第2話 帝国の魔手

【1】


 移動集落『ワンダーキャメル』はその堂々たる威容を誇示するように樹海の上を歩いた。

 ひとつの村落ほどの広さの居住区を背中に載せた鋼鉄の駱駝が闊歩するたびに大地が鳴動し、樹海に棲む動物や魔物たちが騒がしい声をあげて逃げていく。

 巨大かつ強靭な姿は、自然界に存在すれば間違いなく食物連鎖の頂点に君臨する存在だ。

 だからこそ移動集落は大陸に危険が溢れていた時代に重宝された。

 そんな『ワンダーキャメル』の背に上がったリアンとソフィアは、初めて見る移動集落内部の光景にはしゃいだ声を上げる。


「すげえ。移動集落の中ってこんな風になってるのか」


「リアン、リアン。ここから下が見えますよ!」


 居住区は彼らが暮らしてきた故郷の村と変わらない広さで、緑色の草木が生い茂り、小川が流れ、水車が回っていた。

 集落の外端は透明の障壁で覆われており、眼下の樹海の様子が見て取れる。

 中央広場には神殿のようなものがそびえ立つ。そこから操舵室と移動集落の心臓部とも呼ばれる精霊炉に行けるらしい。


「空気がきれい……。これが生きている集落、歩く都市……不思議な感じですね」


「レテはどうだ?」


「ん、何が?」


「移動集落の精霊として。初めて移動集落の中に来たわけだけど、何か感想は」


「うーん、どうだろ。あんまりピンとこないかなー」


 リアンが問いかけると、傍らを飛んでいたレテが軽く腕組みをしながら首をひねる。


「そういうもんなのか」


「まあどこの誰とも知らない精霊が仕切ってる移動集落だからねー」


「縄張り争いが起こったりしてな」


「ンな動物みたいな物騒な真似、するわけないでしょ。精霊を何だと思ってんの?」


「何だと言えるほどよく知らないんだよ……うおっ!?」


 リアンとレテが軽口を言い合っている最中、ずずん、と激しい揺れが彼らを襲った。


「何ですか、今の!?」


「『ワンダーキャメル』が歩くときの衝撃……にしては、強い揺れだったな」


「ねえ、景色、動いてないよ?」


 レテが障壁の向こう側を指さした。

 たしかに先ほどまで緩やかにだが後方に流れていた景色が、今はピクリとも動かない。

『ワンダーキャメル』が足を止めたということだ。


「操舵室へ行ってみよう!」


「はい!」


 何か問題が起きたのかもしれない。

 リアンとソフィアは急いで中央広場の神殿へ向かった。入口から中に入り、長い地下への階段を駆け下りていく。

 操舵室のドアは開け放たれたままになっており、中にイングリットの姿はなかった。

 ここにいないとしたら、行き先はひとつだ。

 リアンとソフィアは無言でうなずき合い、精霊炉へと急いだ。


「あー……こりゃ困ったね」


 二人の予想通り、そこにはイングリットの姿があった。

 大きなたまご型の機器を覗き込みながら、頭をボリボリと掻き乱している。

 ソフィアがおずおずと訊ねた。


「どうしたんですか?」


「しばらく放置してたせいで、精霊炉の精霊がヘソ曲げてどっか行っちまったみたいなのさ」


「えっ。でもさっき、動いてましたよね」


「蓄えられてたエネルギーのおかげでかろうじて動いてただけみたいだ。新たなエネルギーを供給してくれる精霊がいない限り、これ以上は動かせないねえ」


 心底困ったような顔でイングリットはぼやいた。


「精霊は一度見限った移動集落には帰ってこないって話だ。そうなったらもう、代わりを探すしかないんだが、精霊なんざ滅多に会えるモンじゃないし、どうしたもんか」


「代わりがいれば問題ないよね? ふふん」


「そりゃそうだがアタシの話を聞いてたのかい? 精霊なんざそうそう――いたァ!!」


 得意げにふんぞり返ったレテを指さして、イングリットは大げさに叫んだ。


「そうゆうこと。いよいよレテの本気を見せる時がきた!」


「でも……大丈夫? 移動集落の精霊としての力、使ったことないよね」


「ソフィアは心配性だなー。大丈夫、大丈夫。本能みたいなアレでどうにかなるでしょ」


「適当だなぁ……」


 意気揚々、鼻高々なレテに対して、ソフィアは不安げだ。


「あはは。適当でもいいじゃないか。ここはレテに任せてみようぜ」


「フフ。その豪快な感じ、嫌いじゃないよ」


「皆さんがそう言うなら……レテ、お願いできる?」


 リアンとイングリットの賛成を受けて、ソフィアが姉のような顔で訊ねる。

 レテはその小さな胸をポンとたたき、


「もっちろん! ソフィアたちの冒険の助けになれるなら、喜んで力を貸しちゃうよ!」


 満面の笑みでそう言った。


「ココを拠点にして魔力を蓄えれば、召喚とか守護契約とか、いろんな力を安定して使えるし、何か新しいこともできるかもしれないし! 良いこと尽くめ! ……精霊炉の中、寝心地良さそうだし♪」


「もう、レテったら。でも……ありがとう」


「うん♪」


「――へえ。ふーん。なるほどねえ……」


 ソフィアとレテのやり取りを見ていたイングリットが、興味深げにまじまじと見つめていた。それから感心したように高い声で言う。


「すごいね、ソフィアちゃん。精霊にここまで好かれるなんて、ただ者じゃないね」


「え? い、いえっ、そんな……」


「謙遜するなよ。ソフィアのおかげで『ワンダーキャメル』を動かせるんだからさ」


 称賛の流れにリアンも乗る。

 すると、


「ちょっとちょっと! レテへの感謝も忘れないでよねっ」


 頬をふくらませ、翅を赤く染め、レテはぷんぷんと不満をアピールした。

 リアンは肩をすくめる。


「はいはい。サンキュ。サンキュ」


「全然気持ちがこもってなーいー!」


「何にせよ精霊問題も解決ってことで。早速出発しようぜ!」


 じたばたと暴れるレテの頭を指一本で押さえながら、意気揚々とリアンはそう言った。


「はい! イングリットさん、操縦、よろしくお願いしますね」


「あいよ。ほら、拗ねてないでしっかりしとくれよ。これから一緒にコイツを動かしてくんだ。頼むよ、レテちゃん。いや――相棒!」


 暴れるレテの体を軽くつまんで手のひらに載せ、イングリットは気さくに笑いかけた。

 実年齢よりもよっぽど若く見える、その満面の笑みに、レテもつられて不機嫌だった顔を綻ばせ。


「そういうの何かイイね! ふふん、ちゃんとレテを崇めなさいよ?」


「ああとも。心配せずとも、アタシは精霊への感謝を忘れないさ」


「その言葉、忘れないからね!」


 レテはそう言って、ふわふわと精霊炉の入口に飛んでいく。それから全員を振り返って、その小さく細い腕を高く高く突き上げた。


「よーっし、それじゃあ早速……新天地目指して、しゅっぱーっつ!」

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