1.文芸部乗っ取り計画
「ねぇ」
昼休みの中屋上。SSS団……という括りにせずとも、俺と田中真由子が基本的に昼食を共にする場所。北校舎と南校舎を繋ぐこの場所は、校舎の二階と半分くらいの高さにあって、両の校舎の屋上に生えているパイプやら謎の建造物の頭を望むことができる。
相変わらず友達という友達はいない田中真由子……いい加減このフルネーム呼びもやめようか――真由子は、いわゆる彼氏、であるところの俺と一緒に、雨の日以外はここで昼休みを過ごしている。夏休み前はこの場所でSSS団の団員勧誘なんてものも行っていたわけだが、夏休みが明けてからは一度も行われていない。恥ずかしいことだとようやく気づくことができたのか、あるいは、勧誘をするにしろもっといいやり方が他にある、という俺の言葉がここにきてやっと効いてきたのかもしれない。
「――ねぇってば」
「ん、あ、ごめん、なに?」
「文芸部、部員が一人だけになったらしい」
「……ん?」
黄色と橙の中間くらいの色をしたカチューシャを相変わらず着用している真由子は、ぽつりとそんなことを言った。
「今、文芸部って1年生一人しかいないんだって」
「2年は?」
「……前に言ったじゃん。文芸部は3年が四人、1年生が三人、って」
「あー」
思い出す。SSS団部室探しを敢行した日。「ここはお前の憧れる偉大なる先例様に倣って、文芸部に突入すればいいだろう」という俺の言葉に、そんな説明を返されたような気がする。「だから籠絡は無理」だ、と。
「文化部って基本的に6月の文化祭で引退でしょ」
「そうだな。文芸部なんて特に引退を長引かせる大会なんかもないだろうし」
「それで2年生のいない文芸部は1年三人になったわけだけど、その内の二人が、夏休み明けてから退部したらしいの」
「……ふーん」
箸を止めて、なんとなく空を見上げる。青空に、薄い雲が広がっている。まだまだ夏は終わらせないぜ、と宣言しているかのような気怠げな空。
「……で?」
どうにも彼女の発言は、世間話の口調ではなかった。その事実の先で、何かしら自分の意見や主張を表明したいような、そんな雰囲気があった。
だから俺は訊く。ずばり「だからどうしたんだ」と。
「……あ」
彼女の言葉を待たずして、俺は思い当たってしまう。
「お前、それ、まさか……」
真由子の方へ顔を向ける。彼女もゆっくりこちらへ顔を向け、そうして一言。
「文芸部、乗っ取るよ」
――正午の遠い喧騒。女子生徒たちの笑い声。
「……言い方の問題だろ? 要はその唯一の文芸部員と仲良くなって、部室に居座らせてもらう、っていう……」
「違う」
「違うのか」
「乗っ取る」
「乗っ取るのか」
「籠絡する」
「籠絡するのか」
……そういうことらしい。
真由子の力強い宣言。1年生ただ一人となった文芸部。『ハルヒ』でいうところの長門ポジションの誰かだけが残された文芸部を、乗っ取る。唯一の部員が1年生だからなのだろうか。相手が先輩だったとしたら絶対言わないような気がする。
「あ……ねぇ、あれ」
「ん?」
ふと、真由子が南校舎の屋上を指差した。示された方に目を向けたが特別変わったところはない。そこにあるのは、いつものありふれた屋上の起伏。
「あ、ほら、今!」
真由子はもう一度声を上げ、人差し指を動かす。次はすぐに反応できた。
「……え、あっ」
一瞬だけ捉えたのは、人影。すぐに引っ込んでしまったので、男か女かも分からなかったけれど、それは確かに人の頭で、黒い残像は頭髪だった。周りを見回してみても、ちらほらといる他の生徒たちは気づいていない様子だ。
「……屋上って立ち入り禁止だよね?」
「だな。屋上に続く扉は施錠されてる」
部室探しの時に確認した通りだ。
「……幽霊?」
真由子は至極真剣に呟く。
「まさか」
「北高七不思議とかあったかな」
「ないだろ、そんなん」
きっと、屋上にある機械やらなんやらの点検にやってきた整備士とかだろう。
「……ところで、なんでお前が文芸部の退部云々を知ってるわけ?」
教えてくれる友人なんていないだろうに、とは言わないけれど。
「たまたま話してるのが聞こえた」
「と、言いますと」
「辞めた二人、私たちのクラスだよ」
「あ……そうだったのか」
「うん。『私たち文芸部辞めたんだ』って、他の子に話してた」
「なるほど」
「まあ、そういうことだから。今日の放課後から、動くよ」
「……はいはい、団長様の仰せのままに」
◇
その日の放課後。俺たちSSS団はさっそく文芸部室前にやってきた。
「……ていうかここ、演劇部の部室の隣じゃん」
そうなのである。文芸部の部室は、教室を仕切り板で四等分したような長方形の部屋がいくつか連なるそのうちの、演劇部の真隣に位置していた。この四等分というのは言葉通りの意味で、実際に教室内が四等分されている――二つの引き戸があり、部屋の中に入ればすぐに人二人分もない廊下のようなものがって、そこから仕切り板で仕切られた「便宜上」とも言えるスペースが部活ごとに与えられているというわけである。演劇部は部屋に入って一番左、文芸部はそのひとつ右隣だ。演劇部以外のそれぞれの部室には申し訳程度の布幕が垂れ下がっていて、一応プライベートな空間が確保されている。
仮に、我々(というより団長田中真由子)が「教室以外で個人的に落ち着ける空間」を探しているのであれば、それは演劇部に入部し部室に居座ることができるようになったことで一応達成していることになる。無論完全に個人的な空間にはならないけれど、演劇部は他に活動する教室や用具置き場があるからなのか、部室でたむろしているような部員を見ることはあまりない。
「人の気配、ないね」
真由子が言う。仕切り板で簡易的に区分けされているだけの部室は、耳を澄ませば人がいるかいないかくらい容易に判断できる。しかし、人がいるような気配は微塵もない。
隣の演劇部部室では、これから始まる練習のためにジャージに着替えている部員たちがひしめいていて(事実、広さと人数が釣り合わずひしめいていて)、賑やかな声が聞こえてくる。
「毎日活動してるわけじゃないのかもな」
一人になってしまった部活なんて、言ってしまえばどこで活動するのも同じようなものなのかもしれない。文芸部――名前から想像するに小説を読んだり何か文章を書いたりする部活動であるはずだけれど、それら行為はどこか特定の場所でないとできないようなことではないだろう。部員と集まる理由もなければ、その活動は自分の部屋だってできるわけで、それならばわざわざここに足を運ぶ必要もないはずだ。
「ん! セッキーに真由子ちゃん! そんなところで一体どうしたんだい」
演劇部の同期、女子の小林が部屋の扉を開き入ってきた。芝居がかった口調で俺たちに尋ねる。この狭い室内の入り口近くに二人並んで立っているのも、いい加減迷惑だろう。
「ま、今日のところはひとまず諦めよう」
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