幼い魔女の忠告

「鹿の王とは、知り合いだったんですか?」


 古書を通して、元いた東方の村に帰った時雄は、自分のすぐ横に立っていたシンリに問いかけた。シンリは変わらぬ奇怪な笑みを貼り付け、


「ああ、そうだよ。古い友人だ」


 とだけ答え、少し離れた所に立っていた最後の魔女の方へと行ってしまった。

 残された時雄は、状況が良く飲み込めないまま、静かに一人、立っている。そして何をすればいいのか、分からずにいた。

 しかし、時雄がこの時の状況を理解出来ないのも、当然の事なのだ。

 元々はこんな混沌とした世界とは無縁の、平和で平凡な日々を送っていた、ただの青年だ。学校へ行き、友人と部活動や勉学に励む日々を送っていた、ただの青年だ。高嶺の花と謳われる同級生に恋をして、熱い想いを心に秘める日々を送っていた、ただの青年だ。

 それが突然、目が覚めれば、見知らぬ『魔女の弟子』だという少年の死体に憑依して、世界を救うために、謎の青年に振り回されている。

 感情的になって、それこそ悪役に転じてもおかしくない状態である。だが、彼はそうしなかった。

 悪を悪とは知らず、世の全ては善だと信じて疑わぬ、この荒れた時代においては減少傾向にある絶滅危惧種好青年なのだ。


 沢山の感情が入れ混じり、収拾がつかなくなった脳内を落ち着かせるため、時雄は一つ、大きな溜め息を吐く。そして自分に、黒い影がかかっている事に気が付いた。

 頭上に目を向けると、そこにはなんと箒に跨った自称魔女───幼い魔女、フィヨーデルが浮いていた。

 正午なのか、太陽はちょうど空の真ん中まで昇っており、時雄は幼い魔女の表情を逆光のせいで確認する事が出来なかった。だから、彼女が足元に立つ時雄に対して、どのような感情を抱いているのかは分からない。


「こ、こんにちは」


 震える声で、時雄は幼い魔女に声を掛ける。返答はない。時雄は静かに、自分が今し方、発した言葉を後悔する。

 沈黙が、二人の間に訪れた。遠くの方で、魔女たちやシンリが今後について話し合っている声だけが、朧げに二人の耳まで届いている。



「あの男に、気を付けなさい」


 ぽつりと、静かに、だが力強く、幼い魔女は時雄に告げた。あまりにも急な事に、時雄は混乱し、目を瞬く。


「気を……付ける……??」


 時雄の問いかけに、幼い魔女は声を更に大きく、そして強くする。


「そう、あの人間の皮を被った怪物よ。知ってるでしょ」

「男って、一体誰のことを話しているんですか? もしかして……シンリさんの事ですか?」


 魔女もどきは小さく頷き、箒を少しずつ上昇させながら、言葉を続ける。


「気を付けなさい。死にたくなければね」


 そして小さく、くすりと笑うと、最後に告げた。


「まあ、お兄ちゃんはもう死んでしまってるから、関係ないだろうけど」


 そして幼い魔女は、空高く舞い上がった。


 少しばかり、悲しさを含んだ声音を、最後に残して。

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