3-3 時をわたるノート

 出かける、と言っても、直人も夏希もくつなんてはいていない。それに、この時代の人には、男の子か女の子かわからないと思われてしまう夏希の服も問題だ。

 仁吾は、まず下宿の玄関から、下駄を二人分こっそり借りてきてくれた。

 それから夏希は、仁吾のゆかたを借りて服の上からはおることになった。ポニーテールの頭も麦わらぼうしをかぶってかくす。

「直人は変装しなくてもいいの?」

 重ね着をして暑いと、夏希が不満そうに言う。

「直人君は、ちょっとハイカラな男子にしか見えないから、大丈夫だろう」

 ハイカラって、西洋風のおしゃれなファッションだと聞いて、ますます夏希はむくれたけど、外を見てみたいという気持ちには勝てない。

 用意ができて、三人で縁側から裏庭に下りた。

 そこから、小さな木戸をくぐってかきねの間を通りぬけると、先は細い通りになっていて、下町っぽい二階建ての家が道の両側に並んでいる。

 さらに進んで角を曲がると広い道に出た。ここは商店が軒を連ねてずいぶんとにぎやかだった。

 歩きながらまわりを見まわせば、おとなも子どもも着物を着た人ばかりだ。男の人は、仁吾のように白シャツにズボンという人もちらほら見かけるけど、少なくとも夏希のような服を着たひとは一人もいない。

 夏希は、麦わらぼうしをしっかりかぶり直しながら、仁吾にたずねた。

「中学校はこの近くなんですか?」

「歩いて二十分くらいかな」

 仁吾はどことなく上の空で答える。

 しかし未来から来た小学生二人は町の様子を見るのに忙しい。

「明治村みたい」

 と、夏希がつぶやきながら細々した店をのぞいて歩くとなりで、直人は向こうからやってきた路面電車に目をうばわれていた。

 二十一世紀の直人たちの町には、路面電車なんて走っていないのだ。

 直人はまず、頭の中に自分の知っている市街図を思いうかべてみた。仁吾が言うには、あの路面電車は川を渡っていくのだという。

 ということは、路面電車の走る道が、二十一世紀にはJRの線路に変わったのかもしれないな、と思う。

 チンチンとカネを鳴らして動き出す路面電車には、たくさんの人が乗り込んでいた。

 道の広さは変わってなさそうだけど、車がないのでずいぶん広く見える。代わりに、荷車はたくさんあった。

「働いてる子どもが多いね」

 夏希が直人のそでを引いた。確かに、お店や荷車に付きそう人々の中には、直人や夏希より少し年上の、今でいうなら中高生くらいの若い人たちが大人に混じって働いている。

「君たちは二人とも中学にあがるのかい?」

 前を行く仁吾がふり向いた。

「中学校までは義務教育だからみんな行くんです」

「ああ、そうか。そうだったね。じゃあまだまだ君たちは勉強が続けられるんだね」

 自分だって中学生のくせにうらやましそうに言う仁吾に、直人は首をかしげた。

「尋常小学校は全員が行くことになっているけど、どの子も家に帰れば家の仕事を手伝う。下の妹や弟を背負って学校に来る子どももめずらしくはないし、農家なら田んぼや畑、商家なら店番や家事も手伝うし、お使いにも出るだろう」

 それじゃあ放課後に公園で遊んだり、工作したりゲームをしたりする時間なんてちょっぴりしかないじゃないか。

 直人は首をすくめた。

「もちろん虫をとったり、川でつりをしたりもするよ」

 そんな直人の気持ちを察したように仁吾は笑った。

「でも小学校を卒業したら、働きに出る子も少なくないな。女子なら十六を過ぎたら嫁に行く子もいる」

 今度は夏希が目を丸くする。十六才だなんて、あと四年で結婚なんて考えられないとぶつぶつ言うのに、直人と仁吾が笑った。

「だから上の学校に行かせてもらっているぼくは、恵まれているんだ。とてもね」

 仁吾は顔を先にもどした。なんとなくその視線の先を追った二人は、赤ん坊を背負った少女を見つけた。

 両腕に、花をぎっしりと入れた重そうなおけを下げて歩いている。

 仁吾は、人の間をすりぬけるようにその少女に近づき、おけを二つとも持った。

 のんびりと歩きながら話している二人を、直人と夏希は少し離れて見つめた。

「だれかな? 友だち?」

「さあ。でも私たちで言えば高校生くらいに見えるよね」

 夏希は観察する目で見ていた。

「着物はつぎがあって新しくはないし、ちょっと疲れているみたい」

 直人もうなずく。

 急に季節がひと月くらい進んでしまい、歩くだけで汗が背中を流れ落ちる。素足に下駄をはいたお姉さんは、暑さでまいっているのか、足取りが重そうだった。

 ほんの一区画分だけおけを持って歩いた仁吾は、お姉さんにおけを返すと手をあげて別れを告げた。ちょっと頭を下げた少女は、そのまま細い横道に消えていく。

 直人と夏希の元にもどってきた仁吾は、そのまま広い通りを歩いて、小さな川のほとりまでくると、橋をわたって小高い丘を登っていった。

 ここまで来る間に、二人の足は慣れない下駄でガクガクだったけど、カツン、カツンと音をたてる下駄の音を耳にしながら、だまって後をついて行った。

 仁吾は、町を見下ろす草っ原の中ほどで足をとめ、そこに座った。もちろん直人と夏希も座りこむ。

 セミがやかましく鳴いて、足の間からは黄緑色のショウジョウバッタがぴょんぴょんと飛び出してくる。風は汗ばんだ肌に気持ちよく吹きわたって、三人はその静かな時をしばらく楽しんだ。

 町をかこむように流れる川は、少し下流で大きな川と合流する。白い帆を張った船が、いくつもうかんでいるのが、直人の時代にはないもので、めずらしかった。

 地形は百年後とあまり変わっていないはずなのに、見える風景はぜんぜんちがうと、直人は頭の中の地図と比べて思った。

 帰ったら、いま目に見えるこの風景のジオラマを作りたいなあと考えていると、仁吾がふいに語り始めた。

「さっきの子は、小学校の同級生なんだ。この町に嫁にきてね。この春、あかんぼうを産んだんだよ」

 直人はびっくりして何も言えずに仁吾を見上げた。太いまゆ毛がぐいっと寄せられて、こわいみたいだった。

「頭の良い子で、小学校ではぼくと成績を争ったんだ。気も強くて、正義感があって。母親を亡くしてからは、二人いる弟の世話もよくしていたし、教室でも弱い子をいつもかばっていた」

 しかし野村みつというその少女の家は、貧しくてとても女学校には上がれなかったのだという。

 小学校を卒業してからは、畑仕事を手伝っていたが、父親が新しいお嫁さんをむかえるのと同時に、自分もこの町に嫁入りすることになったらしい。

「ぼくはずっと家を出ていて知らなかったから、町で彼女を見かけた時はびっくりしたよ。花屋に嫁に来て、すぐに子どもを授かったんだな。大きなお腹をかかえて、今みたいにお得意様の花のお師匠さんのところに、花を届けていたんだ」

 いろいろあったんだろうと言う仁吾の顔は、苦々しそうで大人びていて、十七才には見えなかった。

「仁吾さん。みつさんが好きだったんですか?」

 食い入るように聞いていた夏希がえんりょのない質問をして、直人はぎょっとした。仁吾もおどろいたように目を見開いてから苦笑する。

「やっぱり君は女の子だな」

 別に女の子だからってわけじゃないと夏希は言い、直人もぶんぶんと首をたてにふった。女子ならこういう話は好きかもしれないけど、あんな風に直球で聞くのは夏希だからにちがいない。

「そうだとしても、ぼくにはどうすることもできないよ。まだ学生の半人前ではね。きちんと勉強をして将来に備えなくちゃならないのだけど、受験に失敗して将来も決められない。だらしない男だ」

「将来って、何になりたいか決めてないんですか?」

 夏希は、直人のはらはらする気持ちにお構いなしに、質問を重ねる。

 こういうズケズケと言うところがトラブルの元なんだよと思うが、そんなことをここで言ってもしかたない。

「高等学校から大学まで進むなら、まだあと数年は親にたよらなくてはならない。親父様もお袋様もかまわないと言ってくれているが、こういう道に進みたいという志がなければ、ぼくは単なるムダ飯食いだ。それではいけないと思うんだが」

 仁吾は寂しそうに笑った。

「直人君がぼくの子孫だというのなら、こんな情けない男でもいずれは家庭を持つんだろうな」

「そうじゃないと直人が生まれてこられないじゃない」

 夏希はおこったように言った。

「ははは。そうだね。実は直人君をこの目で見て、いったいぼくはどんな人生を送る人間なのか聞いてみたいと思ったよ。それなら迷いもなくなるとね」

 直人は黙って、今度は首を横にふる。

「知らない、と言っていたね。それでいいんだ。少しズルをしたい気持ちになっただけさ。将来を、何でも自分の希望で決められわけでもないが、少なくとも、こうありたいと決意は持たなくてはならないからね」

 仁吾は、言葉を奥歯でかみしめているように言った。

「野村さん……いや、今は野村じゃないな。みつさんを、最初ぼくはかわいそうにと思ったんだ。だけど彼女はそんなぼくをあきれたような顔で見て、こう言ったんだよ。

 自分はこの道しかなかったけど、それでも考えて自分で決めてきた。生まれる子が店をつぐころまでには、花屋をしっかり繁盛させて、町一番にするんだと。なぐられたような気がしたね」

 直人はびっくりした顔で、夏希は目を輝かせて、みつの言葉を聞いた。

「何も決められずに迷ってばかりのぼくが、彼女をかわいそうに思うなんておこがましかったと、そのとき気がついた。だから」

 仁吾は厳しい顔をやわらかくして、直人に目を向ける。

「だから、いろんなことに迷っている君のことは、とても気になったよ、直人君。自分を見ているようでね。でも、君は夏希君の強さをちゃんと認めていた。自分の弱さも。それは君が素直だからだ。そして、ただ横目で見ているだけじゃすまさない勇気もあったね」

「そんなこと……ないよ。だって、仁吾さんは知ってるでしょ? ぼくは最初はめんどくさい、巻きこまれたくない、自分も標的にされたらイヤだって思ったんだ。夏希と早苗が一日で仲直りしてたら、ぼくはやっぱり何もしないままだったし、やったことだって一言声をかけただけだよ」

 胸がちくんちくんと痛んだけど、夏希の前で、まるで自分が何かできたようなふるまいをすることは、直人にはできなかった。

「そうだよね。あんた弱虫の泣き虫だもんね」

 夏希がにやりと笑った。

「くつをかくされてビビってたしね。でも、あんたがあたしを気にしてたことも知ってた」

 夏希は、勢いよく両腕を空に向かってのばした。

「直人に何かしてもらおうなんて思ってなかったよ。でも、びくびくしながら、コソコソこっちを見てるのにはイラついた。こわいなら気にしなきゃいいじゃんって。だからといってなぐったのは八つ当たりだった。本当にごめん。それからママに言ってくれてありがとう。ママたちが勝手に動かないようにも言ってくれたし」

 全部バレてたのかと、直人は立てたひざの間に頭をつっこみたくなった。

 となりで仁吾がはははと声をたてて笑っているのが、救いだ。

「どうも女性のほうが、われわれ男どもよりもずっと、強くてしっかりしているみたいだね」

「そんなことないよっ!」

 夏希がくちびるをとがらせる。

「意地っ張りなんだよ、たぶん」

「そうか、意地か。それじゃあぼくは意気地なしだな。だけど、いつまでもそのままでもいられないからね」

 仁吾の切れ長の目が、強い光をもって目の下に広がる町と遠くの空を見つめていた。

「さて、もどろうか。君たちがどうやって家に帰るか考えなくては」

 そうだ。仁吾に会えたのも、百年前の町を見られたのもよかったけど、ここにずっといるなんて困る。

 直人と夏希はいきおいをつけて立ち上がった。



 帰り道、仁吾は通りの駄菓子屋に寄って、二人にお菓子を買ってくれた。

 直人たちの時代にも一けんだけ駄菓子屋さんが残っている。おばあさんが一人で店番をしている小さな店で、百円も持っていけばいろんなものが買えるから、小学生のたまり場になっていた。

 直人は、そこでよく、一枚十円のクジを引いていた。三十円とか五十円とかの当たりくじを引くと、その分のお菓子がもらえるのだ。うまくすれば百円が五百円分のスナック菓子に化けるので、行ったらまずそのクジを買うのが習慣だった。

 でも仁吾の連れて行ってくれた駄菓子屋さんには、そんなクジはなかった。ならんでいたお菓子もアメ玉とか、ねじったぼうにきな粉がついているものとか。そぼくっていう言葉がぴったりのラインナップだ。

 直人は、きな粉のついたアメ、夏希は、小さなおまんじゅうみたいなのを選び、仁吾は、その上でラムネを三本買ってくれた。

「わあ、本当にビンだ!」

「君たちの時代はビンじゃないのか?」

「ええと、プラスチック?」

「それはどんなものだい?」

 困った直人は夏希に助けを求めたが、夏希もプラスチックの材料なんて、とても説明できない。

「えっと。ビンとちがって落としてもわれないの。それに軽くて、それから……」

「そうか。百年後の世界は、今のぼくには想像がつかないようなことが、たくさんあるんだろうな」

 仁吾はラムネの口にはられていた紙をやぶると、木のせんぬきでポンとビー玉を中におしこんだ。たちまちシュワシュワッとあわがたつ。

 直人と夏希もそれにならって開けると、さっそく一口飲んだ。

 はじけるアワが、のどをさわやかに落ちていくのは、こんな暑い日にはちょうどいい。

 店先の日かげで、のどをうるおす三人の前を、路面電車がのんびり通り過ぎていく。

「あのチンチン電車は数年前にできたばかりなんだ」

 仁吾がほこらしそうに言った。

「ぼくたちの時代には、時速三百キロの新幹線が走っていて、飛行機がばんばん飛んでいて、宇宙ステーションに人がいるんだよ」

 直人の話を聞いて、仁吾はあやうくラムネをふき出しそうになる。

「飛行機がばんばん? 宇宙? 初めて人が空を飛んだのはたった十年くらい前だよ。そっか。すごいんだなあ」

 もっと聞きたそうな顔の仁吾に、直人はパソコンやスマートフォンの話をしたけど、電話すら実際にかけたことがないという仁吾に、説明するのはすごく難しかった。

「ふうん。明治の御一新からこの五十年で日本もずいぶんと変わったと思うが、君らの生活は、ぼくにはとんと理解できないようだ。だけど」

 仁吾は歯を見せて笑いかけた。

「だれもが当たり前に、中学やその上の学校に行って勉強できるようになるならうれしいよ」

 勉強なんて、ごく一部のできる子をのぞけば、やらされるってイメージのほうが強い直人は、うえっという顔をして言った。

「でも仁吾さん、算数の教科書に、ねむいってラクガキしてあったよ」

「えっ、算数? 算術か。そんなこと書いたかな。まいったな、あはは」

 算術は少し苦手なんだと頭をかく仁吾は、もうそんなに年上には見えなくて、直人はいっしょに笑った。

 でも夏希は顔をしかめてラムネを飲んでいる。

「どうしたの、夏希君」

 そんな夏希の様子に気がついて、仁吾がたずねた。

「帰りのことが気がかりなのかな。それとも君の学校のこと?」

「ううん。帰りのことはよくわからないし、学校のことはもういいんです。無視されるのも慣れたし」

 直人はつばを飲みこんでこぶしをにぎった。

「よくないよ」

「なんでよ?」

「よくないって思うから。だから、ぼくは学校でも話しかけるよ、ふつうに。月曜日からぼくは学校に行くから、夏希も行こうよ」

 夏希はぱちぱちとまばたきして、自信なさそうにつぶやく。

「あんたも無視されるよ。それだけじゃないかも」

「いいよ」

「弱虫のくせに。泣き虫直人のくせに」

 直人は、不安をビンに残っていたラムネといっしょにのみほした。

 カラン、コロンと涼やかな音がした。

「直人君がそう決めたのなら、夏希君は、そのことでなやんじゃダメだよ」

 仁吾は二人のゆれる気持ちに、のんびりした口調で言った。

「意地を通してばかりではきゅうくつだよ」

「それ、夏目漱石の?」

「うん、そう。よく知ってたなあ。そうか、漱石先生の小説は百年後の小学生も読むんだね」

 うれしそうに言う仁吾を見て、夏希は直人にあごをつきだした。

「あたしも『坊ちゃん』だけ。でも直人は読んだことないでしょ」

「はい、はい。園田センセイはよく本を読んでるよね。ぼくは地図専門だから」

 駄菓子屋の店先で、二人の言い合いはしばらく続いた。



「そういえば、今は何年の何月何日なんですか? あと仁吾さん、学校は?」

 夏希が聞いたのは、そろそろ仁吾の下宿が近づいたころだった。

「大正四年、七月二十一日。学校は夏休みだよ。さて、君たちの昼飯はどうしたらいいかな。下宿のおばさんにうまくごまかして作ってもらうか」

「夏休みなのに家にもどらないの?」

 今度は直人が聞いた。

「帰らねばならないんだが」

 仁吾は苦笑して細い道の角を曲がる。

「ノートが気になってね。下宿にいるから通じたのか、実家にもどっても通じるのか、わからなかった」

「えっ、そのため?」

 丸くなった直人の目を見て仁吾は手をふる。

「いやいや。ぼくが気になってしかたなかっただけだよ。なにしろこんな不思議はないじゃないか。まさか百年も未来から書いていたなんて思わなかったけど、カバンにしまいこんでいるノートに、だれかがいつの間にか返事を書いてくるなんてね」

 それはぼくも同じだと直人は納得する。しかも自分は仁吾がひいひいおじいちゃんだって知っていたからなおさらワクワクした。

 仁吾が、そんな風に自分を気にしてくれてうれしかったし、なやみを聞いてくれたから、ずいぶん助かったんだと思った。

「ねえ、仁吾さん」

 横から夏希が、心配そうな口ぶりで言った。

「ノートに将来の進路になやんでるって書いてたけど。あの、あのね。軍人さんになるかもしれないの?」

「うーん。あれはね。その道もあるって例をあげただけで。そうか、夏希君はいまこの時代、この先の時代に、なにが起こるか、知ってるんだね?」

 仁吾は、ずいぶんと年下の少女の真面目な顔をじっと見おろした。

「言わなくてもいいよ。さっきも言ったけど自分の道は自分で決める。昨年、ヨーロッパで大きな戦争が起き、我が国も参戦した。そのせいで、景気がよくなって、去年、東京には新しい駅舎もできた。まだ見る機会がないんだが、それは立派なものだそうだ。今は我が国も世界も大きく動いているんだよ。だからぼくはその変わっていく世の中で、どうしたら自分を役立たせられるか考えているんだが」

 言葉を切って、仁吾は小道のわきに咲く朝顔の花を見た。微笑んでいた。

「直人君のノートを読んで、君たちに会って、この大きく動く時代に育っていく子どもたちのために、何かできないかなと思ったよ」

「そう……ですか」

 夏希はこくんとうなずいた。

 話を聞いて直人はなんだか泣きそうな気持ちになる。仁吾さんの子どもは、戦争で亡くなっちゃうんだって。

 そんなことは仁吾さんに知られたくない。絶対に。

 直人はうろ覚えの歴史の知識を思い出したが、首をふって頭から追い出した。

 これから関東大震災があって、それからまた第二次世界大戦があるはず、なんてことは。

 仁吾の口調も、町の様子も、活気にあふれたこの時代の先に大きな夢を見ているようだった。

 それでも一つだけ、伝えられることがあるとしたら。

「あのね。おじいちゃんが言ってた。おじいちゃんのおじいちゃんは、優しい人で、怒られて泣いてるといつもアメをくれてそばにいてくれたって」

 仁吾は細い目をさらに細くして笑った。

「そっか。はは、自分がじいさんになった姿なんて想像できないけどね。そっか」

 なんども、そうか、そうかとくり返す様子に、どこかおじいさんになった仁吾が想像できて、直人はくすっと笑った。

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