【5】
「喜びな。あと数時間もすればサンリモに着くよ」
移動集落『ワンダーキャメル』の操舵室。リラクゼーション用に設置されたソファで、やることもなくくつろいでいたリアンとソフィアを振り返り、イングリットは弾んだ声でそう言った。
「ああ~、楽しみだなぁ。サンリモ」
「リアンは行ったことあるんですか?」
「いや、ないよ。でも芸能の街として有名だからさ。俺が住んでた村まで噂は聞こえてきてたんだ」
「芸能……歌や音楽が聞こえてくるんでしょうか。だとしたらとても素敵です」
ソフィアは目を閉じてうっとりと空想に耽った。
「音楽が好きなのか?」
「いえ。あ、とはいえ嫌いというわけじゃなくて」
即座に否定しかけてソフィアはあわてて言葉を継ぎ足した。
「魔なる者の秘境では音楽の文化はありませんでしたから。そもそも好きか嫌いかもよくわからないんです。でも、読んだ物語の中で音楽は常に素敵な存在として描かれていました」
「音楽は聞いてるだけで楽しくなったり、悲しくなったり。なんというか、そういうパワーがあるものだよ」
「オイオイ本当かい? 音楽なんざロクに聞いたことなさそうな顔してるくせに」
操縦桿から手を離し、イングリットがニヤニヤ顔で振り返っていた。仲間入りから一日近くが経過してなんとなく理解してきたが、彼女は他人をからかうのがだいぶ好きらしい。
生真面目な人は絡みにくいかもしれないが、同じくいい加減なリアンにとっては、わりと心地好いノリだった。
「失礼なおばさんだな。村の学校にはピアノも置いてあったっての」
「オーケー。失礼という言葉を三度復唱してからもう一度同じ台詞を言ってみな。アタシが失礼な何だって?」
「おば――あ、いや、姐さんです」
素直に答えかけたリアンは、イングリットの背後に悪鬼羅刹の影を錯覚し、強引に台詞を軌道修正した。
「いいかい。女性の年齢は正しく甘めに認識しとくもんさ。次に表現を間違えたら、このキンキンに冷やしたポーションがアンタのケツに注ぎ込まれる。アタシは有言実行の女だからね、よく覚えておきな」
「……うっす」
身震いしつつリアンはうなずいた。恐ろしい女を仲間にしてしまったな、と今更ながらに思う。
移動集落の整備、操縦。長年の冒険者生活で培った豊富な知識。達人級の弓の腕。
どれを取っても頼もしい仲間だが、少々男勝りで気が短いのが玉に瑕だ。
「芸能の街かぁ……るんるんるん♪」
調子っぱずれな鼻歌とともにソファーの上でリズムを取るソフィア。
誕生日に隣町の高級レストランをご馳走してもらう子どもが行きの馬車でそうするような無邪気なしぐさに、見ているだけで和まされる。
――突然の鳴動が都市全体を揺るがしたのは、そのときだった。
「えっ……きゃぁ!?」
「うわわっ……おいイングリット! いくら機嫌を損ねたからってこんな形で仕返ししなくてもいいだろ!」
「ノータイムでアタシの所為かい!? 愛機に乱暴な真似するわけないだろう。こりゃあ何かをぶつけられた感じだよ!」
イングリットはそう叫ぶと慌ただしく管制装置を操作する。計器の針が示す数値やランプの点滅が意味するところはリアンにはわからない。しかし何か芳しくない自体が起こっているのは、イングリットの表情から推察できた。
「……いけない。何かが街に入り込んでる……!」
「えっ!?」
「後方数キロメートル離れた場所に、別の移動集落がある。もしかしたらそこから何かを撃ち込まれたのかも」
「後方に移動集落だって!? まさか!」
リアンはモニタのひとつにかじりつくように注目した。後方を映したモニタにあの巨大な鋼鉄の怪物――『ストロングレイヴン』の姿を見つけ、愕然とする。
「あいつらだ。どういうことだ、さっきまで全然そんな気配なかったのに」
「ステルス機能だね。『ワンダーキャメル』が観測できないよう迷彩を張ってたのさ。おそらく今は、何かを撃ち込んだ際にエネルギーをそちらに回す必要がありステルス機能を切ってるんだろう」
「く……なんてしつこい奴らだ」
「リアン! 何かをされたなら、早く確認しに行かないと!」
「あ、ああ。そうだな。イングリット、操舵室は頼む」
「すまないね。ホントはアタシも行きたいところなんだが――」
「敵に操舵室を制圧されたらそれこそ最悪だ。姐さんはここをしっかり守ってくれよ」
「……おう!」
リアンとイングリットは拳をぶつけ合うと、それぞれの役目を果たすべく行動を開始した。
操舵室を出たリアンとソフィアが目にしたのは、巨大な卵のような機械であった。
民家ほどの大きさのそれは鈍色の光沢を持つ。つるりとした表面に幾重もの線が走っている。古代文字が刻まれているのも見て取れる。
移動集落と同じく神族の遺した技術が用いられているのは明らかだった。
圧縮された空気が抜ける音を漏らしながら、卵のような機械が展開されていく。
まるで蕾から花開くように。
箱が開かれるように。
外面の殻が剥かれ、中のものが露わになる。
「な……!?」
そこから出てきた人物に、リアンは驚きを禁じ得なかった。
「久しぶりですね。忌まわしき神族の娘。そしてヴィクトル様に傷を負わせた、忌むべき冒険者の少年」
烏羽を一面に貼りつけたかの如き漆黒の衣をまとった女性が一歩を踏み出した。
彼女の名前はフォルティナ。
以前、帝国軍を退けた際、すこしだけ顔を見たことがある。
あのときと変わらず、彼女は頭頂で結わえた長い髪をなびかせ、その頭には大きな宝石がはめ込まれたティアラを被っている。
高貴ささえ感じる凛とした顔立ちといい、一国の王女と名乗られても信じてしまいそうだ。
しかし彼女はヴィクトル――帝国軍中佐という立場の人間に対し、忠誠を誓っていた。帝の一族に属する者ではないのだろう。
この女性は何者なんだというリアンの疑問を察したのか否か、フォルティナは黒衣に刻まれた帝国の紋章を掲げて口を開く。
「私の名はフォルティナ。帝国軍中尉。ヴィクトル様の補佐を担当する帝国魔導士」
「帝国魔導士……聞いたことがあります」
ソフィアが神妙な面持ちでつぶやく。
「精霊に嫌われた土地に生きる帝国は、自然界の精霊に力を借りる魔法ではなく、科学の力で強引に魔法と同じ作用を引き起こす魔導の研究を進めている……と」
「とてもよく教育されてるのね。魔なる者たちの秘境に暮らす民が忌まわしき神族の娘にここまでの知恵をつけるなんて、時の流れとは人をかくも変えてしまうのか」
「……何の話ですか?」
「簡単なこと。あの秘境の民は神族の呪いの所為で子が生まれなくなり、滅亡の道を辿った。禁断の恋に溺れたのは人も神族も同じだというのに。一方的に罰を受けたのは自分達だけ。恨まないわけがありません」
ひどく冷徹な口調でフォルティナは言う。
「だから帝国の捜索が長引いてしまった。まさか秘境の民が神族の娘を匿うだなんて、考えもしなかったから。おかげで無意味にいろいろな村の子どもたちを狩る羽目になってしまいました」
「何の用だ!? 覚えてないのか? 俺とソフィアは守護契約を結んでるんだ。俺は死ぬまであんたらに抗う。もし俺を殺しちまったら、そのときは――」
「知ってます。でも、そうね。それを言うならあなたこそ覚えていないのかしら」
フォルティナは侮蔑の目で一瞥し、足元に向けて手をかざした。
「私は言いました。守護契約の脅しがいつまでも通用するとは思わないことです、と」
彼女の口が呪文を紡ぐ。
――晒せ 晒せ 晒せ 汝の心臓を――
――傅け 傅け 傅け 我こそは汝を産みし母なり――
――呪え 呪え 呪え 偽なる者に狂気の制裁を与え給え!――
彼女の手から黒い稲光が迸る。
黒い稲妻が地面に吸い込まれた瞬間、
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――
どこからか獣の慟哭が轟き、凄まじい揺れが『ワンダーキャメル』全体を襲った。
慟哭の主を悟ったときリアンはぞっとした。
今のは断じて名も知らぬ動物や魔物がどこかであげた声などではない。
街そのもの――『ワンダーキャメル』の悲鳴だ。
「……何をした!?」
「すぐにわかりますよ。――ほら、出てきました」
ぽう、と。
地面から、半透明の光の玉が浮かび上がってきた。光の玉には黒い稲妻が荊のように絡みついている。
光の玉の中に透けて見えているのは、見慣れた精霊の姿だった。
「……レテ!?」
「リアン!? ちょっとこれ、どういうこと!? 精霊炉にいたら魔力で強引に引っ張り出されて……ぅぐ!」
「ふふふ。守護契約解除の法。それはとてもシンプルな方法でした」
フォルティナの細い指がレテの首をつかむ。
ばたばたと手足をばたつかせレテは必死の抵抗を試みるが、非力な精霊の力では指を押し広げることさえできなかった。
「精霊の魔力回路をハッキングし、強引に解除すればいい。ただそれだけ」
「はぁ!? アンタ、精霊の中に入ってこれるわけ!?」
レテが驚きの声をあげる。精霊に深く関与する魔法は神族だけに伝えられた秘法とされていた。精霊であるレテ本人にも、どうすればそんなことができるのかわからないくらいだ。
どうして精霊にも神族にも愛されていない帝国の魔導士が扱えるのか。
そんな疑問に答えるように魔導士は嗤う。
「愛で協力を仰げないなら、力で従属させる。道理でしょう?」
「なっ……まさか帝国は開発したっていうの――強引に精霊を支配する術を!」
「『女神』シリーズNO.10。運命の輪、フォルティナ。私が――その、最新作です」
ただ静かに、魔導士は言う。
魔導や科学の知識など持たないリアンにもその言葉が持つおぞましさは理解できた。
「造られた……ってことか?」
「ええまあ。でも今はそんなことどうでもよいのです」
「……っ、あ……きゃあああああ!!」
黒い電流に襲われ、レテが悲鳴をあげる。身悶え、絶叫する小さな女の子をつかみながらフォルティナは、同情するどころかむしろ愉悦の笑みさえ浮かべている。
そして三日月型の瞳がピクリと動き、
「ふふ。見つけました」
守護契約に使っていた魔力の領域を発見したのだろう。彼女は再び口の中で呪文を紡いだ。
変化は、すぐに起きた。
最初にそれに気づいたのはソフィアだった。
「リアン……大変です。心の奥から何か大切な物が失われたような、この喪失感。たぶん、私達――」
「守護契約が……解かれた……!?」
「ふふ。これでようやく気兼ねなくあなたを殺せます」
フォルティナが片手をリアンへ向けた。そこまではリアンにも見えた。しかし、
「ぐはっ!?」
彼は、十数メートル離れた民家の壁に叩きつけられていた。
――何が起きたんだ?
リアンは混乱する。何かものすごい衝撃を腹部に受けて吹き飛ばされた。おそらく魔法なのだろう。しかしどんな種類の魔法なのかも、それがどのように接近してどのようにぶつかったのかも、まったく視認できなかった。
「げほ! げほ! ……ぅ……ぐ……」
胃の腑から込み上げてくる不快感を吐き出すように咳き込んだ。その痛ましい姿を見て、ソフィアが悲鳴をあげる。
「リアン!」
「一撃で仕留め損ねましたか。守護契約を解いてもこれとは、しぶとさは天然物ですね」
「くっ……」
フォルティナは再び手のひらを向ける。リアンは半ば死を覚悟して目を閉じた。
しかし予想された衝撃はいつまで経っても訪れない。
「……?」
恐る恐る目を開けたリアンが見たのは、両腕を広げたソフィアの背中だった。
「何のつもりですか、神族の娘」
「これ以上リアンを傷つけないでください。それと、レテを自由に。さもなければ、今ここで自分の身を焼いて死にます」
「ヴィクトル様に傷を負わせた少年を、生かすつもりはありません」
「じゃあ、私が死んでもいいんですね? 守護契約が解かれたなら、私も自由に死ねるんです。他の誰も巻き込まず、たったひとりで」
「交渉のつもりですか」
フォルティナは呆れたようにため息をつく。
「勘違いされていますね。主導権は私が握っているのですよ? 精霊はこの手の中、いざとなればこの場の全員を殺す力もある」
「でも私に死なれたら困るはずです。いいんですか?」
「あなたが死ねば、その瞬間、私はこいつらを殺しますよ。あなたこそ、よいのですか」
「……!」
ソフィアがぐっと詰まる。
フォルティナの言う通り、ソフィアが仲間の命を大切に思っている以上、どんな脅しも足元を見られてしまう。今はとても交渉になる状況にないのだ。
「わ、私が……無条件でついていきます。それなら……ど、どうです、か」
「おい何勝手なこと言ってるんだよ!」
「だって! そうしないと、みんな……リアンもレテも、殺されちゃうんですよ!?」
「でも、だからって――怪しい実験の材料にされるかもしれないんだぞ!?」
「ご心配なく。神族の娘にはそれなりの軍位が与えられます。もっとも未来永劫その生涯を帝国のためだけに生きていただくことになりますが」
フォルティナは魔導研究の結果に生み出された存在なのだと告白していた。
つまりグルディア帝国とはそういう国なのだ。
実験動物にされて、自由もなく、ただ帝国のためだけに働かされる。
それも精霊の祝福を跳ね除けるような、人類の利益に反した作戦を強要される。
ソフィアに、大切な友達に、そんなことをさせたくない。
「駄目だ! 俺があいつを倒すから! 負けないから! だから行くな!」
宝剣を手に、足に力を込めて立ち上がる。
足がガクガク震えている。
攻撃のダメージはまだ尾を引いているらしいが、ここで退くわけにはいかなかった。
「リアン……ありがとうございます。でも、今度こそ無理です」
振り返ったソフィアは笑っていた。
あれだけ恐怖に怯えていた彼女が今は笑っていた。
「お、おい。諦めるなよ。前に帝国に追い詰められたときだって、何とかなっただろ。今回だって何とかなる。だから……」
「無理ですよ」
ソフィアはきっぱりと断言した。
胸に手を当て、
「だって今は……どこにも繋がってないんですから」
寂しげにそう言った。
それからフォルティナの目をまっすぐ見つめる。
「約束してください。リアン達にはもう二度と手を出さないと。そうすれば私は、おとなしくあなた達に従います」
「――少年を生かしておくのは甚だ不服ですが……まあよいでしょう。ヴィクトル様の御意向が最優先ですから……」
しぶしぶながらもフォルティナはレテの体を解放し、ソフィアの手を握った。
ソフィアの体を引き寄せ、展開された機械の上に立たせる。
すると、花のように開いていた機械がふたたび蕾に戻るように閉じ始めた。
「自由な冒険に憧れてたんだろ!? 本当にそれでいいのかよ!?」
「リアン……」
喉の奥から必死で声を張り上げたリアンに、ソフィアは一瞬、寂しそうな目を見せた。
「短い間でしたが、リアンとの冒険、楽しかったです」
それだけ言い残すとソフィアはくるりと背中を向け、フォルティナと向き合った。
機械は完全に球体に戻ると黒い稲妻をまといながら浮き上がる。
そして次の瞬間、目にも止まらぬ速さで空中へと飛び出していった。
「ソフィア……」
遥か空の彼方を見上げて立ち尽くしたまま、リアンは呆然と彼女の名前をつぶやいた。
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