【3】


 リアンはもともと辺境の村に暮らすごく普通の少年だった。

 他の家の子どもと違うところがあったとすれば、母親の顔を見たことがなく、父親とも年に一度会えればいいほうで、家族と呼べる家族は叔父夫婦だけだというところくらいだ。

 父親は冒険者だった。

 お前の親父は世界中を自由気ままに旅して好き放題にやりたいことをやって生きている、そんなロクでもない大人なんだと、以前、叔父は酒を飲みながら愚痴っていた。


「あいつは赤ん坊のお前を抱いてこの村に帰ってくると、一方的に俺に押しつけて、自分はまた旅に出ちまった。どこで孕ましてきたか知らねえが、無責任な野郎だよ」


 そんな愚痴を聞かされるたびにリアンは笑ってこう突っ込んだ。


「でも親父に俺の養育費と感謝の証として大量の財宝を渡されたんだろ。しっかり買収されてるじゃん」


「お前もあいつに似てツッコミが容赦ねえなぁ」


 そう言った叔父の顔は、不思議と嬉しそうだった。


 ――誤解なきように断っておく必要があると思うが、けっして叔父はリアンの父を憎んでもいないし、リアンの存在を疎ましく感じているわけでもないのだ。


 ただ自分は辺境の村で家と畑を継ぎ、つつましく生活しているのに、世界各国を飛び回って育児の大変な部分だけを任せきりにし、たまに帰ってきて父親面をするクソ野郎に、物申したくなる時があるというだけの話。

 リアンも幼心に、おかしいのは父のほうであり、叔父はむしろもっと口汚く罵っても許されると理解していた。

 文句を言い合いながらもなんとなく家族の絆は保たれていた。


 ――しかしその状況はある出来事をきっかけに一変する。


 リアンが十歳になった頃、父親が完全に消息を絶ってしまったのだ。

 今までは一年に一度くらいの頻度で村に顔を出していた父親は、花の季節にも、鳥の季節にも、風の季節にも、月の季節にも、まったくもって姿を見せなくなった。

 のたれ死んだか、家族を捨てて逃げたか。

 それは、冒険者としてはあまりにもありきたりで、情けない末路だった。

 きっと、だからなんだろう。

 十四歳になったリアンが「冒険者になりたい」と告げたとき、叔父は大いに反対した。

 そのときは酒の量も異常に多く、ベロベロになりながらリアンに説教をたれた。


 曰く。


「いいかぁ? イマドキ冒険者なんざ道楽者がなる職業なんだ!」


 曰く。


「人類が到達してない未踏の地なんてこの世界にはどこにもねえ。冒険者協会なんていう胡散臭い奴らが取りしきった、決められた土地を冒険することしか許されてねえし、今の冒険にロマンはねえぞ」


 曰く。


「お前までいなくなっちまったら寂しいじゃねえかよぉ! おぉぉぅん!」


 ――結局のところ、酔った勢いで好き放題なことを言っただけなのだが、叔父の偽らざる言葉だというのもまた確かなのだ。


 叔父の恥も外聞もない泣き落としに心揺らぎ、リアンは冒険者になる夢を一度は諦めようとした。

 あの父のように自由気ままな生き方をしてみたい。そう考えて、父に教えられた剣技を毎日欠かさず練習し、冒険のノウハウを学んできたのだが……。

 大切な家族を泣かせてまで、無理をして叶えるべき夢なのか?

 叔父の言う通り、この世界にはもう未踏の地なんてないかもしれないのに。

 そんな自問自答の末、リアンが冒険者の道を諦めようと考えたそのとき、まるで図ったかのようなタイミングでその知らせは届いた。


『水平線は永遠などではなかった。あの海の向こうには新しい大陸があったんだ。父さんは、この神の大地を心ゆくまで楽しみ、我らがガリア大陸に大いなる知恵を持ち帰ろうと思っている。しばらくは帰れないが、元気でやれよ、リアン』


 父の筆跡で書かれた手紙にはそう書かれていた。

 しばらく連絡をよこさなかったことに対する謝罪などなく、一方的に自分のやりたいことを伝える様は、(正直大人としてそれはどうかと思うが)とても父らしく、その変わらない自由さにリアンはホッとした。

 手紙には小さな麻袋がくくりつけられていた。中をあらためるためにひもを解くと、中から転がり落ちてきたのは、橙色の石だった。


『一緒に送ったのは、太陽石だ。海の向こうの大陸、《セレス》にしか存在しない、特別な力を秘めた石だ。お前がもしも俺と同じ道を志すなら、きっと道を示してくれるだろう。大事に取っておけ』


 手紙の追伸にそんな言葉が書かれていた。

 こんなものを読まされてしまえば、好奇心旺盛なリアンが我慢できるはずもない。


 ――世界に、終わりなんてないんだ。


 大陸はこのガリア大陸ひとつきり。『終わりの海』の向こうには何もない。

 リアンを抑圧してきた凝り固まった常識は、ただの嘘だった。

 海の向こうには新大陸があり、新大陸にはまだ見ぬ魔物や生物や植物がいて、異なる文化の人々が暮らしていて、未知のダンジョンがある。

 その大陸の向こう側にはさらに新しい大陸も待っているかもしれないのだ。

 まだまだ世界には可能性がある。

 冒険は職業となり退屈な作業と化したわけじゃない。


 本物の冒険が、できるんだ!


 そう思い立ったリアンは、十五の誕生日、荷物をまとめて家を出ることにした。

 叔父にはものすごく止められたし、罵られもした。

 それは悪意なんかじゃなくて、父親のように消息不明にはさせまいという親心だというのは理解できた。

 しかしそれでも大人の圧力に負けて村に残る道など選ぶはずもない。

 人生は一度きり。

 そして他の誰でもない、自分だけのものなんだ。

 育ての親に言われたからと夢を諦め、自由な人生を謳歌できないなんて、そんな勿体ないこと、あっていいはずがない。

 だからリアンは断固として許可しないと仁王立ちする叔父をひらりとかわして、十五年間暮らし続けてきた家を飛び出したのだった。


  *


「――だから俺は、人間誰しも自由に夢を追う権利がある、自由に生きるべきだ、って考えてるんだよ」


 森の中。帝国兵を退けた後。

 ぼろぼろと泣いて目を腫らし、感謝の言葉とともにどうして自分にそこまでしてくれるのかと問うソフィアに、リアンはそう説明した。


「自由に……冒険……」


 話を聞いていたソフィアは噛みしめるようにその単語をつぶやいた。


「いいですね。リアンさんには――」


「あ、リアンでいいよ。たぶん同い年くらいだろ?」


「あ、そ、そうですか。では、リアンで」


 ソフィアは照れくさそうにそう言って、続ける。


「リアンには、夢があるんですね。すこし、羨ましいです」


「……そうか?」


「私は村のことしか知らなくて、将来のためにと魔法の勉強をさせられてきただけですから。しかも――」


「帝国に追われてる、か」


「将来なんか、あるかどうかもわかりませんね。あはは」


 自嘲気味に笑うソフィア。

 リアンはその声に言いようのない寂しさを感じ取る。しかし同年代の、それもここまで壮絶な体験をしてきた女の子を相手に話したことがないので、どう慰めればいいのかわからなかった。

 頬を掻いて視線を逸らし、なんでもないような口調を装う。


「じゃあ、一緒に来るか?」


「……えっ?」


 ソフィアがリアンの顔を振り返り目をぱちくりと開閉させた。


「行く宛てもないんだろ? なら一緒に冒険すればいい」


「でも……私、冒険なんてしたことありませんよ?」


「大丈夫。わからないことはなんでも教えるからさ。……って、俺もまだ始めてから数日ってところだけど」


「絶対に足手まといになります。迷惑もたくさんかけるはずです」


「冒険は、うまくいかないから楽しいんだ」


「…………」


 ソフィアは軽くうつむき、リアンの言葉を咀嚼するように胸に手を当てた。

 冒険――箱入りで育てられたソフィアとてその言葉の意味を知らないわけではない。

 祖母の家の書斎、部屋を埋め尽くすほどの本の山の中。

 小難しい魔導書に混ざって差し込まれていたおとぎ話を読むのは、ソフィアの数少ない楽しみのひとつだった。

 おとぎ話の主人公たちは皆、自分の夢を叶えるため、やむにやまれぬ事情のため、冒険の旅に出る。

 さまざまな場所へ行き、さまざまな出会いを経て、成長する。

 そんなおとぎ話の主人公に憧れていたし、自分もまたどこか遠くへ行き、素敵な出会いを経験したいと夢想していた。

 突如として故郷の村を帝国に襲われ、命からがら逃げてきたことで、そんな幼い夢など忘れてしまっていたけれど。

 彼女の奥深くにはしっかりと残っていた。

 ぽーっと体が熱くなる。しかし同時に頭の芯が冷えていくのを自覚する。


「私を誘ってくれるのは、うれしいです。でも――」


「――アンタさ、ホントにいいわけ?」


 ソフィアの声をさえぎって、声がした。

 それは、女の子の声だ。

 何だ? とリアンが瞬きしていると、ソフィアの服の胸元がいきなりふくらんで、中から一匹の翅の生えた生き物が出てきた。


「なっ……」


「ふぅ、苦しかったぁ。やーっと息ができるよー」


 虫、ではない。

 たしかに色の薄い翅は虫のようにも見えるが、姿かたちはあきらかに違う。

 人間と同じすらりとした手足。葉っぱのような服をまとった体。

 人間の女の子と同じ見た目だ。

 違うところがあるとすれば、手のひらに乗るほどの超小型サイズだということだけ。


「……何だ、このちっこいの」


「んなー! なんて失礼な奴なの!? レテはレテ! ソフィアの友達! どこからどう見ても可憐でカワイイ精霊でしょ!?」


「ああ……」


 リアンも父親から聞いたことがある。

 この世界にはたくさんの精霊がいて、自然界に多大な影響を及ぼしている。

 人とは持ちつ持たれつの関係を結ぶことが多く、魔法使いの魔力のエネルギー源になったり、神族が遺した貴重な聖遺物――移動集落の動力源にもなっている。

 そんな神聖な存在を前にしたリアンは、へえ、と言いながらレテと名乗った精霊の翅をつまんだ。


「ぎゃー! ちょっと、虫みたいにつかまないでくれる!?」


「あ、悪い。つい」


「まったくもう……乱暴なんだから!」


 腰に手を当て、ぷんぷん怒るレテ。

 険悪な雰囲気を感じたのか、ソフィアが申し訳なさそうに説明した。


「ご、ごめんなさい、リアン。レテは私の友達なんです」


「そーそー。物心ついたときからずっと一緒なんだよ。ねー?」


 ソフィアの方を振り向くところりと表情を一変させる。

 ずいぶんと表情豊かというか相手によってコロコロ態度を変えるあたりが何とも年頃の女の子っぽくて、神秘的な存在とは思えなかった。


「友達だったらどうしてソフィアのピンチのときに助けなかったんだ?」


「う……そりゃあ、レテが出る幕もなかったっていうか?」


「そうか。じゃあ俺がいなくても帝国兵なんか余裕で倒せるな。それじゃあな」


「ああっ!? ごめんなさい調子に乗りました待ってぇ!」


 冷めた声で言い放ち背中を向けて立ち去ろうとするリアンに、レテは泣いてすがりつく。


「変な見栄を張るなよ……」


「うう……だって、戦闘能力ゼロとか、ださすぎて……」


「精霊ってみんな魔法が使えるんじゃないのか?」


「レテは移動集落の精霊なんです」


 問いに答えたのはソフィアだった。涙ぐんだレテを手のひらにのせ、桃色の長い髪を人さし指で丁寧に撫でながら、彼女は話す。


「移動集落の精霊炉に入り、街の生態系や環境を保ったり、街を動かしたりできます。逆に言うと街にまつわる魔法以外は使えないんです」


「つまり足手まといってことか」


「アンタ容赦なさすぎない!?」


 悲鳴のようにそう言って、レテはこほんと咳払いをする。


「れ、レテのことはどうでもいいの! それよりアンタよアンタ。ソフィアと一緒に冒険とか、本当にそれでいいわけ? レテたち帝国に追われてるんだよ?」


 グルディア帝国といえばこのガリア大陸きっての強国だ。

 険しい山に囲まれた資源に恵まれない国だが、それを補うほどの卓越した技術力で発展してきた。最先端の魔導学、大陸一の移動集落の所有数、圧倒的な軍事力を誇り、現在は怪しげな魔導研究のために大陸各地の村を襲い、女子どもを誘拐しているという。

 強国に身を狙われているソフィアやレテと冒険するというのは、リアンにとって不必要なリスクでしかないはずだった。

 しかしリアンは、


「いいよ」


 一秒の間も空けず、あっさりとそう言った。


「……本気?」


「ああ。どっちにしろ俺、もう二人のこと放っておく気ないし」


「ど、どうして!? レテたち、今日会ったばっかりじゃん!」


「うーん。あらためて訊かれるとどう答えればいいかわからないけど――」


 すこしだけ考える素振りを見せて、リアンは続けた。


「それが俺の憧れてた冒険者の姿だから、かな」


「……何それ。そんな夢みたいな理由で危険を冒すわけ?」


「んだよ。夢追い人だってことくらい自覚あるさ。でも、なりたい自分になるための行動を、誰にも文句は言わせない」


 家の本棚に眠る歴代の大冒険者たちの冒険譚。

 そして、父親から聞かされてきた数々の生の冒険譚。

 さまざまな新発見や困難な試練を乗り越えるだけじゃない。

 彼らは冒険の途中で出会ったすべての出会いを大切にして、得難い仲間を得て、最高の人生を送ったんだ。

 それらすべてが宝石みたいに輝かしくて、リアンは自分が死ぬまでの時間を、けっして後悔のない最高のものにするんだと胸に決めていた。

 だから、たとえ理不尽な運命を背負わされた少女であろうと、彼女が望むのであれば、手を差し伸べたいと考えている。


「なんてお人好しなの……や、ある意味で自己中心的でもあるのかな」


「自己中心的の塊だぞ、俺。自分の生き様のためにこんなこと提案してるんだからな」


「あはっ、そうだね」


 レテは可笑しそうに笑った。

 笑えばなるほど、可憐な精霊らしく可愛らしい。


「オーケー。レテはこの子についていくの賛成。ソフィアは?」


「レテ……でも私、いいんでしょうか」


「何度も言ってるだろ。これは俺がなりたい自分になるための提案だ。あとはソフィアが冒険者になりたいかどうか、それだけだよ」


「冒険……」


 胸の前できゅっと手を組み合わせて、しばらくの間、ソフィアは思案した。

 そして、やがて決意したようにうなずく。


「本当に、リアンには。たくさん感謝しないといけませんね」


 彼女は微笑みとともにこう言った。


「魔法でなら、すこしはお役に立てると思います。どうぞ……よろしくお願いします」


 それは、冒険には付きものの仲間入りのイベント。

 新しい仲間との新しい冒険に胸躍らせる時間。

 だが、しかし――

 そんな至福の時間は、森の中に響き渡る慌ただしい足音によって終わりを告げた。

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