帰りたい
「───なるほど」
二人の博士と案内人の女が同時に呟いたことで、沈黙は破られる。
最後の魔女は怪訝そうに首を傾げた。
「どうかされたのですか?」
「いえ、『翻訳は必要ない』という言葉の意味を理解しただけです」
「私たちは、あなた方のことを少々誤解していたようです。いえ、少々ではなく、かなり、と言うべきでしょうか」
「あなたも私たちと同じだったのですね。何かお菓子でも食べますか? 甘いものしかありませんが」
先ほどまでの凍りついていた空気から一転。
緊張の糸は切れ、何事もなかったかのように鷲の灰の三人は談話を始めた。だがシンリだけが、笑みを崩し、顔を歪めている。
「勝手に仲間にしないで欲しい、全くの別物だ」
「ああ、そうですね、失言でした。一見同じもののようにも見えますが、別物ですね」
「コロコロ意見を変えるね、君は」
シンリは、失言をしたというナオミ博士を普段は見せない険しい顔で睨みつけたが、とうの博士は、顔は見えないものの、嬉しそうな雰囲気を漂わせている。
「それより、皆さん。本題に戻りましょう」
緩み始めた場に喝を入れるように、エディドヤ博士は言い放ち、床に置かれていた粘土板を手に取った。
「これは皆で共に協力して行わねばならない戦いです。一人だけ粘土板の内容を理解していても、他が知らなければ、不満や不信感が生まれ、結局は負けてしまいます」
「負けるって、誰にですか?」
何も理解していない時雄が、恐る恐る問いかける。エディドヤ博士は優しい声音で、時雄にも分かるように答えた。
「『神』にです。これは『神』に創造されたものの『神』への反逆とも言えます」
「───なぜ、そんなことを?」
「おや、知らされていないのですか?」
時雄は、どう答えようか数秒の間、考え込み、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「僕は、はっきりとは理解していないのですが、周りからは『神』は、悪い『神さま』で、みんなが困っているから、殺さなきゃいけないと伝えられてます」
エディドヤ博士とナオミ博士は頷き、シンリと最後の魔女の方へ体を向けた。
「彼にもう少し、はっきりと詳しく説明しても良かったのでは?」
「何も知らず、なあなあと流されているようでは可哀想です。彼の気持ちにもなってみてください。急に知らない場所にいつの間にかいて、訳の分からない争いに巻き込まれているのです」
「あなた方、彼に『世界を救うために』とか言って、殺人などの犯罪行為を正当化していないでしょうね?」
図星だったのか、シンリは不貞腐れた顔をし、そっぽを向いた。博士たちは大きくため息を吐いた。
「この世界線は初めてなんだ。仕方ないだろう、そうかっかっしないでくれ」
「かっかっはしていません。あなた方の対応に不満があるのです」
博士たちはシンリを咎めるような物言いをした。だが最後の魔女と時雄は、鷲の灰とシンリが何の話をしているのか理解できずにいた。
───この世界線?
その言葉にひっかかりを感じるのに、意味は理解できなかった。
「すいません、今の状況にまだ追いつけていません。一体、何が起きているのですか?」
「分からなくて当然だよ、最後の魔女。こいつらが異常なんだ。君が心配する必要はない、あとで今起きていることは記憶から消す。ここでは、いつもの手が使えないようだし」
「卑怯なおひとですね」
───また訳の分からない話をしている。
時雄は少しばかり、不満を感じた。寛容で場の空気に流されやすい彼だったが、この時ばかりは受け入れきれない様子だった。というより、今までの曖昧で大雑把な対応が積もりに積もり、許容しきれなくなったのだろう。
「早く、僕を元の世界に戻してください」
この世界に来て初めて───もしかしたら、物心がついてから初めて───時雄は声を荒げた。きつい、怒りに満ちた声音だった。
時雄は一瞬、自分がこんな声を出せるとは思いもせず驚いたが、悪い気はしなかった。むしろ、清清していた。
だが鷲の灰の女は、申し訳なさそうに眉を八の字にした。
「落ち着いて。混乱しているのだろうけど、今すぐには帰せないんだ。前も言ったけど、時が来れば必ず帰れる。でも、それは今ではない」
「じゃあ、その『時』はいつなんですか?」
「そう遠くない未来、としか言えない」
随分と曖昧な言い方だった。だが、それも仕方がない。
先を見通す力を持つと言われる鷲の灰だが、実際は異常に賢いだけの人間だ。魔法が使えるわけではない。時雄は口を噤んだ。
「だから、君が元の居場所に戻れるまでの間、できるだけ安心して過ごせるよう、私たちは力を尽くしたい」
女は優しく微笑んだ。慈悲に満ちた笑みだった。
そこへ、シンリが横槍を入れる。
「でも少年に全てを教える訳にはいかない。伝えたとしても、彼は理解できないだろうし、世界のバランスが崩れる」
「世界のバランスとは一体なんのことでしょう?」
「鷲の灰だろう、君」
時雄はシンリが以前伝えた、
世界の概念を簡単に覆してしまうほどの力を持つという、『信念』や『信仰心』といった『信じる』という行為は、この世界では驚くほどの力を持つ。
「我々がこうして、『神殺し』の計画を着々と進めているのに、とうの『神』が何もしてこないのは、異世界から来た少年が介入したことによって、今までの世界のバランスや概念が保てなくなり、力を失ったからだ。少年の『信じる力』が今の状態を保っているんだ」
シンリはそう力説する。顔にはいつもの飄々とした笑みが戻っていた。
「あなたも、全てを知っている訳ではないのですね」
鷲の灰の女が返した言葉に、シンリの笑みは消え、顔をしかめる。
二人の博士は頭を抱え、大きくため息を吐いた。
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