博士の鑑定
「お待ちしておりました。ようこそ、私たちの研究所へ」
乗り鷲での数分の移動を終え、一行が辿り着いたのは絶壁を掘り出して作られたと思われる形状をした洞窟の中にある、小さいな集落だった。
一行が乗り鷲を降りると、そこには二人の鷲の頭部の被り物をした人物が出迎えていた。時雄が以前、最後の魔女やシンリを信用しないようにと忠告した鷲の灰の男女とよく似た被り物だ。一つ違った点は、目の前に立つ二人が全裸ではなく、衣類を着ていたことだ。
「こちら、古代文字を研究されているエディドヤ博士と古代の文化を研究されているナオミ博士」
唯一被り物をしていない鷲の灰の女は、目の前の二人を紹介した。二人の博士は紹介されると、小さくお辞儀をし、早速、洞窟の奥へと案内した。
洞窟の中には木材でできた小屋が立ち並び、その中のほとんどは本で埋もれていた。
『研究所』と博士が言っていたことは事実のように、洞窟の中は書物で溢れ、皆が読書に没頭しているか、書物を片手に話し合っている。幼児の姿は見当たらなかった。
そして時雄にとって何よりも不気味だったのが、誰一人としてこちらの姿を見ても驚いている様子はなく、来ることを初めから知っていたかのような雰囲気が漂っていたことだった。
「さあ、ここが私の部屋です。どこにでもご自由にお座りになってくださいな」
古代文字が専門だというエディドヤ博士が、自身のこじんまりとした部屋へ案内した。こちらもまた他の小屋と同様、書物で溢れている。
三人は床に散らばった本をずらすことで、なんとか座る場所を作り、床に座り込んだ。
「それで、見つけた本を見せていただけるかな?」
いつの間にいつもの笑顔を取り戻していたシンリは、無言のまま、抱えていた鞄の中から洞窟の中で見つけたという本をエディドヤ博士に手渡した。
本を覆う古布を広げ、中から出てきた粘土板を見ると、二人の博士は@@のため息を吐いた。
「一応、確認しておきたいのですが、これは『本物』なのでしょうか」
粘土板に恍惚としている博士たちに、最後の魔女は淡々とした声で問いかける。
現実に引き戻された博士たちは、そそくさと自分たちの仕事に戻る。古代の文化や生活様式に詳しいナオミ博士が、興奮のせいか少しばかり早口になりながらも話を始めた。
「昔から伝わる噂によると、この粘土板が作られた年代が、およそ千年前だということはご存知でしょうか?」
「ええ、あなたたちが『鷲の灰』と呼ばれる所以となった男が、神に反逆し、焼かれたことをきっかけに、二部にわたる粘土板を書き上げたと聞いています。それが、今から約千年前ですね」
ナオミ博士は最後の魔女の言葉に満足そうに頷くと、さらに言葉を続けた。
「粘土板を包んでいた古布は、長年の汚れで見えにくくなっていますが、刺繍が見られます。これは、約千年前に人間たちの間で流行していたと記録されているデザインです。当時、『神』の力は今もよりも強かったことですから、その『神』に畏怖を表すため、彼の象徴であった太陽や炎があしらわれています。素材も、今はもう見ることのできない植物の蔓を編んで作られています」
「つまり、この粘土板は本物だと?」
「その可能性は高いでしょうね」
ナオミ博士がそう答えると、シンリは前のめりになり、顔を博士に近付けた。
「しかし、中身の粘土板だけをすり替えている可能性もあるのでは?」
「もちろん、それも否定できません」
ですが───
博士はまた、早口に説明を始める。皆、その返答に耳を傾けていた。
「粘土板が主流だったのは、ちょうど千年前ですし、本物だと考えるのが妥当でしょう。
「使用されている泥が赤土だという点も、本物である可能性を高めています。鷲の灰がそう呼ばれる由来となった、私たちの始祖の『神』への反逆が起きた数年後、彼らはこのほぼ一年中雪に覆われた高山へと追いやられたと歴史書に記されています。そして、ここではもちろん、亜熱帯気候で取れる赤土を集めることはできません。その点を考慮すると、反逆事件と追放までの数年の間に、この粘土板が作られたと考えられます」
後半に差し掛かるにつれ、博士の早口はもはや一行の誰の耳にも聞き取れないほどだった。もう一人の博士と案内係を務めていた女だけが、聞き取れていたのか頷いている。
常に笑顔を保つシンリと無表情の最後の魔女を見ても、博士は彼らが話を聞くことに苦戦していたことに気付かなかった。だが後ろの方で小さく座り込む時雄の、なんとも言えぬ表情を見て、ナオミ博士は自分の失態を知り、恥ずかしさのためか、静かに握っていた粘土板を床に置いた。
「まあ、つまり、この粘土板は恐らく、あなた方が求めていたものです」
そして抱えていた鞄の中から羽毛製のはたきを出し、粘土板の表面についた汚れを取り除こうとしたが、表面はすでに綺麗で、何も落ちてこなかった。
「私たちがなぜ粘土板を求めていたのか、聞かないのですね」
最後の魔女が囁くように言う。被り物の下でナオミ博士の小さく笑うことが漏れた。
「では聞いたら、お話になってくださるので?」
その場に流れた長い沈黙と張り詰めた空気が、すべてを物語っていた。
「ナオミ氏が本物だと鑑定されたことですし、私は翻訳に取り掛かるといたしましょう。少しばかり時間がかかるでしょうから、作業を終えるまで、ここを観光してみてはいかがでしょうか?」
エディドヤ博士が和やかに提案する。場の空気に耐えられず、早く立ち去りたかった時雄は頷いて立ち上がろうとした。だが、目の前で胡坐をかく最後の魔女とシンリだけが、石のように不動のまま、静かに表情も変えず、前に座る博士たちを見つめる。
「翻訳は結構だよ、博士」
「───それはどういう意味でしょう」
「おや、なんでも知っている鷲の灰にも、分からないことがあるとは!」
シンリは、けっけっけっと、奇怪で不快な笑い声をあげる。
部屋の後ろから、鷲の灰の女がシンリを睨み付けた。
「ここには魔法を無力化する施しがされています。魔法は使えませんよ」
「ただ笑っただけだよ、失礼だな」
───翻訳は、必要ないよ。
冷たい沈黙が、その場を包み込んだ。
時雄は、もう動かないはずの心臓が大きく脈打っている錯覚に陥った。
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