【9】
「や、やりました……か?」
ソフィアが崖の下を覗き込み、おずおずと訊ねた。
リアンはうなずく。
「ああ。俺たちの勝ちだ。その証拠に、ほら白い蒸気が立ちこめてきた」
「蒸気? あ、本当だ……」
崖の下からもやもやと霧のようなものが昇ってくる。
「体内に熱を蓄えた『樹海の王』が落ちたから、湖の水が蒸発したんだ」
「なるほど……でも本当にこれで倒せてるんでしょうか?」
「どうだろうな。死んではいないかもしれない。でも熱をエネルギーにしてる魔物だから、体を急激に冷やされたら力を失うはず。すぐに追ってこれなければ、べつにトドメを刺す必要もないだろ」
あくまでも目的は『深緑の神珠』を手に入れること。『樹海の王』はそのための障害物に過ぎない。
「ちょっと予定と違っちゃうけど。早速手に入れに行くか、『深緑の神珠』」
「野宿はしないんですか?」
「夜中に『樹海の王』に襲われるリスクを避けるために夜を明かそうって話だったからな。王を倒した以上、長居せずにさっさと帰る方がいい」
「……それもそうですね」
ソフィアはすこし肩を落とした。正直なところ、テントの中で過ごす野宿というものが、どれだけ快適なのかを経験してみたかったのだが、そんなことを言えば呆れられてしまうと思い、彼女は口をつぐんだ。
「……や、驚いたね。こりゃ。まさか『樹海の王』を倒しちまうとは」
呆然と突っ立っていたイングリットが、気が抜けたように言った。
「正直、冷や冷やしたけどな。まさか『樹海の王』が火属性とは思わなかった」
「アタシを恨むかい?」
「へ、なんで?」
「『樹海の王』の正体を知りながら、あえて黙ってたんだ。下手したら死ぬかもしれない相手だったにもかかわらずね」
自嘲を含んだイングリットの言葉に、リアンは顎に手を添え目を細めた。
それからどうということでもないと言いたげにあっさりと首を振る。
「いや、恨む必要はないな。だって俺たち、冒険者としての資質を測られてたんだろ」
「そりゃそうなんだが。命の危機に晒されたんだよ?」
「だけどまあ手に入るものの大きさを考えたら、これくらいの危険は当然じゃないかな。てか、未知のダンジョンに棲んでる未知のボスなんだ、自分の想像もつかないような強敵が現れるかもしれないって、心の準備くらいはできてたよ」
「リアン……」
あっけらかんと言い放つリアンに、イングリットはわずかに目を潤ませた。
頬を掻いてばつが悪そうに続ける。
「まいったね。ここまで眩しいモンを見せられちまったら、ケチがつけられないじゃないか。しょうがないね。合か――」
「待った」
合格、と言いかけたイングリットにリアンは片手で言葉を止めさせた。
そして不満そうに唇をとがらせる。
「『深緑の神珠』を取るまでが依頼だろ? 勝手にクリアにしないでくれよ」
「……ぷっ」
目の前の少年の面白さにイングリットはもう耐えられなかった。
移動集落さえ手に入れば後のことはどうでもいいだろうに。律儀にイングリットが提示した条件をクリアしようとする姿に、馬鹿な冒険者の真髄を見た気がして彼女は笑う。
「あはははは! ホンットに面白い男だね、アンタは!」
酒の力で無理矢理引き出した自嘲の笑いではない、本当の笑いを、イングリットは数年ぶりに経験したような気がした。
それからリアンたちは『深緑の神珠』があるであろう『樹海の王』の棲み処へ向かった。
その場所を探すのは、実はそう難しいことではなかった。
『樹海の王』が木々を焼き払いながらリアンたちの野営場所を襲ってきたのだから、木が焼かれた道筋を逆に辿ればいいのだ。
リアンのその考えは正しく、彼らは一時間も経たずに『樹海の王』の棲み処に着いた。
そこは銀色の糸が無数に張られた異様な空間だった。
多くの魔物や動物が糸にかかり、息絶えていた。王の罠にかかった者はここに連れられ、食べられる順番を待つことになるのだろう。
あらためて無事に『樹海の王』を倒せてよかった、と胸を撫で下ろすリアンとソフィアだった。
目的の『深緑の神珠』は蜘蛛の巣の奥深くにあった。
幾重にも束ねられた糸を切って進んでいくと、ひときわ大きな大樹の洞の中に、緑色の宝玉が鎮座していた。
「これが……神珠……。すごい。不思議な力を感じます」
神珠を手にしたソフィアが感動の声を漏らす。
「長い時間をかけて自然界のエネルギーを蓄えた宝玉だからね。精霊の祝福を受けた秘宝とも呼ばれてる。神珠をたくさん集めれば、移動集落に特別な力を施せるとも言われていてね」
「特別な力、ですか?」
「まあこれは眉唾なんだが、ロレンシア王国領のどこかに移動集落を改造できる職人がいるらしい。たくさんの神珠がありゃあ、移動集落を空に浮かべることも夢じゃないとか……まあ夢のある話だが、職人と会ったって人間なんざ見たことないねえ」
「空に浮かぶ、移動集落……リアン。もしかして」
「ああ。セレスに行くために、必要になるかもしれない」
無限に続くといわれている水平線を越えるには普通の船では心もとない。
自ら生態系を維持する移動集落に乗ったまま海越えに挑戦できると思うと、セレスへの道が一気に拓けたような気がしてリアンは目を輝かせた。
「セレスの実在を前提に話してくれちゃって。ったく、すこしも疑ってないんだね」
イングリットが呆れたように肩をすくめる。
そして、勇敢に冒険を終えたリアンとソフィアに対して、柔らかな笑みを浮かべた。
「勝負はアンタらの勝ちだ」
「それじゃあ――」
期待に目を見開く二人に、イングリットはうなずいた。
「女に二言はないからね。アタシの移動集落――『ワンダーキャメル』は、アンタたちにくれてやるよ」
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