時をわたるノート
守分結
1-1 ひいひいおじいちゃんのノート
梅雨のあいま、久しぶりにのぞいた青空だった。
先週は雨が一日おきに降ったりやんだりしていて、カサを持たなくてもいいかなと思って登校すると、霧のような細かい雨で服がしっとりとぬれたりする。うっとうしい季節だ。
そのうんざりするような雨雲が、今日はふきはらわれて、空はうすい水色に晴れていた。
六年二組の咲山直人の席は、窓ぎわにある。しかも一番後ろだ。
六年生になってラッキーだと思ったのは、目立たないこの席だけだったけど、それも夏休みになるまでだ。
もっとも来月になったら、窓ぎわなんて地獄のように暑くなるに決まっている。
だから直人は、やわらかい陽の光がさしこむこの席を、今日一日はたっぷりと楽しむつもりでまどの外をながめた。
校舎の四階からは、古い町なみと川にかかる橋が見える。そのずっと先には、青味がかったはい色っぽい山が連なっていた。
「では黒板の絵を見てください。大勢の人たちが働いていますが、これは何を作っているのでしょう?」
担任の浜田先生の、わざとらしく張り切ったような声が、とろんとした空気でいっぱいの教室にひびいた。給食の後の五時間目なんて、みんな眠気のピークなのだ。
それでも何人かが手をあげる。いつものメンバーだ。
中学受験のために塾に通っている遠野早苗や、歴史好きな園田夏希なんかだ。もちろん直人はその中に入っていない。
直人は地理は得意だったけど、歴史には興味がないのだ。地理だって、地図帳をながめるのが好きなだけだけど。
「はい、じゃあ遠野さん」
指されて立ち上がった遠野早苗は、はきはきと答えた。
「これは奈良の大仏を作っているところです」
「はい、そうですね」
直人はそのやりとりをぼんやり聞きながら、机の上にこっそり広げた鉄道地図帳の上に目を落とした。
地図をながめるのが趣味だなんて、ずいぶん地味だし変わってるというのが、クラスのみんなの認識だ。
旅行のときは便利なんだし、いいじゃないかと、直人自身は思っているのだけど、少なくともクラスでのつき合いに役立ったことは全然ない。
むしろゲームもしない、アニメも見ない直人は、いつもどこかよそ者あつかいだった。それも小学校に入って六年もすれば、慣れてくる。
奈良時代のなんとかは耳から耳へとぬけていくままにして、直人は、地形で色分けされた地図の上にのびていく鉄道線路をじっと見つめた。
うねる等高線を目で追うと、川が下るにつれてそのうねりが大きくなり、場所によってはするどく切り込んだようになってくる。線路は、その川に沿って通り、高さが変わる場所でトンネルに入っていく。
実際に見たらどんな感じかなあと想像してみる。山があって、川があって、その両側はがけのような谷間でと、テレビで見たような景色をぼんやり思い浮かべていると、目の前に日に焼けた手がヒラヒラとふられた。
前の席の小池将平が、身体を完全に後ろに向けてにまにましていた。
「おーい、直人ちゃん? 聞こえてる? さっきから浜田っちがこっち、にらんでるよ」
あわてて顔を上げると、黒板の前で浜田先生がうすら笑いをうかべていた。
「咲山さん。ようやく質問に気がついてくれたかな?」
「あ、はい。ええっと」
我ながら間のぬけた声だと思ったけど、しかたない。
直人は立って黒板を見た。よかった。まだ【奈良の大仏を作る人々】の絵がはられたままだった。
「仏教が盛んになりました」
先生の質問が何かわからないけど、当てずっぽで答える。
大仏といえば仏教だ。そんなに外れてないんじゃない?
そんな直人の願いは、いっせいにわき起こった笑い声で粉々になった。
「ちがう、ちがう。大仏の話も奈良時代も、もう終わっちゃったんだよ」
将平も笑いながら言った。
「え? そうなの? せっかくあんなにデッカい物作ったのにもう終わりなの? もったいないよね」
こそこそ答えたのに、もったいないが周りの子にも聞こえてしまって、口々にもったいない、もったいないとはやし立てられる。
直人は、あいまいな笑みを顔にはりつけたまま立ちつくした。
こうなってしまうと、数分間は収まらないと経験で知っている。この時ばかりはイヤミったらしくても、先生早く止めてよと思う。
でも困った視線を向ける直人に、浜田先生は知らん顔で、クラスのさわぎが自然と落ち着くのを待つつもりのようだ。
しばらくして、ようやく笑い声がとぎれると、先生は直人に座るように言って、別の子を指した。
「では園田さん、代わりに答えてください」
園田夏希は、ポニーテールにした髪をふりながら立ち上がると、ちらりと直人をふりかえってから答えた。
「天皇や朝廷が仏教を保護した結果、寺院の力が強くなり、その影響力をおさえるために桓武天皇は奈良から都を移すことを決めました。まず最初に長岡京に移り……」
「はい、そこまででいいです。咲山さんの聞いてないのも困りますが、園田さんも、いくら知っているからって質問から外れたところまで答えなくてもいいですよ」
先生にさえぎられて、夏希はくちびるをとがらせて席に座った。
確かにぼくが地図オタクなら、夏希は歴史オタクだけど、だからってあんな言い方しなくてもいいのにと、直人はいやな気分になった。
放課後、浜田先生に呼び出された直人は、お気に入りの鉄道地図帳を取り上げられてがっくりと校門を出た。
もちろん、もう授業中には見ないから返してくださいとお願いはしてみたけれど、今後の君の態度しだいですと、にべもなかった。
トボトボと通学路を歩いていると、電柱の陰から将平がぬうっと出てきて、ランドセルを乱暴にこづく。
「……なに?」
「直人ちゃん、浜田っちにおこられた?」
「地図帳取り上げられた」
「へぇ?」
将平はいひひと笑って、またランドセルをバンバンたたく。
「やめて」
前につんのめりそうになった直人が将平をにらむと、将平は笑顔をひっこめてうでを組んだ。
「ふむ。直人くん。しかたないなぁ。なぐさめてあげるから、明日はオレとカラオケに行こう! 実は遠野に、誕生パーティをカラオケでやるから男子を集めろって命令されちゃってねえ」
「それ、ぼくをなぐさめるとか関係ないよね? それに土日は家族でおじいちゃんの家に行くからダメ」
「なんだよぉ。友情より家の事情かあ」
「友情より女子の命令が優先でしょ、将ちゃんは。それにカラオケなんて行っても、ぼく歌える曲なんてないし」
音楽の教科書にのっている歌しか歌えないのだ。行っても楽しくないのは目に見えている。
「だからいいんじゃん。そのぶん、オレが歌えるしぃ?」
「勝手だなぁ、さすがは将ちゃん」
直人はふき出して、肩からずれたランドセルを背負い直した。
将平とは幼稚園からの長いつきあいだ。それを言えば、夏希も同じ幼稚園だったけど、女子とはもう一緒に遊んだりしない。だから将平は悪口を言い合っても大丈夫なたった一人の友だちだ。
もっぱら家にこもって地図をながめたり、一人でジオラマっていう町や山の風景を作る工作ばかりしている直人とちがって、将平はずっと社交的だ。友だちも多い。
それでも四年生くらいまでは、いっしょに公園で鬼ごっこをしたり、近くの土手まで自転車を走らせたりしていた。
でも今は将平もあまり外で遊ばないらしい。代わりに、今はやりのモンスターをやっつけるゲームや、ぼうけんをして仲間を集めるようなゲームをよくしている。
「あぁっ、なんかさあ。どっか遠くへ行きたいなっ!」
将平が給食袋をふり回してさけんだ。
「遠くってどこ?」
「どっか! 遠く! そこでオレは勇者になるんだぁっ」
多分、今やっているゲームのキャラのつもりなんだなと思いながら、直人も空を見上げた。
トンビが青空を舞いながら、ぴーひょろろろろと鳴いていた。
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