第13話 龍の記憶

26・意外な来訪者


「ご当主!実はご当主を訪ねて参った者がおるのですが……その、まだ幼い子でご当主には「先生に会いに来た」と言えば伝わるはずだと申しておりまして。俄かに信じがたい話ではありますが、いかが取り計らい致しましょうか?」


 フレッドの執務室に入りそう告げたのはアル=ファールという名の、浅黒の肌と引き締まった体躯が目を引くいかにも軍人という体の男である。つい最近ミツカに到着した彼はユージェの出身で、かつてはハイディン一門衆の一将としてフレッドの指揮下にあった男だ。


『私はザイールで教師の真似事をしていたこともあるので、そう呼ぶ人がいること自体はあり得ますが……ミツカにそう呼ぶ人がいるはずはないかな。別の村から、誰かの付き添いでここに来た可能性はありますけどね。ところで訪問者は男性ですか?』


 もしそれが女性だと、やって来そうな人物に心当たりがないこともない。ただ、彼女には納得してヘルダに残ってもらったはずであり、何より「幼い子」という表現はさすがに使われないくらいには大人びている気はするので、フレッドの頭の中は「やはり誰だか予想もつかない」というところに落ち着いてしまった。


「風よけのフードを頭から被っていたので顔を見てはおりませんが、声からしておそらく女の子でありましょう。保護者は同伴しておりませんでしたから、街で取引している空き時間にご当主へ挨拶しにやって参った……といったところでしょうか。」


 あれこれ考えても仕方ない、との結論に至ったフレッドは「通して構わない」とアルに命じ、書類に目を通しながら来訪者を待つことにした。やがてアルが来訪者を連れて部屋に現れると、まずリリアンではなかったことに安堵したが、同時に「確かに幼い子供の背格好」であることに驚いた。教え子たちの中に、これほど幼い感じの子はいただろうか……と思案に暮れるも、答えは相手のほうから提示された。


「おひさしぶりですね、フレッド先生。此度は近くまで来る用事があって、お顔を拝見しに参った次第なのです。お時間を取っていただいても、よろしいでしょうか?」


 そう言いながらフードを取ったその子の顔には、確かに見覚えがあった。ただし教え子ではなく、どちらかと言えば教わる側である。アルが「歳の割にずいぶんと礼儀作法がなっている」と感じたその少女の名はプラテーナ。この場にいる誰よりも多くの知識をその身に宿す、生きた魔導書にして歴史書のような存在である。しかし、この場にいるはずがない人物という点では教え子たちと同様だ。


『う~ん、申し訳ないけどすぐに思い出せそうにないですね。でも名前を聞けば思い出せるかもしれないから、お嬢さんのお名前を聞いてもよろしいかな?』


 もちろんこれは大嘘である。しかし「プラテーナ」という名は、辺境州といえど皇国でうかつに出していい名前ではない。ユージェ出身のアルには大して意味のない名ではあるが、どこから話が漏れるかは分からないのだ。そこでフレッドは思い出せないふうを装い、ここではどう呼べばいいかを確認したのだ。


「先生ったら、わたしのこと忘れてしまうなんて酷いです。森の村のラティですよ、ラティ。思い出していただけましたか?」


 プラテーナもフレッドの意図に気付き、かつて夜の森で夜鳥の意識を操って姿を現した時に名乗った名前を名乗る。これは彼女が144代プラテーナとなる前の本名でもあり、そのことはかつて話題にもなったのだが、すっかり忘れてしまっていた。


『ああ、それを聞いてすぐに思い出しましたよ。ラティさんにも村の皆さんにも散々お世話になったというのにすっかり忘れるなど、まったく情けない限りです。村の皆さんもご壮健でしょうか?』


 そうして二人の会話が成立しだすと、アルも警戒を解き部屋から退出する。彼は彼で、この子供がもしやユージェの暗殺者なのではという疑念を抱いていたのだ。


「ふぅ~、ようやく副官殿も警戒を解いてくれたか。年相応の子供らしく振舞ったはずなのじゃが、なぜだかえらく警戒されてしまい困っておったのじゃよ。」


 アルが退出し二人きりになると、プラテーナは会話が漏れぬように静寂の結界術を手早く行い、ため息まじりにそうこぼした。フレッドは「そんなにできた幼子がいるわけもない」と思いはしたが、それを口に出すことはなかった。


『しかし、いきなりのご来訪はさすがに驚きましたよ。お聞きしたいことは山ほどあるのですが、とりあえずこちらへお越しになった理由を聞かせていただけますか?』


 その問いに対する彼女の答えは「最初に言った通り近くに来たから」というものだった。ではなぜ、中央山脈から出ることはないという彼女がここにいるのかといえば、来たるべき対峙の刻に向け転移術の研究を行っているからだという。


「彼らの在る場所には、まだ至ることができなくてな。転移のための[門]を開き、それを彼らの場所につなげることが最終目標なのじゃが、その研究過程で異界に繋がる方法が発見されてしまった。そう、英雄殿もよく知るあの[門]じゃ。そのことでこの街にも多大な迷惑をかけてしまった以上、いつかは代表者が詫びに来るのが筋であろうと……そう思うていたところ、ちょうど英雄殿が赴任したと聞き及んでな。」


 そうは言っても、生き残ったミツカの人々に「自分が門を出す術を創った」という事実を話すわけにもいかない。静かに追悼し、怒りや悲しみ、憎しみに縛られいまだ天に還れぬ魂を救済したらただ去るのみだと彼女は笑った。


『やはり、そのような報われぬ魂が様々な問題を引き起こすのでしょうね。この地の領主がこの街を訪れた際に慰霊の儀を執り行いましたが、規模が規模だけに一度では祓い切れなかったというわけですか。』


 怒りや憎悪の渦巻くところには、それに惹かれ同じような心を持つ者が集まる。豊かな水源が生き物たちにとって生活の軸となるのが摂理であるのと同じく、悪霊や亡霊の類は亡魂たゆたう地に惹かれ、それが臨界を迎えると現世に干渉を始める。そうなる前に魂を鎮め天へと返すのが聖職者の務めだが、復興途上のミツカには神官の数が絶対的に不足している。フレッドがユージェ出身で、皇国の国教でもあるクノーツ教団の関係者とはまったく縁がなかったからだ。


「街の復興が成り、人々が集まって楽しく暮らしていれば悪霊の類は自然と去るものじゃよ。それまではちと注意も必要なのじゃが、先ほど申したようにこの街で起きた悲劇の責はわたしにもある。しばらくは悪しき魂を寄せ付けぬ加護を街に残そう。」


 それを聞いたフレッドは感謝を述べるが、まだまだ聞きたいことは残されていた。どの案件から訪ねようかと考えていたところ、彼女に手持ち無沙汰な時間を与えてしまったせいか、逆に質問を受けることになってしまった。


「そういえば、わたしがここに通された時……英雄殿は何やら小難しい顔をなさっておられたように見受けらるが。なんぞ悩み事でもあるのかの?」


 予想外の質問を受けるも、フレッドの悩みは実に些細な問題だったので、つい笑みをこぼしながら「隊の名と、隊旗の意匠をどうしたものかと考えていた」と答える。というのも、ユージェでは[ハイディン一門衆][ウルスの守護者]といった、出自に関わる名を冠した軍団名にするのが常識であり、皇国のように[皇国重装騎兵団・破城崩壁]のような二つ名的なものを付けたりはしない。しかしここザイールも辺境とはいえ皇国である以上、それを求められているのだ。


『これまでそういうことを考えたことがなかったので、いざ考えろと言われるとまかなか纏まらず……。当家では先祖代々「龍」を力の象徴として奉っておりますから、そこから名付けようとは思っているのですが、伝説からのネタはあらかた出尽くしましたからね。過去になかったものをというと、これが難しいんです。』


 フレッドの槍は[龍ノ稲光]、兄クロヴィス愛用の一対槍は[龍ノ煌キ][龍ノ嘆キ]といずれも龍から取られており、父クラッサスはハイディン家中ではその存在自体が龍神の化身とされていた。それらは伝説や神話として語り継がれる、第一界の実力者たる様々な龍の話から取られているのだが、さすがに題材が切れていたのだ。


「なるほど。ではわたしの記憶にある龍の話でもお聞きなさるか?龍族でも最高の力と、気高さを誇った者の話じゃ。何かの参考になるやもしれんからの。」


 フレッドは二つ返事でその話を頼んだ。とにかく題材に困っていたこともあるが、彼女の言う「記憶にある」ということは、実際に見るなりの経験をした話ということである。通常はあり得ないその状況に、どうしても興味を引かれたのだ。



27・華龍の裁定


「その龍は名をグァイ=フォウという。長大な体躯を持ち白銀の龍麟の覆われ、佇まいは流麗にして静謐。龍族はもちろん第一界でも有数の実力者ながら、暇さえあれば寝ていたいというぐうたらな龍じゃった。長い胴を巻いて眠るその姿が華麗な花のように見えたことから、華龍とも呼ばれたのじゃ。」


 そして、とプラテーナは話を続ける。華龍グァイ=フォウは力比べしか頭にない第一界の者たちに愛想を尽かし、第一界でも最高峰の位置にある天空浮石で眠りにつき他者との関わりを断ってしまった。そしてグァイ=フォウ以外は至ることも叶わぬその場所で眠り続けたある日、眼前に「永遠の存在」と名乗る者たちが現れる。


「彼らは、グァイ=フォウ以外の実力者に自分たちを滅ぼせと命じるも、あっさり無視されてしまった。ゆえに最後の希望としてグァイ=フォウの下を訪れ、事情を話し自分たちを救ってほしいと請願したのじゃ。しかし、グァイ=フォウは……」


 他の実力者たちと同じく、グァイ=フォウにとっては自業自得の彼らなぞどうでもよかった。無視を決め込み、再び眠りに就こうとしたとき、一家で永遠の存在になったと思われる集団が目に入る。それを見たグァイ=フォウは、激しい怒りにその身を震わせ、断罪の一撃を以ってその場で一人だけを永遠から解き放ったのだ。


「グァイ=フォウが解き放ったのは、まだ生まれて間もないときに両親の判断で永遠の存在となってしまった赤子じゃった。永遠に成長しない彼らの場合、赤子とは即ち永遠に空腹で、永遠にただ泣くだけの存在。自らの意思に関わりなく悠久の飢餓という宿命を背負わされた赤子を、あまりに哀れと考えたのじゃ。」


 この瞬間、永遠の存在も永遠ではなくなることが証明された。うっかり永遠を手にしてしまった彼らは「これで解放される」と狂喜乱舞するも、その期待はすぐに踏みにじられる。グァイ=フォウは、同じような赤子や「永遠の存在になれば健康も回復するはず」と、本人が望まぬまま永遠の存在とされ「永遠に病で苦しむ」ことになった者は解放したが、自ら永遠を手にしたものは誰一人として解放しなかった。罪には罰が必要で、それを償うまでは許す気などさらさらなかったのである。


「一方的な期待を裏切られた彼らの怒りは凄まじく、直接的、間接的を問わず徹底的なグァイ=フォウへの攻撃が始まる。ある者は眠っているグァイ=フォウに落雷を浴びせる嫌がらせをして挑発したり、ある者はグァイ=フォウの敵対者に力を与え排除しようとも考えた。しかしそれらをすべて耐え切り、怒りに任せて彼らを滅しようとはしなかった。滅しないことこそが最大の罰であるという信念を貫いたのじゃな。そして彼らはついに諦め、第二界の創造に取り掛かることになるのじゃ。」


 話を聞き、フレッドはどことなくグァイ=フォウの生き様には感じ入るものがあった。力があってもそれをひけらかすことなく、自身の信念は貫き数多の妨害を受けても屈することはない。その在り方を、力こそすべてである第一界で体現したというのも驚きである。しかしその後グァイ=フォウはどうなったのかというフレッドの質問に、プラテーナは残念そうにこう答えた。


「龍は人よりはるかに長命じゃが、有限の命はどこまで行ってもやはり有限。第三界が創造される頃にはすでに天へと還ったよ。グァイ=フォウが伝説にも神話にも残らぬのは、彼らにとって面白くない存在かつ、万が一にもそのやり様を真似されても困るからじゃろう。彼らは自分たちをどうにかしてもらいたいのじゃから。」


 神にも等しい彼らを敵に回し、その存在を歴史から抹消されてもこうして惜しみ、生き様を語り継ぐ人がいる。自分にはそういった存在になれる自信こそないが、意志を貫く生き方には肖りたいとフレッドは強く思った。


『かの華龍の如く鉄心石腸、鉄腸剛胆なれ……ということで隊は[華心剛胆]と名付けましょう。いやあ、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。』


 悩みの一つが解決し嬉しそうなフレッドを見やりながら、プラテーナはふと思う。グァイ=フォウと同じ白銀に縁があり、しかも龍という伝説の存在にも縁のある彼は、もしかしたらグァイ=フォウの魂の因子が混じっているのかもしれない……と。


「わたしも良き名と思うが、一つだけ忠告するなら……華龍の名を出すと彼らに目を付けられてしまうかも知れぬでな。わたしと関わった以上、英雄殿はもはや逃れられぬが隊に属する皆は別であろう?そこだけはご留意なされたほうがよろしかろう。」


 さらっと恐ろしいことを言われた気もするが、フレッドには彼らと敵対する気はないのでそれは置いておき、確かに隊員たちに害が及ぶのはよろしくない。名づけの理由を適当に後付けすることを約束し、会談は終わりを迎えた。


『ところで、今日の宿はこちらでご用意しますか?その、実情を知らぬ者にとってそのお姿ではなかなか面倒も多いと存じますが……』


 中身は悠久を生きてきても、外見は10周期の女の子である。宿を借りることなどできるはずもなく、どうするかという心配があった。もっとも、相手は普通の人間ではないので、その心配はまったくの無用であった。


「ご心配には及ばぬよ。魔よけの加護を施し終えたら、わたしは今日中にメルクマールへ戻るでな。あまり長く空けると、皆がうるさいのじゃ……。それと、護衛の兵なども気にせんでよろしいからの。気配遮断の術を使い、その場から消え去るゆえ。」


 普通の旅路なら騎竜でも25日はかかる距離を、彼女は今日中に戻るという。あまりの出鱈目っぷりに、かつて永遠を選んだ者たちとの力の差を痛感するも、及ばないものは仕方がない。それに今はまるで及ばないとしても、彼らと対峙するであろう後の世代の時に及んでいればそれで十分である。自分の仕事は、後の世代が知的生命同士で戦い、滅ぼし合う未来を回避することなのだから。


『分かりました。それではお手数おかけしますが、加護のほうをお願い致します。それと、来たるユージェとの戦いですが……おそらく開墾期77日あたり、皇帝生誕祭の時期を狙って戦端が開かれると思われます。次か、それともその次となるかは分かりませぬが、その時期にはザイールにお近づきにはならぬ方がよろしいでしょう。』


 彼女が戦争に巻き込まれるような愚を犯すとは思えないが、ギルド員たちも同様とは限らない。また、この地に残っているギルド員がいる可能性も考えれば、事前に時期を知らせておくほうが良いと考えたのだ。この戦いは皇国とユージェの力の均衡、そしてここザイールの存亡と独立を左右するものとなる。極限まで高まる緊張感が異端者に向けられ、感情のはけ口とされることは少なくない。


「委細承知いたした。その時期にはこの地に立ち入らぬよう、ギルドの者には徹底させよう。ンン……では先生、これにて失礼いたしますね。お時間を取っていただきありがとうございました!」


 最後に年相応の言葉遣いにして別れの挨拶をし、プラテーナは部屋を後にする。部屋の外に来ていたアルに気を回したのだ。フレッドは彼女を外まで見送った後、自室に戻り隊旗の意匠を考え始める。話に聞いた華龍の姿といえば、思い浮かぶのは「長大な体を巻いて眠る姿は大輪の華のように見えた」という件である。そこで隊旗は一見すると華に見えるが、よく見ると中央には龍の頭があるというものに決まった。


『我ながら、なかなかよくできました……っと。あとは、そうだなぁ……「我ら戦場に在りても心に華は忘れず、剛毅なる心も忘れず。讃えるは勇猛、蔑むは蛮勇。この身を賭し、掴むは栄光の未来。人の力ここに束ね、我らはいざ龍とならん。」って、口上はこんな感じでいいかな。』


 この日、皇国軍団長扱い[銀星疾駆]フレッドの率いる混成隊[華心剛胆]が正式にその名を名乗り始める。フレッド以下ユージェ出身者によるレック種を駆る軽騎兵隊と、竜を操るだけで手一杯の、騎乗戦闘は行えない支援隊という異色の編成となったこの隊が、後に機動力を生かして八面六臂の活躍を見せることになるのである。

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