【6】


 数分後。

 小屋の中に通されたリアンは雑に木を切り出して作ったようなテーブルに頬杖をつき、窓の外の物干しざおにはためく自分の上着を見つめていた。

 当然、今のリアンは上半身裸。

 隣に座るソフィアがたまにちらちらとこちらをうかがっているような気がする。

 レテに至っては「うぷぷ。汚されてやんのー」と、ニヤニヤと笑いながら目の前を飛んでいた。何度となく翅をつまんで窓の外に捨ててやりたくなったがぐっとこらえる。

 そうしていると奥の部屋からすべての元凶である銀色の髪の女性がやってきた。

 頭を押さえて、気だるそうにしながらリアン達の前の席にどっかりと腰を落ち着ける。


「いやー、悪かったね。いきなりぶっかけちまって」


「……もう大丈夫なのか?」


「ああ、水を飲んだら落ち着いてきたよ」


「あんなに酔っ払ってたのに水を飲んだだけで回復するのかよ。すごいな」


 呆れを通り越して感心する。

 と、銀色の髪の女性はあっはっはと豪快に笑った。


「アタシぐらいの酒豪になるとそれくらいは当然のスキルさ」


「ただの酔っ払いが偉そうだねー」


「ん? ほほぉ……精霊も一緒なのかい」


 呆れてじと目を向けるレテに気づき、銀色の髪の女性は興味深げに目を細めた。

 おもむろに伸ばされた手をレテはひらりとかわして、キッと睨みつける。


「ちょっと! 翅に触ろうとしたでしょ! もうっ、パトリアのおばさんといい、みんなレテを虫扱いするんだからっ」


 腰に手を当て怒り心頭といった様子で頬をふくらませる。

 女性は悪びれたふうでもなく、けらけら笑う。


「あははっ。怒らないでおくれよ。ただ珍しい存在と一緒だと思ってねえ」


 そして今度は好奇心を秘めた視線をリアン達に向けた。


「精霊連れたぁ、アンタ達、ただの子どもじゃあないねえ。何者だい?」


「冒険者だよ」


「へえ、冒険者かい。なつかしいねえ……アタシも昔は大陸中を好き放題に駆けまわったもんさ」


 遠い目をして過去に思い馳せている。

 しかしすぐに彼女はハッとして、


「おっと。自己紹介がまだだったね。アタシはイングリット。元冒険者だが、今はまあ、こうしてテキトーに毎日を暮らしてる」


「俺はリアン。こっちの女の子はソフィアで、こっちのちっこいのは精霊のレテ」


「よろしくね。……で、冒険者のアンタたちがこのアタシに何の用だい?」


「移動集落を譲ってほしい」


「……へえ」


 ためらいなく直球勝負で切り出すと、イングリットは好奇心をくすぐられたのか、切れ長の目でまじまじと見つめてくる。


「なるほどね。たしかに今のアタシは移動集落を持て余してる。だが――」


「ダメ、ですか?」


 おずおずとしたソフィアの問い。

 それにイングリットは、容赦なくうなずいた。


「そうだね。残念だけどアンタたちに渡す気にはなれないねえ」


「……まあ、しょうがないか。さすがにタダで手に入れようなんて虫が良すぎるもんな」


 世界に少数だけ遺された神族の聖遺物。

 それを金もコネもない一般冒険者に無料で譲ろうなどという聖人は存在しないだろう。

 イングリットの返事は当然であり、リアンも不満を訴えるようなことはしなかった。

 駄目でもともと。そう思っていたから。

 しかし――


「いや金の問題じゃないよ」


 イングリットは意外にも、そうではない、と首を横に振った。


「いくら積まれても『ワンダーキャメル』は渡さない。アイツはたしかに錆びついちまってるが、今も昔もアタシの相棒――譲るとしたら、その相手は一流の冒険者だけさ。子どもの遊びに付き合わせるのは、相棒に申し訳がないだろ」


「子どものお遊び?」


「気を悪くしたかい。だが、アタシの目にはそうとしか見えないねえ」


 眉をひそめたリアンの目をしっかりと見据えて、イングリットはハッキリとそう言った。

 そう断じることにいささかの後ろめたさもないと言わんばかりに。

 たしかに熟練の冒険者である彼女の目から見れば、そうなのかもしれないが――


「そんなことありませんっ」


 否定の言葉を発したのは、ソフィアだった。

 気丈にもイングリットの鋭い目を見つめ返して、ソフィアは力強く言う。


「私達だって真剣なんです。だって……『終わりの海』を越えるんですから!」


「『終わりの海』だって!? ……自分が何を言ってるのかわかってるのかい?」


 その単語にイングリットはあきらかに狼狽した様子を見せる。

 無理もない。

『終わりの海』の向こう側は、何もない。

 どこまでも、どこまでも。

 永遠に終わらない水平線が続くだけ。

 それが、冒険者を冒険者ではなくただの一職業になり下がらせた、世界の常識だ。


 しかしリアンとソフィアの目的地はその『終わりの海』の向こう側にこそある。


 リアンは冒険者としての大きな夢を叶えるため。

 そしてソフィアは帝国に滅ぼされた故郷の村で、祖母が最期に遺した言伝の意味を知るために。

『終わりの海』の向こう側、『理想郷セレス』を目指している。


 それはきっと、大陸の隅から隅まで冒険したような熟練の冒険者からすれば、子どもが語る夢物語に過ぎないだろう。

 目の前のイングリットも最初こそ驚いた顔をしていたが、すぐに上から目線の挑戦的な眼差しを向けてきた。


「そこまで言うなら条件を出そう。その威勢が口だけかどうか試したくなってきたからね」


「条件?」


「ああ。この森には『樹海の王』っていうおっかないバケモノが棲んでてねえ。そいつの巣から、特別な魔力の宿った神珠――『深緑の神珠』をかっぱらってきてほしいのさ」


 神珠。

 そう呼ばれる存在には心当たりがあった。

 自然界には精霊の力が一点に集まる場所というものがある。

 赤き力が集う火山。

 青き力が集う雪原。

 そして緑の力が集うは、木々に祝福された深き森の奥であるといわれている。

 その場所で何年、何十年、何百年もの永き時をかけて力を注がれた石には精霊の力が宿り、大いなる魔力を秘めた魔石となる、と。

 神族と呼ばれた神々の血族は、これを神珠と呼び、神珠の力を用いてさまざまな技術を使いこなしたとされている。

 その神珠が、この樹海の中にもあるというのか。


「『深緑の神珠』を手に入れられるようなら、アタシの負けだ。アンタ達を一流の冒険者と認めて、『ワンダーキャメル』をくれてやるよ」


 神珠が存在するのは精霊の力が集まる場所。

 つまり、必然的にそこにいる魔物もまた精霊の力を吸収していることになる。

 イングリットが口にした『樹海の王』とやらは、間違いなく脅威的な魔物であるはずだ。しかし――


「やる!」「やります!」


 リアンもソフィアも前のめりで目を輝かせる。

 怖れとか不安なんてものより、移動集落を手に入れられるかもしれない事実に胸が躍っていた。


「ほう、即答ねえ……『樹海の王』はそこらの雑魚とはワケが違うよ?」


「ねえリアン。大丈夫なの?」


 イングリットが脅し、レテが不安そうな顔を向ける。

 リアンは軽く笑ってみせた。


「大丈夫だ」


「何の根拠があるのよー」


「だってそいつ魔物だろ? お菓子の家の魔女とかオバケとかよくわかんない奴は苦手だけど、魔物だったら頑張れば倒せる可能性はゼロじゃない。そうだろ、ソフィア?」


「は、はい……! 私は、まだその、魔物も怖いですけど……。でも、リアンと一緒に冒険するって決めたんです。怖気づいていられません。行きましょう……!」


「ソフィアまで……」


「レテは心配性なんだよ。だいたい俺とソフィアは契約してるんだ。そうかんたんには死なない。それを保証してくれたのは、レテのはずなんだけどな?」


 数日前にかわした『契約』。

 その話をすると、レテはむうと頬をふくらませて。


「あれはどっちかっていうと保険だからね。無茶していいモノじゃないからね」


「でも、死ににくいのはたしかだろ」


「まあ、そうだけど」


「だったら、やろう。大丈夫、魔物相手なら、どうにかなるさ」


「……わかったよ。もう、リアンもレテも、ホラー展開にはあんなにビビってたくせに。変なところで命知らずなんだから」


 レテはあきれたようにため息をついた後、覚悟を決めたのか、くるりと宙で一回転してリアンの頭を軽く蹴る。


「その代わりレテのことをちゃんと守りなさいよ!」


「はいはい。……それじゃ、イングリット。さっそく出発するよ」


「……ふん。ホントに威勢だけはいいね」


 イングリットは仏頂面で顔をそむけた。

 そして、じろりとこちらを睨みつけてこう言った。


「『終わりの海』を越える……その言葉が本物かどうか、アタシに証明してみな。口だけだったら、絶対に許さないからね」

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