第25話 再び故郷へ

51・流れ流れて


『急に呼び出してしまってすまないね。今日は大事な話があって、君に来てもらったんだ。少し長くなるだろうけど、心して聞いてほしい』


 L1028収穫期2日、奇しくも2周期前にリリアンと将来像について話し合ったその日に、しかも同じレオーラ湖畔でフレッドは再びリリアンと向かい合うことになる。もっとも、今回は2人で村から歩いてきたので、前回のように彼女を驚かせるようなことはなかったのだが。


『君も、もう18周期になるんだな。初めて会ってからかれこれ4周期にもなるけど、これまで本当によくしてくれた。両親とこの村に流れてきた時のことは、今でもよく覚えているよ。君に声を掛けられなかったら、おそらく村を通り過ぎていたから』


 過去を振り返るようなその話ぶりに、リリアンは一抹の不安を覚える。これから大きな戦いがあり、それはここザイールで起こるものではない。そして、フレッドの隊は敵地潜伏に目立たぬようユージェ出身者のみを選別して出撃することがすでに決定されており、辺境出身とはいえ皇国人の自分はおそらくそれに帯同できない。それらを勘案すると、戦に出る前に別れを告げられているように思えたのだ。


「あの時の私は、お客さんを羊亭に呼び込むのもお手伝いのうちでしたから。でもそれからのことを考えると、あの時お声がけをして本当によかったと……心の底からそう思っています。もし勇気を出して声を掛けなかったらザイールの領主は今もゼニス様か、ブルート様たちが叛乱を起こしてもっと大変だったかもしれませんし」


 本当のことを言うと、初めて見たフレッド一行は異様な雰囲気だった。フォーディは長旅で疲れていたのか、生気にはやや欠けていたが身なりは整った女性という感じはしたものの、一人は筋骨隆々の一見して普通ではない大男であり、もう一人は美男子と言えるが周囲を警戒する鋭い目つきとスキのない動きは獣そのものである。宿屋兼酒場の娘で多くの旅人や冒険者を見てきたリリアンでも、この一行が普通の旅人でないことくらいは容易に察知できたものである。


『ははは。私たちはユージェを捨てて首都を出た後、国を出るまで命を狙われたりもしたからね。それでもようやく皇国に入ることはできたけど、当時のザイールは治安が悪すぎて賊に襲われもしたから、油断はできぬと気張っていたんだと思う』


 実際、国を出ればしがらみから抜け出せると思っていたのに、ユージェの人々はそれを許してはくれなかった。残ってくれと願う者と、生かしておけぬと思う者。両者の考えは対極にあったが、共通していたのは「この一家を逃がさない」ということ。その共通目的のため、対極にある両者は手を組みフレッド一行を追った。先に確保したほうが想いを遂げる、という条件の下に。


『そんな扱いを受けても、やっぱり私や父さんはユージェを見捨てられない。ユージェはこれから皇国と戦い、そして遍く知的生命の脅威たる[天敵]とも戦う。そして私は、かつてあの国の要職にあった人間としての責務を果たさねばならない。だから皇国の一員としてではなく、一人の男の矜持を抱きユージェに行ってくるよ』


 大義の前に、個人的感情は不要。口ではそれを言えても、実行はできないという者は多い。しかしフレッドは、かつて自分たち一家を害そうとした故国のために戻るという。肉体的には器用で武芸も学問もこなすような人なのに、生き方に関してはどうしてこうも不器用なのか。リリアンはそう思わずにはいられないが、それもこの人の魅力に繋がっているのだと考えると、強く責める気にはなれない。


「分かっています。フレッドさんがユージェ出身者だけを募るのは、そうしなければ使えない手段を用いるからだということも。本当はご一緒したいけど、私はここで皆様のお帰りを待っています。フォーディ様のこともご安心ください」


 フレッドはただ一言、ありがとうと答える。しかし胸中はそれほど単純ではない。この子、いやもう立派な女性は自分に重荷を背負わせようとはしない。それどころか、本来なら無関係を決め込んでもいい自分の母についても手を貸してくれるという。公的な立場ではもちろん他人の手を借りてきたが、私的な面では手を貸している側が多かったフレッドにとって、得難く魅力的な存在と感じたのは自然だったのだ。


『これでもう、後顧の憂いは大半が消えてなくなったよ。だけどまだ、最大の懸案が残っている。ユージェに発つ前に、どうしても聞いてもらいたい事があるんだ』


 そしてフレッドは、自分の過去についての話をした。兄も含めたハイディンという武人の家系のこと、ユージェ王国から統一連合となった際の混乱のこと、そんな状況下でも味方してくれたのがマイアーやフィーリアだったこと……話は進み、ついに核心の部分に近づく。


『私は彼女のことが好きだったんだと思う。父さんや兄さんに並べる男を目指すことだけを考え、特に志を持たずただ流されて生きる同年代の者を見下していた私の、唯一と言っていい同年代の理解者だったからね。彼女のほうも私と同じで、家を継ぐべき兄君が事故で亡くなり自分が家を守るのだとずいぶん無理をしていたから、似た者同士で共感できたというのも大きかった。私たちは、確かに惹かれ合っていたんだ』


 それゆえに彼女の婚約者候補に挙げられた時も拒否反応はなく、むしろそれが運命だったのかとさえ思えた。しかし現実はそうはならなかった。フレッドの兄も予想外の事件で世を去り、家督を継ぐ立場になったフレッドが他家に婿入りすることなど許されなくなり、自身の活躍でフィーリアの父にも恨まれてしまったからだ。


『でも私たちは離れ離れになる道しかなくて、自由になれる私よりユージェに残って家を守る彼女の道のほうがより過酷だろうと思った。だから私には、とてもそれが最善の選択肢とは思えなかったけど、彼女の願いを叶えることにした』


 リリアンは黙って聞いているが、表情は思いのほか硬くはない。目つきが鋭すぎるとはいえ顔立ちは悪くなく、若き統一の英雄ともなれば世の女子が放っておくはずもないことくらいは察しがつき、何よりブルートらと仲がいい半面まるで女っ気がないあたりは、もしや女性より男性に気が向く性癖なのではと疑われるほどである。だがこの話を聞き、そうではない確信が得られた。


『マイアー先生がしっかりやってくれたろうから、彼女はおそらく家を継いでいるのだと思う。この前の戦いで、彼女の父は取り返しのつかない失敗をしてしまったからね。そして彼女はいまだ独り身だそうだけど、次で4周期になる男女の双子がいるらしい。彼女の願いが叶ったようで、私としてはどうにも反応に困るところだけど、その子たちの血縁上の父親は私なのだろうね。少なくともその時期にそういうことがなかったかを聞かれたら、身に覚えがないと断言することはできない』


 フレッド自身がまるでプライベートを話さないこともあるが、さすがに血縁上とはいえ子供がいるという話はリリアンにも衝撃的ではあった。しかし話を思い返してみれば、フレッドは「彼女が好きだった」と過去形で話しており、子供の件も「彼女の願い」であったことは分かる。リリアンにとって重要なのは、その女性や子供たちのためにユージェへ戻るのかということだ。


『それはないよ。マイアー先生の話によると、彼女の夫になるはずの男は婚約発表前に流行り病で死んだらしいから、今さら戻ってどうこうしようという気もない。でもその子らだけじゃなく、未来に生きるすべての子たちに、現在の大人の業を背負わせるつもりもない。ユージェの問題が片付けば、プラテーナさんの言葉によると次は皇国も国難に見舞われるらしいし必ず戻るよ。それが私の宿命とも思うから……ね』


 それを聞きリリアンは一安心するも、続く言葉に心を乱されることになる。夢に見たりつい妄想に耽ってしまったことは数えきれないが、いざそれが現実になると呆気に取られてしまうのが現実だった。


『そんなわけで、私にはいつか私のことを「父」と呼び訪ねてくるかもしれない子どもたちがいる。だが、もしそのような男でもよければ、私と結ばれてくれないだろうか。両親も君のことは特にお気に入りで、そうなることを願っている。私としても戦地から舞い戻るための、重要な理由が増えることはためになると思う。ただ君にとってこれがいい話かどうかは判断が難しいかな。遊んで暮らせる身分ではないし、できたとしても正直その気もない。私自身きっと今後も多くの戦いに身を置くから心配もかけるし、もっとうまくやれるだろうと怒らせもするだろう。でも、それでも……』


 まだまだ続きそうなフレッドの理由付けの間にすっかり心を整えたリリアンは、さりげなくフレッドの話を遮ると自身の意見を述べ始める。彼女にとって、その答えはもうずいぶん前から決まっていた。


「私が知っているのは、ヘルダのフレッド=アーヴィン。その人を形作る要素にユージェのクロト=ハイディンが多分に含まれているのなら、それも愛することができると断言できます。私はあなたに多くを教わりましたが……これからも生涯、死が互いを分かつまで末永くご教授くださいね。私のほうこそ、よろしくお願いします」


 答えを聞いたフレッドは、彼らしくもなく後頭部を掻いて返事をどうしたものかと迷っているようだった。受け入れてもらえるか、それとも無理か。フレッドはそこで考えが止まっていて、不覚にも答えを受けた際の反応については考えていなかったのだ。急いで思考をまとめると、改めてリリアンに向かい合う。


『きっと、君も私も他の誰にもできない生き方になるだろうね。それがいいか悪いかはすべてが終わってみなければ分からないけど、最後にお礼を言ってから天に還れるような平和な世界にするため、全力を尽くすよ。これからもよろしく』


 この先、多くの戦場が彼を待ち受けている。しかしそのすべてを生き抜き、いずれ平和な世界が訪れたら隠居でもして両親のようにゆったりと暮らす。そして世は平穏のうちにやがて寿命を迎え、心穏やかなまま天に還ろう。根無し草の流れ者フレッドが至った、一つの答えであった。


『ではまず、バスティンさんのところへご挨拶に伺おうか。うちのほうは、たぶんもう知ることになるだろうから後回しでいいよ。さっきイーグ殿たちが様子を伺っていたが、おそらく人を賭けの対象にでもしていたのだろう。戦になればいつ死ぬか分からないからって、何でもかんでも娯楽にし過ぎなんだよ。まったく彼らは!』


 そう憤慨気味のフレッドだったが、心の底から怒っている様子はない。もっとも、求婚の結果が違っていれば不快感を強めた可能性はあるが、いずれにせよ戦場で極度の緊張を強いられる武人が平穏の中で弾けることを咎める気にはなれない。フレッド自身がそれを抑えられるのは、立場という強力な枷があったからに過ぎないのだ。


『まあ、下の者に話題を提供するのも上の者の役目の一つだからね。あれくらいは大目に見るとするさ。受け入れられるか、それとも断られるか。賭けの倍率がどうなっていたかくらいは、聞き出してやろうと思うけど』


 村に戻りながらリリアンにそう話すフレッドは、歳相応の若者のように見えた。しかしこうしていられるのも長くはない。8日後には皇国軍の出撃があり、それと同じくしてフレッドの隊もユージェを目指すためヘルダを発つ。二人の婚約を聞いた両家の親は慌ただしく準備を進めL1028育成期5日、ヘルダ村にて二人の慎ましやかな式が挙げられる。ヘルダ村の人々に、駐留する[華心剛胆]の隊員たちの祝福を受けた新郎新婦にとって、この日は生涯忘れ得ぬ日となった。



52・飛翔せし華龍


『それでは行って参ります。父さんのことも、無理はさせませぬゆえどうかご安心あれ。リリアン、母さんのことをよろしく頼むよ』


 L1028収穫期12日、ザイール方面軍がかつてのガルディ防壁跡からユージェ方面に進攻したとの報告を受けたフレッドは、自身の部隊に出撃を命じる。今回はユージェ側にはもちろん、味方である皇国側にも自分たちの存在を気取られるわけにはいかないため、かつて行った行商まがいのことをするフリをしながら中央山脈最高峰のメルクディを目指し、メルクマールからユージェへ抜ける間道を借りる手筈となっているのだ。


「お義母さまのことも、収穫のこともお任せください。こちらの心配はいいですからどうか戦いに集中なさってくださいね。お帰り、心よりお待ちしています……」


 式から3日は夫婦水入らずで過ごせたが、それ以降は行軍計画や準備などで忙しくなってしまい、二人きりの時間を持つことはできなかった。戦に赴く夫を見送るのは武人の妻の務め……とフォーディには教えられたが、やはり寂しいものがあった。


「ようやく可愛い娘ができたのだ。それを悲しませるような真似なぞこのワシがさせんわ。ささっと戦いを終わらせ、あの[天敵]どもを蹴散らしたらすぐに帰ってくるわぃ。今度は普通に帰って来れるじゃろうから、ユージェの土産も持参しようぞ?」


 そう言ってリリアンを気遣うハゼルを見ながら、フレッドは今回の遠征についてしばし考える。今回はまず、誰にも存在を気取られない隠密行動が肝になる想定だが、その後に訪れるであろう[天敵]との戦いにハゼルの武勇や経験は欠かせない。そう考えたフレッドはハゼルの同行を許可したものの、これは苦渋の決断でもあった。顔や銀髪を隠せば普通の体格の男で通るフレッドに対し、ハゼルは長年ユージェで親しまれただけあって体格を見ただけで発覚する恐れがある。隠密行動により細心な注意を払う必要が出てしまうのだが、それを差し引いても父を連れて行くという決断をする。もっとも、後に別の形でこの決断が功を奏すことになるのだが。


『よし!全隊進発せよ!ただし皇国領内での我らは行商ゆえ、あまりに気張り過ぎぬよう注意せよ。周囲を欺くことからすでに戦いははじまっている。よいな!』


 かくして[華心剛胆]約1200のうちユージェ出身者のほぼ全員、約600がヘルダ村を出てザイール南東のイルド州に向かい進発する。表向きの名目は南部ヘイパー州との交易であり、以前に同様の案件があったこともあり疑う者は存在しなかった。皇国全体が叛逆者どもの討伐に浮かれる中、その結末が皇国にとって酷なものになることを察しているフレッドは熱狂する彼らに哀れみすら感じるが、事ここに至ってはもう未来を変えられない。自分にできるのはただ一つだけなのだから。


『さて、導士プラテーナは「未来を変えようと努力しても、だいたいより悪い未来になる」と申された。では「より良き未来」を目指す私の結末は相成るかな?』


 かつて、未来永劫の不変という救いようのない呪縛を解き放った華龍のように、悪い未来を変えようと努力してもより悪くなるというなら、その悪しきもの全てを打ち砕いてしまえばいい。残されたものが希望なのか、絶望なのか、どちらともつかない中途半端なものなのか。それが現時点で分かるものではない以上、最善と思える道を突き進むしかない。未来を予見する力はない人間にできることはそれくらいだ。



 そしてL1028収穫期34日、フレッドらがメルクマールに到着したその日、ユージェ南東部に位置するマーキィ領にて皇国南部方面軍とファロール族マーキィ集落軍の戦闘が開始される。両軍の数も質も皇国側が圧倒的に勝っていたこの戦いは一日も持たずに皇国側の圧勝で幕を閉じ、その報はユージェ全土を震撼させる。ラスタリアの歴史に残る両国初の大戦が、これより繰り広げられようとしていた。


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流れ者が向かう道 @mumyou

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