【5】
リアンの調子のいい啖呵にもあくまで冷静な表情を変えず、ヴィクトルは部下たちに指示をくだす。
「身体能力に自信のある者は私とともに降りろ。不安がある者は別ルートで回り込み、奴らの退路を塞げ」
「はっ!」
司令官の淡々とした命令に、規律正しい帝国兵たちが背筋を伸ばして返事をする。
ヴィクトル本人は数人の部下を連れて斜面をくだる。
――攻めるならここだ!
リアンは敵とは正反対に斜面を駆け上がった。
「む……!? うわああっ!?」
急な積極的迎撃に驚き、何人かの帝国兵が体勢を崩して転がり落ちた。
「――せぇあっ!」
だがヴィクトルだけはピクリとも揺らがない。
体勢も表情も変えずに剣を振るう。
「はああああっ!」
振り下ろす剣と、下段から振り上げる剣が交差した。
ぎぃぃ!
不快な金属音。そして、巨象にのしかかられたような重圧。
「……ッ!」
間近に迫った敵の顔を、リアンは見た。
獲物に牙を立てる瞬間の炯炯と輝く獣の目だ。
――今回は、本気で殺りにきてる。
そう確信するのに充分すぎるほどの、圧倒的な威圧感。
「……ふぅんっ!」
裂帛の気合いとともに剣が振り抜かれる。
リアンの剣は押し返され、ヴィクトルの剣が殺生の軌道に入った。
――そのとき、時間が止まったような錯覚に襲われた。
胸が裂かれ、赤い花が咲いた。
その事実をリアンはまるで他人事のように認識していた。
人は死ぬときに一秒を何千倍にも希釈したような時間の遅延を感じ、走馬灯なるものを見ると言われている。
では、この引き伸ばされた時間の次に来るのは、過去の思い出か?
そんなことを思う。
「…………」
返り血を浴びたヴィクトルの顔は、哀れむような憂いを帯びている。
一般の少年を斬ってしまった。
殺してしまった。
その後悔に苛まれているのだろうか。
――馬鹿言え。こいつはソフィアの故郷を焼き払ったんだ。今更センチメンタリズムに浸る権利なんかありはしない。
そもそも、だ。
――残念ながら、俺は死んじゃいないんだよ。
「お・か・え・し・だ――ッ!」
斬られ、仰け反った体を強引に回転させ、宝剣の重みに任せて勢いのまま刀身をたたき込む!
「なっ……ぐっ!?」
ヴィクトルの口から呻きが漏れる。
宝剣は、鎧を砕き、脇腹に深く食い込んでいる。
「ば……かな……」
ヴィクトルは、驚愕の目で、リアンを見つめる。
「致命傷、だった、はずだ。何故……まだ、動ける……?」
「ひとりぶんの命じゃないからだよ」
「何……? ――ま、まさか……守護契約か!?」
さすがに帝国軍の階級持ち。博識だし、察しも良い。
そう。先程、リアンとソフィアは、レテの提案で守護契約を結んだ。
守護契約とは移動集落を司る精霊だけが使える特別な魔法だ。
守護契約で結ばれた者同士は生命力を共有する。
一人が死ねば、契約者全員が死ぬ。
しかし裏を返せば、一人がどれだけ傷を負っても、契約者全員の生命力が尽きなければ、誰一人として死なない。
もともと自分の街を人間に守ってもらうために住民全員を結びつけるための魔法だ。
移動集落の精霊のみが使える特権的な魔法。なのだが――
「それは大陸が屍族に荒らされていた、暗黒の時代に開発された禁呪だ! 平和となった今、リスクを共有するだけになりかねん守護契約を、わざわざ結ぼうとする意味など何もない!」
声を荒らげて、ヴィクトルが言う。
「意味とかじゃないんだよ。これは、覚悟だ」
ソフィアとともに冒険する――そう決めた時点で、人生の半分を分け合う覚悟などできていた。
それを魔法の「契約」という「形」にするかどうかの違いだけだ。
「うおおおおおおおおおっ!」
リアンの剣が奔る。
「くっ!」
ヴィクトルは刀身で受け止める。
その表情に、苦悶の色が浮かぶ。
脇腹の出血が、集中を乱している。
リアンは、その隙を逃さない。
何度も、何度も何度も何度も何度も。
宝剣の連撃を繰り出す。
ギン、ギン、と剣のまじわる音が響く。
形勢は完全に逆転していた。リアンが徐々に前へ前へと押し、ヴィクトルは後退を余儀なくされていた。
傷が響いている、というだけではない。
ヴィクトルは積極的に剣を振るえなくなっているのだ。
その事実に気づき、リアンはニヤリと笑う。
「おいおい。ずいぶんと太刀筋が鈍ってるじゃないか。そんなに怖いのか? ――俺を、殺しちまうのが」
「……貴様! 気づいて……!?」
「気づかないわけないだろ。いくら重症を負ってるからって、あんたぐらい強い奴がここまで弱体化するもんか。俺を殺したらソフィアも死ぬ。だから、攻撃できないんだ」
初めてヴィクトルのポーカーフェイスが崩れた。
唇を噛み、悔しさと怒りを存分に込めた血管の浮き出た目で睨んでいる。
こうなればもう怖くない。
ヴィクトルや帝国兵がリアンを殺さずに生け捕りするのは至難の業だろう。帝国兵たちとはほぼ互角、それどころかわずかにリアンの方が実力が上。
ヴィクトルも万全であれば生かさず殺さずで捕らえることもできただろうが、今の彼にそれだけの余裕はないはずだ。
帝国がソフィアを必要としている以上、帝国側ができることはない。
「俺達を追いかけるつもりならいくらでも相手になる。ただし、俺は死ぬまで抵抗を諦めたりしないからな」
これは、脅し。
ソフィアの命を盾にするような行いだが、背に腹は代えられない。
二人で生き残るために、切れる手札はすべて切る!
しばしの間、黙っていたヴィクトルは――
「――クソが!」
激昂をあらわに剣を横一閃。斬撃が巻き起こした衝撃波が右手側に生えていた木々を真ん中から綺麗に切断していった。落雷じみたバリバリという轟音を立てて木々が倒れ、土や落ち葉が舞いあがる。
「ぐうっ……!」
力んだせいで傷口がさらに開いたのだろう。
血が滲む脇腹を押さえ、うずくまる。
「ヴィクトル様!」
女性の声がした。
見あげると、一人の女性が斜面の上で見下ろしていた。首の後ろに黒いフードがある。ヴィクトルの側に従っていた謎の人物だ。一人だけ他の兵士のような甲冑を着ていなかったから只者ではないと思っていたが、まさか女性とは。
彼女は斜面を勢いよく降りてヴィクトルの隣に来ると、彼の肩を支えた。
「ヴィクトル様、『ストロングレイヴン』に戻りましょう。傷の手当てをしなければ」
「フォルティナか……。無様な姿を晒したな」
「とんでもございません。まさか守護契約を結んでくるとは……これではヴィクトル様と言えど……」
「ああ。こいつらを捕らえるには相応の準備が必要だ。私もこのザマだしな」
「申し訳ありません。私に回復魔法が使えれば……神に愛されることのなかったこの身を呪います」
「お前が気に病むことなど何もない。謝罪は不要……いや、禁止する、と言ったほうがいいか。そうとでも言わないと、お前は永遠に謝罪を続けそうだ」
「申し訳ありま……は、はい。了解しました」
フォルティナと呼ばれた黒フードの女性は頬を赤らめてそう言うと、一転して険しい表情に変わってリアンを睨みつける。
「この場は撤退しますが、守護契約の脅しがいつまでも通用するとは思わないことです。必ずや方法を見つけ、神族の娘を連れていきます」
――神族の娘?
初耳の単語にリアンが眉をひそめる。
だが、無駄話をしている時間はない。
傷の痛みがすこしでも引けば、ヴィクトルはふたたび仕掛けてくるだろう。そのときは、リアンたちを生け捕りにすることも難しくないかもしれない。
このチャンスに逃げられる場所まで逃げなければ。
フォルティナの鋭い視線をよそに踵を返し、リアンはソフィアとレテのいる場所まで駆け戻った。
ソフィアの手を取り、走り出す。
「り、リアン!?」
「ヴィクトルが動けないうちに逃げるぞ! 大丈夫。帝国は今の俺達には手を出せない」
「そ、それじゃあ……?」
ソフィアの表情がぱっと明るくなった。
まだ安心して肩の力を抜くのは早いのだが――
まあ、ちょっとぐらいは、いいだろう。
「今なら逃げきれる。――俺達は、勝ったんだ!」
こうしてリアンたちは帝国軍の追手から逃れ、森を脱出することに成功したのだった。
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