第1話 銀の狩人と奇妙な駱駝

【1】


「リアン、リアン」


 可愛らしい少女の声が自分の名前を呼んでいる。

 規則正しく体が揺すられ、ベッドがぎしぎしと音を鳴らしていた。

 もう朝なのだろうか?

 まだ体は鉛が入ったように重いというのに。

 正直、まだ眠っていたい。


「……昨日、魔物にやられた場所がまだ痛むような気がする」


「えっ。本当ですか?」


 苦し紛れの言い訳だったにもかかわらず、少女の声は完全に信じ切っていた。


「回復魔法、足りませんでしたか」


「たぶん」


「……わかりました。あれで足りなかったとすれば、禁断の回復魔法を使うしかありませんね。五割の確率で、私が死んでしまいますが……」


「ごめん。起きる。すぐ起きる」


 少女の不穏なつぶやきに、リアンは慌てて飛び起きた。

 目を開けると、してやったりと言わんばかりのニコニコした少女の笑顔が見えた。

 神秘的な輝きを帯びた長い髪の少女だ。

 年齢は十五、六歳ほど。リアンとほぼ同い年。

 貴族的ではないものの、上品な絹のローブを着ている。

 彼女の名前はソフィア。リアンの旅の道連れだ。


「おはようございます」


「……朝から物騒なこと言わないでくれよ」


「こう言えば一発で起きるかなって」


「まだ出会って三日くらいだけど、なんとなくわかってきたぞ。おっとりしてると見せかけて、実は結構したたかだろ」


「どうなんでしょう? 他の人とくらべることがなかったので、よくわかりません」


「ホントかなぁ……ふあ」


 あくびをもらして大きく体を伸ばす。

 カーテンの隙間から日の光が射し込み、鳥の鳴き声が聞こえてくる。


「あ、よかったらこれどうぞ」


「お。ありがと。気が利くね」


 濡れた手ぬぐいを受け取って、礼を言いながら顔を拭く。ひんやりとした感触が心地好い。


「いえ……リアンにしてもらったことを考えたら、これくらいは」


「今日の朝食は何かなー。この宿、さりげなく旨いもの出してくれるんだよな。さすが冒険者組合の施設ってやつだ」


 しみじみと感謝の気持ちを口にしようとしたのをさえぎって、リアンは話題を変えた。

 あらたまって言われるのは照れ臭いし、あまり過去を引け目に感じてほしくなかったのだ。


「冒険者……そっか、私もう冒険者なんですよね」


「ああ。俺の仲間だ」


「今日もいろいろと教えてくださいね、リアン」


「もちろん! ……ところで、レテの奴はどこ行ったんだ?」


 きょろきょろと部屋の中を見回す。この旅にはリアンとソフィアの他にもう一人、道連れがいるのだが、その姿が見当たらない。


「レテならたぶんその辺を散歩してると思います」


「自由な奴め……まあ、あいつならべつに朝食を一緒にとる必要もないか。行こう、ソフィア」


「はいっ」


 ソフィアが元気よくうなずいた。三日前の出会ったばかりのことを考えると、こんな風に素直な笑顔を見せてくれるようになったのは、かなりの進歩だ。

 耳をつんざくような破砕音が階下から聞こえてきたのは、そのときだった。


「今の音は……何でしょうか?」


「行こう!」


 枕元に置いてあった煌びやかな装飾の大剣を手に、リアンは部屋を飛び出した。


 冒険者が命知らずの総称ではなく、ただの「職業」と呼ばれるようになってもうだいぶ経つ。

 この世界にはガリア大陸しか存在せず、『終わりの海』の向こうにはただ永遠の水平線が続くのみだといわれている。

 大陸にはもはや未踏の地はなく、冒険者組合の管理下で冒険者のレベルに応じた安全な冒険だけが認められていた。

 冒険者組合の支部は、ありとあらゆる場所にある。

 ここ、辺境の街パトリアにも。

 しかしいくらお行儀の良い冒険だけが蔓延る時代とはいえ、冒険者は一般人に比べれば遥かに腕の立つあらくれどもだ。

 そんな奴らがひとつどころに集まれば、当然のように問題は起こるわけで。


「金は払うっつってんだよ。なあ、いいだろ、嬢ちゃん?」


「金銭の問題ではありません。わたくしは、貴方のような方に与する気はないと、そう言っているのです」


 辺境の街、パトリアにある冒険者組合管理下の宿屋。その一階は酒場と食事処とクエストの受注窓口が一体となっていて、昼夜を問わず冒険者たちの喧噪に包まれている。

 だが今そこにあるのは、平和的な語らいの光景ではなく、殺伐とした光景だった。

 背丈が二メートルほどもある大男と、華奢な女性が向かい合っている。

 二人を隔てていた木のテーブルは、真ん中から真っ二つに割れていて、料理の皿や飲み物の入っていたグラスが床に散乱している。

 大男はその巨体によく合う戦斧を肩にかつぎ、ぎろりと目の前の女性を睨みつけた。


「傭兵団『黄昏の白百合』団長、システィーナさんよ。オレは傭兵を貸してくれと言ってるだけなんだ。正当な取り引きじゃねえか」


「『黄昏の白百合』は女性だけの傭兵団。ゆえに下劣な者の欲望に晒されることがないよう、わたくしが責任をもって依頼を選別しています」


 システィーナと呼ばれた女性は、毅然とした態度で目の前の男を見あげた。

 栗色の長い髪。騎士鎧の上からでも手足のしなやかさがはっきりとわかる。

 高貴な雰囲気をまとった美人だった。


「おいおい。それじゃあまるでオレが下心で嬢ちゃんのところの傭兵を使いたがってるみたいじゃねえか」


「貴方には組んだ女性冒険者を襲った過去があります。信用できないのは当然では?」


「そんなに心配なら嬢ちゃんが一緒に来てくれてもいいぜ? 腕利きのアンタのことだ。オレが変な気を起こしても、べつにかまいやしないだろ?」


「……わたくしの剣は魔物から人々を守るためのものです。人を斬る気はありません」


「お、そいつは良いことを聞いたぜ」


「きゃっ……何を……!?」


 いきなり手首をつかまれて、システィーナが初めて女の子らしい声をあげる。

 それまで見せていた強き女剣士としての表情が崩れ、困惑と不安が顔に浮かぶ。


「お、おい。こんな場所で騒ぎはよしてくれ」


「うるせえ。雑魚は引っ込んでろ!」


「ひいっ!?」


 見るに見かねて止めに入った男性冒険者が、戦斧を振りあげられてすくみあがる。

 大男の暴力的な所作を恐れたのか、他の者たちはざわざわと声をあげるだけで、誰も近づこうとしなかった。


 ――階段を降りてきたリアン達が目撃したのは、そんな光景だった。


「り、リアン。どうしましょう」


「……わかりやすくヤバそうな雰囲気だな」


 まさに一触即発。

 だけどその光景には、どことなく違和感があった。


「あの女性。なんで反撃しないんだろ」


 大男が手首をつかむよりも早く、システィーナは剣の柄に手を伸ばしていた。遠目からではあるが、同じ剣を使う者として彼女の反応速度が達人級だということはすぐにわかった。

 目の前の男など簡単に斬り捨てられるのに。


「か、考えてる場合じゃありません。私、助けてきますっ」


「待った待った。ソフィアは戦えないだろ」


「そうですけど……このままじゃあの女の人がひどいことをされちゃいます。私、すこしですが魔法も使えますしっ」


「相手は近接武器なんだから、詠唱の時間も与えてくれないだろ。……俺が行く」


 リアンは階段を降りてカウンターへ向かった。騒動をはらはらした顔で見守っていたお姉さんにお金を差し出すと、今はそんな場合じゃないという顔をしながらも、一杯のミルクを用意してくれた。さすが、プロだ。

 ミルクの入ったカップを手に、リアンは大男とシスティーナの方へと歩いていく。


「まあまあ。これでも飲んで落ち着かない?」


「あァ?」


「暴力で解決しようってのは良くないだろ。その女の人、嫌がってるんだしさ」


「おいおいオレはこんなガキにお説教されてんのか? ガハハ! 冗談きっついぜ」


 大男は小馬鹿にしたように笑う。

 それからずいと息がかかるほどに顔を寄せて。


「テメエも男だったらそのうちわかるぜ。イイ女をはべらせて、気持ちいいことする快感がよォ」


「……あーあ」


 わかりやすい悪党だなぁ。

 本当に冒険の仲間を探してるだけだったら、協力してやらないこともなかったんだけど。


「あんたみたいな奴がいると、冒険が汚れる」


「はっ?」


 パシャ……と。

 顔面にミルクをぶっかけられて、大男がぽかんとした。自分が何をされたのかわからなかったのか、しばし目を開閉させていたが、やがて真っ白な間抜け面がみるみるうちに怒りに赤く染まっていく。


「このクソガキ! ぶっ殺してや――へぶぅっ!?」


 喧嘩開始の宣言をする間もなかった。

 鞘に収まったままの大きな宝剣が大男の厳つい顔面に深々とめり込んでいた。

 激しく鼻を強打された大男はゆっくりと背後に倒れていき、大の字になって伸びてしまう。


「生きてるかー?」


 つんつん、と鞘の先で男の頬をつついてやった。すると大男はぶるぶると震える手を持ち上げ、リアンの顔を指さして。


「おま……暴力は……良くないって……」


「そりゃあ良くないけどさ。やらなきゃやられるって状況ならやるだろ、普通。むしろなんで反撃されないと思ったんだ?」


 うりゃうりゃと戦意喪失した男をつつきまくる。

 そして、背後で予想外の事態に呆然と立ち尽くしているシスティーナを振り返った。

 にっと笑いかける。


「一件落着……ってね」


「「「うおおおおおおおおお!」」」


 その瞬間、酒場全体が大太鼓を打ち鳴らしたような喝采につつまれた。


「すげえなボウズ!」「コイツをのしちまうなんて、一体どのランクの冒険者だ!?」


「ミルク代は俺が出してやんよ!」――などなど。さまざまな言葉が投げかけられる。


 むさ苦しい男達に四方八方から囲まれるのは、正直あまりうれしくない。

 称えられたり感謝されるのもべつに悪い気はしないが、たかがこのレベルの悪漢ひとりを倒したぐらいで大げさすぎるだろう。


「ソフィア、行こう」


「は、はいっ」


 後ろからとてとてとついてきたソフィアに呼びかけて、リアンは人波をかき分けるように、宿の外に出た。


「お、お待ちください!」


 街道に出たところで、呼び止められる。

 振り返ると、さっき襲われていた女性、システィーナが立っていた。わずかに頬を赤らめ、もじもじと体を揺すっている。


「あ、あの……ありがとう、ございました。ええと、貴方は……?」


「リアン。組合には登録してないけど、冒険者だよ」


「組合に登録していない冒険者?」


 システィーナは一瞬、不思議そうに首をかしげた。

 しかしすぐに首を振り、


「いえ、今は無用の詮索はいたしません。それよりも、どうお礼をしたらよいものか」


「や、お礼とかべつにいらないよ」


「そういうわけにはいきません。正義を愛する傭兵団の長として、貴方の正義には報いなければ。わたくしにできることであれば、何でもいたします」


「うーん……。あ、それじゃ一個、教えてくれる?」


「ええ、もちろんです」


「――どうして反撃しなかったの?」


「えっ」


「お姉さんの実力なら、こんな奴、かんたんに追い払えたでしょ」


 システィーナがうっと詰まる。

 片腕を押さえ、青くなった唇を震わせて彼女はこう言った。


「正直に申し上げれば……わたくし、人を斬ったことがありませんの。想像するだけで、体がすくんでしまって。魔物相手であれば無心にもなれるのですが……。結果的に関係のない貴方を巻き込むことになり、申し訳ありません」


「べつにいいってば。ただ、ぶっ飛ばせるようにはなった方がいいよ」


 軽口のように言ってやると、システィーナはくすりと笑った。


「ふふ。そうですね」


「さっきまで怖い顔してたからわからなかったけど。お姉さん、笑うと可愛いんだ」


 何気なくつぶやいた言葉に、システィーナの顔が耳まで赤くなる。


「そのようなこと、初めて言われました」


「ごめん。べつに変な意味があったわけじゃないんだ。ただ、思ったことを口にしちゃっただけで」


「い、いいえ。その、ありがとうございます」


 コホン、と咳払いをして。

 システィーナは背筋を伸ばし、表情を真面目なものにあらためた。


「冒険に傭兵の手が必要であれば、是非『黄昏の白百合』をお使いくださいませ。貴方のような正義の冒険者の方でしたら喜んで我らが剣を捧げます」


「あはは。ありがとう。困ることがあったら相談するよ」


「ええ。お待ちしております」


 ニコリと微笑むシスティーナに軽く手を振って、リアン達は歩き始めた。


「リアン」


 街道をしばらく進み、路地を曲がったところで、それまで黙っていたソフィアがふいに口を開いた。


「あの、お腹がすきました」


「……俺もだ」


 ぐう、と鳴る腹を押さえて情けない声を漏らす。

 とはいえ、あんな騒ぎになってしまった宿に戻って食事を摂る気にはなれなかった。

 しかたない。

 もう一人の仲間――レテを探すついでに、市場にでも繰り出して朝食にするとしよう。

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