青い百合と死の香り
青い空へ登っていく煙火の上で、現れた黒点は風に揺られて形を変える煙に合わせ、ゆらゆらと歪み、徐々に形を大きくしていった。
そして黒点が空で煌めく太陽に被さってしまう程に大きくなった時、中からゆっくりと人が降りてきた。
その降り行く人が死の天使なのだろうと、時雄は確信した。
小麦色の肌に、腰まで伸びた艶やかな黒髪は、彼女の小柄な体を包み込む鮮やかな青いサリーに似たデザインの服を際立てた。
「リカリィーテ」
シンリは囁く。その囁きは、誰の耳にも届かなかった。
時雄は目の前に降り立つ死の天使の姿が、自分のイメージしていた物とかなり違っていたため、少しばかり目を見開いた。彼はてっきり、全身黒ずくめの羽が生えた女性が現れると思っていたからだ。だが実際に現れたのは、体を青い布で包み、羽など生えていない女性だった。
徐々に狭まっていく黒点を背に、死の天使はその青い目で、自分の足元に立つシンリと時雄を見下ろした。
風に乗せられ、彼女が放つ微かな花の香りが二人の鼻まで届く。
「
シンリは少しだけ声を大きくし、言った。それは頭上に尚浮く、死の天使へと向けられていた。
リカリィーテは片眉だけ上げ、不思議そうに首を傾げて応えた。
「何がだい?」
「あなたから香る花のことです。
彼女はシンリの言葉に納得したような声を漏らし、小さく頷いた。
「キミオルゥって、なんの花ですか?」
時雄はこっそりとシンリに問いかけた。コソコソと囁く時雄の姿を見て面白かったのか、シンリは例の奇妙な笑い声ではなく、喉の奥から込み上げてくるように、くつくつと笑った。
「
シンリはそう言うと、リカリィーテの服に金色の糸で表現された花を指差した。花の形はどことなく、時雄の知る百合の花に似ていた。だが死の天使から香る花の匂いは百合とはとても似につかず、肺を冷たく凍らせたかのように感じさせる、どこかハーブに似た特徴を持っていた。
「花の話はいい」
冷たい声が天から降った。
「なぜ、こんなことをした。何がしたい。魔女たちが大勢、屍者の国に帰ったが、それでいいのか」
彼女のその言葉は、シンリに向けられていた。
シンリは、けっけっけっ、と奇妙で不快な笑い声を上げる。
「あなたを誘いたかったのです。神を殺し、世界を新たに作り変えるという計画に」
シンリの答えに、リカリィーテは目を見開き、しばらくの間、固まった。理解が追いつかなかったのだろう。リカリィーテはシンリの言葉を咀嚼すると、二人を見下ろしながら問いかけた。
「自分が何を言っているのか、理解しているのか」
シンリは、口角を大きくつり上げ、青い瞳をキラキラと輝かせた。
「もちろん。ちゃんと理解していますよ」
「本当に神を殺す気なのか? なぜだ。それをして、あなたは何を得る?」
シンリは一瞬、墓地の中心あたりで立ちすくむ、最後の魔女と二人の鹿の民を見た。それから頭上に浮遊する死の天使へ目を見やると、はっきりとした声音で言った。
「答えは、誰よりもあなたが良くご存知でしょう、リカリィーテ」
シンリの答えにリカリィーテは顔を歪めると、ゆっくりとシンリと時雄が立つ丘の方へと降りていった。
時雄は彼女の歪んだ顔が、少しだけ悲しみを孕んでいたように感じた。だが一体、彼女が何を悲しんでいるのか、時雄が知ることはできない。
「私は何をすればいいんだ?」
時雄とシンリによって引き千切られた猫じゃらしが散乱する丘に立った死の天使は、無表情で問いかけた。
リカリィーテは、服装こそ突飛だったが、それ以外は普通の女性となんら変わらなかった。滑らかな肌も、艶やかな黒髪も、煌めく青い瞳も、時々ひくつく低い鼻も、全てが人間のようだった。
世にも恐ろしい、死神のような女性が現れるものだと思っていた時雄はまだ少し、混乱していた。そんな時雄の様子を、リカリィーテは訝しげに見つめたが、すぐに顔をそらし、シンリの方へ顔を向け、答えを待った。
とうのシンリは、いつもの不気味な笑みを浮かべながら、言葉を選んでいる様子だった。そして言うことを決めたのか、自分の右横に立つ時雄の肩に手を置くと、死の天使への質問に答えた。
「あなたは、
「────もう、ご自分が何をしなければいけないのか、分かりますね?」
それはつまり、死の天使は何も知らない、純粋無垢な時雄を利用して、信念の呪いを使い、神を殺すということを意味していた。
シンリは、けっけっけっ、と奇妙で不快な笑い声を上げる。
シンリの言葉を理解した死の天使は、両手を高く上げた。シンリと時雄、そして遠くで立っていた最後の魔女と二人の鹿の民の足元に、自身が現れた時と同じ黒点を現し、落とした。
時雄が目を覚ました時には、彼の目の前に自分を覗き込む、鷲の頭をした全裸の男女がいたのだった。
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