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その後ろには、顔中
<バイパー>はびっちり満席だった。
<バイパー>の最後方の二人がけの席に一人、大男が一人で、座っていた。
ジェットコースターには安全バーがあるはずだ、あんな風に乗れるわけがない。
その大男は、平安貴族の装束だった。冠を被り、単の上に袍を重ね、手には、
矢吹は、正確には名前を知らなかったが、平安貴族の最も正式な束帯の装束、束帯の装束だった。
「
矢吹の口から、思わず、名前が飛び出た。
<バイパー>は坂を登っているのに加速していた。
矢吹は、出来る限り、キャットウォークのコースから遠い端に見をのけぞらせたが、それも、安全帯が許さなかった。
<バイパー>が矢吹の真横をものすごい速度で駆け上りながら、通過した。
先頭に座る女がこっちを見て、笑っていた。
知っている女だ。ふたりとも。
コートを着た長髪の女は、元妻、ゆり。スリーブ一枚の女は、東京で仕事のストレスでキリキリ舞だったときの浮気相手、
ふたりとも、髪をなびかせ、矢吹を見て笑っていた。
その後ろにびっちり、座っている、血まみれの炭鉱夫たちは、矢吹の真横を通過する際席を立ち上がり、シャベルやツルハシを矢吹の方めがけて、振り回してきた。
「ひーっ」
矢吹は、キャットウォークに伏せた。
立ったままだったら、ツルハシとシャベルが矢吹に確実にぶち当たっていただろう。
最後方の席に二人がけのところを一人で座っている平安貴族は、無表情のまま前だけ見据えて、通過していった。しかし、束帯の裾は何メートルもたなびいていた。それは、この男のくらいの高さを現す。風雨の中、まるで、龍の尾か鞭のように、矢吹のほうに流されてきた。
「ひぇーーーー」
姿勢を戻しかけていた矢吹はさらにもう一度伏せた。
学のない、矢吹にも、わかった。九州で平安貴族といえば、一人しか居ない。菅原道真だ。
神だ。学問の神だ。
<バイパー>は、あっという間に、最高部に達すると、そこから、信じられない速度で、降下しさらに加速していった。
選択の余地はなかった。
今、<バイパー>は、矢吹が居ないコース、他の周回部分を回っているのだ。
もう避雷針など関係なかった。
矢吹は、急いで、安全帯のフックがひかかっている、サイドバーのつなぎ目の位置まで這うようにして戻った。プラットホームに向かって駆け下りているのである、滑り落ちていたかもしれない。
<バイパー>は機械音というより、人の悲鳴に似た異様な音を立てながら、コースを走っていた。目で<バイパー>を見る余裕などなかった。
それに見たくなかった。
とりあえず、フックの引っかかっているサイドバーのつなぎ目の場所まで戻ってきた。命綱が足枷になるとは思いもしなかった。
<バイパー>は相当な速度で走っているらしく、振動がものすごい、それに雨で、フックが濡れて、何度か掴み損ねた。
フックが、飛び跳ねている。
両手でフックを掴むと、雨で濡れたフックを外し、次のつなぎ目へと進め、フックをかけた。
そして、走るようにプラットホームめがけて、キャットウォークを駆け下りた。
それと、乗客も普通じゃない。
元妻に浮気相手、血まみれの炭鉱夫に、菅原道真。
「ぐえっ」下りは、サイドバーが躰の左側になるのだが左手でテザーを沿わしていないので、突然、テザーの限界がやってくる。今度は急いで、キャットウォークを登り、またサイドバーの継ぎ目でフックがひっかかっている、場所まで矢吹は
登るとき、何回、このフックの掛け直しをおこなったか、数えていない。三回、四回。
<バイパー>のコース一周に要する時間は3分、通常ならばだ。しかし、今の<バイパー>は、あの速度あの音、通常ではないし、尋常でもない。
矢吹はフックを次のつなぎ目にかけなおすと、前を向いた。
目の前のプラットホームには、もう既に一周回り終えた、やや減速しただけの<バイパー>が居た。
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