ!?」


 目を丸くしたソフィアが背後を指さしたのを見てハッとした時にはもう遅かった。

 切断面から新たに数本の枝に分かれた触手が、リアンの肉体を絡め取っていた。


「ぐ……ぅ……」


 胴体を強く締め上げられ、内臓をひねり潰されるような痛みに苦悶の声が漏れる。

 万力で締められるかのような圧力。身体の中身という中身がすべて外に押し出されてしまうのではないかと思うほどの苦痛。しかし身体は宙に持ち上げられ、力も込められず、ただ無様に足をばたつかせて抵抗するほかなかった。

 手から感覚が消え、下の方で金属音がする。

 唯一のよるべである武器を落としてしまったのだ。


「リアンっっ!」


 ソフィアの悲鳴じみた声が聞こえた。

 目を潤ませ悲痛な叫びを上げるソフィアに、フォルティナは満足げに微笑みながら。


「ふふ。生かしておくべきは神族の娘だけ。彼には死んでもらうわ」

「や、やめて……やめてください、フォルティナさん」

「そう? ならこの前と同じように……どうすればいいか、わかるわね?」


 冷酷な問いかけ。

 リアンの命と引き換えに帝国に協力しろという不可避の脅迫。


 ――やっぱり……彼女の言う通りに……。


 あのときと同じ結論がソフィアの胸の中に浮かび上がる。

 リアンはこんな自分の手を取り、冒険という自由な行いを教えてくれた恩人だ。そんな彼のことを自分ひとりが犠牲になれば助けることができる。だったら――……。


「違う……だろ、ソフィア。もう……わかってるはずだ」

「り、リアン!?」


 触手に締め上げられ、窒息せんばかりの苦痛を味わいながら、それでもリアンは気丈に笑みを浮かべていた。


「自分で……選べ……生きることも、死ぬことも。神様から不自由なシナリオしか与えられなかったんだとしたら、俺たちの手で……ソフィアの手で、書き替えるんだ。それが……冒険だ……!!」

「リアン……」


 苦しげに放たれた彼の言葉がソフィアの胸の一番深いところに染み込んでいく。

 自由なんて言葉は憧れでしかなかった。

 死ぬことも、生きることさえ誰かに選ばれていた。

 それが今までのソフィアの生き方。

 だけど――。

 それは自分の求めている生き方じゃない。

 理想郷セレスに至る道はきっと遠い。大陸に迫る枯渇の時は近いのかもしれない。

 だけど大陸の運命に抗う方法は――。

 顔も性格も知らない帝国の研究者たちではなく。

 他の誰でもなく。

 リアン――。

 あなたと、共に探したい。

 誰かではなく、他でもない、あなたと死を分かちたい。

 だから――。


「フォルティナさん。わたしは……最後まで抗ってみせます!」

「……べつに、そんなのどちらでもいいのよ。どっちの道を選んでも関係ない。この男の子は死ぬし、あなたは邪神に洗脳される。それはもう、私が決めたただひとつの道!」

「それは違います!」


 ソフィアはポケットの中に手を入れ、その中にある硬い感触に触れた。

 朝の陽ざしのような温もりを感じる。

 それに触れているだけで、身体の奥底から無限のパワーが湧き出るような気がした。


「今、わたしにもできることがあります」

「へえ。一体何ができるというのかしら。炎の魔法? それとも猛毒の魔法? 無駄よ。私も邪神も魔力を遮断する絶対障壁で護られている。たとえ大賢者の魔法であろうとも、この守護を崩すことはできない!」

「果たしてそうでしょうか? あなたが教えてくれたんですよ、わたしの力を」

「何……? ……いや、まさか……」

「神族の力――使わせていただきます!」


 ソフィアは、ポケットから取り出した石――太陽石を、頭上に掲げた。

 かっ……と、橙色の光があふれ出し、空間全体を染めていく。


「神族の力……!? 馬鹿な……あなたはまだその力の使い方を知らないはず!」

「知りませんでした。でも、フォルティナさんが目の前で使ったのを見ていましたから。たとえそれが偽物の力だとしても、移動集落に働きかける方法は同じはずです!」

「……ッ」


 明らかにフォルティナの表情が変わった。苦虫をかみつぶすように、ぎりぎりと歯を噛んで、ソフィアを睨みつけて。


「邪神! 神族の娘を捕らえなさい!! 今すぐに!!」


 焦った口調で命令する。


「――――…………――――」


 しかし、邪神はぴくりとも動かなかった。

 まるでフォルティナの声など聞こえていないかのように動きを止め、じっと大きな洞穴めいた口をソフィアの方へ向けて、だらんと脱力している。触手の力が弱まり、リアンの身体も解放された。

 どうにか足から着地したリアンは、太陽石をかかげるソフィアの方へ駆け寄って。


「な、何どうなってるんだ?」

「神族の力とやらで『ストロングレイヴン』の制御を乗っ取りました」

「……そうか! だからこの移動集落の守護神である、あの邪神も動きを止めたのか」

「くっ……主人たる私でなく、あの娘の言うことを聞くというの!?」


 舌打ちをして、フォルティナは手を前にかざした。


「傅きなさい! 傅きなさい! ……精霊っ! あなたの主人は誰!? 言うことを聞いて。お願いだからっ……ヴィクトル様のために……ヴィクトル様のためにっっっ」


 先と同じく漆黒の魔力を放ちながら。


「ぐ……はあ……はあ……お願い、だから……! ぐっ……はぁっ……」


 血を吐きながら、ボロボロの肉体に鞭を打ちながら、フォルティナは懇願した。

 しかしその魔力が精霊炉に届くことはない。

 調整された魔導士ゆえに肉体を酷使しながら、神族の秘法を用いても、純粋なる者の力の前には到底及ばない。

 精霊炉の周りにはソフィアの身体から発せられた真っ白の魔力が漂っていて、あらゆる負の魔力を防ぐ壁となっている。

 よく見れば炉の中でぐったりとしていた精霊が上体を起こし、きらきらした目でソフィアを見つめていた。


「『ストロングレイヴン』の精霊さん……お願いします、わたしに力を貸してください」


 ソフィアが祈りを込め魔力を増幅させる。

 太陽石から放たれる光が徐々に勢いを増していき、この場にいる全員の視界を真っ白に塗りつぶした。

 圧倒的な浄化の光を前に、邪神は――。


「守護神よ。あなたが倒すべき敵はもういません。安心して街の土に御帰りください」


 優しく、踊るように、紡がれたソフィアの呼びかけに。


「――――……ぐ…………――――ぁ……ァァ……――――」


 弱々しい悲鳴を残しながら肉塊じみた身体を灰にして、崩れ落ちていった。

 光が収まり、その場に残されたのは――。

 前を向くことを決意した力強い瞳を湛えた少女、ソフィアと。

 彼女の背中を支えるリアン。

 そして頼るべき兵器を失い、ほとんどの魔力を使いきり、呆然とたたずむフォルティナだけだった。

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