【2】
パトリアは今でこそただの辺境の街に過ぎないが、人類が屍族と呼ばれる敵と戦っていた暗黒の時代においては、立派な戦略拠点のひとつになっていた。
街はずれの物見台は、そんな時代の名残りである。
小高い丘の上に木で組まれた十メートルほどの高さの建物。ところどころ朽ちて古びているが、いまだ新しい足跡が残るのを見るに住人から重宝されているようだった。
暗黒時代ほどとは言わないまでも、現在も魔物の脅威はある。
定期的な見回りは街の自衛のためにも必要なのだろう。
――もっとも、今の時代は本来の目的よりも、子どもたちの遊び場や呑気な奴の昼寝の場として使われる方が多そうだが……。
「やっと見つけた」
昼過ぎ。
梯子を上がった二階の詰所。
風の吹きつける縁に呑気に寝そべっていたそいつのほっぺたを、リアンはぐいと押し込んだ。
「ふにゃっ……な、何!?」
「何、じゃねえよ。どんだけ探したと思ってるんだ」
慌てて飛び起きたそいつにリアンはちょっと怒ったような声を意識してそう言った。
市場で適当に買い物し、朝食を平らげた後、宿をチェックアウトしたリアンとソフィアがまず行なったのは仲間の捜索だった。
「朝に消えたっきり帰ってこないんだもんよ。帝国の連中に捕まったのかと思ってヒヤヒヤしたぞ、レテ」
「レテが捕まるわけないでしょ。リアンみたいなのろまじゃないし」
「不意をつかれてほっぺたもつかれてただろ」
「う……うっさいうっさいうっさい! 精霊には日向ぼっこが必要なの!」
ぷんぷんと頬をふくらませながら手足をばたつかせ、レテはひょいと飛び上がった。
レテは、人間ではない。
顔やスタイルは人間の女の子とよく似ているが、体は手のひらに乗るほど小さく、背中には透明の翅が生えている。
精霊と呼ばれる種族だった。
「それにただボーっとしてただけじゃないよ。ちゃんとお仕事してたんだから」
「ホントかぁ?」
「何その顔っ。失礼ねっ。ほらあそこっ」
声を荒らげて宙で一回転すると、レテは彼方を指さした。
西の方角。濃緑色の絨毯を敷いたかのように深い森が広がっている。そこは弱い魔物ばかりが棲むといわれ、パトリアの街の冒険者組合が初級冒険者にも冒険を許している森で、「はじまりの森」とも呼ばれていた。
だがそんな初心者御用達の森の真ん中に、今は異様な物体が静かに佇んでいる。
魔物とも建造物ともつかない鋼鉄の塊。
小さな街ほどもある大きさ。大地を踏みしめる四本の脚。
それはまるで漆黒の翼をたたえた大烏。
歩く都市とも呼ばれる、太古の神族が遺した聖遺物――移動集落だった。
「グルディア帝国の移動集落、『ストロングレイヴン』か」
「そ。あいつらまだソフィアのこと諦めてないみたい」
「あんまりパトリアに長居するわけにはいかなそうだな……こっちも移動集落を手に入れられればいいんだけど」
「もう徒歩でさっさと次の街に行っちゃわない? あいつら、いつこの街に目をつけるかわかんないし。心配事が残ってたら、呑気にお昼寝もできないよ」
「してたじゃん」
「もののたとえでしょー。いちいちツッコまないの」
レテがむくれた、そのとき。
「あのー。リアン。レテはいましたかー?」
梯子の下の方からソフィアの声が聞こえてきた。
そちらを見てみると、彼女は梯子に手と足をかけたまま、上ってくる様子がない。
「いたよ。ソフィアもこっち来なよ」
「わ、私は、遠慮しておきますっ」
ぶんぶんと激しく両手を振っている。
ははーん。さては高い場所が苦手だな?
「こ、ここで待ってますから! 早くレテと一緒に降りてきてくださいっ」
「はいはい。今行くよ」
そう言って、ほら行くぞ、とレテにひと声かけて梯子を降りようとした。
そのとき、はし、と服の首のあたりがつかまれる。
振り返ると、レテが神妙な顔をしていた。
「リアン。なんていうか、あのさ。ソフィアの仲間になってくれて、ありがとね」
「なんだよあらたまって」
「あの子、生まれたときから友達なんかいなかったんだ。お父さんやお母さんの顔も見たことないし、話したことあるのは村のお年寄りばっかりで。そんな大切な人達も、帝国に村を焼かれたときに失って……ずっとひとりぼっちだったから」
「何言ってんだ。お前が一緒だったろ」
「もちろんレテはソフィアの友達だよ。でも、レテは精霊で、ソフィアは人間だもん」
「ふーん。そんなこだわるようなことかね」
「デリケートな問題なの」
そう言って、レテは続けた。
「世界中にたくさん転がってる楽しいこととか、友達と過ごす楽しい時間とか。あの子は何も知らない。それなのに――」
「帝国にその身を狙われ、不自由を強いられている……か」
「……うん」
悲痛な面持ちのレテ。そんな表情を見せられてしまうと、茶化す言葉も出てこない。
あんまり真面目な雰囲気は苦手なんだけど……。
「ま、心配するなよ。俺は自由が大好きだ。不自由なんてクソくらえだ。俺と一緒にいれば、いくらでもワクワクできる」
それは、リアンとソフィアとレテが出会った、三日前にも言ったこと。
はじまりの森の中で――。
帝国の追手から逃げ、ボロボロになっていたソフィアに手を差し伸べたときに。
あの日、リアンとソフィアは「契約」した。
それは、彼女のかかえるさまざまな面倒事を共有する誓いでもあったが――。
リアンは、まったくもって後悔していない。
あれからいろいろあって今、リアンはソフィアたちと行動を共にしている。
「三日経ってわかったけど」
レテは呆れたような、うれしそうな、複雑な笑みを浮かべた。
「アンタって相当な冒険馬鹿ね」
「んなもん一日目でわかってただろ」
軽口に対して軽口で返し、リアンは梯子を降り始めた。
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