2-1 ふりあげられた縦笛
『こんにちは。しばらくノートを書けなかったけど、夏希のことはまだ全然解決していません。ぼくもなにもできていない。とてもくやしいけど。
仁吾さんは、こんな風に悩んだことはありますか? 中学五年生ってことは、来年は六年生になるんですか? ぼくも来年は中学生なのにと思うと、自分に自信がなくなります。』
いろいろなことを置き去りにしたまま、直人は数日書けないでいたノートに、こんな風なメッセージを記した。
もしかして返事がないことを心配してくれたかもしれないと思っても、なにもいい報告ができなくて、今まで鉛筆をにぎる気にならなかったのだ。
クラスの中がおかしいと、直人は重い気持ちを無理に飲みこんで、ため息をついた。
おじいちゃんの家の蔵整理をした日以来、天気もぐずぐずとして、はい色の雲が空をおおっている。
二人のケンカからもう十日たっていた。
夏希がクラスでしゃべらなくなったこと以外は、何の変わりもないはずなのに。
休み時間、バカな男子がふざけるのも、やかましい女子が二、三人固まっておしゃべりするのも変わらない。
浜田先生は相変わらずイヤミだらけのねむたい声だし、給食のメニューだって六年生ともなれば目新しくもない。
それなのにクラスの中の空気は、どこかしめりけを帯びていて、それがキシキシと耳ざわりな音をたてていた。
「今月末の運動会ですが、ダンスの真ん中、一分ほどの間、クラスごとに自分たちで考えたふりつけで踊ることになりました。四時間目はその話し合いをしましょう」
学級会の時間。浜田先生は黒板に『ダンスのふりつけ』と大きく書いた。
だがクラスの中にあるどよんとした空気は動かない。
数十秒もだまりこんだ後、指された女子がしぶしぶといった顔で言った。
「だれか、ダンスの得意な人に考えてもらえばいいと思います」
賛成というつぶやきがさざ波のように起こって消えた。
めんどうくさいという感情が、よどんだ空気をさらに重くする。
「では先にリーダーを決めましょう。ダンスの得意な人はだれですか? あるいは自分からやりたい人は?」
自分からやりたいヤツなんていないよと直人が思ったとたん、クスクス笑う声が教室の後ろからひびいた。
遠野早苗が、身を乗り出してまわりの女子とこそこそ話している。
イヤな予感がした。
直人はだれとも目を合わさないように下を向いて、ひざの上の手を見つめた。
「はい。私は園田夏希さんがいいと思います。理由は、運動神経がいいし、頭もいいし、去年の運動会でも活躍したからです」
早苗の声だった。すかさず賛成ですと手があがる。みんな早苗の近くの席の子だ。
直人は、ますます体を固くしてうつむき、前の席では、ほおづえついていた将平が、うでを組んでチッと舌を鳴らした。
早苗の内心はみえみえだ。夏希を名指しして係りをやらせておいて、自分たちはそれに全く協力しないつもりなのだ。
(気づいてよ、先生)
浜田先生のことは全然好きではないが、直人は心の中で担任にすがるように願った。
休み時間に無視したり、クツをかくしたりするより、もっとひどいことになる気がした。
(ダメだって言ってよ)
しかし口にしない直人の願いなど、先生に伝わるはずもない。
「そうですか。では園田さん……」
園田さんにやってもらいましょうと続くはずだった浜田先生の声が急にとぎれ、直人が目を上げる。
いつの間にか、顔を真っ赤にした夏希が立っていた。
立ち上がって黒板の前まで来ると、くるっと教室を見わたした。
泣いていたわけじゃない。おびえてもいない。むしろおこっていた。心の底から。
「遠野さん。あたしをリーダーにすいせんしてくれたってことは、あたしの言うことをちゃんと聞いてくれますか? 遠野さんがあたしの言ったとおりに踊ってくれるなら、リーダーを引き受けます」
今度は早苗の顔が真っ赤になった。
「あ、あたしだけ変なふりつけにしようとしてるんでしょっ!」
「そんなことしません。あんたみたいに卑怯じゃないもん」
「あたしのどこが卑怯なのよ。あんたこそズルばっかりしてるじゃない」
「はぁ? ズルなんてしたことないよ」
「うそつきっ!」
「そっちでしょっ!」
もう話し合いもなにもなかった。二人の言い合いは先生に強制終了させられ、運動会の話はそれっきりになった。
それは全然いいけれど、浜田先生は運動会のダンスといっしょに、夏希と早苗のことも投げてしまったように、直人は感じた。
もう六年生なんだから話し合いに個人的なケンカを持ちこまないようにと、注意しただけだ。
それじゃあ、かげでコソコソやれって言ってるようなものだと、直人は泣きたいような気分で窓の外に目を移した。
先生には、ぼくたちの関係も、クラスの雰囲気もどうでもいいんだと思った。
でもそれは自分だって同じだ。間に入る気もないどころか、自分に火の粉がかからないように夏希を無視してるんだから同罪だ。
なんでこんなことになっちゃったのかと、直人は、今週に入ってから何回目かのため息をついた。
昼休み、図書室で地図を広げていると将平がやってきた。雨さえ降ってなければ、いつも校庭でドッヂボールやサッカーをやってるのに。めずらしい。
「なあ、直人ちゃん」
将平は机の向かい側にすわると、ずるずると体をたおして、組んだうでの中に顔をうずめた。
「どうしたの?」
「あれ、ヤバいよなあ」
「あれって何さ」
「わかってるくせに」
将平はつまらなそうな目で見上げてくる。
「夏希と早苗のこと? でも、ぼくにはどうしようもないよ。そもそも関係ないのに巻きこまれたんだしさ。先生だって何も言わなかったじゃん」
「浜田っちはなあ、なんてぇの? 事なかれ主義?」
先生が事なかれ主義なのに、子どもがそれじゃダメなんて不公平だ。
「でも夏希があそこで反撃するとは思わなかったなあ。つえぇぇっ!」
直人もそこは同感だった。ダンスのリーダーにすいせんしたとき、早苗は得意げだった。このままだと、夏希はますますひどいことになるんじゃないかとヒヤッとしたのだ。
だけど夏希はたたかれてだまっているような子じゃなかったっていうことなんだろう。何も言い返せないヘタレな自分とは大ちがいで強いんだ。
はぁと大げさに息をはくと、将平も同じようにため息をついた。
直人は、机にうっぷした将平の頭をげんこつでこづいた。
「将ちゃんは関係ないでしょ?」
「ウーン。でもなあ。そもそものカラオケはオレも行ってるし。なんか、気持ち悪ぃ」
ふざけてばかりに見える将平がそんなことを考えていたのは、正直意外だった。
「あの二人、仲直りできると思う? 卒業までこのままかな?」
「二人とも受験組だから、中学もどうせ別々だしって思ってんじゃないの? あぁ、でもそれで同じ中学校だったらウケるよな」
ひっひひと笑ったところでチャイムが鳴った。
直人はふと、今日は帰ったらノートに返事が来ているだろうかと思った。
『直人君。どうしているだろうかと考えていたのでノォトへの返事をもらって安心した。ありがとう。実は悩んでいる君に対して厳しい事を云ってしまっただろうかと心配していたところです。申し訳ない。
ただ上手く解決する事を祈っておく。
書きながら、君はいったいどこに住んでいるのかと考えている。学制がちがうようなので、国外なのだろうか。
ぼくの住んでいるこの町は、二つの川が合流する地点に古くから栄えた町だ。今は鉄道も走っている。
実家が山の中なので、中学に通うためにぼくはこの町に下宿しているという訳だ。
日本国では、中学は落第をしなければ五年で卒業だ。学業優秀な者は四年次で上級の学校へと進むが、ぼくは昨年高等学校の受験に失敗したので五年生なのだ。
しかし自分の進路は高等学校へ行くというので本当に良いのか迷ってもいる。
師範を受けて教師になるべきか、実業を身につけるべきか。あるいは軍人となり国難に際して身をささぐべきかと、迷うばかりだ。
君は将来の夢を持っているだろうか。』
やっぱり返事が来ていた!
直人はまた辞書と首っ引きで文章を解読した。
「え? 川が二つあって古くから栄えた町?」
あわてて五年生のときに習った『わたしたちの町』という教科書を出してくる。
まちがいない。直人の住むこの町だ!
「下宿って、部屋を借りているってことか。中学生なのに一人暮らしなんだ。すごいなぁ」
山の中の実家というのは、おじいちゃんの住んでいる、あの蔵のある家だろう。確かに車で一時間もかかるところから毎日通うのは大変だ。今とちがって、道路もアスファルトじゃないだろうし、バスも走っていたかどうか。
なにより驚いたのは中学校のことだ。
「百年前の中学は五年もあったんだ。義務教育じゃないのかなあ」
そういえば祖父からは、ひいひいおじいちゃんがどんな仕事をした人なのか聞いてこなかった。
「でも軍人かあ。そっか……」
百年前は何時代なのか、もう戦争とかあるころなのかどうかも、直人は知らない。学校の社会はようやく武士の時代に入ったあたりだ。
「夏希なら、くわしいんだろうなあ」
歴史が好きな夏希に、このノートのことを話したら、どんな反応をするだろうか?
「でも、なんか質問ぜめとかしそうだよね」
せっかく直人だけの秘密のノートなのだ。それに書いてあるのが夏希のイジメの事では、とても見せられやしない。
今日の夏希は強かった。びっくりするくらい。まぶしいくらい。
でも物事にあまりこだわりのなさそうな将平でさえ、心配したのだ。
本当に知らん顔してばかりでいいのかなと思うと泣きたくなる。
良いわけない、と思う。
でも直人には一歩をふみ出す勇気も、うまく納める力もありそうになかった。
だから夏希のことにはふれずに、ノートにはありきたりなことを書くことにした。
『仁吾さん
ぼくたちの世界では、小学校は六年、中学は三年で、そこまでは子どもなら全員が行くことになっています。高校や大学に入るには受験が必要です。』
直人は、自分が仁吾の孫の孫とは書かなかった。時間をわたるとか、未来にいるとか、うまく説明できない気がしたから。
『ぼくはまだ将来のことなんて考えられないけど、仁吾さんはもう考えなきゃいけないんですね。
ぼくは地図を見るのが好きです。だから何かそれに関係した仕事につければいいなあと思っています。でもそれが何なのか、まだよくわかりません。』
地図に関係した仕事って何があるのかなあと、直人は考えてみる。
ズバリ地図を作る? 昔は歩いて測量していたんだろうけど、今は宇宙から写真もとれるよね。地図ってだれがどこで作っているんだろう。
どんな仕事でもいいけど、今のクラスみたいなもめ事のないところがいいなあと、思う。
ギスギスした雰囲気はつかれるし、興味関心が他の子とズレてることでイヤな目にあってきた直人にとって、そこは最重要ポイントなのだ。
だから、最後にこう書き足した。
『ぼくのことを心配してくれてありがとうございます。ぼくは今のところクラスの中で空気なので大丈夫です。
夏希はどんなに無視されても悪口を言われても、泣かないでがんばっています。今日はケンカ相手と授業中に言い合いをしました。でも先生はなにもしようとしませんでした。
夏希は強いなと感心しました。人の前に立つのがイヤでにげているぼくも、夏希みたいな勇気があったらいいのにと思いました。』
そうだったらいいのにと書きつつ、そんな勇気はなかなか持てそうになかった。
仁吾からの返事は、直人がお風呂に入っている間、すぐにあった。
『直人君
地図を見るのが好きなのは、とても良い事だと思う。日本は海に囲まれた山の国だ。国を守り災害を防ぎ、我々がより良く生活するためにこの国土をどの様に生かすか、その基礎となるのが地図だ。とても立派な仕事だと思う。ぜひ頑張りたまえ。』
直人は、ウンウンとうなずいた。
地図は紙にえがかれた単なる模様じゃない。とても大切なものなんだとうれしくなる。
今まで直人の地図好きを、こんな風に認めてくれた人はいなかったから、なおさらだ。
『夏希君はやはり独立心の強い人柄なのだろう。
だが人間、たった一人で心を張り続けるのはつらいものだ。もし君が夏希君を思いやるのならば、何も最初から多勢に向かう事もないのではないか。
できるならば、ひそかに心配しているのだと伝えてみたらどうかと思う。それだけでも心強いのではないだろうか。』
直人は、真っ赤になって早苗に怒鳴りつけた夏希の顔を思い浮かべた。
強いなぁとばかり思っていたけど、でも、もしかしたら心の中では泣きたくなっていたんだろうか? あいつは自分とは違って強いんだから大丈夫って、勝手に決めつけていたけど。
いつか、泣いていた直人を探してしかりつけに来た夏希も、真っ赤な顔をしていた。
その後、自分で言い返せって手を引っ張られて、将平の前まで連れて行かれたんだった。
将平は、夏希の剣幕にびびって、直人が何か言う前にへらっと笑って謝ってくれた。しょうがないなあって夏希もいっしょになって笑った。
つないだ手の感覚なんて忘れたけど、その時の夏希の笑顔は、ほっとした気持ちと一緒に覚えている。
もう何日も、夏希の笑った顔を見ていない。夏希だけじゃない。クラスのみんなも、どこかうわべだけで顔を作っているみたいな、ぎこちない雰囲気がある。
夏希が一人の時に、声だけでもかけてみようかと考えながら、直人はノートを机のすみに大切に置いた。
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