第10話 保守派の暗躍

19・待ち受ける困難


『これより出立いたします。いずれよき知らせを持参できるよう、私なりに努力はしてみる所存でありますが……なかなか思うようには進まぬでしょうね。』


 翌朝、借りた部屋の掃除を終え食事も済ませると、フレッドとリリアンはプラテーナの館を訪れ別れの挨拶を交わした。プラテーナは名残惜しそうではあるが、フレッドにはザイールで果たすべき使命があることも承知している。最後に……と前置きしたうえでフレッドに言葉を送った。


「英雄殿も覚悟しておると思うが、そう遠くない未来にユージェとの戦いが起こるであろう。そして、その戦に於いて英雄殿にとってはつらく、悲しい出来事が待ち受けておる。これは私にも止められぬ未来であり、自身でこの試練を乗り越えてもらうほかないのじゃ。ただ、私にも手助けをすることはできる。もし困難に直面し進むべき道に迷ったならこの箱を開けなされ。きっと役に立つであろうから。」


 そう言って彼女は一つの箱をリリアンに手渡す。なぜ自分に……と訝るリリアンに、プラテーナは笑いながら答える。


「英雄殿は困ったところで神にも魔にも縋ろうとはせんから、もし英雄殿がお困りのようであったらあなたからお渡し下され。そうするのが確実じゃろうと思うての。」


 彼女がなんの確証もなく、厳しい未来が待ち受けてるなどと言うわけもない。出会って間もない相手で、その話が真実か虚偽かを確かめる術はないが、10周期の子供が演じているにしてはあまりにも出来過ぎている。フレッドは自分でも驚くほどごく自然に、プラテーナのことを信用していた。


『故国との戦いが厳しいものになることは、以前の襲撃で得た情報からすでに覚悟しております。その上で、そのご忠告は胸に刻んでおくとしましょう。では、いずれまた。次はもう少し長居ができるよう取り計らい、お訪ねいたします。』


 フレッドは見送りに来たシェーファーとも別れの挨拶を済ませると、メルクマールを後にした。帰りは結界を越える経路を辿る必要はなく、伸びた道を進めば山の麓に出られるようになっており、その日のうちに街道の宿場町に入ることができた。


「行きの苦労はなんだったのか……と言いたくなるくらいあっさりと戻ってこられましたね。ここからザイールまでは騎竜の脚ならおよそ20日というところらしいですから、ブルート様より先に戻れそうですよ……って、先生?」


 フレッドはプラテーナに言われた「自分にとってつらく悲しい出来事」について考えていたため、リリアンの言葉は聞こえていなかった。戦争ともなれば多くの命が失われ、それは確かに悲しい事だが、武人なり兵なりが戦場に立つ以上それは受け入れざるを得ないものである。では、それ以外に「自分自身が悲しい」という縛りで考えると、やはり見知った顔に不幸が訪れるのだろうという結論に至ってしまうのだ。


(つまり親類縁者を戦地に立たせなければいいのかな。もっとも、敵側に見知った顔がいたらそうもいかないか。故国と対峙するというのは、そういうことだしね。)


 そう考えながらフレッドは、故国にいる縁者の顔を思い浮かべる。師のマイアーは幽閉状態。恋人だったフィーリアは家の役目上、出てきても後方輜重隊の指揮を執る程度のはずである。かつて率いたハイディン一門衆は解体され、他の集団に組み込まれることに不満を抱いた多くはイーグのように仕官の道を捨てたというから、戦場で出くわす可能性は高くなかった。残る人物と言えば、ペルゼくらいであるが……


(彼は遠征には反対するだろうから、外されそうな気もするんだけどね。そうなってくれたら、こちらとしても幾らか戦いやすくはなる。甘い見通しは禁物だが。)


「もう、先生ったら聞いてるんですか!今夜はこの宿場に泊まるんですか。それともまだ進みますか。このままだと町を通り過ぎちゃいますよ!?」


 リリアンの半ば呆れ、半ば怒りが混ざった声を聞き、フレッドはようやく思考の世界から舞い戻る。ふと見回せば、確かに逆側の出入り口にまで到達していた。


『ああ、済まない。私は考え事をしだすといつもこうなんだ。改める必要があると分かってはいるんだけど、ついね。それで今日だけど、ここに泊まり旅支度を整えてから出発しようか。数日は乾燥の携帯食糧になるけど、これは我慢だね。』


 フレッドは予定を手早く決め、宿もすぐに二部屋確保した。昨晩は安全な家の中とはいえ、生まれて間もない赤ん坊の夜泣きが頻繁にあり、完全な熟睡というわけにはいかなかった。それゆえこのまま進んで野宿、というのは危険と判断したのだ。


「シェラートくんは可愛かったですけど、夜中まで元気いっぱいでしたからね。実はわたしもちょっと眠くなってしまいまして……」


 シェーファーとシェリーの子はシェラートと名付けられた男児で、リリアンの言うように元気な赤ん坊だった。シェリーはザイールの叛乱軍に協力した際には身籠っていたが、それを伝えれば夫と離れ離れになるため隠していたのだという。もっとも、彼女が妊娠に気が付いたのはザイールに出発する直前だったらしいのだが、シェーファーはギルドに戻ってからその話を打ち明けられ、それは驚いたという。


『うん、確かに元気いっぱいという感じだった。ああいう姿を見ていると、人は人のまま想いを託せる後継者に後を任せればいいと感じるけど……永劫不変の存在となってしまった彼らには、そう思える機会がなかったのかなと。つい考えてしまうね。』


 それにしても、この「神となってしまった人々」の存在は誰にどこまで話していいのやら。そう思わずにはいられないフレッドだったが、少なくとも一人の男には話さなければならない。夢の協力者であるブルートには。



20・皇国南部の闇


「もう、かれこれ10周期になるのか。俺は俺でしっかりやってるけど、みんなはどうかな。いずれ俺もそちらに行って報告くらいはするから、それまで待っていてくれ。絶対に面白い話を聞かせるからさ……」


 ヘイパー州に到着したブルートは、その日のうちにエルトリオ家の墓に向かった。10周期前の事件でブルート以外のエルトリオ家の者は世を去り、彼もまたこの地で死ぬことはないであろう身である。これが最後の墓参であると覚悟していた。


「君の家の墓は、ヘイパーの発展に寄与した貢献者の一家として州で面倒を見る。要らぬ心配はせず、ザイールで思いっきりやってくるがいいさ。」


 ともに訪れたグロウの言葉に、ブルートは感謝してもし切れない思いである。しかしこの親友との心温まる交流の場に、ふさわしくない者たちの影があった。


「ところでグロウ、あれは君の部下たちかな?いや、違うか。あれだけ殺気を放っていたら暗殺者としてどうかと思うが、狙いは俺と君のどちらだと思う?。」


 グロウも招かれざる一団には気づいていたようで、腰の剣を引き抜きながらブルートの質問に答える。その内容は二人が旧知の間柄と知らなければ、痛烈な嫌味にしか聞こえない代物であった。


「それはもちろん君だろう。まず品行方正にして温厚篤実な私が命を狙われる理由はないし、彼らは皇国次席宰相殿に一泡吹かせ嫌われたブルート殿の命を狙って、わざわざシルヴァレートからお越しになったのだろうさ。」


 よく言ったものだ……と顔に出したブルートだが、実際に言葉として発したのは別のものである。こちらも、親友ならではの皮肉に溢れるものであった。


「いやいや、南部はここ以外どこも大変だそうだからな。近隣州の誰ぞが真面目な新領主を亡き者にして、息のかかった者を後釜に据えようと暗殺者を送ってきたのかもしれん。品行方正にして温厚篤実が裏目に出るとは、グロウ殿もついていないな!」


 しっかり言い返しつつ、ブルートも肩にかけていた衰運逆天を引き抜いた。皇帝の言うように、片手で扱うには微妙に大きく、両手で扱うにはやや物足りない。だが武器としての質は、皇帝の所蔵品であることからも分かるように折り紙付きであり、これを使いこなして見せろという皇帝の期待には応えたいと考えていた。


「ここは墓所だし、墓に入る奴が出てもちょうどいいか。眠っている皆には騒がしいかもしれんが、すぐに連中を詫びに行かせれば許してくれるだろう!」


 そう言うなりブルートは暗殺者の一人に斬りかかる。暗殺者は剣で受け流そうとするも、剣は両断され肩口から深々と刃が食い込んだ。ブルートの膂力はもともと類まれなものだが、それに名剣の力が合わさった結果である。


「まったく、皇国の領主2人を相手にたった5人とは甘く見られたものだ。特にそちらのブルート殿が大層な武人であることくらい、雇い主から聞いていただろうに。さて、この剣戟音を聞けばすぐに部下もやってくるだろう。諦めるのだな!」


 グロウはブルートの背後を守るように動いており、ブルートには眼前の敵に集中できるように補佐している。そうすることが二人とも思い思いに動くより効率的であることを、昔の経験でよく知っているからだ。そして彼のその言葉には、いくつか探りを入れるための要素が散りばめられていた。


「どうやら5人ではないらしいが、いると分かれば物陰からの奇襲は無理だな。そして彼が使い手と知って襲ってきたのなら、それだけの準備はしているはず。暗殺者と言えば、差し詰め毒あたりだろうか。ちょいと拝借……」


 グロウは「5人」と言われた瞬間に見せた暗殺者の一人の顔を見逃さなかった。目に見えていることにしか気を回さない愚か者め……と言わんばかりに笑みを浮かべたその顔を。そして剣ごと斬られ即死した暗殺者の得物を拾い、検める。手にしたのは折られた剣の鞘側だが、その根元にまで液体が付着していた。


「毒か。打ち合いの鍔迫り合いともなると、自身の武器が己を傷つけることもあり得るが、お前たちはそうなったらどうするんだと……常々そう思っていたんだよな。あれか、実は毒が効かない特異体質だったりするのか。それとも自傷に備えて解毒薬も常備しているのか?」


 ブルートもグロウの警告に、改めて周囲の確認と相手の毒が塗られた武器に対する警戒を高める。彼自身の毒に対する率直な感想については、誰もそれに答えることはなかったが、時間が過ぎるごとに有利な状況となるのだから無駄話でも問題ない。


「……ブルート=エルトリオ、並びにグロウ=ランサム。卿らの命はいずれ戴く!」


 墓所の入り口からお付きらの声が聞こえてきたこともあり、暗殺者たちは早々に撤退を決める。もともと奇襲から毒の一撃で仕留めるつもりが、相手の知覚力が想像以上に高くあっさりと存在を察知されたため、暗殺が成功する可能性は限りなく低下してしまったのである。ここで無理押ししても意味はなかった。


「やけを起こして突っ込んでこないあたり、手慣れた連中と見て間違いないな。まったく面倒な奴らに目を付けられたもんだ。しかし聞いたか、俺たち二人が標的だとさ。10周期も離れていた俺がこの付近の奴らに狙われるはずもないから、やはり次席宰相殿の線か。……巻き込んですまん。」


 暗殺者たちが去った後、残された遺体を見下ろしながらブルートがグロウに謝罪する。ブルートとしては自分の巻き添えになったという考えからの謝罪だったが、グロウはそれを否定した。


「いいさ、君と私の仲だし気にしなくても。それにヘイパーは皇国の伝統に反し奴隷は認めず、それが結果的に今の安寧に繋がっているんだ。それゆえ、伝統にうるさいお歴々にはもともと煙たがられていたのでね。いい機会だから奴もついでに消してしまおうとでも考えたのだろう。実に合理的な話さ。」


 伝統に逆らい、それが結果に繋がるというのは、伝統を守ろうと考える側にしてみれば面白い話ではない。次席宰相ウェルテはヘイパーの次期領主に自身と同じ考え方の保守派を据えようとしたが、皇帝アヴニールは南部で唯一平穏を保つヘイパーの人事には興味を持っており、自ら平穏であり続ける経緯を調べた結果、エルトリオ家の思想に近いグロウを次期領主に据えたのだった。


「アヴニール陛下の御世が続かれれば、きっとこの国も変わっていくことだろう。そうなれば、次は私たちが陛下をお支えする番だ。旧態依然の御老体より先に死んでなるものか、ってね。君もそう思うだろう?」


 そのグロウの問いかけにブルートは「もちろんだ」と答えはしたが、内心では思うところもあった。フレッドと「皇国ともユージェとも違う体制の国を創る」という目的を掲げはしたが、皇帝と会ってみてその必要はないかもしれないと考えることが増えていたからである。もちろん、若き皇帝がいつ心変わりするかは分からないが、今のままならいい方向に変わるという確信はあった。


「いずれにしても、ここに長居するのは危険か。標的が固まっていては、敵の戦力も集中してしまうからな。俺はさっそくザイールに向けて発つことにするよ。墓のことは、手間をかけるがよろしく頼む。」


 最初から二泊と短めの滞在予定であったが、それを切り上げ到着当日に出発するという。その意見にはさすがにグロウも面食らったが、言い出せば曲げない性格であることは誰よりも知っている。ここは意思を尊重するほかないのだ。


「そうか。らしいと言えばそれまでだが、休みもせずすぐに発つか。では出発までに通行許可証を届けさせよう。それを持たない騎竜走竜の類は念入りに検めさせれば、ヘイパーから出るまで追手との差はずいぶん広げられるだろう?」


 止めたところで突っ走るなら、せめてその手伝いをする。子供の頃からの腐れ縁でもある親友の気遣いに、ブルートはただただ感謝するのみだった。


「何から何まで、本当に助かる。いつかこの礼はさせてもらうから、その日まで壮健であってくれよ。老人どもなんかにやられるんじゃないぜ!?」


 グロウは笑いながら「お互いにな」と答えるのみであったが、二人にはそれで十分だった。この日ブルートはおよそ10周期ぶりに故郷へ戻り、その日のうちに故郷を発つこととなる。そして彼が次に故郷の土を踏むまで、実に20周期もの時間を要することになるが、その時の立場は今とまったく異なるものとなるのである。



21・ミツカ再興の旗頭


『私がミツカの長……ですか?またどうして、そのような話になるのでしょうね。私はあの街に行ったことはありませんし、知己があるわけでもないのですが。』


 L1027周期も育成期に入りすでに40日。新領主ブルートが首都シルヴァレートで皇帝アヴニールに謁見して帰還し、ザイール領主を民衆で選ぶ会議を催すと発表してから10日ほどが経過していた。領内はその話で持ちきりだったが、ヘルダからザイラスに呼び出されたフレッドは、ブルートにミツカの話を持ち出され困惑していた。


「俺もヘイパーから帰ったら、すでにその話が出回っていて驚いた。話の出元がどうもシャンクらしいから、奴さん首都の老人どもに入れ知恵されたんじゃないかってのがテアたちの見立てだな。何しろ、話の筋だけはしっかりしてやがるんだ。」


 ブルートが言うには、ミツカをこのまま廃墟同然にしておくには惜しく、散り散りになったミツカの住人を呼び戻すには安心材料を提供せねばならず、街の再建も行える政治手腕もある人間でなければ無理だ、と力説されたとのことだった。


「それで、ヘルダの備えを整えた手腕に門の怪物を打ち払った武を兼備した、お前さんが適任ってのが奴らの言い分なのさ。ご丁寧にミツカの生き残りとかいう人々まで連れてきて、彼らは街の仇討ちをしてくれたお前なら大歓迎なんだとよ。」


 街の人々は、確かにそう思っているかもしれない。だがそれを画策した者は、とにかく自分をザイールの中枢から遠ざけようとしていることはフレッドにも読める。次席宰相ウェルテの前では口を開かず黙っていたのに、えらく警戒されたものである。


『いずれ起こるであろうユージェとの戦いに備えるためにも、私たちの目的を果たすためにも……ミツカという北部最大の街が復興するのは有意義なことです。間に合うかどうかの確約はいたしかねますが、でき得る限りの努力はしてみますか。』


 南方からやってくるユージェの大軍と対峙する場合、南部の民間人は北部に一時疎開してもらうことになるかもしれない。そのような状況でミツカという巨大都市が機能しているか、それとも廃墟のままなのかでは採り得る方策も大きく変わる。一朝一夕で再興などできるはずもないが、誰かが手を付けなければ始まらないのだ。


「無理はしなくていいんだぞ?もちろんザイールのためにもミツカには再興してもらうつもりだが、縁もゆかりもない身では色々とやりにくいだろう。それにシャンクや首都の老人たちが何を企んでいるか、分かったもんじゃないからな……」


 ブルートも、この話の胡散臭さには辟易しているようであった。皇帝との会見によりフレッドには「銀星疾駆」という一代限りの称号が与えられ、その名を出せばかなりの自由は利く。しかし当の本人とくれば、ヘルダに帰還を果たした後も一村民として子供たちに学問を教えたり、村人には武器や竜の扱いを教える日々を送っている。シャンクらの立場からすれば、余計なことはせずそのまま放置しておけばいいものを、わざわざ表舞台に引き出そうというのだ。裏があると考えるのが自然だった。


『縁がない……という点ではヘルダも最初はそうでしたからね。そこは今後どうにでもなるとして、問題は私を祭り上げてどうするつもりなのか……ということでしょうか。大舞台で派手に失敗させ罪に問うつもりですかね?それなら、村人でいてもらっては困るのでしょうけど。』


 ブルートは苦々しく「大いにあり得るな」と吐き捨てたが、結局フレッドのミツカ行きは正式なものとなる。廃墟からの復興という困難な任務であり、皇帝直々に二つ名を拝命した立場も考慮され、フレッドには州軍に属さない独自の隊を編成する権限も与えられる。この隊が後に繰り広げられる数々の戦いで八面六臂の活躍を見せることになるが、今は指揮官のフレッドのみが存在するだけの一人軍隊であった。

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