異世界の少年

 鷲の灰の若い女性を先頭に、四人は雪山を降っていった。山の麓付近に洞窟があり、洞窟の奥にシンリや最後の魔女が必要としている『神を殺せる道具』が安置されているという。


「しかし三人とも、運がいいですね。つい先ほどまで、ものすごい吹雪だったんですよ。ほんの少しでも早くここに移動されていたら、たぶん死んでましたよ」


 陽気な声で女は、自分の後ろを歩くシンリに言った。シンリは、けっけっけっ、といつもの奇妙で不快な笑い声を上げる。

 だが女が、


「まあ、貴方は死なないでしょうけど」


 と微笑みを浮かべたまま囁くと、シンリは笑うのをやめ、じっと彼女の後ろ姿を見つめた。

 口角を上げたまま、光のない暗い瞳で女の姿を見つめるシンリの姿はどこか不気味で、時雄はどうしようもない居心地の悪さを感じた。


「それで、洞窟まで後どれぐらいかかるので?」


 一番後ろで歩いていた最後の魔女が問いかける。

 強い風が吹き、山の木々を揺らす。先頭を歩く女は、身に付けていた衣類を固くしめ、風が止むのを待ってから答えを返した。


「そう長くかかりませんよ。後ほんの少しです」

「それは、君たちの感覚でのでしょうか? 貴方がた鷲の灰は他の種族や民族とは違った生活を送っているせいで、距離の感覚がずれていると、よく耳にするのですが」


 相変わらずの平坦で感情の篭っていない、冷たい声で最後の魔女はまた質問を投げかけた。

 少し傷ついたとしてもおかしくない言い方だったものの、鷲の灰の女は全く気にしていないようで、むしろけらけらと明るく笑った。


「ええ、本当にすぐそこですよ。ほら、もう見えていますよ」


 そして魚の皮製の手袋をはめた右手で、山の麓を指差した。だが風に舞い上げられた雪のせいで、視界は白く、三人は彼女が言う目的地を目視することはできなかった。雪山に住み慣れている鷲の灰である彼女だからこそ、見えているのだろう。


 事実、時雄の感覚で十分ほど歩いた頃には、目の前に先ほどまであった森の木々は減り、目の前に大きな岩肌が現れた。

 岩の表面に沿って歩いていくと、ヒグマが一頭、悠々と入り込めるほどの穴がポッカリと空いていた。そこがどうやら求めている道具が収められた場所への入り口のようで、シンリの両瞳はいつも以上に爛々としていた。


「目的地はここになりますが、奥まで案内いたしましょうか?」

「いや、もう結構だよ。ご苦労様。

「ここでの用事を終えたら、道具の使い方について知っている人に会いたいから、ここらへんで待っていてくれるかな? あと、この男の子は待っていることになっているから、面倒を見ていて欲しい」


 女はシンリの頼みに文句ひとつ言わずに同意し、洞窟内の穴付近で待っていることだけを伝えた。

 先に穴を潜ったシンリと最後の魔女はずんずんと奥へと進み、洞窟の中が所々にぼんやりと光る石が埋められていたというのに、すぐに姿が見えなくなってしまった。

 時雄は初対面の若い女性と二人きりになってしまったこと動揺が隠せず、心の中で自分だけを残して行ってしまった二人の悪口を吐く。


 気まずい空気が二人を包む。


 洞窟の中で、吹き荒れる外の音だけが響いていたその時、ポツリと女が口を開き、時雄に話しかけた。


「あなた、エリエゼルの体に入っている、異世界の人でしょ?」


 静かに発せらたその言葉に、時雄は驚きのあまり叫び声を上げそうになり、咄嗟に口を塞がれた。女の澄んだ青い瞳が時雄を見据える。


「大丈夫、危害は加えない。あなたに伝えなきゃいけないことがあるの」


 透き通った、流水のように滑らかな声が時雄の鼓膜を揺らした。


「伝えなきゃいけないことって、あの二人を信じるなってことですか?」


 洞窟に声が反響しないよう、時雄と女は声を潜めていた。密かに逢瀬する恋人と思えるほど、二人の距離は近かったが、冷たい表情は距離感と釣り合わず、歪な光景となっていた。


「それもそうだけど、今回あなたに伝えたいことではないよ」


 女の切れ長い大きな青い瞳に、時雄エリエゼルの顔が反射して映し出された。

 細やかな雪の結晶が風に乗って洞窟の中に入り込み、二人の顔に張り付いては、ゆっくりと体温を奪っていく。


「あなたが元の世界に戻る方法を教えるために、私はここに来たんだ」

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