【4】


 話が終わった後、ソフィアは神妙な面持ちでうつむいた。


「嫌なこと思いださせちゃったな」

「いえ……心の整理はついてますから」

「かつて大地を支配していた神々に呪われた村……神族のことかな。そして、交わってはいけない血……子どもが生まれない村に預けられたソフィア。その力を欲しがる帝国に、太陽石……」


 ソフィアの祖母――大魔女とやらがどこまでセレスについて知っているかはわからない。

 しかし魔なる者たちの秘境に暮らす人々は神族と近しい関係にあったのは明らかだ。


「道を示す……か。一体どういうことなんだろう」

「これ、もしかして、くっついたりするんでしょうか」

「あ。それは俺も同じこと考えてた」


 半分に欠けた太陽石が二つ。この意味深な一致は偶然ではない気がする。

 リアンは首からさげたペンダントをゆっくりとソフィアの持つ太陽石に近づけた。

 かちっ、と太陽石同士がぶつかり音を立てる。


「……あれ?」


 リアンは首をかしげた。ソフィアも戸惑ったように瞬きしている。


「くっつきませんね」

「半分に欠けてるけど……断面は微妙に噛み合わないな。うーん、もしかしたらもともとひとつの大きな太陽石だったのかも、と思ったんだけど」

「私もです」


 想像した結果にならずソフィアが残念そうに肩を落とした。


「あっ」


 ふとリアンの表情が凍りついた。とんでもない事実に思い当たって、彼の顔が急激に青ざめていく。それに気づいたソフィアは不思議そうに瞬きした。


「どうしたんですか?」

「え。あ。いや。その、だな。なんていうか……近い」


 湯のせいではなく体が熱くなるのを自覚しながら、リアンは顔をそむけてそう言った。

 太陽石同士を合わせるために前のめりになったことで、ソフィアは思いがけず豊かな胸を見せつけるような姿になっていたのだ。


「あ……」


 ソフィアの顔が紅潮した。

 慌てて胸を隠して勢いよく湯の中に体を沈める。しぶきがリアンの顔にかかったが、もちろん文句など言う気が起こるはずもなく、うるさく鳴り響く胸を押さえていた。


「ご、ごめんなさい……私ったら……」


 何故かソフィアは深く反省したようにうなだれていた。


「どうして謝るんだ?」


 むしろこの場合、見てしまった男が謝る場面のような気がする。

 するとソフィアは恥ずかしげに眉根を下げて、自分の胸をふにふにと腕で動かしながら言った。


「変なものを見せてしまって……べつにこんなの見たくもないでしょうし」

「え。いや、それはないだろ」

「……えっ」


 ソフィアが意外な言葉を聞いたような目でリアンを見た。

 しまった。これでは「ソフィアの胸を見たい」と言っているようなものだ。


「いやべつに変な意味じゃなくて! 一般的には、それを見て嫌がる男はいないんじゃないかと! むしろ女の子の方が嫌がるもんだろ」

「そ、そうなんですか?」

「ああ。というか、同じ風呂に入ってて、本当に大丈夫なのか? ……正直、俺はかなり気まずいんだけど」

「……言われてみたら、だんだん恥ずかしくなってきたかもしれません……」


 かーっと、ソフィアの顔がますます赤みを増した。このままではのぼせてしまいそうだ。

 心なしか彼女の太陽石まで赤い輝きを放っているような気がする。


「――いや、勘違いじゃないぞ。これ、なんだ。光って……」

「えっ? ……きゃっ」

「うわっ!?」


 太陽石から爆発的な光が漏れ、リアンとソフィアの視界を白く塗りつぶした。

 暴力的な光から逃れるべくとっさに瞑っていた目をゆっくりと開き、リアンは目の前の光景に驚きの声をあげた。


「あ、あれ? 何だこれ。こんなもの、さっきまでなかったのに」


 視界からソフィアの姿が消えていた。

 代わりに、そこには木の間仕切りがあった。向こう側から「あ、あの、リアン。どこへ消えたんですかっ」と困惑するソフィアの声が聞こえる。リアンとソフィアの間を遮るように、大浴場の端から端まで続く長い間仕切りが出現したらしい。


「もしかして……いや、たぶんそうだよな。タイミング的にそうとしか考えられないし」

「り、リアン? 『そう』って、どういうことですか?」

「太陽石が何かをしたんだ。いや、正確には太陽石じゃなくて、ソフィアが」

「えっ。でも私、何もしてないですよ」

「『恥ずかしい』と実感したとき、俺の視界を遮るものが欲しいと思わなかったか?」

「それは確かに思いましたけど……」

「たぶん、太陽石とソフィアの力は移動集落に影響を与えるんだ」

「私にそんな力があるなんて、とても思えません」


 間仕切りの向こうから自信なさげなソフィアの声が聞こえる。きっとそれは、心からの言葉なのだろう。

 しかしこのときリアンは、フォルティナと呼ばれた帝国軍の女性が残した言葉を思い出していた。


 ――神族の娘。彼女はソフィアのことをそう呼んでいた。


 もちろん帝国軍側が何か思い違いをしている可能性はある。しかし移動集落『ストロングレイヴン』を駆り出し、一軍団をソフィアの捕縛のために派遣しているのだ。少なくとも帝国はかなりの確信を持っている。


「あいつらが言ってたこと、何か心当たりはないのか?」

「……神族の娘、と呼ばれた件ですよね。物心ついたときから親の顔を知りませんから、可能性はゼロとは言い切れません。でも、神族はずっと昔にガリアの大地から姿を消したとされてますよね? その血を引いてるだなんて、いきなり言われても……」

「ま、信じられないよな」


 無理もない話だとリアンは思った。しかしありえない話じゃないとも思う。


「終わりの海の向こうから来た神々がこの大陸にさまざまな技術を遺した……理想郷セレスの存在が迷信じゃないなら、今でもときどき神族がガリア大陸に来ててもおかしくない。つまり――」

「セレスを目指すことは、私にとっても重大事、ということですね」


 向こう側から聞こえてくる声がわずかに緊張を帯びる。


「私……何者なんでしょうか。仮に神族の血を引いていたとして、帝国はどうして私なんかの力を……」

「ま、帝国の奴らが適当なこと言ってるだけかもしれないけどな」


 リアンはあえて軽い調子で言った。彼女にはあまり深刻に考えすぎて思い詰めてほしくなかった。


「はい……」


 ソフィアの声は湯気の中に溶けるように消えていった。


 *


 ――グルディア帝国所有移動集落『ストロングレイヴン』精霊炉。


 集落全体の魔力の生成機関であり、供給機関であり、管理統括機関であるこの場所は、まさに街の心臓とも呼べる場所だ。

 それらすべての機能の源である精霊は住民によって大切にされ、快適な生活を約束されるはずだった。

 しかしその精霊炉はどう見ても敬い奉る相手を住まわせる場所ではない。黒い檻。呪いの力で蓋をされた魔力の監獄だった。

 囚われた精霊は憔悴しきった目で、目の前の操縦者――黒い衣をまとった女を見あげる。


「ぅ……ぁ……やめ……て……」

「貴女の訴えは認められません。『ストロングレイヴン』はこれより北東を目指す。これはヴィクトル様の決定ですので」


 女――フォルティナは弱者の必死の訴えになど興味はないとばかりに、淡々とそう言った。


「この……まま……だと、狂……う……」

「ええ。そうでしょうね。永き命を約束された精霊。しかし時とともに魔力が失われていけば、いずれ狂気を発症する時が来る。それが精霊の末路のひとつ」

「どう……して……」

「精霊と移動集落は神族が規定したプロトコルに逆らえない。即ち人類の大多数にとって損失となる行動は起こせない。ゆえに帝国の崇高な目的を達するためには、狂気のリスクを取ってでも貴女のコントロール権を得る必要がある」


 精霊の肉体を黒い魔力の荊が束縛している。荊の魔力の源はフォルティナの手のひらだ。束縛が強まるにつれ大きくなる悲鳴を聞き流して、彼女は冷たく問いかける。


「さあ教えなさい。守護契約の抜け道を」

「ぅ……嫌……そ、ん……なの……な……い……」

「必ずあるはずよ。魔法は万能なんかじゃない。それが理の法である限り、紐解く方法は必ず存在する」

「ぁ……ああああああ!」

「答えなさい。守護契約を結んだ二人を引き剥がす術を」

「――ィェス……マスター……」


 精霊の口から虚ろな声が漏れる。苦しみに抗っていた姿はもうなかった。精霊の瞳から色が消え、両手をだらんと投げ出している。

 移動集落に宿る精霊の魂に埋め込まれた神族からの存在規定――プロトコルを破られた彼女は、もはや目前の悪しき者の命令に従うのみの人形だ。


「守護契約を、無効化する、方法は――」


 精霊の口からそれが語られる。その内容をフォルティナは無表情で聞き続けた。

 その手順は並の魔術師では意味さえ理解できなかったかもしれない。精霊の呪いにも等しい守護契約を破る裏技が平凡な魔術師に扱えるはずもないのだから、それも当然か。しかしどれほど高度な魔法であろうとフォルティナには関係のないことだった。

 フォルティナはグルディア帝国の魔導研究が生み出した、屈指の魔術師――いや、魔導研究の申し子、魔導士なのだから。


「――以上……です」

「ご苦労様。よく理解できました」


 説明を終え、力尽きたようにうなだれる精霊を、フォルティナは声だけで労った。

 黒い魔力の荊を消し、精霊の肉体を解放する。もっとも狂気に晒され続けた精霊はもうぴくりとも動かない。


「この精霊はもう使い物にならないかしら。まあでも、詮無きこと。代わりはいくらでもいる」


 視線を部屋の壁際に置かれた棚に向ける。そこには百を超える数の瓶が置かれている。当然、ジャムを入れているわけでもなければ発酵食品を保存しているわけでもない。

 精霊だ。一個の瓶に一人ずつ、精霊が閉じ込められている。

 ラベルにはフォルティナの呪文が書かれており、内側からは開けられない。


「呪……って……や……る……」


 精霊炉の精霊がかすれた声でそうつぶやいた。

 彼女を振り返って、フォルティナは言う。


「呪いなさい。貴女たちにはその権利がある」


 そして、こう続けた。


「でもヴィクトル様の大義を為すまで私は呪い殺されたりしない。私を支配する一番大きな呪い、大切な祝福は、あの方への忠義なのだから」


『ストロングレイヴン』が北東へ針路を取る。

 リアンたちの移動集落『ワンダーキャメル』の軌跡を辿るように。

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