【2】
「あ、あはははははは! ひーっ、おかしっ。あははははははっ!」
「も、もう。そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」
森の中。腹を抱えて笑うリアンと、むっと頬を膨らませるソフィアの姿があった。
リアンがスライムを退治してから五分ほどが経っていた。
周りには魔物の気配はなく、かすかに鳥や獣の声が聞こえるだけの平和な空気が流れている。
「無茶言うな。笑う。これは笑う」
「し、仕方ないじゃないですか。スライムが安全な魔物だって、知らなかったんですから」
「常識だろ、常識。スライムに殺された人間なんか見たことないし」
「だ、だって、私の脚をもごもごってしてたから……」
「スライムは人間の汗や垢を吸収するんだよ。これも常識なんだけどなー」
「うう……」
「えーっと、君、名前なんて言ったっけ?」
「……ソフィアです」
からかわれて意気消沈のソフィアは、沈んだ声で名乗った。
リアンは頭の上から脚の先まで、まじまじとソフィアを眺め回した。
「な、なんですか?」
「ソフィアは、どうしてこんな場所にいるんだ? 見たところ脚にかなり疲れがきてる。遠くから歩いてきたんじゃないか?」
「わかるんですか?」
ソフィアは驚きの声をあげた。脚の状態を見ただけで見透かされてしまうなんて。一体このリアンという少年は何者なんだろう。
「わかるさ。これでも冒険者だからな」
「冒険者……」
「と言っても、まだ駆け出しだけどね。三日三晩、歩き続けてることくらいは想像できる。それに睡眠環境も良くなかった」
そんなことを言いながら、リアンがソフィアの頬に触れた。
あっ……と声をもらし、ソフィアは頬を赤らめる。
もちろんリアンとしては目の下のくまや、すこしやつれた頬を覗き込んでいるだけだ。しかし同年代の男子に触れられ、まじまじと見つめられる経験が皆無のソフィアは、体の芯が熱くなるような気恥ずかしさに襲われていた。
彼女は慌ててうつむき、言葉をしぼり出す。
「……正解、です。野宿の連続でした。木の洞の中とか。藁の上とか」
「壮絶だな……なんでそんなことに?」
「それは………………………………………………あっ」
答えかけて、ソフィアははっと顔をあげた。
警戒態勢の小動物のように首を動かし、辺りに目を向ける。
そして、ふいに頭をさげる。
「助けてくれてありがとうございました。ここからはひとりで大丈夫なので。リアンさんもどうかお気をつけて――では」
そうまくしたてて、ソフィアは駆け出そうとした。
しかしそれを、リアンの剣がさえぎった。
「ちょい待った。もしかして君、あの移動集落と関係あるのか? 帝国の国旗をかかげた大きな移動集落と」
「えっ。あ……えと、その……」
しどろもどろになるソフィア。
リアンはその反応に確信を持ったと言わんばかりに、深々とうなずいた。
「勘違いだったら恥ずかしいから一応確認しておきたいんだけど……君、帝国に追われてるんじゃないか?」
スライムから彼女を助けたときと同じ言葉で、リアンが訊ねる。
「最近、グルディア帝国が子ども狩りだとかでいろんな村を襲ってるらしい。もしも君が、たったひとりで帝国に追われてるなら、助けてあげたい」
「……っ」
ソフィアは胸がいっぱいになって、鼻の奥がつんとした。
ここ数日、彼女は人間の悪意をまざまざと見せつけられてきたのだ。
故郷の村は焼かれ、お世話になった人々の悲鳴を聞き、命からがら逃げている途中では、彼女の身を狙った奴隷商人や盗賊に襲われかけた。
こんな風に、温かな優しさを向けてくれる人と出会うのは、久しぶりのことだった。
しかし、それゆえに。
ソフィアは泣きたくなる気持ちを抑えて、しっかりと首を横に振った。
「帝国は、関係ありません。私、行きますね」
目の前の心優しい少年を巻き込みたくない。その一心で、ソフィアはリアンを突き放した。
「さようなら」
「ところがそういうわけにもいかないんだ。ソフィアの言葉が嘘だって、教えてくれてる連中がいるんでね」
「えっ」
突然。空を切る音がした。
リアンが地面の石を拾い上げ、茂みの向こう側に投げた音である。
カーン、と金属の響く音が続いた。
「出てこいよ。俺と別れたらソフィアを襲うつもりだったんだろうけど、バレバレだぜ。くさい鎧のにおいはこっちまで届いてるんだ」
「チッ。ガキのくせに目ざとい奴だ」
リアンが挑発的な言葉をかけると、茂みの奥から三人の男が姿を現した。
三人とも、同じ鎧と兜をつけている。
鎧の前掛けにはグルディア帝国の国旗が刺繍されており、腰には分厚い鉄の剣を提げていた。
ソフィアの口から絶望するような声がもれる。
「グルディア軍の、兵士っ」
「馬鹿な子どもだ。そのまま娘と別れていれば若い命を散らすこともなかったろうに」
帝国兵は剣を抜き、リアンたちの方へ歩み寄る。
「下がって」
恐怖に足がすくんだソフィアを背後へ隠し、リアンは一歩前に出た。
その口元に、嘲笑が浮かぶ。
「偉そうなこと言っていいのか? あんたら俺を相手にするのが怖くて隠れてたんだろ」
「ふん。見え透いた挑発を」
「なあ、あんたらさ。どうしてこの子をさらおうとするんだ」
「お前のような子どもに説明する義務はないな」
「この子やこの子の故郷の人達に、ひどいことをしたんじゃないか? グルディア帝国が進めてるっていう、子ども狩りの一環で」
「さて? どうだったかな」
帝国兵はとぼけたように首をかしげる。
「殺そうとした覚えはないが、邪魔な虫をのけようとしたら死んでしまった……そんなこともあるかもしれんなぁ」
「……っ」
リアンの後ろで、ギリ、と硬い音がした。ソフィアが歯を噛み、肩をふるわせ、あふれんばかりの憎しみをこらえているような目で帝国兵をにらみつけている。
そんな表情を見て、怒りが伝染したのだろうか。
リアンから、さっきまでのあっけらかんとした雰囲気が消えていた。
「……ガキの分際でなかなか鋭い目をするじゃねえか」
さすがに下級兵とはいえ、軍に所属する正規の兵である。リアンの変化を察した瞬間、表情を引き締めていた。
「手加減してやる気は失せた。戦場で敵兵を相手にするときと同じ――本気で行かせてもらうぜ」
真ん中の帝国兵が片手を振ると、その合図に合わせて、左右の二人が散開した。
三方からリアンを取り囲む形である。
帝国式剣術の構え。
一切の油断を感じさせない。
それに対してリアンは、抜いた宝剣を片手で持ち、自然体で立ち尽くしていた。
型も何もない。
素人丸出しなその構えを見れば失笑しても良さそうなものだが、この帝国兵たちは相当に訓練されているらしい。
微塵も気を緩めないまま彼我の距離をすこしずつ確実に縮めていく。
「あの人たちの顔、本気です。このままだと殺されちゃう。私のことはいいですから、無理に戦わないでくださいっ」
ソフィアはリアンの背中に悲鳴じみた声を投げかける。
すると、
「断る」
リアンは、たったの一言で彼女の制止を振り払った。
「なっ……どうしてですか?」
「どうして? ソフィアは連れて行かれたいのか?」
「それは、嫌ですけど……でも、だからって、私みたいな赤の他人を助けるために、危険を冒すなんて……」
「危険が嫌なら冒険者になんてなってない。以上」
「あっ……」
ソフィアの制止を聞かず、リアンは帝国兵たちに歩み寄っていく。
三方に散った帝国兵たちが、怒号をあげた。
鼓膜を破らんばかりの大声は相手に斬りかかる際の気合いの声である。訓練を積んだ兵士の剣が三方向から押し潰すようにリアンを襲う。
――そこからの展開はソフィアにとっても、帝国兵たちにとっても、思いもよらぬものだった。
次の瞬間、その場に立っていたはずの少年の姿はなく、三本の帝国兵の剣は空を切る。
帝国兵たちが標的を見失ったことを自覚するのと、首筋に打撃を受けて脳が揺らされ、膝をついたのはほぼ同時であった。
「なっ……」
「ぐ……」
「うお……」
三人の帝国兵はそれぞれうめき声をあげて、その場に膝をつく。脳を揺らされた衝撃で視線がぶれ、意識が朦朧とし、まともな言葉も発せない。
そんな彼らの前にリアンは華麗に着地した。
――何が起こったのか。
それを正確に認識していたのはこの場でおそらくリアン本人と、傍らで戦闘を見守っていたソフィアだけだろう。
リアンは三本の剣が直撃する寸前、一人の帝国兵の脇をすり抜け背後に回り、目にも止まらぬ速さで三連撃、彼らの首筋に剣をたたきこんだのである。
ただの回避行動ではない。彼我の距離はほぼゼロ。
数ミリ程度のギリギリの距離をかするようにして体を滑らせたのだ。
最短最速の回避行動により帝国兵の意識に空白を生じさせ、脳が状況判断する隙を与えないまま、無駄のない軽やかな動きで仕留める――
まるで暗殺者。あるいは熟達の曲芸師のような剣さばきである。
「く……そが……ヴィクトル中佐……申し訳……ありま……」
帝国兵はそれだけを言い残して意識を手放した。
気絶した三人の姿を見届け、リアンはふうと息を吐いた。
そしてソフィアの方を振り返ると、あどけない笑顔を浮かべてみせる。
「いっちょあがり、ってね」
「す……すごい……」
ソフィアはぺたりとその場に座り込むと、震える声で言った。
「兵隊さんでもないのに、あんなふうに剣を使えるなんて……すごい。すごすぎます。どうして、そんなに強いんですか」
「あー、これな」
リアンは宝剣を軽く振りながら、照れくさそうに笑う。
「親父にもらった剣と、親父に教わった剣技。それが、俺の武器なんだ」
「お父さん……?」
「ああ。理想郷セレスにも行ったことのある伝説の冒険者だよ。魔物に囲まれたときにも対応できる剣技なんだってさ。直接教えてもらう時間はなかったけど、親父が書いた指南書を読みながら必死でモノにした」
その赤らんだ頬を見ると、とても卓越した剣技について語っているとは思えない。
おそらく父親との思い出話はそれくらい彼にとって照れる話題なのだろう、とソフィアは理解した。
「いつかは俺のオリジナル剣技も考えたいんだけどな。親のお下がりで恥ずかしいけど、それでも助けになれたなら、うれしい」
「リアン、さん……」
ソフィアは感極まったように声を詰まらせる。
「お下がりなんて、とんでもないです。ありがとうございます……ありがとう……!」
長らく帝国軍の脅威に怯え、逃げ続けてきた少女。
末端の兵士ではあるが帝国兵が目の前で倒れる姿を見たことで、これまで溜まっていたさまざまな感情が一気にあふれ出したのだろう。
ソフィアは感謝の言葉を何度も繰り返しながら、ぼろぼろと涙を流していた。
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