第15話 そびえ立つ防壁

29・防衛戦準備


『防壁のほうは、意見書に沿った形で用意していただけたようで。これなら大軍が押し寄せても10日くらいは確実に抑えられると思います。ここから真っ直ぐザイラスに向かったとして、軍隊規模の速度ならおよそ15日ですから、あとはどこかで15日程度を稼げれば本領からの援軍が間に合いますね。』


 演習後、フレッドは完成間近のガルディ防壁の視察をブルートと行った。ザイールの南端、中央山脈に通じる間道への入り口たるここは、軍隊規模の人と物資がユージェから中央山脈を越えてザイールに入るなら避けて通れない場所である。


「しかし、あちら側に通じる門を壁には作らず完全に塞ぐとはな。平時は地下道を通行させ、いざ戦時となればそこを堀にして沈めちまうわけか。」


 ガルディ防壁の特徴は、城塞防衛側の欠点となる門を廃していることであった。積み重ねられた石壁には突き破るべき門はなく、壁の中央山脈側は空堀となっており、その空堀に防壁の直下を通る地下道が用意されている。平時はここを通過すれば防壁を越えてザイールや中央山脈へ抜けることもできるが、戦時では空堀に水を満たして通常の堀にすると同時に、地下道も水に沈め通行は不可能となる。


『ユージェには水の中でも長く活動できる者はいますが、さすがに水中の鉄扉を打ち破るのは不可能でしょう。水の抵抗が邪魔で破城槌など振れるわけもないですから。それに敵前の堀に潜ろうだなんて考えること自体、おそらくないと思います。』


 敵が到来する前に堀は水で満たされるため、内偵で地下道のことが知られていない限り、そもそも堀の中に突破口があるなど知る由もない。仮に堀の水を抜き地下道から攻めようと考えても、敵前で水を汲み上げるより防壁の上から水を流して堀を埋めるほうがはるかに容易であり、何より時間も稼げる。敵に地下道の存在を知られたら知られたで、何の問題もなかった。


『これはもともと、皇国が押し寄せてきた際の防備にと考えていたものなんですけどね。何の因果か、ユージェに対して使うこととなりました。自分で選んでそういう生き方をしているのだろう、と問われれば肯定するほかありませんが……』


 重装歩兵が主戦力たる皇国軍は、門という動かず、しかも明確な弱点を突破する力はさぞ強い事だろう。ならば門は隠し、重装兵には厳しい壁越えを迫ればいい。壁越えのために鎧を脱いでくれるならそれでよし、重装備のまま登ってくるようなら速度に難があり迎撃も容易になるはず。そういう見立てだったが、アヴニアの重装騎兵隊が突撃をかけ城壁の破壊を狙ってきたら、計画倒れになっていたかもしれない。


(そういう意味では、私は運がよかったのかな。失敗して大きな犠牲を出す前に、別の環境へ移ることとなったのだから。)


 もし今もユージェにいてこちらに来ることがなければ、対皇国の初手はこの型の防壁を用いただろう。それを突破されたからといって即敗北に繋がるとは思っていないが、負けは負けで味方に与える動揺は少なくない。それが、かのクロト=ハイディンともなれば尚更だ。


「これだけ立派なものをこさえたが、持ってだいたい10日が目安か。ユージェはこの防壁を前に、どういった策で攻め掛かると思う?」


 壁自体は石を積み固めたもので、材料もほぼ現地調達である。主な出費といえば人件費くらいだが、それでも少なくない金額がこの防壁には費やされていた。領内に侵入されている時間が長いほど略奪や殺戮の時間は伸びるため、壁を作るだけでそれを軽減できるなら高い買い物ではないが、資金を出す側としてはもう少し長く持ちこたえ、できればここで止めてくれたらというのが本音だった。


『ここで止め切るには、彼我の戦力差が大きすぎますからね。それに、作ったのは壁と堀くらいで拠点機能は持たせておりませんから、ここに長居するのはこちらとしても得策ではありません。いずれ抜かれるところに拠点機能を持たせては、奪われて利用されるのが目に見えておりますゆえ。』


 フレッドはまず、壁の目的についての説明を行う。これが城や砦なら籠城して援軍の到着を待つことも可能だが、それを作るには時間も資材も人員も、あらゆるものが致命的に不足していた。そのため、作るのは比較的短時間で準備できる壁と堀に絞ったのである。


『それとご質問の件ですが……この壁が進軍の妨げになる以上、ユージェ側は壁の破壊を第一に考えるでしょう。城などを攻めるような「壁を登って内部に侵入し門を開ける」という選択肢もないので、手っ取り早く破壊のため大質量をぶつけてくるのではないかと思われます。投石器なのか、テアさんのご同郷の方々が来るのか、まったく別の何かを引っ張り出してくるかまでは分かりかねますが。』


 国境を塞ぐこの壁を破壊しなければ、軍としてザイールに侵入するのは非常に時間を浪費することになるため、ほぼ確実に破壊のための攻撃を行うはずではある。問題はその方法だが、テアほどの精霊使いでも「破壊するのに10日近くかかる壁はどれくらいの規模か」という意見をもとに設計されたので、術による破壊工作であれば予定の時間くらいは稼げる見込みであった。


「となると、術と投石器なんかの搦手で来られたらもう少し陥落は早まるか。地下道は水浸しでこちらから打って出られない以上、投石器もただ見ているしかないってのは、なかなかに厳しいところだな。」


 こちらが壁から出る気がないというのは、普通の門がない時点で敵にも伝わる。そうなれば当然、敵と対峙していても投石器の準備なども余裕を持って行える。それらをユージェから持ってきていなくとも、近隣の樹木を伐採し臨時の投石器を制作する工作技術者は帯同しているはずなのだ。


『それにつきましては、一度きりですが敵陣への攻撃が可能です。ヒシブ川のせき止めを行っているのはご存知と思いますが、これは堀へ供給する水の水源確保という面もある一方、この川が流れていた場所は間道への迂回路としても使えるのです。防壁への攻撃が開始されて数日、我らはただ黙って攻撃を受けるしかない素振りを見せつつ、機を見て敵陣に夜討ちでもかけましょう。攻撃隊の帰還後、川のせき止めを解除すれば敵に利用されることもなくなりますので。』


 余裕があればわざとらしく撤退の脚を遅らせ、敵の追撃隊が干上がった川を追ってきたら堰を切り水計を仕掛けてもいいのかもしれない。ただ、これは奇襲前に敵が干上がった川を利用して攻めてきた場合の保険として用意した策であり、どちらが先にそこを使うかは実際にその状況にならないと判断がつかない事象であるため、フレッドはその案をここでは口にはしなかった。


「川底の迂回路か……確かにこれは、土地勘のある俺たちだからこその策だな。不意打ちを受ければ、その後は警戒も厳になるだろうが攻め手は鈍るって訳だ。」


 あらかたの準備は整いつつあり、残るは「いつ攻めてくるか」である。来周期か、それともその次か。時間があれば防壁もより強固にでき、兵員の増強もいくらか見込める。そして、防壁の建設はユージェの斥候隊も知るところであるはず。こちらに備えの猶予を与えぬため、早い段階で仕掛けてくるだろうというのが見立てだった。


『私はいったんヘルダに戻りますが、来周期に入って40日くらいにはここに詰めておきます。ブルートさんは領主として皇帝生誕祭を欠席するわけにもいかないでしょうけど、ザイールのことは安んじてお任せください。もし事あれば、援軍を連れ戻っていただければいいので。』


 それを聞いたブルートの表情はやや曇り気味だ。フレッドの言う通り、ザイールの危機が訪れるかも知れないその時に、彼は遠く離れた首都シルヴァレートにいなければならない。皇帝には新領主に選ばれたことを自身で報告し、その許可を貰った礼も述べねばならないのだ。しかも領主は原則、生誕祭には出席することが義務付けられている。もしかしたらユージェが攻めてくる可能性がある、という不確実な理由で欠席することなどは許されるはずもない。


「大事な時期にザイールを離れねばならんというのは、どうにも心苦しいが……ここはお前たちを信じて任せるとするさ。シャンクの野郎は俺が首都に連れて行くから、もしユージェとの戦いになったら自由に采配を振るってくれていい。酷なことを強いているかもしれんがな。」


 元ユージェの男に、ユージェとの大規模な戦いを指揮させようというのは、確かに酷な仕打ちのようにも見える。以前あったヘルダ村の襲撃でも多くのユージェ兵が犠牲になったが、戦後フレッドがヘルダ村郊外に造成されたユージェ兵の共同墓地に足繁く通っていたことも、よく知られている話である。


『早いか遅いか、ここかそうでないかの違いこそありますが、皇国とユージェの戦いは必ず起こるものでしょう。それが、私のようなおまけ要素も加わったおかげでここザイールになってしまったというだけです。私には戦端を開くことになる一因がありますから、敵味方問わずに……必ず最小限の犠牲で終わらせて見せますとも。』


 戦争ともなれば、犠牲が出るのは避けられない。しかしその犠牲を減らして戦いを終わらせることは、不可能なことでもない。ただし実現には将が考えに考えを重ね、うまく終わらせる手段を探し出さなければならない。だが、それこそがフレッドの仕事なのだ。犠牲も考えず、戦いの終わらせ方も見えないまま「戦え、戦え」と兵たちを扇動するだけなら、誰にだってやれることなのだから。



30・帰郷


『ヘルダに帰るのも約200日ぶりですか。みな息災でありましょうかね。ところで皆さん、ヘルダで父は「闘神」でもなければ「先代」でもありませんので、どうかご留意を。あと、私を「ご当主」と呼ぶのも厳禁です。私はフレッド=アーヴィン。父はハゼル=アーヴィン。よろしいですね?』


 フレッドのことをよく知らないミツカの人々の前では、ご当主と呼ばれてもそれが[華心剛胆]の決まりなのだろうと思われるだけで済んだが、見知った顔ばかりのヘルダ村でそれをされるのはさすがに気恥ずかしいものがあった。そのため、ユージェ出身者には自分たちの呼び方を徹底させる必要があったのだ


「委細承知いたしました、フレッド様。……う~む、これはどうにもしっくりきませんが、おいおい慣れるでしょうか。イーグ殿は簡単に適応できた、と申されておったが本当か疑わしいですなあ。」


 アルを始め、前衛隊の指揮官もやや戸惑いつつ、フレッドやハゼルの呼び名を伝え合っている。兵たちもやはり違和感を拭いきれないようで、フレッドも当分は不自然なやり取りが続くのだろうと覚悟せざるを得ない。


『ヘルダには、かつて叛乱軍が1000名くらい駐留した際の兵舎が残っているので、皆さんは取り敢えずそこに詰めていただきます。村が気に入って家や家庭を持ちたいとなれば、援助も出るでしょうから遠慮なく申し出て下さい。……さて、あの採石場跡の谷を越えればもうヘルダです。呼び名にはくれぐれもご留意を。』


 L1027周期も終わりが目前の休眠期98日、フレッドは専属隊[華心剛胆]を率いヘルダ村に帰郷を果たした。200日以上前にヘルダを一人で出発した男が、およそ1200の手勢を引き連れて帰還したのだから騒ぎにならないわけもなく、村は「新周期の祝賀行事を2日前倒しで行ってしまえ」と言わんばかりの活気に包まれる。


『結局、君も父さんたちもミツカに呼ぶことなく仕事が済んだよ。君は元気そうで何よりだけど、ほかの皆に変わりはないかな?』


 フレッドが最初に声を掛けたのは、村の北口で出迎えに来ていたリリアンだった。顔を合せなかったのは200日ほどだというのに、ずいぶんと大人びた印象に感じられたのは気のせいか、それとも彼女も成長期真っ只中だからなのかは定かではない。


「お帰りなさい、フレッドさん。お仕事おつかれさまでした。ハゼル様もフォーディ様も、しばらく留守にされていた使用人のお三方もお元気ですよ。」


 その返事を聞いてフレッドも一瞬だけ驚くが、顔には出さなかった。リリアンにはいつも「先生」と呼ばれていて、名前を呼ばれたのはこれが初めてであったのだ。対して、そう呼んだ側には思い切った行動を取ることに相当の緊張もあったようだが、久しぶりに話もできた満足感に緊張感はあっさり雲散霧消したのである。


『今日はこれからずっと、私の隊の駐留についてバスティンさんたちと打ち合わせしないといけないことがあるから、積もる話はできないと思う。明日、ミツカのことや隊のことで父さんたちに報告するから、そのとき同席してもらえるかな?』


 そう言い残すとフレッドは足早に酔いどれ羊亭へと向かい、バスティン=ゴルドーら村の有力者たちと協議を始めてしまう。私事より公務を優先するのは隊を率いる者として当然のことではあるが、もう少し何か言葉があってもいいのではないかと思うリリアンであった。



「ミツカの噂はヘルダにも届いておるよ。鉱山が復活したことで、鉄の価格が安定したとオライオ殿も喜んでおったし、水道橋の完成で水汲みに困らぬ街となった話も聞き及んだ。この短い期間で、見事に職責を果たしたのう。」


 到着の翌日、隊に所属するかつてのハイディン一門衆からの挨拶回りを一通り終えたハゼルは、ようやくフレッドとまともに会話する時間を持つことが叶いそう話しかけた。フレッドが「軍団としての象徴」であるとすれば、ハゼルは「個人的武勇」の象徴である。かつての闘神クラッサスに憧れ武人を志した者や、命を救われた者も少なくはなく、その人気はハゼルの身体と同じくいまだに衰えを知らない。


『ミツカの方々の復興にかける想いは、想像の遥か上を行っておりました。確かに道を誤り一度は廃墟同然となりましたが、あの街がザイールでも有数の規模を誇ったのは間違いなく人々の活力によるものです。これからも繁栄していくことでしょう。』


 お世辞でもなんでもなく、フレッドは心底そう思い知らされた。破壊された城壁と門を抜け、廃墟の街に足を踏み入れた時、本音を言えば「とんでもない貧乏籤を引いてしまった」と思いもした。しかし廃墟を整理し、新たな家が建ち、傭兵も含め外から人が訪れて活気が出てくると、人々の意気は爆発的に高まっていったのだ。そして人々は、強制していないにもかかわらず自発的に昼夜2交代制の班分けをし、ミツカでは夜通しで区画整理や水道橋建設が行われたのである。


「そうか。人々がそこまで廃墟となった故郷を想っておったのか。ワシらのような、故郷を捨てた者にはちと眩しすぎるのう。そして、彼らにも同じ道を歩ませてしまったが……それが彼ら自身で出した答えというなら、それに報いるのみじゃろう。」


 イーグらの宣伝工作により、ユージェから皇国に流れてきたのは約700名と、予測を大幅に上回る数に上った。それも、居所が割れた者にしか声を掛けられなかったため、仮にかつての一門衆すべてにこのことを知らせることができたなら、一門衆の総数7000のうち5000ほどは檄に応じたかもしれない。もっとも、その数で来られても補給や駐留地の調整は困難を極めたであろうが。


『もう新周期に入りますから、最速でユージェが現れるとすれば80日も残されておりません。私は30日後くらいに国境のガルディ防壁へ入り、建設の仕上げと防衛戦の準備にかかろうと考えております。』


 母フォーディは「帰ったばかりなのに……」と嘆くも、事が事だけに引き留めることが叶わないことは分かっている。それよりも、問題はハゼルの出陣があるかということであった。もちろん当人はその気だったが、フレッドとしては自重してもらいたい理由が2つあったからだ。


『ガルディ防壁はいずれ抜かれることが前提の、言わば捨て石。そのため拠点機能も持たせておらず、補給も数日ごとに離れた街から運ぶ次第です。さすがに父さんの消費分まで補給計画に入れると成り立ちませんので、ヘルダに留まり決戦に備えていただきますよう、お願い申し上げます。』


 それを聞きハゼルは露骨に落胆して見せたが、自分が補給体制の整わない状況での野戦向きでないことは自覚している。しぶしぶという体ではあるが、フレッドの頼みを聞き入れるほかなかった。


『ガルディ防壁が抜かれた後は、時間を稼ぎながら徐々に後退していきます。そして彼らの標的に私たちも含まれる以上、ここにも敵が押し寄せてくるでしょう。しかしこれは、ここへ向かう敵とザイラスへ向かう敵とに分断する好機でもあります。あのフォーナー殿が私怨を捨ててザイラス陥落に集中したら計画は狂いますが、私怨を捨てられるならそもそも攻めてはこないでしょうから……』


 フレッドはそう説明し、ハゼルをいずれ起こるであろうヘルダでの戦いに備えさせることに成功する。しかし、どうしても言えないもう一つの理由がある。メルクマールでプラテーナに言われた、この戦いで「自分にとって悲しい別れがある」という忠告である。余程のことがない限り、親しい人を戦場に出したくはなかったのだ。


『こんな予測などすべて外れて、何事も起きなければ一番なんですけどね。でも、おそらく的中してしまうんでしょう。毎度そんなことを言っている気がしますよ。』


 これは本音とも冗談ともつかない微妙な発言だったが、結果的には見事に的中することとなる。L1028開墾期65日、フレッドがガルディ防壁に入り建築作業と防衛戦の準備を完了させてから5日後という際どいタイミングで、ユージェ軍が「中央山脈の間道を縫うように行軍しザイール方面に接近中」との知らせが舞い込んだのである。

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