第18話 嵐の予感
35・皇軍出陣
「ブルート卿。ザイールにユージェ軍が侵攻して参ったとの報せが入った。すぐに増援の準備を整え進発させるが、卿はいかがする?」
皇帝アヴニールの生誕27周期を祝う祝賀祭を目前に控えたこの日、ザイールからの急報が宮中を震撼させた。ユージェとはいずれ戦う日もあろうかというのは万人の共通感覚と言えたが、それは皇国が攻める形でのものである。多くの者は攻めることがあっても、攻められることがあるとは微塵も考えていなかった。
「はっ!我が領で起きました一大事なれば、私もすぐに帰還したいと存じます。陛下の生誕祭にご招待いただきながら、それに参加せず戻るのは心苦しい事なれど、ザイールでは皆が私と援軍の到着を待ちわびているはずですので。」
この場にいる領主のうちどれだけが、自分の領地を大軍で攻められて「戻る」と言い切れるのだろう。大半は安全な首都から、状況の推移を見守るだけだろう。自分は安全なところから、ただ無責任に戦え、守れと指示を下す。そういった特権階級特有の図々しさには本気で辟易しているアヴニールだが、その最たるものが皇帝である自分自身ということにこれ以上ない憤懣を抱えていた。
「実は余が自ら出陣しようと考えたのだがな。そのような例は過去に一度もないと却下されてしまった。例がないのは当然であろう、ユージェ統一連合が誕生したのはつい近年のことなのだから。どうして、彼らはこうも頭が固いのか……」
そう言われても、ブルートには肯定も否定もしようがない。どう答えても一定数を不愉快にさせる話であり、不用意にどちらかと答えてしまうよりは、さりげなく受け流すのが最適解だったからだ。
「ザイールには陛下に御名を頂戴した[銀星疾駆]もおりますれば、かの者が陛下に成り代わり侵略者どもに鉄槌を下すことでしょう。陛下にはシルヴァレートにお残りいただき、皇国の威信を知らしめたとの吉報をお待ち下さるようお願い奉りたく。」
皇帝は「そうか、あの者がおったか」と機嫌を良くし、皇帝に親征などさせたくない一派からも「よくぞ申した」との評価を得たこの返しは、この場にいたブルートの旧友グロウに言わせると「なかなか器用に立ち回ったな。昔が嘘のようだ」とからかわれることにもなるが、確かにうまく切り抜けたのである。
「では、ザイールへの増援には[破城崩壁]を以って当たらせよう。アウデン団長は[銀星疾駆]と知らぬ仲ではないし、重装とはいえ騎兵団ならば歩兵団より到着は早まろうからな。アウデン団長。卿らには皇国主力兵団では初となる、軍隊規模の外敵との対峙を任せることになるな。皇国の名に恥じぬ戦果を期待しておるぞ!」
その皇帝の勅旨により、望外の幸運を得たアウデンを激励の言葉が包み込む。もっとも、中には嫉妬の目線を向ける者もいたが、これにより[破城崩壁]は皇国正規軍では初の対外戦闘を行う栄誉を担うことが決定された。
「これは陛下……それにアヴェリア様も。わざわざのお見送り、もったいなき栄誉にござります。私はこれより昼夜問わずザイールに駆け戻り、領民や同胞を救ってまいります。皇国勝利の吉報、どうぞご期待くださいますよう。」
そう言って深々と礼をしたブルートは、すぐ竜に跨りシルヴァレートを出発する。ここからは一秒でも惜しいほどに時間が貴重なものとなり、その浪費次第で犠牲が大きく広がってしまう。いくら高貴な相手といえど、長話をする余裕はなかった。
「美人が相手でも、さすがにかまけているゆとりはないか。結構結構。」
シルヴァレートを出た直後にそう声を掛けてきたのは、ヘイパー州を預かる現領主グロウ=ランサム。前周期はブルートがシルヴァレートの帰路に故郷のヘイパー州へ立ち寄ったが、今回はグロウがザイールに寄って帰ることにしたのだ。もっともそれは建前であり、命を狙われている彼は多めの兵を率いての首都訪問だったので、増援の一員として親友の危機に協力したいと皇帝に願い出たのである。
「そりゃあ俺だって分別くらいは弁えるさ。確かにアヴェリア様はお美しいが、さすがに俺とじゃ育ちから何から違い過ぎてな。高嶺の花と雑草じゃ釣り合わんよ。」
「君だって生まれは領主の家なんだからそう悪くないだろう。育ちのほうは……そうだな、まあ何とも言えんが。しかし、友達には恵まれていたはずなんだがね。」
ブルートは「友達に恵まれた記憶はないな」と笑いながら返したが、実際のところは確かに恵まれていた。そしてそれは昔も今も変わらない。
「俺はザイールに大切なものがたくさんあるんだ。もう二度と、あの時のように……手放したり失ったりはしない!」
去り行くブルートらの援軍部隊を見送った皇帝アヴニールは、妹や執事と共に白銀宮へと戻っていく。ちょうど1周期ほど前、ここにブルートとフレッドを招き多くの話をしたことは、今も鮮明に覚えている。
「余は、なぜ皇帝の血筋に生まれついたのだろう。もしそうでなければ、あの男たちのように己の意思を貫く生き方ができたのかもしれない。だが余は、神聖シルヴァンス皇国を預かる皇帝。自身は捨ててでも、皇国の未来を考えねばならぬ身だ。」
誰よりも強大な力を持つ彼だが、その身に真の自由はない。あるのは管理された首都の中だけでの自由であり、さながら見世物小屋の檻の中に閉じ込められた動物も同然である。彼は皇帝としての責務を投げ出した過去の幾人かを心の底から軽蔑していたし、自分は絶対にそうならないとも決めている。だがその決意こそが、若き皇帝から自由を奪う最大の要因となってしまっていた。
「お兄様は、真面目過ぎるのですわ。政務以外にも何かの、気を抜けるような趣味をお持ちなさればいいのに。アウデン団長と[銀星疾駆]殿の乗り比べは、かつて見た記憶がないほどに大層お愉しみのご様子だったと爺やから聞いております。また、あのような催しを開かれてはいかがですか?」
皇帝は軽く笑いながら「シアは世に不真面目になれと申すか」と返し、妹が真っ赤になって否定するのを楽しんでいたが、言われてみれば確かにあの乗り比べには心動かされるものがあった。首都から自由に動くことも叶わぬ自分に比べ、この者たちの躍動感と来たら……そう思えばこそ、あの競り合いには憧れる一面があった。
「そうだな。次は余が、あの[銀星疾駆]やアウデン団長に挑んでみるか。厳しい鍛錬は必要であろうが、相手が強大であればあるほどやる気も出るというものだ。」
普段は対立している改革派も保守派も、全員が一致して反対するであろうプランを口にしてアヴニールは大笑いした。もっとも、部下たちには皇帝の突拍子もない考えに反対する機会が巡ってくることはなかったが。
36・姿なき襲撃者
「輸送隊は我が手勢で護衛しておりますゆえ、目下のところ被害はありませぬ。が、輸送隊から物資を受け取りそれぞれの輜重担当者が各自の隊へ戻る際に襲撃を受けることが多発しておりますな。この地がすでにユージェの支配圏内だと高を括る愚か者が痛い目を見ております。それ自体は自業自得なのですが……」
補給を担当する後陣の専属武官であるペルゼがそう報告する相手は、後陣の指揮官にして輜重隊総監のフィーリア=ダルトンである。後陣はユージェとザイールの境でもあるガルディ防壁の跡地に補給拠点を築き、ユージェから運ばれてくる物資をザイール領内に侵入した味方へと、過不足なく送り届けるのが仕事だった。
「あの人はユージェにいた頃こそ派手に戦っていたけれど、それはそう演じなければいけなかったから。本来はこういう地味な作業のほうが好きなのよ。きっと今頃は、嬉々としてこちらの妨害に勤しんでいるのでしょうね。まったくもう……」
補給隊が狙われ、物資を奪うなり燃やすなりする集団が出現するという話が出たとき、フィーリアは誰の手によるものか瞬間的に理解した。彼女の父も含め、ユージェの人々にとってクロト=ハイディンとは軍を率い華々しい戦働きを見せる眩い男であるが、その姿が虚像であることを彼女は知っている。もちろん、並の実像よりも立派な像だが、当人が兄の陰にある裏方役を志していたことを知る者は少ない。
「英雄殿が襲ったのは、500にも満たない兵しか出さなかった隊のみです。多勢を率いていれば発見報告も出るはずですから、率いている兵は多くはないのでしょう。物資の受け取りには必ず500名は寄こせ、と指示を出せば輜重の問題は一先ず解決すると思われますが、それをするとザイール南部に広がった我が軍には多数の遊兵が出てしまい、もし分散中に敵が本営に決戦を挑んできたら数の有利を生かせませぬな。」
これだから、侵攻側というのは難儀な戦になる。一直線に州都へ向かいそこを陥落せしめれば勝利だと考える単細胞もいるが、その途上で補給線を遮断されたらどうなるのか。飲まず食わずのまま兵に戦いを強いるのか、それとも現地で強引にでも調達でもするのか。どちらも敵か味方かは別として、戦後に深い恨みを残すだけである。
「この州の南部は、多くが疎開し村落はもぬけの空だそうですね。制圧を確認し安全圏を増やすやり方は基本通りとは思いますが、相手が相手なのでこちらも大胆な手が必要だと考えます。そこで、各地に分散している兵を州都ザイラスに向ける隊と、あの人たちが住んでいたというヘルダ村に向ける隊、両者の中間に位置し奇襲に備える3つの隊に再編成いたしましょう。」
フィーリアは制圧を確認するために分散している隊を呼び戻し、隊を3つに再編成する案を出した。ザイール南部はその多くが無人の村落で、軍が駐留できるような施設もない。無理に確認しなくとも、ほぼ安全圏であると言えた。唯一の危険は襲撃者の存在だが、フレッドの遊撃隊がどれだけ強くとも奇襲を警戒している5000ほどの集団には容易に太刀打ちできるはずもない。そして何より「ヘルダ村に一軍が向かっている」と聞けば、彼も国境付近で嫌がらせに興じている場合ではないはずなのだ。
「私が以前に見た限り、ヘルダ村は堅固な城砦です。そしてあの闘神殿も、いまだご健在でありましょう。あそこには州都ザイラスに向かう隊よりも優れた者どもを送らねば、いたずらに犠牲を増やすことになるでしょうな。」
かつてユージェの先遣隊を率い、ヘルダ村を襲ったペルゼは傭兵と村人の混成部隊に完敗を喫した。数は同等だったが、城砦化した村を攻める手段がなく正面攻撃を強いられた結果、その守りを抜くことができなかった。今回も攻城兵器は失ったが兵の数は勝っており、闘神クラッサスに対抗し得る戦鬼将コルトという札もある。この状況だけ見れば、ユージェの優位は動かぬはずであった。
「ペルゼ将軍の御懸念は分かりますわ。あの人が、不利を不利のまま戦いを終わらせることはないですもの。必ず、こちらの予測を上回る何かを仕掛けてくるはず。とはいえ、それが何かは不明ですから……こちらは自分たちの最善を尽くしましょう。」
フィーリアは父フォーナーに直談判を行い、この作戦計画の了承を取り付ける。補給が滞る隊が出始めていたことはフォーナーの悩みの種であり、ヘルダ村に兵を進めれば居所の割れないあのフレッドも出てくるはずと睨んだからである。こうしてユージェ軍はザイール南部の各地に送っていた制圧隊を呼び戻す決定を下した。
『南部の各地に散開していた敵が集結を始めたようです。決戦が近いのか、疎開の村落ばかりで制圧確認は不要と判断したのか、それ以外の狙いがあるのか……理由は不明ですが、こちらも対応が必要となりましょう。これについて皆さんのご意見は?』
フレッドは幹部にそう尋ねるが、基本的にどうするかはフレッドの中でほぼ固まっている。自分でも迷っているときに部下の意見を頼るのは、命を預けてもらう立場としては許されないと考えているからだ。では、ほぼ決まっているのになぜ意見を尋ねるかというと、自分と違う物の見方をする人の意見を参考に、必要とあらば自身の案を見直すためである。そのため、例えどのような的外れな意見が出たとしてもフレッドは発言者を責めたり貶めたことはなかった。
「これまで、迂闊な隊はことごとく我らに物資を奪取されましたからな。その一方で輜重隊の直属と思われる部隊は、まるでスキがありません。簡単に奪われる愚か者に運ぶ側が頭にきて、ついに「お前ら集団行動しろ」と抗議でもしたのでしょう。」
茶化すような物言いになってはいるが、アル=ファールの見立てはかなり正解に近かった。フィーリアやペルゼから再編計画が持ち上がったのも、油断して物資を奪われる隊が続出したことが理由だったからだ。
「私が思うに、これは我らの行動を抑制するためなのかと。我が隊がこれまで攻撃を掛けたのは、必ず我らより少数の隊でした。そこで隊を集まれば、我らは攻撃を仕掛けてこないであろうと悟られても不思議ではありませぬ。」
ベタル=システは、その点に関してはやや残念に思っていた。自分たちより数が多くとも、奇襲をかけることができ兵の質も勝っているのだから負けるはずはないと考えていたのだ。しかしフレッドはリリアンらの念話能力も活用し、徹底して自分たちより少数の隊しか攻撃させていない。そのため、ガルディ防壁で行った奇襲攻撃作戦で失われた13名以外の未帰還および犠牲者は出ていなかった。
「わたくしは、やはり近々に大規模な攻勢があるのだと思います。分散した兵を集める理由としては、集中させなければいけない事象……つまり決戦が望みなのかと。」
グアン=マーセの意見は、もっとも常識的なものである。まだ州都ザイラスまでは10日ほどかかる南部の中央部付近だが、このまま分散行動を続けたままザイラスに近づき、ザイール軍の総力を結集した奇襲でも受ければただでは済まない。敵の本拠地に近づくにつれ、戦力の再集結を計るのは戦の常道なのだ。
『皆さんの意見は、どれも的を得ていると思います。私の意見も皆さんとそう変わらないのですが……』
そこまで話してフレッドは話を止める。フレッドたちは会議に白熱しているだろうと気を利かせたリリアンが、隊の若者に飲み物を持って行くように頼んだのだ。その若者は狩人出身の少年で、竜をどうにか扱えるということで後方支援隊に配属された[華心剛胆]でも最年少の男の子だった。
「ああっ!すみません!お邪魔するつもりはなかったのですが、リリアンさんに飲み物を届けるよう頼まれたので……」
その自信なさげな少年の名はロコと言い、ファロール族の出身でフォンティカとも知り合いである。それが縁でリリアンとも顔見知りであり、こうして雑事を頼まれてしまうのだった。
『いや、誤らなくていいですよロコ君。ちょうど少し休憩でも入れようかと思っていたところですから。』
まだ成人になりたての16周期ということもあるが、やはりファロール族ということが影響しているのか、この子も自分には自信が持てず己を卑下してしまう性格の子だった。度を越えた後ろ向きな考え方はいいことをもたらさないので、どうにかして自信を持つようになってもらうきっかけにと入隊を許可した経歴があるのだ。
『いい機会だから、ロコ君にも意見を聞いてみようかな。でも君はきっと「猟師の自分なんかに軍のことなんて分かりませんっ」と言うだろうから、質問の内容を少し変えるね。君たち猟師は「的が小さくて身軽なため矢も当たらず、危険を感じればすぐ逃げ出すような獲物」がいたら、どのように仕留めるのだろう?』
ここで言う猟師とはユージェ軍、身軽で逃げる獲物はフレッドたちのことである。しかしロコはそうと気づかず、身近な狩りの話題になったこともあり言葉軽やかにその狩猟方法を提示して見せた。
「そうですね~。それならやっぱり、罠を仕掛けるのが一番じゃないでしょうか。獲物の好物を置いて漁りに来るのを待ったりするのはよく使う手です。」
それは実際の戦闘に於いてもよく使われる方法でもある。実際ここ数日前には、護衛の数が少ない輸送隊だと思わせておいて、物資が詰まっているはずの竜車の中から戦鬼将コルトが出てきて急ぎ逃げ出した……ということもあったのだ。
「あとは、獲物の巣穴で待ちかまえるという手も使いますね。もちろん、巣の場所に見当がつかないと使えない方法ですけど……分かっていれば、そこへ絶対やって来るんですからこんなに楽なことはないですよ!」
それを聞いていたフレッドは思わず顔を上げる。そうだ、その可能性があった。敵はフレッドの「巣」がある場所を知っていて、そこを襲えば獲物が出てこざるを得ないことも分かっているのだろう。つい「ザイール対ユージェ」の図式で考えてしまっていたが、この戦いは元を糺せばフレッドへの怨恨から始まっていたのである。
『ロコ君は真理を弁えているね。君はもっと自分に自信を持って、そして狩り以外のことも学ぶようにするといいよ。人の上にも立てる男にだってなれるだろうから。』
思わぬ相手からの思わぬ言葉にロコは照れ切ってしまっているが、そんな彼の意見を聞いてフレッドの心は別の方向で固まった。自分一人の考えではまったく見落としていた、国同士の戦争にあるまじき個人感情。それへの対応だ。
『敵がヘルダ村へ向かう可能性があります。ザイラスにも使いを出し、我らは敵より先にヘルダへ戻り準備を進めましょう。杞憂であるといいのですが、そうでなかった場合は戦鬼将コルトとも決着をつけないといけないかも知れません。父さんの前にあの敵を連れて行きたくはなかったのですがね……』
ガルディ防壁の陥落から6日、ザイール南部で地味に繰り広げられていた補給線寸断の戦いも、ユージェ軍の再編成という形で幕を下ろす。3日後、ユージェ軍は予定通りに3つの隊を編成し、ザイラスとヘルダに向け進軍を開始した。この日L1028開墾期85日、会敵からほぼ20日が経過している。援軍到着の目安まで、残すところはおよそ15日~20日といったところであった。
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