7
しかし、唾液をぐっと飲み込んだことで目線が下がり、足元を見てしまった。
顔を上げてもう一度、プラットホームの端の女性を確認するのは、ものすごく根性が要った。
すると、チンっとエレベーターは自身で扉を閉じ、降下していった。
「おいっ」
と思わず、矢吹は、エレベーターに声をかけそうになったが、多分声をかけても無駄だっただろう。
矢吹はプラットホームに向き直ると、女はいなかった。
もう一度、目をぎゅっと
見間違いかもしれない。
それより、現実が、矢吹を違う世界に運んだ。上空60メートル近いプラットホームは地上と別世界だった。
なにより、風を
出来れば、その場にしゃがみ込みたいぐらいだった。とりあえず、矢吹はエレべーターの枠である丸い支柱を掴んだ。
そうすると、ずりっと手袋がずれた。手と手袋の間でずれたのではなかった。手袋と支柱の間でずれたのだ。
あわてて、手を支柱から離し確認するため顔の近くまで持ってくると、手袋の手の平の部分は、滑りダメのブツブツがあるにも関わらず、そのブツブツが埋まるぐらい石炭の真っ黒い鉱物で覆われていた。
支柱に目をやると、そこも、信じられないくらいの黒さだった。
石炭だ。北九州市は、筑豊炭田の正に中心地である。
矢吹も小学校の折に社会科で嫌というほど、地域の歴史、産業として炭鉱のことは学んだ。
学校で社会見学にもいやというほど行った。
日本の炭鉱業は、矢吹が物心ついた頃には、もう死に絶えていた。エネルギー革命がおこったそうだ。
すべてのエネルギーが石炭から石油へと変わった。
人々は簡単にエネルギー革命と呼んだが、北九州に限らず、日本の炭鉱では人の数だけの悲劇とともに出血しながらそれを受け入れた。
まだ、日本の人件費は世界の中でも安い方だったが、全国の"山"という山が閉山になっていった。
しばらくは、火力発電や、物を燃やす燃料として使われたが、中東やアメリカから入る安い石油に全て置き換わっていった。
石炭は価格競争力を完全に失った。丁度、1960年代のころである。
矢吹は、手をゴシゴシさせ、滑り止め付きの軍手の汚れを落とした。エレベーターないの長い女性の髪の毛は見間違えだったかもしれないが、この石炭は間違いない、。
と思ったがプラットホームに叩きつける風雨のせいか、再び、目を見開き滑り止め付きの軍手を見ると石炭の黒い汚れは落ちていた。
矢吹は、気が狂いそうだった。
雨のせいなのか、見間違いなのか、分からなかった。
それより、避雷針だ。
肩にかけたロープというより、テザーの先は、フックになっていた、カチンと外からは架けられるが、一旦架かると外れない。
もうテザーのもう一方の先は安全帯にフィフスチェックで掛けている。
正にこのテザーが地上60メートルでの命綱となる。<
そこに、テザーのフックを架け、進み、テザーを架け直し、進み、架け直し、進みと進んでいく。
原理は簡単それだけである。
今、矢吹の居る客の搭乗用のプラットホームから、最高部の場所まで、目測でおよそ、40メートル弱。
そこへ、行って、避雷針を確かめて帰ってくるだけである。
ただそれだけである。
高ささえ考慮しなければ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます