「君は必ず帰れるよ」

「鷲の灰?」


 時雄は首を傾げ、目の前に座る二人を見つめた。

 問いかけられた二人は、お互いの顔を見合わせる。そして暫くの間、二人は目と目で語り合い、時雄の問いにどう答えるべきか思案しているようだった。


 少しの間があって、鷲の頭をした女が口を開いた。


「鷲の灰っていう、北の方に住む少数民族の名だよ。君も、私たちも、鷲の灰だ」


 君も───とは、体の持ち主である少年・エリエゼルのことを指しているのだろう。時雄は目の前の二人に、事実を伝えるべきか否か、自分に問いかけた。


「少年───でいいのかな?」


 女が柔らかな声で囁く。


「君の中身がエリエゼルでないことは、先ほど鹿の王が教えてくださった」


 ───自分から告げなくても良かったのか。

 時雄は少しばかり、安堵する。


「だから鹿の王から、この世界にきたばかりの君に、について話すよう、頼まれた」


 そして二人の鷲頭は、時雄の真正面から見つめた。四つの鋭い琥珀色の瞳が煌めく。

 その瞳が、作り物であることは誰の目から見ても明白だったが、それでも彼らの目は何かを語っている様に見えていた。


「その被り物は、外さないんですか?」

「外してもいいけど───別に何もないよ?」


 頷いた時雄に応えるように外された鷲の被り物からは、白髪で皺だらけの人間の顔が現れた。何の変哲もない、普通の人間の顔だった。強いて言えば、耳が平均より小さい事ぐらいだった。

 時雄がいた世界で言う、白皮症アルビノに似た、色素が抜け落ちた様な肌と髪色をしており、被り物の下に隠されていた本物の瞳でさえ、限りなく白に近い水色をしており、人間にあるはずの強膜白目はなかった。


「だから言ったでしょ、何もない。エリエゼルとそう変わらない顔だ」


 水色の瞳が時雄を見つめる。その時初めて、時雄は自分がまだ自分の───エリエゼルの顔を見たことがないことに気が付いた。

 雪のように白い髪と肌、そして白に近い水色の瞳。エリエゼルも、そんな容姿をしているのだろうか。


「服を着ていないのは、まあ暑いからかな。蒸し暑くて鬱陶しい」


 彼らは自分たちが、雪国から来たことを語った。だからと言って、全裸になる必要はないだろうし、被り物をしていたら余計暑く感じるのでは、と時雄は思ったが、流石に口にはしなかった。

 自分がいた日本とは明らかに文化が違うのだ。わざわざ口にして指摘せず、相手の文化を受け入れる必要があるのだろう。


「まあ、私たちの話はどうでもいい。神の話をしよう」


 女はにこりと微笑むと、鷲の頭をかぶり直した。


「君の世界で、神という存在はいたのかどうかは知らないし、いたとしてそれがどれだけの数だったのかも、私は知らない。

「だが君が今いる世界では、神はただ一人だ」


 一神教、ということなのだろう。

 時雄がいた世界では、イスラム教やキリスト教、そしてユダヤ教がこれに当てはまる。一人しかいない神的存在者を信仰する宗教のことだ。


 だが元の世界の一神教と今の世界の宗教の違いは、明らかだった。元の世界では神の存在はには立証されておらず、人によって信じる神は違い、また神を信じない者すらいた。だがここでは、神という実在がいることは事実であり、他の宗教は存在しなかった。


「神とはいわば、この世界の統治者だ」

「その統治者を何故あの人たちは殺そうとしているんですか?」

「さあね。シンリ、って言ったか? あの灰色の髪をした男に前聞いてみたことがあるが、悪い奴だからとしか答えてくれなかったよ。こっちは、どういう風に悪いのかを知りたいんだがねえ」


 男はそう言うと、床に寝転がり、両手で体を扇ぎ始める。女も、男のように体を扇ぎはしなかったものの、暑そうに体をくねらせていた。

 そしてポツリと、鷲頭の女が言葉を吐く。


「まあ、言われなくても、おおよそのことは分かるよ。あれはきっと、復讐だ」

「分かるって、どう分かるんですか?」


 時雄は座り直し、女の言葉に耳を傾けようとした。

 だがとうの女は、時雄の問いへの返答に困っている風で、あやふやなことを返すことしかできていなかった。しばらく彼女はどう答えるべきか考えあぐねた後、ゆっくりと語り始めた。


「目の前に、板があると思っておくれ。そしてその板を裏を下にしたまま、低い位置から落とした場合、上になるのは表と裏、どっちだと思う?」

「表、ですね」

「どうしてそう思うのかな?」

「そりゃ、まあ、常識というか、見たら分かるのでは?」

「そう、それと同じ感じだよ。私たちは、物事がどう動くのだとか、人の気持ちとか考えていることとか色々なことを、低い場所から落とされた板のように、見たら分かるんだよ」


 ───まるで超能力者のようだな。

 特殊な能力を持つ人物が目の前にいることに時雄は感銘を受け、拳を固く握り締め、瞳を輝かせたのだが、そんな彼に反するように、鷲頭の二人はどこか暗い雰囲気を醸し出していた。


「どうかされたんですか?」

「いいや、ただ、私たちはやはり虐げられる運命にあるのだなと思っただけだよ」


 鷲頭の女から返って来た言葉の意味が分からず、時雄は首を傾げ、その真意を問うたが、やはり二人はきちんとした返答をすることはなかった。


「私たちが今考えていることや知っていることを説明するのは、とても難しいし、何より君は知らない方がいいのだろうよ。知ってしまっては、君がここに来た意味も、エリエゼルがわざわざ魔女の弟子になった意味も消えてしまう。

「だけど少年、心配はいらない。君は必ず帰れるよ。未来をも見通すことができる私たちを信じなさい」


 二人はそう言うと、食事を取りに行くため、部屋を出て行った。

 初めて会った、珍妙な格好をした二人ではあったが、何故か時雄は彼らの言葉が心にするりと入り込む感覚に襲われた。

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