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 冷房の効いていた事務所を出ると、熱気と湿気が矢吹やぶきを襲う。そして、不気味な入道雲はいつしか西の空で黒雲に変わっていた。夕方から夜にかけて一雨ひとあめ来るかもしれない。

 会社の後部に大きなボックスのついた三輪の原付きで市の南、白木山へ向かう。事務所からは、山陽新幹線の線路の向う側にあたる。この新幹線の線路を右手にたどってゆけば、九州人誰もが憧れる博多駅だ。

 向かうというか、新幹線の線路の奥は、<グランド・ワールド>。

 辺りは、日が完全に暮れ、かなり暗くなってきた。丁度営業時間が終了し閉園になったころ矢吹が到着することとになる。


 道中、車の殆ど走らない、国道をうねうね道沿い曲がりながら、山頂の台地に開かれた<グランドワールド>へ向かう。

 運転していると、どたらかというと嫌なことのほうを思い出す。

 東京ではどうだったのだろう、自分なりにベストは尽くしたつもりだが、結婚も仕事も破綻した。

 理由は何となく分かるが、正確にはわからない。

 妻の冷めた表情と対象的に天真爛漫な娘の顔がライトに丸く照らされた路面に浮かぶ。

 東京での職場は元から、そんなに良い務め先ではなかったが、人間関係が最悪だった。我慢しようと思えば我慢出来たが。

 どうだろう?いつまで持ったか?。

 矢吹やぶきは我慢しなかった。すべてが、いっぱいいっぱいだった。心が一番いっぱいだった。いっぱいだったため、蒼甫そうすけは裏切られたし、沢山の人を裏切った。

 正直、自分だけで、いっぱいだったのだ。

 そうとしか、思えなかった。過去形で話すことは、いつも泣き言ばかり。

 妻、ゆりとは簡単に協議離婚した。ゆりも、矢吹が限界なことにずっと気づいていたのだろう。小学生の娘の麗華れいかとともに岐阜の実家へ帰っているそうだ。

 別れてから、一度も連絡を取り合っていない。こんなものかなとも思うし、娘の顔、成長した姿はみたい。

 片側一車線の山道をのぼりきると、<グランド・ワールド>はある。

 派手なエントランス。一応、<グランド・ワールド>宇宙をテーマにした遊園地だ、ということになっている。

 炭坑の街から、宇宙へ。高度経済成長の夢の残滓といってもいい。大きなロケットをしたエントランスのあちらこちらに錆が見えるのが、悲しい。

 原付きを駐輪所や駐車場に関係なく、停める。夜勤のささやかな権利。 

 時刻は、夜の9時過ぎ。

 もう園内の照明は、ほとんど消えて、薄暗い。

 アスファルトに小さな黒い粒が出来てきたと思ったら、雨がポツリポツリと降り始めていた。

 ジャンプスタイルの白いヘルメットを被っていた、矢吹やぶきは、なかなか気づかなかった。

 <グランド・ワールド>のエントランスの奥には頭を手で覆った、哀れな初老の男性が立って居た。

「西日本総合警備の方ですか?雨が降ってきたから、、」

「ハイ、そうです」

「これ、マスター・キー全部です」

 初老の男は、急いで、ベルトの後ろに取り付けていた鍵束を外すと、矢吹に半ば無理やり渡した。

「私は、これで、そいじゃ、バイパーの避雷針の件よろしく頼みますよ」

 そう言うや、初老の男は、慌てて、エントランスの改札を反対に大きく足をあげてまたぐと、駐車場に一台だけ残っている、軽トラに向かって小走りに走り出した。

「避雷針って、観覧車のやつじゃ、ないんですか?」

 矢吹は大声で尋ねた。

 もう辺りは、大粒の雨が降り出していた。

 軽トラにもう既に乗った初老の男は、軽トラのドアのガラスから身を乗り出し叫んだ。

「いつもの女の警備員さんじゃないんかね?、観覧車じゃなくて、バイパー、バイパー、ジェット・コースターですわ」

 そう言うや、軽トラのワイパーを盛大に動かし、器用にUターンすると、白木山の国道をくだっていった。

 矢吹は、土砂降りの雨の中、鍵の束だけ持たされて、閉鎖間際の<グランド・ワールド>に残された。

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