1-2 ひいひいおじいちゃんのノート
「おー直人。よく来たなあ。車、つかれなかったか?」
翌日。父親の運転で一時間のドライブを過ごした直人を、母方の祖父である武井源一郎が満面の笑みでむかえた。
祖母が亡くなってから一人暮らしをしている源一郎は、たまにこうして直人たちがやってくるのを楽しみにしているらしい。
「うん。道路地図見ながら来たから、おもしろかったよ」
「ははは。相変わらず地図いっぺんとうか」
源一郎は直人の肩をポンとたたき、父の健司とはまじめにあいさつを交わし、母の美代子には目を細めてうなずいた。
「まあ、とりあえず家に入ってお茶のいっぱいでも飲んでください、健司くん。今日は蔵の整理なんかに来てもらって悪かったね。梅雨に入ったとたんに雨もりがしてなあ。屋根は直してもらったんだが、中の物が心配でね」
「いえいえ、お義父さん。ぼくと直人で役に立つかどうか。日ごろ、運動不足ですからね。それにしても、今日は晴れてよかったですね」
そんな大人たちの会話を聞きながら、直人も玄関に入った。
昔は田んぼも持っていたという古い家は、どこもかしこも木でできていて、くつをぬぐ土間は、直人の住む町の家とは段ちがいに広い。
座敷にあがると、かわいた畳の感覚が足の裏にくすぐったかった。
「おじいちゃん、ジュースはないの?」
母が茶をわかしている横で、冷蔵庫を勝手に開けた直人がさけんだ。
「ないなあ」
「麦茶は?」
「おじいちゃんは熱いお茶しか飲まんよ。だがくみたての井戸水なら冷たいぞ」
言われて直人は勝手口から裏庭に出た。この家には井戸水をくみ上げるポンプがあるのだ。
何回かハンドルをおすと、水がザバーっと出てくる。ポンプにたまっていた最初の水は捨てて、少し流してから、直人はコップに水を受けた。
冷蔵庫で冷やしたキンキンに冷たい水じゃないけど、生温いようなこの季節にはぴったりの冷たさだった。
「ふぁ、冷たい、おいしい」
車にゆられたつかれがさっぱりとする。
もうお茶を飲み終わったのか、サンダルばきで出てきた源一郎が自慢気にうんうんとうなずいた。
「ねえ、蔵の中っておもしろい?」
その祖父に裏庭の一角の蔵を指さして、直人が聞いた。これまで何度も遊びに来ているのに、蔵に入ったことはなかったのだ。
「どうかなあ。古い物がしまってあるだけで、値打ちのある骨董品があるわけじゃないしなあ。ただ夜中になるとな……」
「なに?」
「ふっふっふ。夜中になるとなあ、あの蔵から青白い光がさして、だれかが呼ぶ声がするんだよ。ナオトォォ、ナオトォォって呼ばれても、返事をしてはいかんぞ。もし答えたりなんかしたら……」
「そんなことあるわけないじゃんっ! おじいちゃんのうそつき。ぼく、もうそんな小さい子じゃないよ」
直人はくすくす笑った。小学校一年生くらいまでは、この祖父が語って聞かせる創作怪談がこわくて、夜になるとトイレにも行けなかったのだ。
でも今はちっともこわくなんかない、はず!
「なんだ、つまらんな。それじゃあそろそろ蔵の片づけを始めるとしようか」
「ええっ、もう?」
「直人がおれの相手をしてくれなくなったからなあ。まあ昼まではせっせと働くぞ。ほれ、健司さんを呼んでこい」
源一郎はさっさと蔵のカギを取りに行ってしまう。
直人は灰色っぽく見える蔵のかべを見上げてため息をついた。それならもう少しおじいちゃんの怪談話につきあえばよかったと、こっそり思った。
ごろごろと重い音をたてて蔵の引き戸が開けられると、ひんやりした風とカビくさいような空気を鼻に感じて、直人は先ほどの祖父の話を思い出す。
お化けなんているわけないじゃん、そんな非科学的なもの、小さな子どもをこわがらせようとした作り話だと自分に言い聞かせて、うす暗い蔵の中に足を踏み入れる。
二階建ての蔵の一階は踏み固められた土のままで、使わなくなった昔の農機具がほこりをかぶっていた。
「あ、これ知ってるよ。石臼でしょ? 四年生で民俗資料館に行ったとき、同じような物が置いてあったよ」
資料館にあるような物が、ここにもあることに不思議と胸がはずんで、こわい気分もふき飛ぶ。
「そうだよ。と言ってもお父さんも使うところは見たことないけどな。それより早くおいで。昼飯前に中の物を取り出してお日様に当てて、夕方までにまたしまうんだ。大仕事なんだぞ」
お父さんが、はしごみたいな急な階段の上から顔だけ出して手招きする。
ふぁいと少々気のぬけた返事をして、直人も二階に上がった。
それからは古い物が気味悪いとか、夜中にお化けが呼ぶとかなんて、考えるヒマもなかった。
お父さんが積み上がった木箱をゆかに下ろし、おじいちゃんが中身を確認しながら取り出して、直人が少しずつ庭にしいたゴザの上に運び出す。
とちゅうから、箱下ろしの終わったお父さんが庭への運び出しにも加わったけど、それでも直人は昼までの二時間半、何度も蔵の階段を上がり降りするはめになった。
だからお母さんが、お昼ご飯よと呼びに来たときには、もう足がガクガクで、ひざが笑うしまつだった。
喜びいさんで手を洗ってくると、テーブルには、山盛りのいなり寿司を乗せた大皿と、大根おろしをそえた玉子焼き、レンコンの天ぷらとほうれん草のごまあえが並んでいて、直人はちょっぴりガッカリした。
一見豪華だけど、やっぱり地味だと、はしを持ったままほっぺたをふくらませる。
「ねえ、肉はないの? ぼく、ものすごく働いたんだけど」
「お肉は夜よ。焼き肉にするわね」
夕ご飯は焼き肉か、それならまあいいかと、直人はいなり寿司に手をのばした。
おじいちゃんとお父さんは、まあまあどうぞ、いやいやどうも、なんて昼間からビールを飲んでいる。大人はずるい。
「おやつを食べたら今度は広げた物を蔵にしまうからな。その時はまた頼むぞ、直人」
おじいちゃんは、ご機嫌にビールを飲んでは天ぷらをつまんでいる。お父さんは、それまで昼寝をさせてもらおうかなと真っ赤な顔をしていた。
お母さんの目が、あんたはどうするの? と言わんばかりに向けられて、直人はあわてた。このままだと昼食の片づけを手伝ってと言われそうだ。
「あ、ぼくは、ええっと」
「せっかくめったにやらん虫干しだからなあ。欲しい物があれば、なんでも持って行っていいぞ。探しておけよ」
おじいちゃんがタイミングよく出してくれた助け船に、直人ものっかった。
「うん。いろいろ見てもいいかな?」
お母さんが苦笑する中、直人の午後は決まった。
運んでいる時は夢中でよく見ていなかったけど、蔵の中から持ち出された物はびっくりするほどたくさんあった。
でも古い茶わんやツボ、着物なんかは興味ない。だいいち、茶わんはこわしそうだし、着物はそれこそ幽霊が着ていそうでちょっと気味が悪い。
だから直人は、迷わず本の山のそばにしゃがみこんだ。
いくつかは糸でかがってあって、中を見ても漢字ばかりで何の本か見当もつかない。
「これってどのくらい昔の物なの? 江戸時代? まさか奈良時代とか?」
昨日の苦い授業を思い出して、縁側に出てきた祖父にたずねると、源一郎はわっはっはと笑った。
「奈良時代の帳面なんかあったら、そりゃ国宝級だろうなあ」
「そ、そうなんだ」
直人は顔を赤くした。地理は得意だけど、歴史はいまひとつなのだ。
「明治から昭和の初めくらいまでの物がほとんどだよ。そうさなあ、だいたい百年か百五十年か」
百五十年と聞いて、ようやく実感がわいてくる。資料館で見てもへぇとしか思わなかったけど、自分のご先祖様が使っていたころは、この古ぼけた物もみんな新品だったんだと思うと、なんだかすごいなぁと思う。
「直人の好きな地図もあるぞ、ほれ」
源一郎は、本の間から折りたたんだ紙を取り出して広げた。二色刷りの日本地図だ。
「これはおれのじいさん、つまり直人のひいひいじいさんが小学生のころに使っていたもんだなあ。明治三十九年と書いてある。百年ちょっと前だなあ」
直人は、手にとってしげしげと地図をながめた。
主な都市名が書いてあるだけの簡単な地図だったけど、わざわざ取って置いたということは、ひいひいおじいちゃんにとって大事なものだったんだろうか?
もしかしたらこの地図を見ながら、遠くに行ってみたいってわくわくしていた小学生だったのかもしれない、ぼくみたいにと思うと、がぜん親近感がわいてくる。
「ねえ、ひいひいおじいちゃんってどんな人だったの? おじいちゃんは会ったことある?」
直人の問いに、源一郎は歯を見せて笑った。
「ははは。おまえにはずっと昔の人でも、おれにとってはじいさんだからなあ。おれの父親は若いうちに戦争で死んだから、おれは母さんとじいさん、ばあさんに育てられたんだよ。だからよく覚えているとも」
直人は目を丸くした。目の前の祖父が百年以上前の小学生と会ったことがあるというのは、説明されればわかるけど、下手なお化けの話よりもずっと不思議な気分になる。
「優しいじいさんだったよ。めったなことではおこらない無口な人だったなあ。母さんとばあさんは口が達者だったがな。しかられてしょげてると、だまってアメ玉くれるようなじいさんだった」
「じゃあ、おじいちゃんは、お母さん似なんじゃない?」
直人がくすくす笑うと、源一郎もわははと笑う。
「じいさんも、死ぬ前にはずいぶんと蔵の中の物を整理したんだが。それでもこのひと山を残したんだから、何か思い入れがあったのかもしれんなあ。そう思うとおれも捨てられなくてな。直人、気になる物があったら持って行けよ」
源一郎は、降りそそぐ陽の光に目を細めた。直人もぽかぽかした気分で、ひいひいおじいちゃんの本を手にとってみる。
最初の本は算数の教科書だろうか。難しい式の横にラクガキがあった。
「ねむいって……あはは」
ひいひいおじいちゃんも、やっぱり授業中にぼんやりして、先生におこられたりしたのだろうか。
「百年前の子どもも、あんまり変わらないんだなぁ」
うんうんとうなずいて、次の本を取ってみると、それは本じゃなくてノートのようだった。
でも開いてみても何も書かれていない。
「あれ?」
裏に返すと『武井仁吾』と名前だけが書いてある。
首をかしげて祖父に顔をむけたが、源一郎は軽くいびきをかいて船をこいでいた。
「どうせ使わなかったんなら、ぼくが使ってもいいかなぁ」
他に欲しい物もないしと、直人はそのノートを胸にかかえた。
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