極北にて

 鷲の灰が作ったと言われる『神を殺せる道具』が安置されている場所へ向かうため、シンリと最後の魔女は時雄を連れ、例の如く古書を利用して移動した。

 シンリと鷲の灰のどちらを信用すべきなのか分からず、軽度の人間不信となっていた時雄にとって、この二人に着いていくことは心をより不安定にさせるものであったが、時雄がシンリの嘘に気付いているとは誰も知らないのだから、仕方のないことだった。

 古書を手にした最後の魔女の背を追い、地上の森に出た時雄は、両拳を固く握り、今後の自分の未来を密かに憂いた。


「少年、おいで。手を繋ごう」


 数歩先を歩いていたシンリが、時雄に手を伸ばす。

 腹の奥底にざわめく感情を押さえ込み、時雄はその手を取った。冬場の水のように恐ろしいほど冷たい時雄の手を、シンリは当たり前のように握り、空いていたもう片方の手で最後の魔女の絹製の黒ドレスを掴んだ。


「では、行きましょう」

 

 最後の魔女は、いつもと変わらぬ無表情でスラスラと流水のように囁く。気付けば、周りの景色は変わり、凍てついた風が吹く大雪原になっていた。

 鷲の灰が住む、北の雪国。


「ここの近くに、例の道具があるはずなんだ。そこらへんの誰かに聞こう」


 先ほどと同じ薄手の服装のまま、シンリは処女雪の上を歩いていく。

 すでに死に、暑さや寒さすら感じない時雄と最後の魔女は服装など気にしなくてもいいが、まだ生者であるシンリは暖かい服装をするべきだ。つい数分前まで、人間不信に陥っていたとは思えないまでに、時雄はシンリの体を心配し、慌てふためいた。

 シンリは、けっけっけっ、と奇妙で不快な笑い声を上げる。


「少年、心配しなくていいよ。ちょっと歩くだけだ。ほら、あそこに明かりが見えるだろう? あそこに誰かがいるはずだから、少しお世話になろう」


 時雄はジッと目を凝らすと、シンリの言葉通り、少し離れた場所で淡くゆらゆらと揺れる明かりが見えた。


「あれは家の明かりですね。この時期の鷲の灰は、地上に枯れた草木で家を作り、そこで過ごすとどこかで聞いたことがあります」


 深い雪の上を、悪戦苦闘しながらも明かりの方へ進んでいくと、最後の魔女が言っていたように、草木を集めて作られたピラミッド型の小さな小屋のような物が建っていた。

 中では火が起こされていて、小屋の上に降り積もった雪は少しだけ溶け出し、ポタポタと滴を落としていた。


「やあ、そこに誰かいるかい?」


 シンリは屈み、小屋の中を覗いた。

 中を覗く前に、ノックなどをしないことに、時雄は目を見張ったが、すぐにここが自分のいた世界とは違うのだということを思い出し、じくりと痛んだ胸を抑えた。


「ああ、あなた方でしたか」


 小屋の中から、若い女性の声が響く。

 凛としたよく通る美しい声だったことに、時雄は少しばかり驚いた。初めて出会った鷲の灰が、中年の男女だったせいだろう。


「服を少しばかり拝借できないかな? 何も準備をせずに来てしまってね。凍え死にそうなんだ」

「ええ、勿論ございますよ」


 ガサゴソと、何かを探る音が小屋の中から聞こえてきた。

 シンリは、無事に熊の毛皮でできた上着、靴、帽子、手袋そしてマスクを手に入れたようで、丸々とした姿に仕上がった。


「これでもう大丈夫でしょう。暑く感じても、絶対に脱がないでくださいね。寒さに耐性のある鷲の灰私たちではないのですから」

「感謝するよ」

「いいえ、当然のことをしたまでです」


 小屋の穴から、若い女性がひょっこりと顔を覗かせた。

 白いショートヘアに、白に近い水色の瞳。時雄が出会った鷲頭の男女と似たような容姿をしていた。


「お探しの物がある場所まで、ご案内しましょうか?」


 にこりと女性は微笑む。その言葉に、けっけっけっ、と奇妙で不快な笑い声を上げる。


「やっぱり、君たちに隠し事はできないなあ」

「ええ、そうですよ。それで、案内人は必要ですか?」


 小屋から覗く頭を少しだけ傾げ、彼女は問いかける。

 時雄は鷲の灰の『なんでも分かってしまう』という能力を改めて思い知らされた。


「うん、じゃあ頼む」

「そう言うと思っていました」


 女性は小屋の中にまた戻ると、外から大量の雪を掴み、火に被せて消し、荷物を背負って外に出た。


「では、行きましょうか」


 準備がすでに整っている様子の彼女は、満面の笑みを顔に浮かべ、意気揚々と歩み始めた。

 シンリは、けっけっけっ、と奇妙で不快な笑い声を上げる。


「やっぱり怖いね、あの子たちは。少年もそう思うでしょ?」

「はい、そうですね......」


 自分の腹に蠢く不安が溢れ出そうになるのを堪え、時雄は囁くように答えたのだった。どんどん先を進む、鷲頭の女性をぼんやりと見つめながら。

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