1-4 ひいひいおじいちゃんのノート
夜、夕飯を食べて自分の部屋にあがると、直人はごろんとベッドに転がった。
夏希はあれからどうしただろうと考えると、満腹になった胃のあたりがムカムカする。
いくら何でももう帰っただろうけど、いや、夏希も確か早苗と同じ塾に行ってるんじゃなかったかな。それならまたあの二人はケンカしているのだろうか?
思いついて、またあのノートを取りだした。このもやもやを何かにはき出さないではいられなかった。
そして、そのまま固まった。
「え? ……え? ええっ? なんで? だれ?」
昨日、直人が書いたのは最初のページの上の方だけだ。でも直人の書いた文の下に、直人とはちがう筆跡で文章がつづられていたのだ。
「え? お母さん……の字じゃないし、お父さんとも違う……よね」
ぶつぶつ言いながら、一度ノートを閉じ、それからぱっと開いてみる。
でもやっぱりそこには、直人が書いたんじゃない文字が並んでいる。
「ド、ドロボウ?」
昼間、だれも家にいない間にしのびこんだのかな? でも、お金になりそうな物には手をつけないで、小学生の日記に勝手に書き込むだけのドロボウなんているはずがない。
「あはは。なんか、つかれてるのかな」
なんて言ってみたけど、別につかれてもいない。ただ胸がドキドキして胃がグルグルして頭がフラフラしてるだけだ。
昨日書いたことが、だれかに読まれたと思うといたたまれない。
なんて書いたんだっけ? だれかの悪口、書いたかな?
おそるおそる昨日の日記を読み返してみる。
自分は何も悪くないってことだけが書いてあった。
ホッとするような、自分勝手でイヤなヤツのような気持ちがわいたけど、問題はその下だ。
「うーん。これ、やっぱり子どもじゃないよね……」
さっきはろくに見なかったその文章は、直人が知らない漢字がたくさん使ってあって、とても読みにくい。
『買ってきたばかりの此のノォトを開いて驚いた。何故に他人の文が書かれているのか暫時考えたが判らない。不可思議な事もあるものだと思うしかない。
君が何処のだれか知らないが、此のノォトに書かれた文章から僕の読み取った事を記しておく。』
まず最初にそんな前置きがある。でもこれでは、ノートの持ち主が直人ではなく、このだれかみたいだ。直人の家の直人の部屋の直人の机の上に置いてあったのに。
『察するに、君は友人達の喧嘩に巻き込まれた事に対して憤っているようだが、恐らくは最後に記した言葉が君の正直な心情ではないかと思う。疾く友人達が和解する事を僕からも祈る』
だれか知らない人がいのってくれたみたいだけど、現実は全然解決には向かってないよと、直人は口の中でぶつぶつ言った。
どう考えても、これを書いたのはお父さんやお母さんじゃない。親なら、直接どうしたのか聞いてくる。こんな知らない人のふりをする理由がない。
でも他に家に上がりこんで書き込むような大人は思いつかない。
その上、この人はノートを自分で買ってきたって言ってる。おじいちゃんからもらったノートなのに。それにノートじゃなくてノォトなんて、おかしい。
直人はじっと漢字がズラズラ書かれたその文章をにらみつけた。意味はだいたいわかるけど難しい漢字がいっぱい使われている。
小学生用の辞書じゃあ、調べたって出てこないんじゃないかと思う。
さんざん考えたすえ、直人は鉛筆をけずってとがらせてから、できるだけ丁寧な字で返事を書いた。
『こんにちは。ぼくは咲山直人といいます。小学校六年生です。ぼくの悩みに返事を書いてくれてありがとうございます。
でも、あなたはだれですか? このノートはぼくのおじいちゃんからもらったもので、買ったものではありません。それに、ノートはぼくの部屋の机に置いてあったはずです。
あと、ごめんなさい。漢字が難しくてよくわからないところがあります。
夏希のことですが、今日は夏希とぼくのクツがかくされました。探したら、学校のゴミ置き場の前でみつかりました。でもぼくは、クツが見つかったことを夏希に教えないで帰って来てしまいました。
なぜなら夏希と話すところをだれかに見られたら、明日は二人いっしょにからかわれるんじゃないかと、こわかったからです。
夏希は、だれに無視されても泣いたりしないで、カチカチにこおったミカンみたいな顔でにらみ返しています。ぼくはどうすればよかったんだろう。』
書きながら考える。ぼくは何も悪くないって気持ちと、夏希に悪かったかなという気持ちと、それから早苗たちやクラスのみんなに対するイヤな気持ちが、三つどもえになってグルグル回った。
風に吹き上げられる紙吹雪みたいにうずを巻いてグルグルグルグル。
「わかんないよ」
小さくつぶやいて、直人は鉛筆を放り出した。
朝、起きるとすぐにノートを開いてみた。
すると予想外というか期待通りというか、ノートには返事が書かれていた。
これで、書いたのはお母さんやお父さんじゃないと確信する。
だって直人は寝る前、念のためにとノートをまくらの下にしいて寝たのだから。
『丁寧なあいさつをありがとう。ぼくは中学五年の武井仁吾です。君よりも五歳ほど年長者になります。
まず、この不可思議な現象だが、昨日も書いたように、このノォトは十日前にぼくが学校近くで買い求めた物だ。今まで使っていた代数のノォトが終わったので新しい物を開いてみたら、君の書き込みがあったという訳だ。
なぜ、この様な事が起きたのか、物理的な説明は当代一流の科学者に相談しても不明ではないかと思う。従ってここは、不思議は不思議として受け入れる心づもりにしよう。』
まず、ノートについての説明がある。漢字も昨日よりぐっとやさしくなっていた。
直人は武井仁吾という名前に、うんうんとうなずいた。
もしかしたらと思っていたけど、やっぱりひいひいおじいちゃんなんだ! 百年も前の人なのに、ぼくとメッセージのやり取りをしているなんて! すごい! すごい!
だけど中学五年って、なんで? 中学校は三年で終わりじゃないのかな? と首をひねる。
よくわからないけど、まさか三年で卒業の中学を五年もかかっているんだろうか?
わからないところは後で考えることにして、今は不思議は不思議としておこうと思った。
『さて、君のかかえる問題をぼくなりに考えてみた。くつの事は大変腹立たしい事だったね。どの様な世界でもこうしたつまらない卑怯なしわざをやりたがる者はいるのだろう。
思うに君は友人等のケンカに巻きこまれた事に対して、実に強い恐怖を持っているようだ。同時に強い罪悪感も抱いている。
夏希君がどの様な性格かは君の短い文章からうかがうのみだが、彼は頑固一徹で他者に寄りかかるのを良しとしない人間ではないだろうか。その様を見て、加勢できない自己への嫌悪とあわれみに君はおぼれていると感じた。』
読めない文字は飛ばしてそこまで読んだところで、お母さんが呼ぶ声がした。時計を見ると、もう七時十五分だ。
「ちゃんと読みたいけど、遅刻しちゃう」
直人はあわてて服を着替えにかかった。顔洗って、ご飯を食べて、歯をみがいて。出るまでにあと十五分しかなかった。
ノートを読んだときのワクワクする気分は、外に出たとたんにしぼんだ。
雨が降って、ランドセルも重いし、習字道具と傘で両手はふさがるしで、ただでさえユウウツな通学路。
シューズをぬらしながら歩く直人の前に、数人のクラスの女子がいた。
きゃははという笑い声が十メートルくらい離れている直人の耳にも聞こえてくる。
「じゃあ咲山のやつ、クツ見つけたら自分だけさっさと帰っちゃったの?」
直人はドキッとして足をゆるめた。
「うん。そう。冷たいよね」
「サイテー」
「マンガならさあ、ここで咲山が手とかにぎって、キミはボクが守るとか言う場面じゃない?」
「言うわけないじゃん。あのヘタレな咲山がさぁ」
「咲山も夏希が嫌いなんじゃん?」
「ヤダ、嫌われ者はどこまでも一人ぼっちかあ」
勝手なことを言ってると、直人はイライラしながらバシャと水たまりを踏みぬいた。
自分がヘタレなのは知ってるけど、そもそもぼくは平和主義者なんだ。
それに夏希のことは、元気が空回りしてウザいことはあるけど、好きでも嫌いでもない。普通にクラスメイトなだけだ。
だけどあんたたちはキライだと、ふつふつ思った。
あの女子たちだって、先週までは当たり前に夏希と遊んでいたんだ。夏希は確かに気が強いけど、勉強でわからないところを一生懸命教えたり、体育でひざをすりむいた子を保健室に連れていったり。いいところだってあるはずなのに。
まるで、そんなことはなかったみたいに、おもしろがって悪口を言う方がどうかしている。
そう思うのに、直人は何も言えなかった。言ったらますますおもしろがられる。今はからんでこない男子だって、直人を外そうとするかもしれないし、将平だって……。
ユウウツな雨の日が、ドロのようにますます重くなっていった。
結局その日は、それ以上の大きな出来事は何もなかった。
将平はいつものようにふざけてきたし、早苗と仲良しの春香も、班でする理科の実験では普通に話しかけてきた。
でもそれは、自分が、夏希のことを徹底的に無視しているからじゃないだろうかと思うとやりきれない。
直人がこっそり観察したところでは、夏希は今日も昨日も、クラスでは一言も話していない。だれともだ。
授業で当てられたらいつものように答えていたけど、それ以外は給食もそうじも、一人でしていた。気の強そうなまゆ毛を一度も下げないで、ずっとあごを上げていたけど、居心地いいわけないよねと思う。
直人だって居心地悪いのだ。
だれかに悪口を言われたり、無視されたりしたわけじゃないのに、どうして居心地悪いんだろうと考えると、さらに胸の下あたりがムカムカした。
「なあ、直人ちゃん。きょうおれんち来ない? 新しいゲームをいとこからもらったんだ」
帰り道、将平にさそわれた直人は、急いで首をふった。
「ゲーム、わかんないもん」
「バトルゲームじゃないよ。なんかさぁ、町とか道とか作っていくらしいんだよ。そんなら直人ちゃんもできるんじゃね?」
早く帰って、あのノートを読みたいと思いつつ、直人は少しだけ迷った。
もしかして将ちゃんは、ぼくに気を使ってくれてるんだろうか。
元気ないように見えた? それとも夏希を気にしていたのがバレた?
「ええっと、実は、お母さんに留守番たのまれてて……」
「留守番?」
将平は思い切り疑わしそうな顔をした。こんなとき、お互いの家の中まで知っている仲だとウソをつきにくい。
「じゃあ。ゲーム機持って、そっち行こうか?」
案の定、留守番の言いわけは通らなかった。直人は困って目をそらせる。
ノートのことは将平にも話したくなかった。書いたことがもっと普通の――おもしろおかしいことなら、百年前の人と話せるなんてすごいよとこっちから言いたいところだったけど、夏希のイジメと自分の情けない態度のことが書いてあるのだ。
将平だって自分のことを弱虫だって思ってるにちがいないと思うと、お腹がキュッと痛くなる。
もっとも幼稚園のころからそんなこと知ってるって笑われそうだけど、自分からそれを言うのは気がすすまない。
「ごめんっ!」
他に良い言いわけも思いつかないし、将平には言いわけだってバレているんだからと、直人はひとこと言ってにげ出した。
雨が顔に降りかかって、足もひざまでぬれたけどかまわなかった。
「じゃあ、また明日なー」
後ろから将平がさけんでいた。
また明日と言ってくれたことに、少しだけほっとした。
学校から帰って足をふくと、直人は急いでノートを開いた。
朝はさっと読んでもよくわからなかった仁吾からの返事を、一文字、一文字、指でおさえながら読む。
知らない漢字は、父親の部屋から持ち出した国語辞典と漢字辞典を引いて、一時間ほどノートにかかりきりになった。
『自己の心のままに生きられる人間は多くはないと思う。だが君の心にわだかまるものが君を傷つけると言うのなら、まずは何らかの行動を起こすべきだと思考する。
今でなくても良い。今こそ立つべきという瞬間に動くことができれば、君のその自己に対する嫌悪も薄らぐことだろう。
君の置かれている環境も立場も飲み込めぬまま勝手を書いた。願わくはこのささやかなメッセィジが届けばと祈る。』
「要するに。ヘタレな自分がイヤなら何かしろってことだよね」
声に出して確認しても、ノートに変化はない。
「音声認識まではしないんだな」
当たり前のことをつぶやいて、直人はふぅと息をはきだした。
まるで、こうかん日記みたいなやり取りは、興奮するし楽しい。
だけど。
そのまま窓の外をぼんやりながめた。
六年生になったばかりのころは黄緑色をしていた庭の柿の葉も、今はつやつやした濃い緑になって雨にしっとりとぬれていた。クリーム色の小さな花もさいている。
ほんのふた月の間に、なんでこんなことになっちゃったんだろうと考えたけど、さっぱりわからない。
直人は首をぶるんとふって、ノートを閉じると、引き出しの中にしまった。
代わりに、ゆかに置きっぱなしだった作りかけのジオラマの土台を、机の上に乗せた。
発泡スチロールをカッターで切った山には、紙粘土をかぶせて地面の茶色にぬったところまでできている。
「今日は木を作ろうかな」
直人は、工作用に買ってもらった台所用のスポンジを、細かくちぎり始めた。これを絵具で緑色にそめて、爪楊枝にこんもりはりつけると、森の木になるのだ。
細かな作業に熱中している間は、学校のことも、おじいちゃんにもらった不思議なノートのことも、少しだけ忘れられた。
そしてきっと、明日も、何でもないような顔で学校に行くんだろうなと思った。
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