私は魔女である!名前は───
「私達は、世界を救わねばならないのです」
不吉な魔女は云った。
古書で埋め尽くされた部屋で、紅茶を片手に云った。
「自己紹介が遅れました。私は『善良な魔女』、或は『最後の魔女』と呼ばれる者です。
「私達───魔女には人間の様な『名前』は存在しないので、魔女とでもお呼びください。ところで、貴方にも人間の様な名前があるのでしょうか」
無表情で魔女は時雄へと話を振った。
「え、ええ......一応」
未だ馴れぬ声変わり前の高い声で、時雄は戸惑いながらも答えた。
「小川時雄。小さい川に、時の英雄と書いて、小川時雄」
「へえ、時の英雄だなんて、これからやる事にぴったりの名前じゃないか!」
全身白い青年は、皮肉気味にそう云うと、狭い部屋の中をクルクルと回った。
「君の個性はおいおい分かって行くだろうから、今急いで説明しなくても良いよ」
そして、けっけっけっ、と奇怪な不愉快な笑い声を上げる。
「ちなみに、私の名前はシンリ。シンパシーのシに、ンリーカルのン、リカリィーテのリと書いて、シンリだよ」
「......んんっ?」
聞いた事のない言葉を聞き、困惑した顔で首を傾げる時雄に、青年───シンリは慌てた様子で答えた。
「ああ、すまない。
「シンパシーは、同情や共感という意味の言葉で、ンリーカルは西の方にある国の名前なんだ。そして、リカリィーテはここら辺で信仰されている天使の名前だよ。どうやら時雄君は知らなかった様だ。君は、ここら辺の人間じゃないんだね?」
時雄が頭を上下に振り、イエスというメッセージを伝えた所で、善良な魔女もとい最後の魔女は両手をパンッと叩いた。
「自己紹介も一通り終わった事ですし、次の話へと進みましょう。我々が押し進めようとしている『計画』についてです」
彼女はそう云うと、積み上げられている無数の古書から一冊取り出した。そしてその古書を開き、人間では発音する事の出来ない言葉で呪文を唱えた。
すると開かれた本の中から七色の眩い光が放たれた。
そして気付けば、時雄は霧に囲まれた薄暗い不気味でうっそうとした森の中にいた。
「ここは、始まりの森と呼ばれる場所で、多くの魔女にとって神聖な場所の一つです。ああ、これは只の幻覚なので、実際に始まりの森に来た訳ではありません。心配なさらないでください」
魔女のくぐもった声が森の中で響き渡り、時雄の恐怖心を増長させた。
先程まで目の前にいた筈の魔女も青年もおらず、それが時雄を孤独にさせる。
「計画を説明するのには、やはり最も重要なポイントだとも云える『歴史』についてお話ししなければいけないでしょう。どうやら貴方様は、この世界の住人ではない様ですので、尚更必要な事です」
彼女がそう云い終わると、森の奥から二メートルは遥かに超える長身の老女が、熊の様にのっそりと現れた。
「彼女は我々魔女の始まり、最初の魔女です」
成る程、魔女だと云われれば納得のいく容姿だと、最初の魔女の姿を見て時雄は心の中で頷いた。
最初の魔女は、絵本などで良く見る魔女像と瓜二つだった。
モップの様にボサボサで汚い灰色の髪に、特徴的な鍵鼻、異常な程に細長い指、ナイフの様に鋭い爪、全身黒で統一された服装、そして木で作られたと思われる太くて丈夫な杖。
皺だらけの肌は、彼女を弱々しい老女だと云う印象を与えるが、帽子の影から覗く鋭い目と、言葉では云い表せない程の異臭がその印象を完全にぶち壊している。
「彼女は、魔女=悪というイメージを人間に与える事となった原因です」
「まあそりゃ、あんな怖い顔してたらみんな怖がるだろう」
シンリの陽気な声が入り込んで来たが、それでも時雄の恐怖心が和らぐ様な事はなかった。おどろおどろとした森の雰囲気は変わらない。
目の前にいる最初の魔女は、同じ所をゆっくりグルグルと歩き回るだけで、特別何かをする訳でもなかった。
「彼女は他の生物が持っている様な生殖器官がない為、子孫を残す事が出来ませんでした。
「そこで悪魔に人間の女性、または男性を差し出して、その間に生まれた子供を自分の子孫だという事にしたのです。この事により、魔女は忌まわしい者、絶対悪の代名詞とも云われる程までに嫌われてしまいました……」
すると突然、目の前に黒い煙の様な塊が現れた。
あまりにも突然の出来事に、時雄は何もする事が出来なかった。
その黒い煙は徐々に人の様な形へと変わって行き、最終的には一つ目の怪物へと姿を変えた。一つ目の化け物は、最初の魔女とは違って時雄の姿が見えるらしく、目が合った瞬間、にやりと生暖かいねっとりとした笑みを浮かべた。
「サイクロプスの心臓……」
魔女はそう云うと、そのまま黙り込んだ。暫くの沈黙が訪れる。
「ど、どうしました……?」
ぷつんっ
テレビの電源が消された様に。部屋の電気を消した様に。予言された終末の時が来た様に。辺りが急に暗くなった。
うっそうとした森も、最初の魔女も、サイクロプスの心臓も。全てが消えてしまった。
体が揺すられている事に気付いた時雄はゆっくりと瞼を開けると、そこは古書で埋められたあの部屋だった。あの森は本当に幻だったのか、と時雄は感心した。
それに対して、部屋の雰囲気は妙に重々しい。
「奴が来てしまった様だ」
真剣な切羽詰まった声音でシンリは時雄を起こし、ここから早く出る様にと促した。
時雄は、訳が分からぬまま階段を駆け下り、玄関らしき扉を開けると、目の前には窓から見えていた様な大草原が広がって───いなかった。目の前には大草原ではなく、山の様にゴミが溢れるゴミ置き場が広がっていた。
「トキオ君、こっちです」
いつの間にか時雄の後ろに立っていた魔女は彼に手招きをすると、ゴミの山を降りて行く。
「え、ちょっ、えっ????」
ごとっ
慌てて魔女を追い掛けようとする時雄の足下から奇妙な音がした。
時雄が足下へと目を向けると、そこには非常に古くて高価そうな、飛び出す絵本が置かれていた。
絵本は、大草原の真ん中にそびえ立つ巨大な塔が描かれているページで開かれていた。
「まさか......」
すると絵本はガタガタと震え始め、飛び出した塔の窓から白い霧の様な『何か』が漏れだした。
その白い霧は徐々に人の形になり、あの奇怪で不愉快な笑い声を出す青年───シンリへと形を成した。シンリは自分が出て来た絵本を軽々と拾い上げると、それを背負っている麻布の鞄に放り込んだ。
「さあ、急ぎましょう」
最後の魔女は北風の様に冷たい声で云った。
切羽詰まっているのだろうが、表情と声音が変わらないせいで、それが余り伝わらない。
次々と起こる摩訶不思議な出来事に混乱しながらも、時雄は彼女らの命令通りに動いた方が助かる確率は上がると考え、云われるがままに従った。
果てしなく続く不安定なゴミの山を下り、ついに麓へ到着した。と思った所へ、空から幼い少女の声が時雄とシンリ、また魔女の耳に届いた。
「お待ちなさい!今日こそ、降伏してもらいます!」
空を見上げれば、そこには箒に乗った十歳になるかならないかぐらいの幼女が浮遊していた。
「ああ、忌々しい『名前持ち』が───」
きっと最後の魔女に感情があれば、憎悪、嫌悪、哀れみや軽蔑といった感情のこもった台詞となっていたのだろう。
しかし感情を外に出せない、不完全な屍者である彼女は憎悪の詰まった台詞を呟いたとしても、無感情で冷たい平坦な言葉へと様変わりしてしまう。
「そう、私は『名前持ち』よ!」
誇らしげに箒に乗った幼女はそう云うと、大声で勇敢な戦士の様に雄々しく叫んだ。
「私は魔女である! 名前は───」
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