第16話 国境の戦い

31・開戦の狼煙


『予測通り、敵軍もお早い到来でしたね。予測が的中してもまったく嬉しくないあたり、本当にどうしようもないですが。さて、取り敢えず手筈通りに狼煙でザイラスに敵軍襲来を伝えて下さい。南部の住民を中心に、難を避けたいものはザイラスやミツカへ疎開せよとの触れを出すのも忘れないように。』


 ユージェ軍の先鋒が間道出口に到着するのはおよそ2日後。それまでにはザイラスからの使者が首都に向け発つはずなので、交戦開始から約38日が援軍到着の目安となる。大軍であることの優位性を最も生かせないのがこの間道出口のため、ここでどれだけ敵を足止めできるかが勝負の分かれ目であった。


「斥候隊によりますと、敵の総数は不明とのこと。先鋒隊は推計で4~5000というところだそうですから、最低でも15000には届きそうですな。我が方の倍以上、この場の兵だけで数えれば5倍ですか。なかなかに面白き状況となって参りましたな。」


 歴戦の武人アル=ファールはそう言うが、多くの者にとっては面白いどころの話ではない。ガルディ防壁には華心剛胆の1200と、ザイール新州軍からは1800ほどの兵が詰めており、これはザイール所有兵力の4割にもなる数である。しかしそれでも、敵の先鋒部隊にすら数で及ばない。先行きを不安視するほうが自然と言えた。


『まあ、力攻めで来るなら倍くらいは抑えられますよ。いくらユージェに亜人多しといえども、私の知る限り飛んだり垂直の壁を走って登る者はいませんでしたから。梯子をかけて侵入を試みるという愚策で攻め寄せるならば、15日くらいは稼げます。このあたりは、あちらの指揮官がどのような手で来るか見極めてから考えましょう。』



 一方のユージェ軍は、先鋒・中陣・本営・後陣と隊を4つに分けていた。先鋒隊は竜騎兵を中心にした速攻重視の隊で、中陣はその後に制圧などを行う軽装兵が主力である。本営はかつてのヘルダ村における敗北から学び、城砦化された拠点を攻めるための攻城戦を目的とした部隊であり、後陣は補給路の確保と物資の運搬を担う部隊となっていた。そのうち、最終局面の出番に限られるであろう本営を率いるのはフォーナー=ダルトンその人である。現在はユージェ統一連合・第二代宰相の地位にある彼だが、ユージェ初の大規模遠征を主導した責任者として、総指揮官を務めていた。


「先鋒隊は間道の出口で敵軍と遭遇したとのことです。敵は出口に防壁を築き、我が軍の領内侵入を防ぐ算段の模様。本営からは攻城兵器だけでも、急ぎ前線に送られたし……と申してきております。」


 部下からそう報告を受け、フォーナーは急ぎ攻城兵器の前線送りを命じた。もともと政務を得意としていた家ということもあり、戦闘は不得手である。前線の指揮官がそう要望するなら、それを叶えるのが自身の仕事であると割り切っていたのだ。


「敵は辺境州ゆえ、大した兵力は抱えておらぬという話だったが……防壁まで準備しているとなると、やる気はあるということか。となれば、指揮官は「あの男」ということで間違いあるまい。目的のためなら卑怯なだまし討ちも恥とは思わぬ男だ。絶対に油断だけはするなとツァイ将軍に伝えよ。」


 言葉の端々から、あの男ことクロト=ハイディンへの憎しみを感じさせる指示を出すと、フォーナーは行軍計画の見直しに入る。現在のペースはあくまで妨害を受けることなくザイールに侵入できた場合のものであり、先頭が足止めを受ければ後続も前進を緩めなければ過密状態で身動きも取れなくなってしまう。それを避けるため、二列目の中陣は予定通り前進し防壁の攻撃に加わらせ、三列目以降の本営と後陣は一時停止という措置が取られた。


「奴を捕らえ、この手で処断してやることが望みだからな。せいぜい、戦場で野垂れ死にするような無様な結果にだけはなってくれるなよ?」



 一方、ユージェ軍の後陣を率いるのは輜重隊総監・フィーリア=ダルトンである。彼女は大遠征が決まった直後、自らも「軍需物資の横領や浪費が激しい」ことを理由に輜重隊総監の任を名乗り出で、横領問題で悩んでいた軍高官は「女傑」の活躍に期待することとなったのである。もちろん、彼女の真意は別のところにあったが。


「先鋒隊は接敵したようですわ。防壁を築き待ち構えていたそうですから、わたくし達が攻めるであろうことは見抜かれていたというわけね。先鋒隊は騎兵中心の構成でしたが、防壁を攻めるとすればどのような手段を用いるでしょうか?」


 そうフィーリアに問いかけられたのは、かつてヘルダ村に攻撃を掛けたペルゼ=クスト。彼自身はこの遠征に反対の立場だったため、前線には配置されず後陣の警護隊を任されていた。もし彼が先鋒や中陣を指揮していれば、フレッドも予想以上の苦戦を強いられたかも知れないが、この時点での運はザイールに味方していた。


「門がない、という思い切った壁だそうですからな。騎兵隊が丸太なり岩なりを引っ提げて疾走し、門にぶつけ突破を狙うことはまま有りますが……英雄殿にはそれを防がれてしまった以上、梯子をかけて登るか攻城兵器と中陣の到着を待つよりほかないでしょう。これで何事もなく、2日ほどは足止めされますな。」


 その分析の通り、ガルディ防壁では両軍が対峙するも、戦端はいまだ開かれてはいなかった。しかし両軍とも武器を交わすことはなくとも、お互いの投降を呼びかけたりけなしたりするなどの、言葉の応酬は繰り広げられていた。


「壁に隠れて出てこないとは、とんだ臆病者どもよ!」

「出て来い、ハイディンの逆賊ども!時代遅れの貴様らに生きる場所などないわ!」

「降伏するなら今のうちだ。我らに下るのも皇国に使われるのも大差あるまい!」


 ザイール軍の大型弩が届かない範囲から、兵が口々に罵詈雑言を垂れ流すようになったのは、防壁前に先鋒隊が到着した翌日のことからである。防壁を守るザイール軍にも血気盛んな者は多かったが、フレッドはいつもと変わらぬ涼しい顔をしながら「悪口雑言を聞き流すだけで一日が終わるなんて最高でしょう」と言い放ち、まるで取り合おうとしないその気に押され暴発する者は皆無だった。


『とはいえ「時代遅れ」とはなかなか面白い表現ですね。私がいなくなって、ユージェ軍がどのように進化し時代の先端を行くと自負するに至ったか……そこのところ実に興味があります。彼らの言が期待はずれのものでないことを祈りましょう。』


 フレッドはダウラスやマレッド、テアにフォンティカらブルート一行と食事をしながらそう話したが、さすがに言われっぱなしでは士気にも関わるのではとテアやダウラスに進言を受け、兵たちに口での反撃を許可するに至る。こうして、戦場はさながら子供同士の喧嘩のように罵り合いが続く混沌空間となってしまったのだ。


「ユージェからはるばる、また我らに負けるためにやってくるとはご苦労さん!」

「ユージェで我が一門に負けた貴様らが、皇国でも我が一門に負けるか。世界を渡り歩いた負け犬として歴史に名を刻む絶好の機会だな!」


 まったく品位の欠片もない。こんなところ、子供たちにはとても見せられないなと思うフレッドだったが、そんな彼らも戦争でなければ少し口の悪い、しかし気のいい男だったりするのだろう。このまま言葉の応酬だけで終わってくれたら、誰一人として悲しむこともないだろうに……そう考えていたが、ついに一線を越える時がやってきてしまう。会敵より4日後、ユージェ軍の陣に攻城兵器が姿を現したのだ。



32・名は隊を表す


『大型投石器3、大型櫓が2、架橋具2、架悌具2……余程ヘルダでの負けっぷりが気に食わなかったのか、ずいぶんと念入りに準備してきましたね。これは、防壁の損傷は思ったより大きくなりそうです。テアさん、ご苦労を掛けますが修復作業の指揮をお願いたします。私は防衛の指揮を執りますので。』


 防壁には表面に魔道具[鋼糸の格子]にも使われる鋼線が張られており、投石による攻撃を受けても即座に壁の崩落には至らない。その段階で土の神霊術による穴埋めを行い、壁を維持するというのが防衛側の基本戦術だった。


『皆さん、よく聞いてください!敵は攻城兵器を揃えてきましたが、投石器と橋や梯子を掛ける兵器は、同時には使用できません。同時に使えば、投石が味方兵器に当たる可能性が高いからです。』


 防壁の最上部、多くの兵たちが居並び臨戦体制を取る中でフレッドは味方の激励を始める。これまでは罵り合いで済んだが、これからはついに命のやり取りが始まる。命を託された側として、果たすべき役割があるのだ。


『投石攻撃の場合、基本通り防壁の維持に努めます。櫓より撃たれる可能性もありますから、重装兵の皆さんは大楯を、射撃隊の皆さんは応戦の準備を進めて下さい。架橋具による突撃を掛けてきた場合は、補修用の石材を投下し兵器を破壊します。それでも手が回らなければ焼討をかけるので、油と火矢の準備もしておくように。』


 各隊の隊長格にある者を集めそう指示すると、防壁周りは一気に騒がしくなり始める。会敵前に基本的な防衛行動の訓練を行いはしたが、攻城兵器に対する攻撃訓練は行えておらず、言わばぶっつけ本番である。ザイール軍はよく訓練されていたが、やはり緊張の色は隠せなかった。


「まだ火矢に火は付けなくていいんだよ!あの投石器まで矢を飛ばせるのか!?」

「階段に油を置いておくんじゃねぇっ。うっかり踏んでぶちまけたらどうする!」


 その他にも雑多なやり取りがあちこちで頻発するも、どうにか落ち着きを取り戻した頃に、ユージェ軍の攻撃が開始される。投石機からの一射が、防壁のはるか前方にに着弾したのである。


『第一射は軌道観測も兼ねた試射のようなものです。次弾以降は壁に近づけてくるでしょう。着弾点付近にいると感じたら即座に退避するように!』


 大型投石器3基のうち装填済みの残り2基より、さらに攻撃が行われる。それらの攻撃も防壁への直撃こそなかったが、うち一発は防壁の下にある堀に着弾する、いわば至近弾であった。次の攻撃ではおそらく防壁に命中するだろうと誰もが予感するに足る、命中精度を上げつつある攻撃である。


「フレッドさん、補修部隊の用意はできています。敵の投石が防壁に埋め込むようでしたら、そのまま固めてしまってよろしいんですね?」


 テアを筆頭にした精霊使い達も、防壁の内側で補修の準備を終え出番待ちの状態であった。もちろん、彼女らは出番が回ってこないに越したことのない役回りだが、すぐにでも働いてもらわなければならない状況である。そしてフレッドがテアに応じようとしたその瞬間、付近に大轟音が響き渡った。投石の第二波が命中したのだ。



「命中を確認しました!!……が、防壁に目立った損傷は見られません。何か、特別な防護措置が取られているものと思われます。攻撃を継続させますか?」


 ユージェ軍先鋒隊指揮官、ツァイ=コー将軍はファロール族ながら将にまで成り上がった経歴の持ち主である。彼は身体的長所はないが短所もないというファロール・ネトゥーラで、言うなれば人に近いファロール族である。人間はもちろん、亜人種からも「半端者」扱いされるネトゥーラの彼がここまで出世できたのは、努力も才能もあったが「ハイディン嫌い」が何よりフォーナーに高く評価されたからであった。


「当然、岩が尽きるまで攻撃を継続させろ。奴らめ、門がない壁で騎兵を封じようというのだろうが目論見が外れたな。出るに出られぬ壁の上で、破壊しつくされるのをただ見ているがいい。時代遅れの腐れ武人どもに、引導を渡してやるのだ!」


 かつてファロール・ネトゥーラの里がユージェの侵攻を受けたとき、押し寄せたのがハイディン一門衆であった。投降を呼びかけるユージェ軍に対し、それを潔しとしなかったネトゥーラの里は抗戦を試みるも、一瞬で蹴散らされる。そして指揮官のクロト=ハイディンは戦後、誰一人として処断することなくネトゥーラの里にユージェへの臣従を求め、再考の機会を与え去っていった。多くの者はそれに感謝したが、もともと一族に引け目を感じていたツァイらは、誇りを汚されたと考えたのだ。


「明日は岩の切り出しを交代で行う班以外は非番とする。今日はありったけの力を振るい奴らに思い知らせるのだ。震えて夜も眠れぬくらいに恐怖を刻み込んでやれ!」


 この投石攻撃は安全圏から一方的に攻撃できるが、大きな弱点も抱えている。これだけ大掛かりのものである以上、的の大きさから敵にも投石器があれば一瞬で破壊されてしまう。そして何より、撃ち出す石の確保である。敵地に着弾した石を回収に行くわけにもいかないため、岩場から岩を切り出すなり精霊使いに岩を生成させるしかないが、いずれにせよ纏まった攻撃を行うには1~2日の準備期間が必要だった。


(敵は投石器で反撃することはできず、防壁から打って出ることもできない。術での補修を行っているところから察するになかなか優秀な術師はいるらしいが、壁から降りる坂などを作って攻めてくることはあるまい。降りてきたところに集中攻撃を掛けられ、ただ死んでいくだけであろうからな。つまり、我らはこのままで勝てる!)


 状況はユージェ軍が一方的に防壁へ攻撃を掛け、ザイール軍は壁の補修で手一杯である。それを維持継続すれば勝てるというのは極めて妥当な見方であった。ザイール軍に、彼らが思う通り防壁より前に出る手段が何一つなければ……だが。



『それにしても、えらく気前のいい攻撃ですね。今夜は勝利の美酒にでも酔って、明日からはさらなる攻撃のため岩の採取に励む……といったところでしょうか。』


 ユージェ軍の猛攻がツァイの思惑をフレッドに悟らせるのに、そう時間はかからなかった。基本的に投石器はその攻撃で損傷を受けた部分に、兵員を集中させ突破を図るものである。門という分かりやすい弱点がないため、取り敢えず撃てるだけ撃ってしまおうということなのだろうが、こうも後先を考えないまま石を消費すれば補充のために時間を取ることは目に見えていた。


「クラッサ……いえ、ハゼル様のおかげか「軍中で酒を飲む」ということに抵抗がないですからな、ユージェの民は。これだけ一方的に気分よく殴り続けて勝てば、そうもなりましょう。ここは一つ、お礼参りに行くとされますか?」


 アルはニヤリと笑いながらそう言い放ち、フレッドもニヤつきながら「そうしましょう」と返す。フレッドとしてはこの「すぐ酒を飲む」習慣はどうにかして国を出たかったが、その原因が自身の父親にあっては強くも言えず、ここは改革できなかった。そして皮肉にも、それが原因で奇襲が成功することになるのだ。


『我が[華心剛胆]の前衛隊の諸君は夜襲に備え、これより防壁から下がり休息に入ってください。約600で10倍ほどの敵陣に突入する、我らの初陣としてはまたとない見せ場ですからね。昂る気もあろうかと思いますが、夜まで抑えて下さい。』


 前衛隊の面々は戦慣れした者ばかりだが、この[華心剛胆]としてはこれが初陣ということになる。その最初の直接戦闘が「敵の先鋒と中陣が合流し10倍はある敵陣に斬り込む」というのだから、テアやマレッド、フォンティカら戦争に慣れていない者はもちろん、ダウラスやウォルツァー、フェルミといった傭兵出身者から見ても頭がおかしいとしか感じられなかった。しかし、当の本人たちとくれば散歩にでも出かける体で各々が準備に取り掛かっていた。


「せっかく重装備の訓練をしたのに、前衛突撃隊も軽装備で出撃ですって。初陣でこれって、ベタル隊長は不運の星の下にお生まれになられたのかも知れないですね。」


 そう長槍隊の隊長グアンにからかわれたベタルはやや不服そうな顔をするも、夜襲を掛けるのに金属音が鳴り響く重装騎兵が不向きなことは承知している。そして何より彼も彼の隊員も、軽装騎兵が本来の姿である。久しぶりに重い鎧と盾を捨て去り、身軽でいられると喜ぶ者までいたのだ。


「それよりグアン隊長は、攻城兵器に火をかける役目であるな。動かぬ兵器が相手では面白みも無かろうが、ご自慢の長槍でしっかりと火袋を突き刺していただきたいものだ。所詮は動かぬ、訓練用の的と大差ない兵器が相手でつまらんだろうが。」


 からかったことへの報復は、強烈すぎる嫌味であった。この役目が決まった時にグアンも抵抗を試みたが、フレッドには「確実に刺すなら長槍の皆さんが適任」と言われてしまってはそれまでである。しかも、この夜襲の目的は「敵兵の討滅」ではなく「攻城兵器の破壊」であるため、成功すれば勲功第一は揺るぎない。アルにしてもベタルにしても、隊長格では最年少のグアンに花を持たせてくれたのだが、本人としてはやや納得のいかない部分もあった。


「ええ。皆さま歴戦の勇士たちはどうせ、経験不足の若造には動かぬ的がお似合いとお考えなのでしょう。しかし申し付かった以上、お役目は果たしますとも。そして、勲功第一も私ども長槍隊で頂戴いたしますわ。」


 そう言って隊に戻るグアンの背を見ながら、フレッドやアル、ベタルは顔を見合わせ肩をすくめるも、彼女の隊の働きが最重要の奇襲である。露払いを務める男たちは隊列や退却手順などの打ち合わせを始め、いずれ訪れる「祭の夜」に備え始める。L1028開墾期71日、皇国軍の増援到着予定日までおよそ34日となるその日に、この戦いに於ける最初の転機を迎えようとしていた。

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