第21話 師弟の邂逅

42・天に還る主と従者


「俺の知っているクロトとは、もはや別人だな。腕を上げたし力も付けた。それに比べて、この俺の何と無様なことよ。斯様な仮初めの体を与えられ、その体も思うようには動かせないときた。だが成長したお前を見、父上のお元気な姿も見られたのだ。これでもう思い残すことはない。この戦いも、そろそろ終わりにしよう……」


 コルトの動きがぎこちなくなってきてから、さらに10分ほどが経過したとき、打ち合いの合間にコルトがそうフレッドに語り掛けた。魂を囚われ、傀儡人形に封じられるというのがどのようなものか。フレッドにはそれを知る術はなかったが、おそらくは自分の意思と体の動きが合致せず、満足できる戦いが行えたとは思えなかった。


『僕は兄さんの手の内をすべて覚えていて、慣れない体で慣れない武器を扱うという条件まである有利な立場にありながら、兄さんが自身の意識を取り戻して以降ただの一撃だって有効打を入れていません。やっぱり、僕では……』


 長く続いた二人の打ち合いは、結果だけ見れば互角と言える内容である。しかし片方は相手の手の内が読めるのに対し、もう片方は初見の動きも少なくない状況であると考えれば、どちらが武人として優れているかは自明の理だった。


「人それぞれ、得意な道を歩めばいいのだろう?俺は武人、お前は将。だが将たるお前が俺とここまで戦えるんだ、もっと自分に自信を持て!もう俺は死んでいて、父さんだってお前より先に世を去るんだ。いつまでもそんなことでどうするんだよ!!」


 今となっては同い年になってしまったが、やはり兄は兄で弟のことを気にかけてしまう。少なくともこのコルトの言葉は兄が弟を叱咤するものだったが、叱咤されたほうもその扱いにはまるで違和感はなかったようである。


『でも僕は、やっぱりこうして兄さんと鍛錬を積んでいたい。一緒に呑んだり、家の未来のことについて話し合ったり、もっと色々やりたかったことがあったんです!』


 そう叫ぶと、フレッドはコルトに打ち掛かった。フレッドも別離の時が近づいていることを悟っているからこそ、わずかな時間でも惜しいという気持ちだったのだ。


「俺だってそうさ!だが俺は死んで、本来は天に在るべき存在。こうしてお前と話をし、打ち合うこと自体が夢みたいなことなんだ。しかし夢とはいつか醒めるものだろう。人は目覚めて、日々を生きていかなくてはならない。それともお前は、まだ夢を見足りないか?目覚めるのを拒否して眠り続け、心地よい夢だけ見ていたいのか!」


 フレッドの攻撃を押し返しながら、コルトも心の内を吐露する。かつてクロヴィスとして在った時、彼は多くの敵をその手で討ち果たしてきた。それは戦うしかない立場だったからで、ただ乱戦に巻き込まれただけの、殺す必要があったかすらも分からない命すら含まれていた。ゆえにクロヴィス=ハイディンは、自身が命を落としたらこれまで奪った命とも、天にてしっかり向き合いたいと考えていたのである。


「魂となった俺には天にて、命あるお前には地にて果たすべき役目、使命があるだろう。俺はいつまでもここにいてはいけないし、お前はいつまでも俺の影を追っていてはいけない。……お前もそれはよく分かってるんだろう?だからこそ、こうして俺の魂を呼び覚ましてくれたんだろう?辛いだろうし面倒をかけてすまないとも思うが、あとは最後の仕上げを頼むよ。」


 フレッドは目を閉じてコルトの言葉を聞いていたが、それを聞き終わるとただ一言「分かりました」とだけ言い、口笛で騎竜を呼んだ。少し距離を開けると槍状態にしてある龍ノ稲光を地に突き刺し、短弓と龍ノ煌キの穂先を流用した矢を取り出した。


『これより、兄さんが愛した槍たちにより兄さんを天にお返しします。……私はもう大丈夫です。父さんや母さんのこともお任せください。私の迷いを断ち切ってくださり、そして覚悟を持たせていただきありがとうございました。』


 そう言うとフレッドは後方やや斜めの離れた場所にいたハゼルに合図を送る。二人の息子が戦い、思いの丈をぶつけ合っている際も黙ってただ見守っているだけの彼であったが、最終局面ということもあり、ついに重い口を開く。


「クロヴィスよ!ワシもそう遠くない未来にそちらへ逝くゆえ、先に逝って居心地のいい場所でも見繕っておいておくれ!さあ受け取るがよい、お前の槍じゃ!」


 ハゼルが渾身の力を込めて投げた龍ノ嘆キはコルトの中腹に突き刺さった。貫通しなかったのは、コルトが左手でしっかりと受け止めたからだろう。傀儡人形たる彼に痛覚は存在しないが、刺さった場所には熱さを感じるものがあった。


「ここはお帰り……でいいのかね?別の得物を持たされて、つくづく実感したよ。やっぱりお前じゃないと、うまく攻めきれんなあ……」


 左手で槍身をしっかり掴みながら、コルトは龍ノ嘆キにそう声を掛ける。そして前を見据えれば、弟が矢を放とうとしていた。


(私は……想い描く。天に在るべき魂が、無事に天へと誘われることを。君もそうだろう、龍ノ煌キよ。相方と共に今度こそ兄さんを……本来の主を送り届けてくれ!)


 万感の思い込められし矢は、吸い込まれるようにコルトの胸元に突き刺さる。その矢をコルトは右手で抑え、やはり声を掛けた。


「約束通り弟を守ってくれたから、そんな姿になったんだな。そこまで尽くしてくれるなんて、本当に苦労をかけてしまった。だがこれからは一緒さ。永久に……」


 コルトの意識は、そこで途切れていたのかもしれない。ゆえに光輝と黒紫、二頭の龍が同じく「永久に主と共に在らん」と誓ったのは気付けなかっただろう。しかし二つの武器が粉々に砕け散った時、傀儡人形も砕け灰と化した。主の魂は解放され、龍たちは主の魂と共に天へと還る。実際その姿を目にしたものはいなかったが、フレッドやハゼルにはそれを見ることができたのは、気のせいではなかったはずである。


(これでようやく、在るべき場所へ逝けるよ。ありがとう、さらばだ!)


 それがフレッドの幻聴なのか、兄を想うあまり自ら作り出したのか、それとも本当に聞こえたのか。それは彼自身にも分からなかったが、いずれにしても彼はプラテーナの予言にあった「親しい人との悲しい別離」を、こうして乗り越えたのであった。



43・交渉の場


『戦鬼将コルトは、このクロト=ハイディンが討ち果たした!これより我が軍は天に還りし武人を悼み、2日間を喪に服すこととする!だが、ユージェの諸君には我が兄の魂なぞどうでもよい事だろう!もし戦いを欲するとあらば、いつでも攻め寄せるがいい!我らが全力にてお相手いたすゆえ、相応の覚悟を以って参られよ!』


 コルトが灰燼に帰した後、フレッドは勝ち名乗りを挙げ父と共にヘルダ村へと戻った。ユージェ軍は完全に一家の戦いとその結末に飲まれ、追撃や総攻撃をかけようと意見する者は皆無だったが、ちょうどその頃ザイラスではユージェの別動隊が城壁への攻撃を開始していた。


「フレッド殿が攻城兵器を始末しておいてくれなかったら、我が方の城壁も長くはもたなかったかもしれぬな。だがそれも失われた今、城門に迫る敵を抑えるだけなら我ら重装歩兵団の最も得意とするところ。援軍到着まで、持ちこたえて見せよ!」


 ザイラス正門や、複数ある裏門に通用門などへと殺到するユージェ軍は、ウォルツァー隊長の率いる夜明けの星隊ら重装歩兵団の防御陣を前に攻めあぐね、数に任せた攻撃を仕掛けては撤退を繰り返していた。もともと狭くなる門では数の優位を生かしにくく、重装兵で守りを固め城壁から大型弩の援護射撃があるという状況では、城壁の敵を排除しやすくなる攻城兵器を使えないというのが大きな痛手であった。


「防壁の維持という目的もあるが、おそらくはこの状況も見越していたのだろう。だからあの夜、敵陣に突っ込むなどという危険を冒してでも攻城兵器に火をかけた。しかし敵もやはり正規の軍で、おまけに身軽な亜人も多い。所々で、城壁に登られておるな。今はまだ抑えきれているが、いつまでもそうとは限りませんぞ?」


 城壁守備隊の指揮官シャンクは、ザイラス防衛総指揮官ダウラスにそう報告する。ユージェ軍に残された攻城兵器は臨時の橋を架ける架橋具1台と、梯子を架ける架悌具が1台のみであり、城壁の周囲に堀がないザイラスには架橋具が無用の長物で、架悌具に至っては長さが不足であった。しかし足りない分を、身軽なファロール族などに壁を登らせるという荒業で突破を図ろうとしていたのだ。


「敵は大将さんという畏怖の対象がいない私たちであれば、与しやすいと考えているのでしょう。士気も動きも、ガルディ防壁の時とはまったく別物ですから。しかし私たちも、舐められたものですよねぇ?」


 そう憤慨気味に語るのは蒼空の野鶲隊を率いるフェルミ隊長である。彼女の隊もザイラスとヘルダに籠り、援軍を待つという最終段階に入った時点で斥候隊の役目は完了し、フレッドやリリアンに協力する数名を除きザイラスに詰めていた。


「存在するだけで、敵軍の動きを鈍らせるほどの畏怖を与える……か。それだけを聞けば、まるで伝承にある第一界の魔人や第四界を滅した天敵にも思えてくるが。」


 実際にその当人を見れば、まったくそうは思えない……というのがフレッドを知る者の共通認識であり、だからこそダウラスの言葉にみな笑ってしまった。もっとも、ヘルダ村で行われたフレッドと戦鬼将コルトの戦いを目にしたなら、その笑いは出なかったかもしれない。


「何にしても、援軍到着はおよそ5日後。それまではただひたすら耐え忍ぶのみですが、まったくとんだ開墾期となってしまいましたな。育成期に入ったら、しばらくはゆっくりしたいものです。」


 そう語るウォルツァー隊長の言葉を合図に、一同は打ち合わせを終え各自の持ち場に戻っていく。そして彼らは援軍の到着まで見事に耐え抜くのだが、援軍が到着する3日前にユージェ軍は全面撤退していたのであった。



「ユージェ軍からの使者、という方がクロト=ハイディンという方を訪ねてきております。これってフレッドさんのことですよね。どうしましょうか?」


 コルトとの戦いから2日、ユージェ軍は動きを見せなかった。ハゼルに言わせれば「彼らもまだ、国の功労者を悼む心があるのじゃろう」ということだが、正直なことを言えばそんなはずはないとフレッドは考えていた。ゆえに2日という喪に服す期間が終わるのと同時に使者が来たことは、意外でもあった。


『さて、もう私に直接の用事はないはずなのだけれどね。もしかしたら、戦闘再開の宣言にでも来たのかな。いずれにしても会うしかないから、お通ししていいよ。』


 使者の来訪を伝えに来たリリアンにそう返し、フレッドはしばし考察に耽る。今日は開墾期97日、援軍到着は遅延がなければあと5~7日あたりになるはず。攻城兵器も破壊し、兵の士気でもいまだこちらが上。備蓄面もまだ余裕があり、援軍到着まで持ち堪えることは十分に可能だろう……という所まで考えが進んだものの、その考えは部屋に入ってきたユージェの使者を目にし、きれいさっぱり吹き飛んでしまった。


「久しぶりだね、クロト君。元気そうで何よりだよ。いや、今の君はヘルダのフレッド……だったっけ。まあどちらでもいいか。重要なのはそこじゃあないし。」


 リリアンに連れられ部屋に入ってきたのは、軍学の師でもあるマイアー=ベルトランその人であった。フレッドは彼が幽閉されたというところまでしか知らなかったこともあり、奇しくもかつての恋人とまったく同じ反応をしてしまう。


『マイアー先生が、なぜこの村においでなのです!?幽閉されたと聞き及んでおりましたが、無事に解放されたのでしょうか。もし逃れてきたのならば、私にできることはなんだって致しますので、どうぞご遠慮なくお申し付けを……』


 普段から穏やかな物腰なのはリリアンもよく知っていたが、フレッドのマイアーに接する態度は両親に見せるものに近い。彼のことを「先生」と呼ぶくらいだから、おそらくそこに理由があるのだろうか……とリリアンは興味津々だったが、客人に飲み物を持ってくるようにとフレッドに頼まれてしまい、しぶしぶその場を離れる。


「君も私が幽閉から逃げ出したと思ったのか。フィーリア嬢にもそう思われたし、もしかして私の印象はそういう感じなのかな?もっとも、逃げ出して盟主にコルトのことをご報告申し上げたのだから、確かに一度は逃げているけどね。」


 そしてマイアーは幽閉先に投書があったことや、統一連合の盟主ラゴスの命でユージェ基本法第二条違反の疑いが濃厚なフォーナーを確保しに来たことなどを話す。フレッドが思わず声を上げてしまったのは「フィーリア嬢」という部分ではなく、やはり「基本法第二条違反」の部分であった。


『基本法第二条違反でありますか!?それでは最悪の場合、一族連座の斬首だと?先生の言われるようにフォーナー殿の仕打ちは外道の範疇に入るものですが、幸い兄の魂はすでに天へと還りました。これ以上の犠牲は不必要に思われるのですが……』


 フォーナーのしたことは、確かに笑って水に流すことはできない。しかし同時に、本来であれば見送ることができなかった兄の魂を見送ることができたという一面もある。フレッドも両親も、フォーナーに対して嫌悪感こそ残るが殺意は抱いていなかったのだ。それが、無関係の一族の者にまで及ぶとなれば、尚更。


「まあ、そうなれば当然フィーリア嬢も、双子のお子たちも、本流ではないライザさんすら揃って打ち首となり兼ねない。私としても、それはユージェの未来にとって途轍もない損失だと思ってね。だからこうして君の下に来たというわけさ。盟主ラゴス様のお言葉も伝えたいから、クラッサス様やシロエ様も呼んでくれるかい?本来なら私が出向くべきなのだけど、敵国人が村をうろつき回るのもまずいだろうし。」


 フレッドにはフォーナー率いるダルトン家に、親しい人がいる。一人は共に学び、共に育ち、婚約寸前まで行ったフィーリア。そして二人の政治や経済の師でもあり、フィーリアとは従姉の関係となるライザ。フレッドが直接の面識を持っているのはこの両名だけだが、今の話によるとフィーリアには双子の子がいるらしい。


『あ、かしこまりました。さっそく家に使いをやりまして、両親に足を運んでいただきます。仮に先生が指揮を執るなら我らにはもう勝機はないと思いますが、そのようなことを知らない村の方々は先生が出歩くのをよしとしないでしょうから。』


 動揺をどうにか抑え、フレッドはちょうど飲み物をお盆にのせて戻ってきたリリアンに両親を連れてくるよう頼んだ。フォーナーがああも自分を憎んだのは、ダルトン家の領分を蔑ろにし政治や外交なども主導してしまったからだと考えていたが、そこにどうやらもう一つ、メンツの問題も絡んでしまっていたようだった。


「もうユージェに帰ってくる気はないのかい?今後は、君が出ていかなきゃならなかった要因は取り除かれるだろうし、戻ってきてもいいんじゃないかな。それに私も幽閉中に一度だけ会ったきりだけど、なかなか聡明そうな子たちだったよ。まあ、両親のどちらに似てもユージェの未来を担い得る存在になるだろうとは思うけどね。」


 唐突に核心を突かれ、フレッドもさすがに狼狽を隠し切れない。リリアンが家を出て聞かれる心配がなくなるまでこの話題に触れなかったのは、マイアーなりの気配りだったのだろう。


『先生も、ユージェの民が「私に任せておけば大丈夫」という考えに染まっていったのをご存知でしょう。私は、あれがどうにも怖いのです。もし私が失敗したら?それが失敗ではないのに不当な責めを受けたとき、私は権力を振りかざさずにいられるのか?……それらを考えたとき、私にはユージェを去る道しか見出せませんでした。』


 やんわりとだが、フレッドはユージェに戻ることを拒否する。マイアーのほうも素直に戻ると言うはずもないことは承知していたので、この問題で言い争うようなことはなかったが、最後に一つだけ付け加えた。


「男の子はグロウリィ、女の子はグロリアと言うのだそうだ。歳は、君がユージェを出た翌周期の生まれだから今周期で4歳になるのかな。君の銀髪とも、フィーリア嬢の金髪とも違う白金の髪が印象的だったね。しかし、フィーリア嬢の結婚相手は婚約発表直前に流行り病で亡くなったそうだけど、お子は授かったらしい。死者の名ゆえ伏せたいとフォーナー殿は申していたが、いったいどこの誰だったんだろうねぇ?」


 絶対に答えを分かって言っているな……というフレッドの予想は的中していた。マイアーは妊娠を隠したいというフィーリアの願いを聞いたライザに相談され、安定期に入るまでフォーナーを「統一連合成立後、初となる重要な視察」に随行させ、時間をかけてユージェ各地を視察し首都のフィーリアから引き離したのだから。


『私にも誰かは分かり兼ねますが、天に在るであろう父親の魂も……おそらく彼女やその子たちの幸福を願ってはいると思います。それとは別問題ですが、私も連座の罪で将来有望な女性や子供らが犠牲になるのはいい気もしません。でき得る限りは、ご協力させていただきたく存じます。』


 マイアーは軽く笑いながら「そうなのかい?」と答えるのみだったが、後にこのとりとめもない話がフォーナーをユージェ基本法第二条違反から逃れる手立ての仕込みだったことに気付かされ、フレッドはやや憂鬱な気分になってしまう。いずれにしても師弟の会談は、これから本番を迎えようとしていた。

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