3-1 時をわたるノート

 次の日、どうせ学校を休むならと、ねぼうを決めこむつもりでいたのに、お母さんに生活リズムは乱しちゃダメと起こされ、直人はしかたなく家族で朝食をかこんだ。

 お父さんは、直人の頭のテープを見て、少しだけまゆを上げたけど、学校を休むことについてはなにも言わなかった。

 ケガの原因のことも、お母さんから聞いたにちがいないのに、ただウンウンとうなずいて見せただけだ。代わりに、地図ばっかり見ていないで、たまには教科書も読めよと笑って、朝のスープをわたしてくれた。

 家族が、ふだんとあまり変わらず、特に気づかわれなかったことで直人も少し気が楽になる。

 これで、いくらでも休んでいなさいなんて言われたら、どうしたらいいかよけいにわからなくなるところだった。

 やがて、お父さんが出ていき、夕方もう一度病院に行って消毒してもらうからねと告げてお母さんもパートに行ってしまうと、直人は部屋にもどってあのノートを広げた。

 期待したとおり、返事があった。


『直人君。頭の傷はいかがですか。

 夏希君に君の心配を伝えてみたらという、ぼくの提案のせいだろうか。申し訳ない。

 だが君は優しいな。そして夏希君に声をかける勇気を持てたことは良かったのではないだろうか。

 今、君は本当に情けなくみじめな気持だけなのかな。

 しかし夏希君も君も、つらい立場に追いやられているようで、ぼくも胸が痛い。

 アドヴァイスが有るとすれば、一つは周囲の年長者に相談をすることだが、大人の論理での解決は、君たち子どもにとって納得できない結果になる事もあるだろうと思う。

 君たちの同級生は、どう考えているのだろうね。今の状態をやはり居心地悪く感じているのならば、味方につけられないだろうか。』


 うむむと直人はうなった。直人自身の味方と言えば将平だけだが、ちょっと心もとない。将平はいいヤツだけど、ふざけられるチャンスはにがさないお調子者なのだ。

 友だち、少ないなぁと思うと、本当に情けない。では夏希はどうだろう。

 夏希は気が強くてあちこちにぶつかってばかりだけど、友達の世話もよくみていたはずだ。でもそれが、かえってウザがられたのかもしれない。

 ウーンとうなりながら、直人は返事を書こうと持っていた鉛筆をクルクルと回した。

 お母さんには、まず自分たちで考えると言ったのに、なにも考えつかないでいるうちに、下で玄関チャイムの音が鳴った。

 宅配便でも来たのかと、はいはぁいと返事をしながらドアを開けて、直人はそのまま固まった。

 ドアの外には夏希がいた。



「おはよう」

 夏希はおこったような声で言った。

「あ、うん。おはよう……ど、どうしたの?」

 あたふたと答えると、夏希はズンと開いたドアのすき間に体をわりこませて、玄関の中に入ってくる。

 手に持ったコンビニのふくろがガサガサと音をたてた。

「お見舞いっ。それからっ。ごめんなさいっ!」

 大声でどなられては、全然ごめんなさいと言われた気がしなかったけど、夏希の顔は真っ赤だった。

「あたし、なんだかムカムカして。あんたが悪いんじゃないってわかっていたけど。八つ当たりした。血が出て、直人がたおれちゃって。死んじゃったらあたしのせいだって思って。ものすごくこわかった」

 一気にしゃべると、夏希は息が切れたみたいに、かたを上下させた。

「謝ればすむもんじゃないと思うし、昨日、ママやパパにも言われたし。うちのママが直人のお母さんに謝ってくれたみたいだけど。でも、どうしても直接言わなきゃと思って……」

 夏希は顔をくしゃっとさせた。学校で、あれほど悪口を言われても泣かなかったのに。

 直人はあわててさえぎった。

「え……うん。いや、その、もう、いいです。ぼくも悪かったし」

「あんた、なぐられてケガしたくせに、ぼくも悪かったなんて言うからダメなんじゃないっ」

 夏希はまたおこったようにどなったけど、直人がぽかんとした顔をしているのを見て、一息ついてから、もう一度、今度はていねいに頭を下げて言った。

「本当にごめんなさい」

 もういいよと言ったらおこられたので、直人は将平の真似をして、へらっと笑ってみせ、夏希の持っているふくろをのぞきこむ。

「あ、これ、新発売のとろとろ牛乳プリンだ!」

「お、お見舞いにって思って。あんた、幼稚園のころ、プリン好きだったし」

「今でも好きだよ。二つあるんだったら食べていく?」

 夏希はほっとした顔でくつをぬいだ。

 それを見て、直人もどこかほっとする。

 二人とも学校を休んでいるのに、いいのかなという気もしたけど、それよりもせっかく夏希が来てくれたのならちゃんと話をしたかった。

 台所からスプーンを持ってきて、二人でリビングのテーブルにつく。

 夏希が家にあがるのなんて幼稚園以来のことで、少しだけ緊張したけど、新発売のプリンのとろけるおいしさの前ではそんな思いもふき飛んだ。

「うまいっ!」

「でしょ?」

 目を合わせて笑いあう。昨日まで、学校であんなにギスギスしていたのがウソみたいだった。

「あとさ……」

 夏希が口を開いたのはプリンを四分の一ほど食べ終わったころだ。

「ママに話してくれたの、助かったよ」

「うん」

「学校、行きたくなかった」

「うん」

「あたし、おかしかったよね。あんなことするなんて自分でもこわかった。ほんと、ごめん」

「うん」

 うまい返事が思いつかずに、うん、うんとくり返す直人を、夏希があきれた目でにらむ。

「そこは、もういいよ、じゃないの?」

「だって。さっきおこったじゃん」

「そうだけど」

 夏希は、最後のひとさじを大きくすくってほおばった。直人もそれにならう。口の中に、冷たさと甘さが広がって、のどをするんと落ちていく。

「学校、しばらく休むの?」

 直人の問いに、夏希がこくんとうなずいた。

「あたし、自信なくなっちゃったんだ。いくらムカムカして頭にきたからってあんなことするなんて。やるならせめて早苗にするんだったなぁ」

「でも縦笛は、早苗がしたんじゃないかもしれないよ?」

「あんたでもないでしょ」

「それはそうだけど」

 朝の光の中で、夏希の顔は気がぬけたように見えた。こんな時、何を言えばいいか直人にはわからなかった。

 作りかけのジオラマを見せても、夏希は喜ばないどころかまたおこりだすにちがいない。

 しばらく考えて、プリンのカラを片づけてから、直人はそうだっとつぶやいて立ち上がった。

 だれにも言ってなかったことが一つある。あの不思議なノートだ。

 夏希は歴史も好きだし、面白がるかもしれないと思った。イジメの相談も、こうなってしまえはもういいやという気になる。

「ねえ、ちょっと見せたいものがあるんだ。待ってて」

「えー、地図コレクションなんてお断りだよ?」

「ちがう、ちがう。もっと面白いもの」

 頭にひびかないように、それでも急いで階段をかけ上ると、ノートをひっつかんでリビングにもどる。

 そして、ぼんやりとカーテンの閉められた窓をながめていた夏希の目の前にさし出した。

「なに、このノート」

 直人は、おじいちゃんの家に行った時からの話を聞かせて、仁吾の書いた場所を指で示した。

「ほら。これ。どう見ても今の人が書いたんじゃないでしょ? 本当の本当に、百年前の人が書いたんだよ」

 興奮して言ったが、夏希は最初から読んでいって、目を三角にした。

「ちょっと。なんであたしのこととか、勝手に書いてるのっ?」

「えっ……あ、ええっと、ごめん。でも、最初はだれにも見せるつもりじゃなかったし。だって、まさか百年前から返事が来るなんて思わないじゃん」

 ううっと夏希はうなった。目をいからせながら読み終わって、またううっとうなる。

「これ、本当は直人のお父さんが書いたとかじゃないよね?」

「ちがうよ。お父さんの字はこんなじゃないし、こんな難しい言い方もしないよ」

「そうだよねえ。うーん。本当に夏目漱石の小説みたいな文章だね」

「夏目漱石って読んだことあるんだ?」

 夏希のまゆ毛がちょっと上がる。

「『坊ちゃん』だけね」

 へえ、さすがと感心する直人に、夏希はいばって答えた。

「でもこの『草枕』っていうのは読んだことない。ふうん、面白い出だしだね」

 これを読んで面白いとは、やっぱり夏希はひと味ちがうと直人は素直にうなずく。

「それにしても。あんたって本当にウジウジしたヤツだったんだねえ」

 書かれているのが、まるで自分のことじゃないみたいに夏希は笑った。

「まあ、そんなこと、あんたのプリン好きより有名だもんねえ」

 やっぱり見せるんじゃなかったと、直人はこっそり口をとがらせた。少しは元気になるかなと思ったのに、とんだ災難だ。

「でも、これ。まるでこうかん日記だね。いいなぁ」

 しょげた直人を置いてきぼりに、夏希は明るく言った。

「ねえ、返事書いてよ」

「え? 今?」

「いまっ!」

「な、なんて書くの?」

「知らないよ、そんなこと。直人のノートでしょ」

 そんなことを言われても、夏希の目の前で夏希のことを書くのは気が引ける。かといってそこをスルーしたら仁吾さんは変だと思うだろう。

 無言で圧力をかけてくる夏希の視線をさけるように、かたを丸めて、直人はノートの続きに書き始めた。


『仁吾さん

 心配してくれてありがとう。今日は学校を休んだけど、夏希が謝りに来てくれて、今、いっしょにプリンを食べたところです。冷たくて、あまくて、おいしかったです』


 横からのぞいていた夏希が、作文下手だねえと言ったので、ちょっとむっとする。

 元々はだれに見せるつもりもない日記みたいなものだったんだからと、心の中で反論した。

 歴史が好きで、本が好きで、作文もうまい夏希とは頭のできがちがうのだ。だけど宿題ならともかく、こんなプライベートな日記に文句をつけられても困る。

「ねえ、あたしのことなんかより、この仁吾さんって人のことを聞いてよ。大正時代の中学生ってどんな生活なのかって。この時代の中学って男子だけだよね? カノジョとかいるのかなあ。男女七才にして席を同じゅうせずとかなの? だいたいプリンってあるのかな?」

 夏希が勝手な想像を始めた。だけどさっきまでのとがった表情じゃなくて、目がキラキラかがやいている。

「やっぱり夏希が書いてよ」

「ダメ。これはあんたのノートでしょ? なんでいつも人に何か言われたくらいで引いちゃうの? それに仁吾さんだって、突然直人じゃない人からメッセージもらっても困るじゃん」

「それは、だって、夏希が横からうるさいから……ぼく、仁吾さんにカノジョがいるかどうかなんて考えたこともないし……」

「じゃあ、どんな食べ物が好きかとか、受験勉強は大変なのかとか」

「食べ物なんて聞いて何になるのさ」

「そんなだから、直人は友だちできないんじゃん。相手の情報を聞き出して、それに合わせた話題をふるなんて基本中の基本じゃない」

「悪かったね、友だちいなくてっ。でも今の夏希に言われたくないよっ」

 さけんでから、しまったと思ったけどおそかった。

 夏希はぎゅっと口を閉じてにらみつけた。直人はたちまち心を縮こまらせる。

 友だちのことなんて、今の夏希には禁句だったのに。

 でも夏希の沈黙は数秒以上続かなかった。直人の縮んだ心も。

 二人の間に置かれたノートが突然うっすらと光りだし、黄ばんだ紙の上に文字が現れたのだ。


『直人君

 夏希君とは仲直り出来たんだね。良かった。ケガの事は気の毒だったが、雨降って地固まるというところだろうか。

 プリンとはプディングの事かな。ずいぶんとハイカラな見舞いだとうらやましい。君達の世界では、プディングは当たり前の食べ物なのだろうか。牛乳や卵は高価なものだが……』


「字がっ!」

「仁吾さんが今、書いてるんだっ!」

 直人と夏希はほとんど同時にさけんで、手をノートにのばした。

 二人の指先がページにふれた、その瞬間。

 バチッと指から体へ電流が走ったみたいなショックが走りぬけ、思わず目をつむった。

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