1-3 ひいひいおじいちゃんのノート
月曜日。直人は、いつものように学校に行って、いつものように教室に入った。
「おはよ。おじいちゃんちの蔵にはお宝ザクザクあった? 鑑定団がおしかけて来そうなもの」
将平がさっそく話しかけてきて、うひひと笑う。
「ないない。ただ古いだけで、はしっこの欠けたお茶わんとか、ラクガキだらけの本とか、すり切れた着物とかしかなかった。幽霊が着ていそうなの」
「ヒュウウウ、ナオトちゃぁん、こっちへオイデェェってか?」
「将平クンの方がおいしいぞって言っとくよ」
二人でお化けごっこをしてると、となりの佐藤春香にあきれた顔でうるさいとおこられた。
「ヒュルルルル。佐藤は本当はお化けこわいんだろ?」
「そんなわけないじゃんっ! バカみたい」
バカみたいと言われるとよけいにやりたくなる。そのうち将平が給食着を出してきて、頭からかぶって教室中を走り回る。
うん、まあ、六年生のやることじゃないかもね、と思いながら、直人もいっしょになってふざけていた。
「おはよう」
そこへ夏希が入ってきた。
バカバカしくさわがしい空気が、なぜか急に冷えた。
夏希は、黒板の前でつかみ合っていた直人と将平をあきれたように見たあとは、だれとも目を合わさずに自分の机に向かう。
仲良しでいつもつるんでいるはずの早苗や春香からも、おはようの一言もない。他の連中もなんだかよそよそしく、夏希の方を見ない。
「なあ、どうしちゃったの?」
シラケた空気の中、こそこそと聞くと、将平は思いきり変顔を作って答えた。
つまり口にしたくないってことかと、直人は教室を見まわした。
春香は早苗と顔を近づけてひそひそしゃべっている。いつもはその二人といっしょにいるはずの夏希は、教室のど真ん中の席でぽつんとすわっていた。
強ばった顔で、じっと机の上のペンケースをにらんでいるみたいだった。
直人は大げさに肩をすくめてから、夏希の横の通路をふらふらと歩く。
「おっはよっ」
別に夏希に同情したとかじゃなかった。ケンカして口をきかないなんて、直人と将平だってしょっちゅうだったから。
だからって、あいさつくらいしてもいいじゃん。あいさつ推進運動週間ってわけじゃないけど、あいつらのケンカなんてぼくには関係ないしと、軽い気持ちで声をかけただけだ。
でも夏希はバネではじかれたみたいにびくっと顔を上げて、目をまん丸にした。
「あっ、おはよ」
夏希は、ほっとしたような、素っ気ないような返事をして、またすぐに視線を机にもどした。
変だなあと思いながら、直人が自分の席に向かおうとしたら、背中からわざとらしい声がかかった。
「わぁ、もしかして咲山って夏希のこと好きなんだ?」
「はぁ?」
早苗の声だ。あわててふり返ると、春香がきゃと変な声であいづちを打った。
「ええ、やだぁ。全然知らなかったよ?」
「だって二人で見つめ合って、おはようなんて言っちゃってたもん」
「うわぁ、やだぁ」
何が「うわぁ」なんだよ思ったけど、こういうときに下手な反論してもムダなことを、直人はこれまでの十二年で学んでいたから、聞こえなかったふりでそのまま自分のイスにこしを下した。
給食着をふくろにつっこんでロッカーにしまった将平も、そそくさと前の席につく。
朝のチャイムが鳴ると同時に、浜田先生がやってきて、それきり夏希と早苗たちのことは忘れていた。
事件が起きたのは昼休みが終わろうとするころだった。
「ちょっと。あんたでしょ、あたしのノートにこんなこと書いたのっ」
夏希の金切り声が教室にひびいた。自分の机で本を読んでいた直人は、夏希の手がふり回しているノートを見て、ギョッとした。
そこにはデカデカと、ひとつのカサの下に直人と夏希の名前が書いてあったのだ。
「うひょっ。こりゃあ、長引きそうだねえ」
将平が小さくつぶやいて、固まっていた直人をろうかに引っ張り出す。
「直人ちゃん、カワイソー。巻きこまれちゃったね」
「いったい何があったんだよ、あの二人。土曜日、早苗の誕生日カラオケとか言ってなかったっけ?」
「ウーン、遠野のお母さんと、オレとあと男子二人誘って、七人で行ったんだけどさあ」
将平の話はこうだった。
カラオケで、一人二曲ずつと決めたら時間が少し余ってしまった。そこに夏希がさっさと自分の好きな曲を入れたのだという。
「はぁっ……そんなこと?」
「そ。そんなこと。遠野は自分の誕生日なのにって、まあその場でひとこと文句言っただけだったんだけどなぁ。だから大したことないのかと思ったんだけどさ」
その夜のうちに、クラスの四分の一が使っているスマートフォンの文字チャットアプリで、夏希に対する悪口が出回ったのだと、将平はうんざりした顔で言った。
「直人はさ、ケイタイもスマホも持ってねえし、出かけてたから知らなかったんだろうけど。なんだか日曜日には、ウワサがさらに大きくなっちゃってたみたいでさ」
「だってケンカしてんのは早苗と夏希なんでしょ? 他のやつらは関係ないじゃん」
「面白がってんじゃないの?」
「ぼくはますます関係ないじゃん」
言ったとたん。直人は、何かひどくマズイもの口にしてしまったような気持ちの悪さに、こぶしで口をおさえた。
関係ないのは本当だ。いつものように朝、おはよって言っただけで、カラオケで何があったのかも、その後クラスに変なうわさが広がっていたのも知らなかったんだから。
「まあ三日もしないうちに仲直りするかもしれないし?」
将平は気軽に手をひらひらさせて、さっさと教室へもどってしまう。
なんでこんなことになっちゃったんだろう。このイヤな気持ちはきっと、知らないうちに巻きこまれたからだ。だってぼくは関係ないのに、と直人は思った。
「咲山さん。もう五時間目が始まるよ。キミはまた何をボーっとしてるのかな」
はっと顔をあげたら、浜田先生がキツネみたいな細い目でじっと見ていた。
「なんでもありません」
直人はもごもごと答えて、そっと教室に入る。とちゅうで早苗と目が合ったので、思いきりしかめっ面をしてやったら、つんとそっぽを向かれた。
巻きこんだ張本人のくせにと、直人はちょっと暗い気持ちで席についた。
学校にいる間は夏希と早苗のケンカのことなんてすっかり忘れていたのに、家に帰って一人になったとたんに夏希の固い表情を思い出して、直人はなんだか落ち着かなかった。作りかけのジオラマの山に、木を植えつける気にもならない。
夏希はごめんって謝ったのかなあと、ぼんやり考える。
夕方からまた雨が降り出して、じめじめした気持ちがさらに重たくなった。
自分は関係ないのに、いっしょにからかわれたことも腹が立つ。
やだやだ、ぼくは平和に地図ながめてるのが一番幸せなのにと、考えれば考えるほどバカバカしい。おこっていいと思う。
それなのに、腹立たしさとは別の感情もどこかにあって、直人はマクラをだきしめたままゴロゴロしたあげく、そのままドスンとゆかに落ちた。
「って……」
腰をさすりながら起きあがって、ふと、昨日帰ってきてそのままだったデイパックが目に入った。
蔵の片づけが終わった後、源一郎に白紙のノートが欲しいと言ったら、祖父は大口を開けて笑ってからこう言ったのだ。
「ノートなんてものは書いてなんぼだよ。おれのじいさんがなんのつもりで残したかわからんが、おまえが使ってやるのもいい供養だろう」
供養ってどんな意味かきいたら、亡くなった人の心が安らぐようにいのることだと説明して、源一郎はつけ加えた。
「おまえもそろそろ、美代子や健司さんには言えないようなことも出てくる年だろう。だれにも言えなくて、でもだれかに言いたいようなことを書けばいいさ。宿題じゃないんだから気軽にな」
祖父の言葉を思い出して、直人はデイパックからノートを取りだした。古ぼけたノートは少し黄ばんでいたけど、そこが宿題で書かされる日記とはちがっていいような気がする。
「よし。このもやもやを書いてみようかな」
直人は机に向かうと、宿題そっちのけでノートを開いた。
『今日はちょっとイヤなことがあった。原因は夏希だ。いや、夏希と早苗のケンカだ。ぼくは関係ないのに、なぜか巻きこまれて、ぼくが夏希を好きなんだってからかわれた。そんなわけないじゃないか。学校の外で遊んだこともないのに。』
そこまで書いて、鉛筆をノートの上に投げた。
だれが読むわけじゃないから、うそを書くつもりもないけど、まだもやもやしたものは晴れない。
直人は、小さなころから、少し外れた子だった。なにしろ【趣味:地図をながめることおよび工作】だから、変なやつと思われておしまいだったのだ。
アニメの話を聞かされても興味ないし、公園にいても一人で遊ぶことが多かった。
そんな中でも、将平はよくいっしょに遊んでくれた。砂場に山を作って水を流し、自然に砂がけずられて川ができていくのを、手をたたいて喜んでくれた。
もっとも最後にはなんとかライダーとかさけんで、めちゃめちゃにくずしてしまうのも将平だったけど。
あれは小学生になったばかりのころだ。何が原因か忘れたけど、そんな将平とケンカして校庭のすみで泣いていたら、夏希に見つかったことがあった。
夏だったと思う。植え込みのかげにかくれるようにしゃがみこんでいると、夏希がやって来てハンカチを貸してくれたのだ。
そして、そんな風に泣いてばかりいるから将ちゃんにやられるんじゃないかって、なぜか直人にどなった。
なんでぼくがおこられるんだよと思ったのを、覚えているからまちがいない。
「悪いことしたなら、ごめんなさいすればいいでしょ。そうじゃないなら、ちゃんと言い返しなよ」
ぷりぷり怒って夏希が言うのを、直人はぽかんと見上げていた。
「だって……言い返したら、将ちゃん、もっとおこるよ?」
「それならおこらせておけばいいじゃん。メソメソ泣くなっ!」
将平とケンカして夏希におこられて、さんざんだったけど、おかげで涙がひっこんだ。
あれでぼくは、世の中は理不尽だって思い知ったんだよねと思ったらおかしくなってきた。
もう一度鉛筆をにぎって、続きをつけたす。
『早くあの二人が仲直りしないかな。それでぼくの平和な毎日ももどってきますように。』
明日には、何事もなかったみたいになっているといいなと思った。
将平はそのうちにみんなあきると言っていたけど、翌日にはもっとひどくなっていた。
まず、だれも夏希としゃべろうとしない。視線が合っただけで、こっち見ないでとか言い出すしまつだ。
もう早苗がどうとかじゃないみたいだった。
夏希はそんな風に言われても、くちびるをぎゅっと引いてにらむだけで、何も言い返さない。
どなり返せって言ってたくせにと勝手なことを思って、直人は自分がイヤになりそうだった。
それでも自分が何かされたわけじゃないしと思っていたら、その日の事件は、放課後に起きた。
下校しようとくつ箱に行ったら、直人と夏希のくつが片っぽうずつかくされていたのだ。
見つけてくれたのは将平で、ゴミ置き場の入り口に二つそろえて置いてあったらしい。ご丁寧にハートマークをチョークで書いた中に、だ。
「ハートは足でこすって消しておいたよ」
「君はなんていいヤツ……」
「はい、これ。夏希にもわたしてやったら?」
直人は、ケンケンしながら将平にのばした手を止めた。
「なんで? 将ちゃんがわたしてよ」
「はぁ? そしたらオレまで巻きこまれるじゃん?」
「……いいヤツって言葉は撤回。夏希のはそのへんの目立つとこに置いておこう」
「キミィ、冷たいねえ」
将平はにやにや笑いながら、直人に言われたとおりに玄関の金魚の水そうの前に夏希のくつを置いた。
そっと校庭をうかがうと、夏希はうわぐつのまま、まだ植え込みのかげを探している。
一言、見つかったよと声をかければ夏希も帰れるのに。でもそんなところをまたクラスの女子に見られたら、この騒動は明日も明後日も続くかもしれない。
それはどう考えてもイヤだった。
夏希のためにも声なんてかけない方がいいよねと、直人は心の中で言いわけをしながら、将平をせかして校門を出た。
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