【4】

 ――これは……囲まれてる……!


 リアンがそれに気づいたときには、何もかもが遅すぎた。

 魔物や獣の気配が遠のいていた。

 森特有の濃厚な草いきれが消え失せ、鉄と汗の香りが充満しはじめたような気さえする。


 右……ダメだ。


 左……そっちもいる。


 前にも、後ろにも。


 一分の隙もなく、逃げ道は完全に塞がれてしまっている。

 ソフィアを背後にかばいながら、どこかに突破口はないかとリアンは目を光らせる。


 ……見つからない!


 強引に切り開くしかないか……?


 と、蛮勇じみた思考が脳裏をよぎったとき、ふいに帝国兵の人垣が割れた。

 道をあけてくれた――わけがない。

 傅き、頭を下げながら左右によけていく帝国兵たちの、向こう側から悠々と歩み出てきたのは。

 他の兵士とは異なる色の甲冑を着けた、ひとりの青年。そして彼に付き従うように横を歩く、黒いフードを目深にかぶった何者かであった。

 青年は、二十代半ばくらいだろうか。

 精悍な顔立ちと大柄な体躯、鎧に隠されていてもその肉体はあきらかに筋肉質で、歴戦の軍人だけが醸す雰囲気がある。

 しかし何よりも特筆すべきは、目だ。大空を駆け、獲物を喰らう大鷲のような鋭い瞳。視線だけで敵を射抜けそうな眼光は、強気だったリアンの背筋さえ震わせた。


「ヴィクトル中佐。彼女が例の少女です」


「報告ご苦労。……どうやら余計なおまけが増えているようだ」


 ヴィクトルと呼ばれた男は、その鋭い目を細めて、リアンをまじまじと睨めつけた。

 震える脚を叱咤し、リアンはかろうじて平静を装って、


「いい大人が寄ってたかって……帝国では女の子を追い回すのが流行ってるのか? さすがに趣味が悪すぎると思うけど」


「このガキ! 中佐に向かってなんて口を……!」


「捨て置け。軍人ともあろう者が子どもにペースを握られてどうする」


 色めき立つ部下を制して、ヴィクトルは前に進む。腰から長剣を抜き、一歩ずつリアンの方に近づいてくる。


「あちらの方で、三人。やられていた。貴様なんだろう、少年」


「……だったら、なんだよ……」


「怒っているわけではない。むしろ褒めていると言ってもいい。私の部下が三人がかりで倒せないとは、なかなかの腕前だ」


「……ッ」


 褒められても「嬉しい」という感情は湧かない。むしろ危機感が加速度的に高まっていく。

 目の前の男は、さっきの三人とはあきらかに格が違う。

 階級だけじゃない。

 きっと、剣術の腕前も頭ひとつ抜けている。

 だというのに、彼の目からは油断や慢心といった隙が欠片も感じられない。

 これは……勝てない!


「私は無駄な殺生を好まん。特に貴様のような腕利きを失うのは勿体ない」


「だったら、素直に立ち去ってくれよ」


「ひとつ取り引きをしないか? その少女を我々によこせ。そうすれば、貴様の命は助けてやる。望むなら好待遇で私の隊で雇ってもいい」


「……断る!」


 リアンは即断即決で拒絶した。

 勧誘をあっさりと跳ね除けられて、ヴィクトルはわずかに目を見開いた。


「生か死を問われ、迷わず死を選ぶ奴がいるとは。……愚かしいな」


「勝手に決めんな。ソフィアを連れて、自由に生き延びるって未来もあるだろうがっ」


 リアンは地面を蹴った。

 先手。

 曲芸師の動き。

 兵士には馴染みのない、自由気ままな剣の軌道。

 蛇のような曲線じみた剣閃が、微動だにせず立ち尽くすだけのヴィクトルを襲う。

 回避行動は――取らない。


 決まったか!?


 そうリアンが思った瞬間、彼の視界は天地がひっくり返ったかのようにいきなりブレた。


「えっ」


 そんな声が漏れたときには、もう遅い。


「ぐ……っ、はっ……!?」


 背中から地面に叩きつけられ、肺の中から大量の空気が抜けていった。


 ――なんだ……何が起きた……?


 手足が痺れて、うまく呼吸ができない。


「たしかに面白い動きをする。……が、それだけだな」


 わずらわしい小虫を払った、ただそれだけ、と言わんばかりの無感情な声でヴィクトルはそう言い放ち、倒れているリアンに歩み寄る。

 彼の手には、いつの間に抜かれたのかギラリと鈍い光沢を放つ長剣。

 グルディアの国旗が柄に彫り込まれた仰々しい剣を手に精悍な男が迫る。


「く……そっ……!」


 白む視界、痛む体に鞭を打ち、リアンは立ち上がろうとした。

 が、すぐさまそのみぞおちに甲冑のつま先が刺さる。


「ぐあっ! ……がふっ」


「リアン!?」


 高々と宙に舞いあげられたリアンは、木の幹に磔のように叩きつけられた。

 駆け寄るソフィアの声もどこか遠くに聞こえ、ずりずりと地面に落ちたリアンは、ぐったりと体を投げ出す。


「リアン、リアン! しっかりしてください! 今、治しますから!」


「治す……?」


「はい。私、戦えませんけど、回復の魔法は得意なんです」


 涙目で言いながらソフィアが手をかざす。

 彼女の小さな手が緑色の淡い光を放つと、リアンの全身を駆け巡っていた引きちぎられそうな痛みがふっと消えていくのが実感できた。


「ぐ、わ、悪い……助かった」


「いえ。私こそ……ごめんなさい。やっぱり、あなたに甘えるべきじゃありませんでした」


 ボロボロと涙を流すソフィア。


「あーあ。そりゃ後悔もするか。カッコつけといてこんな一方的にボロクソじゃな」


「そういうことじゃありません! まさか帝国の指揮官があんなに強いなんて……」


「……正直、まいったね。どうしたら勝てるのか全然思いつかない」


「勝つ必要などない。我々について来ればいい」


 リアンたちの方へと歩きながら、ヴィクトルが低い声で言う。


「何か勘違いしているようだが、我々はその少女の力を借りたいだけだ。少年についても同じだ。大人しく協力すれば悪いようにはしない」


「……でも、あんたらはソフィアの故郷を焼き払ったんだろ」


「奴らは交渉を拒絶した。奴らが武器を取り抗うことさえなければ、我々も穏便に事を済ませるつもりでいた」


「ふざけんな。全部あんたらの勝手な事情だろうが」


「そうだ。我々は我々の事情で彼女の力が必要なのだ。――この大陸の、民のために」


「民のため? 何、きれいごとを――」


 言葉は途中で途切れた。

 ヴィクトルの体がいつの間にか肉薄していたがために。


「ふぅん!」


 大股でおよそ二十歩分、かなりの距離が空いていたにもかかわらず、彼はその距離が無であるかのように接近していた。

 長剣一閃。ぎらりと光る刃が眼前に迫る。


「こっちだ!」


「え? ……きゃっ」


 ソフィアの体を抱きかかえ、リアンは跳躍――木の裏側に逃げ込む。


「悲鳴をあげないでくれ。口をあけたら、舌、噛むぞ」


 その先は急斜面になっていた。

 着地した足はぬかるんだ土にずるりと滑って、体勢が崩れる。そのまま立て直すこともできず、リアンとソフィアはくんずほぐれつ、転がり落ちていった。


「いたた……大丈夫か?」


「はい……リアンこそ、怪我は?」


「ヴィクトルって奴にやられた傷は、おかげ様で大丈夫だ。落ちたときの怪我は……まあ、擦り傷程度かな」


 自分の体をあらためてリアンが答えると、ソフィアはホッと胸を撫で下ろした。


「よかった……」


「安心するのは早いぞ」


 リアンが斜面の上を指さした。

 木の幹に手をついたヴィクトルが足元を確かめ、眼下のリアン達を睨み下ろしている。

 安全に降りられるか否かを測っているようだ。

 時間がない。おそらくこのまま逃げても追いつかれる。


「どうにか撃退する方法があればいいんだけど……」


 リアンは頭を回転させた。

 地の利を生かすか?

 斜面を降りてくるとき、体勢を崩した瞬間を狙うか?


 ――ダメだ。考えられる作戦のどのパターンも、あっさりとかわされる未来しか想像できない。


 先ほど思い知らされた圧倒的な戦力差は、それだけ強烈に脳裏に焼きついていた。

 自分ではヴィクトルに勝てない――そう思い込まされるほどに。


「ねえ、レテからひとつ提案があるんだけど」


「なんだよ。今はお前とたわむれてる余裕はないぞ」


「ちょっとぉ! レテを愛玩動物みたいに言うのはNG! そうじゃなくて、本気なんだから真面目に聞きなさいよ!」


 ゲシゲシとリアンの側頭部を足蹴にしながらレテはこんな提案をした。


「ねえリアン。もし、ほんのすこしだけ特別な力を与えられたら、あのヴィクトルって奴に勝てそう?」


「はっ? そんな仮定の話に何の意味が――」


「いいから答えて!」


 思いのほか真面目なトーンで言われ、リアンはぽりぽりと頬を掻いて考える。


「勝てる……かどうかはわからないけど、いい勝負はできるかも」


「オーケー。じゃあやろう!」


「やるって、何をですか?」


 意気揚々と声をあげるレテにソフィアが疑問を挟む。

 するとレテは得意げに胸を張り、


「レテの力の見せどころってね。……リアンとソフィアを、守護契約で結びつけるの!」


 小さな手で二人の手を取ると全身から神秘的な光を放つ。

 神々しい光は爆発的に光度を増していき、薄暗い森を鮮やかに照らした。


「……なんだ、これは……!」


 ざわ、ざわ。


 斜面の上で見下ろしていたヴィクトルも突然の発光現象に困惑の声をあげ、帝国兵たちの間に動揺が広がる。


 ――それはこっちが聞きたい。


 体の内側にじんわりと広がる言い知れない熱。

 母がいたことなどないが、これが母親の抱擁の感覚なのかと思うほどの安心感。

 そして、感じる。

 全身の血が湧き立ち、力がみなぎっていくのを。

 まるで自分の中に魂を分け合うもう一人の自分がいるような――

 手にした宝剣が、軽い。


「不思議だ……さっきはあんなに敵わないと思ってたのに」


 リアンは、剣の切っ先をヴィクトルへ向けた。


「今は、全然あんたに負ける気しねえ」

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