第8話 魔導の長

16・山中の独立勢力


『シェーファーさんの話だと、中央山脈の最高峰・メルクディを目指せば自然と接触があるはず……ということでしたが。お出迎えはまだのようですね。』


 中央山脈は中央から北西と南東に伸びる形で多くの山々が連なっており、大陸を北東部の皇国と、南西部のユージェに分けている。山脈の中央は大陸の中央でもあり、そこには標高が最も高いメルクディという峰があるものの、外から見る限り万年雪に閉ざされた前人未到の極圏であった。


『まさか雪山を登る可能性は想定していなかったから、さすがにそこまでの防寒装備は用意していないんだ。降雪地帯に入る前に魔導士の方々からあたりがなかったら、残念だけど今回は戻るしかないかな。』


 軍勢を率いているわけではないので、自分たちがギルドに対し害意がないことは理解してもらえるはずである。しかし魔導士でもない人間がこの付近をさまようこと自体が稀なことであり、警戒されているのかもしれない。いずれにしても、ギルド関係者と話ができる状況にならない限りはギルドに知人がいることも伝えられない以上、何かしらの反応を待つしかなかった。


「山に入ってもう3日ですね。広い場所ですから、偶然ばったりと会う……ということにはならないのかも。ヘルダのフレッドここに参上!みたいなメッセージを木に刻むとか、歌を口ずさみながら進むとか、やってみます?」


 リリアンの提案はおそらく冗談半分のものだったのだろうが、確かになんの手立てもなくさまようだけではこの3日と変わらないかもしれない。メッセージを残すという提案は意外と悪くないかもしれない……とフレッドが考え始め、しばらくしてからふとあることに気が付いた。


『そういえば、空の下であれば思念を送れるというあの術……あれは送る相手の居場所やその人のことがはっきり分かっていないと使えないのかな?適当に送ったら、近くにいる素養のある人に拾ってもらえるとか、そういう話をしたことはないかい?』


 メッセージを送るというなら最も効率的であろうその術は、一部の適性がある人間にしか使えず、腕利きの魔導士であるシェーファーやシェリーにも使うことはできないが、魔導士ギルドのあるこの地であれば聞き取れる者がいるはずとフレッドは考えたのだ。しかしリリアンはまだ術の訓練中であり、やや自信はない様子であった。


「わたしからは一言くらいなら想いを飛ばすことはできますが、伝わるかは相手次第です。できる人でも家の中にいたら伝わりませんし、見知らぬ土地なのでどこに伝わるかも分からないんです。それでもよければ、やってみますけど……?」


 フレッドは「可能性があるならすべてを試してみよう」とリリアンを励まし、ヘルダという一言を飛ばすように頼んだ。フレッドにはリリアンが目を閉じて祈っているようにしか見えなかったが、しばらくその姿勢を維持した後に彼女は「できるだけのことはやってみました」と、思念を飛ばし終えたことを伝えてきた。


『ご苦労様でした。うまくいってくれたらいいけれど、こればかりは相手次第ということだからね。ここは水場も近いし、ちょうどいい大木もあるから今日はこのあたりで夜を明かそう。今夜は久しぶりにゆっくり眠れそうだ。』


 そしてフレッドたちは、今夜の寝床づくりを始める。ここ2晩は焚火を囲っての寝袋で眠る状態で、しかもフレッドは夜通し見張りで夜が明けてから交代して少し眠るという生活が続いていた。フレッドもさすがに疲れを感じ始めていたので、今晩は釣りテントを使って夜を明かすことにしたのだ。これは大木などの枝や幹を使って縄梯子付きのテントを高く釣り上げ、中に入ったら縄梯子を巻き上げ比較的安全な空中で過ごすという簡易宿泊道具である。


『今から鋼糸を巻き上げるから、リリアンは中に入っていてください。テントが上まで届いたら、枝に縛り付けるのを忘れないようにね。』


 魔道具[鋼糸の格子]に似た道具を用い、鋼糸でテントを釣り上げるこのシステムは、大人2人が眠れる大きさのテントの重さくらいは問題なく支えることができる。問題はその鋼糸がややお高いということだが、僻地で安眠しやすくなることへの代償と考えれば不当なものではない。もっとも、人数が多く交代で見張りをできる実力者も揃っていれば、このような苦労を味わうこともないのだが。


(うん、予想よりいい感じの仕上がりだ。ここで2~3晩ほど過ごしても兆しがなかったら、脈なしと見て帰るのでもいいか……)


 そうフレッドは考えたが、結局そうはならなかった。久々にゆっくり休めそうと思っていたその日の晩に、兆しが表れたのである。



「昼間「ヘルダ」と呼びかけたのはお前たちか。いったいお前たちはなんじゃ?」


 それは夕食も済ませ、鋼糸に繋がれた騎竜たちもうずくまって眠りについたころに現れた。見た目は完全にただ夜に活動する鳥だが、信じ難いことに甲高い声で人語を話したのだ。そういう鳥などいるわけがないと断言できるほど二人は生物に精通してはいないが、この場合は魔導士に関係していると考えるほうが自然である。


『お聞きのように、ザイールのヘルダから訪ねて参ったものです。確認させていただきたいのですが、あなたも魔導に携わる方なのでしょうか?』


 いきなりやってきた話す鳥に違和感や警戒感を感じていないあたり、魔導に対して敵対する意思はないと感じたのだろう。相手は質問に答える前、先ほどの呼びかけに対して丁寧に忠告を始める。


「あのように対象を限定しないままの無差別な呼びかけは、波長が合う神霊の類を呼び寄せかねないのじゃ。命が惜しければ、以後は慎むのじゃな。それで、ザイールのヘルダと申したか。どこかで聞いたような、聞いていないような……?」


 それを聞いたフレッドは、かつてシェーファーらの命を救い、仕事を手伝ったこともある件を手短に説明する。相手はシェーファーという名前に反応し、そういうことであれば彼らを迎えによこすからしばらくそこで待つようにという話となった。


『ご丁寧にありがとうございます。正直ギルドに至る手掛かりがなく、途方に暮れているところでありました。後日お礼に伺いたいと存じますが、お名前を拝聴してよろしいでしょうか。申し遅れましたが、私はフレッド=アーヴィンと申します。』


 相手は「ラティじゃ」とだけ答え、森の奥に飛び去ってしまった。それにしても、とフレッドは考えを巡らせる。ユージェにもウルス氏族をはじめ多くの術師やまじない師の類は多いが、話す鳥はさすがに初めてである。物言わぬ道具と心を通わせる男が何を驚く……と言われれば確かにその通りなのだが、この世界にはまだまだ知らないこと分からないことが多すぎる。それをすべて知り得たら、世界はどのように見えるのだろうかと思わずにはいられなかった。


「人と話すなんて不思議な鳥でしたね。あれも術の一つなんでしょうけど、鳥になって飛べたらきっと楽しいんでしょうね~」


 その話から察するに、リリアンはあの鳥が人の化けた姿か、意識が乗り移っている存在だと考えているようだった。言われてみればそう考えるほうが自然かもしれないが、フレッドは「魔導士に育てられた生物」なのだろうと自然に受け入れており、つくづく魔術的な才能がないのだと実感させられる。目に見えるものだけでなく、通常は目に映らない神霊の類と懇意になるにはまず第一に想像力と、それがあると感じられる知覚力が必須であるからだ。話す鳥を、眼前に存在するからとそのまま受け入れるのは人としておかしくなくとも、術師としては正しくないのである。


『シェーファーさんたちが来てくれるまで、ここで逗留ですね。獣が近づいて来れば竜たちが騒ぐでしょうし、枝から来れば仕掛けが鳴りますから、そうならない限り今晩はゆっくり眠れそうです。ではそうならないことを祈りつつ……おやすみ。』


 そう言いながら横になって毛布にうずくまると、フレッドはたちまち寝息を漏らし始めた。武門の名家に生まれ、成人後も軍中に会った彼は少人数での旅は経験が少なく、数少ない経験も両親やブルート一行など頼れる存在と一緒で、今回の旅のように自分が上に立ち責任を持つ立場というのは初めてである。野営では眠っているときすら気は抜けず、ちょっとした物音でも飛び起きるほどに神経を張り詰めており、自分で考えていた以上に疲れていたのだ。


(先生も、寝ているときくらいは気を抜かれてもいいのに……あ、でも今日は眉をひそめていない、かわいいお顔ね。)


 リリアンは普段は見られないフレッドの顔を一しきり観察し終えると、自身も眠りにつく。この夜、二人は外敵に眠りを妨げられることなく朝まで熟睡することができた。森の捕食者たちは、フレッドやリリアン、騎竜たちに至るまでその存在を知覚できなかったからである。それは術師の加護によるものだった。


「よく参られたなフレッド殿!それにリリアン、君も来てくれたか。きっとシェリーも喜ぶだろう。早速、ギルドへ案内しよう。」


 翌日、フレッドたちの前にシェーファーが姿を現す。麓の森にヘルダからの客人が来ているから、至急迎えに出ろと命じられたという。いったい誰に命じられたのかというフレッドの質問に、シェーファーはこう答える。


「無論、我らの長プラテーナ様だ。ん?二人にお会いしたと仰っておったのだが、違うのか。会ったのは話す鳥のラティだけと?また、あのお方は……」


 少ない応答の中で何やら一人で結論に至った感のあるシェーファーだったが、道案内を始めると程なくして深い森の中にある、わずかに開かれた野原にフレッドらを招き入れる。彼が言うには、ここが入り口の一つとのことであった。


「ここより真っ直ぐ西へ向かう。道を外れれば森で彷徨うことになるゆえ、私の後ろから外れないように注意してくれ。特に竜たちが気ままに進まぬよう、手綱はしっかりと握っておいて下されよ?」


 そうして、同じような広場に出ては北に向かい、東に向かい……というのを3度ばかり繰り返し、一行はついに魔導士ギルド[真理の探究者]本部に到着する。入り口には巨大な門が設置され、門に至るまでの道には兵士を模した石造が両側に置かれている。そして門の両側にも巨大な兵士の石像が置かれており、それらはいざ本部にまで攻め込まれれば魔操兵器として門の守護に当たるのだという。


『皇国と同じく長い歴史を誇るだけあって、想像以上に巨大な街ですね。ギルド本部というより、さながら城塞都市とでも呼ぶ方がしっくり来ます。ここには、街の固有名みたいなものはないのですか?』


 およそ1000周期近くも独自勢力として存在し続けたこのギルドは、基本的に下界との繋がりを絶ち交易などは行っていない。そのため食料や生活必需品はすべて自給自足の体制が整っており、一つの都市であり国とも言えた。彼らにとってはギルドの本部であると同時に、ここが帰るべき故国でもあるのだ。


「メルクディの麓にあるゆえ[メルクマール]と名付けられてはおるが、下界に降りた際は単に本部と呼ぶし、ここにいる時は本部のどこそこ、で通じてしまうからな。その名はあまり使われておらんというのが実情だ。」


 話を聞きながらも、フレッドは街並みを見ては驚くばかりであった。皇国首都シルヴァレートのような管理された美しさはないが、ギルドの中心部に向かうほど古びていく街の様子は、人の少なさから急には開発できず長い時間をかけて発展してきたことを連想させるものである。そして目を引くのは、街灯などに見られる魔術を利用していると思われる設備であった。


『私たちはシルヴァレートで用事を済ませてから来たんですが、あちらも凄かったがこちらも凄い!一つの都市で自己完結している、という点ではこちらが勝っているかも知れません。こう両者を見てみると、やはりユージェはまだまだですね。』


 フレッドはユージェ統一連合の首都ユーライア、シルヴァンス神聖皇国の首都シルヴァレート、そして魔導士ギルド[真理の探究者]本部メルクマールの三勢力の本拠地すべてを訪れた、初めての[人間]ということになる。もちろん当人はそのことを知る術はなく、知ったところで「初」ということに特別な感想もなかったことであろうが、初めての土地を訪れることができた縁には素直に感謝した。


「多くの地を目の当たりにしたあなたに褒められたのだから、我らにとってもこの本部にとっても光栄なことだな。さて、ここが中枢となる長の館なのだが……これからお会いしていただくが、その、あまり驚かれぬようにな。」


 シェーファーにやや不吉な忠告を受け、フレッドとリリアンはギルド長の館に通される。メルクマールでも最古の建物となるそれは、古い中にも雅な佇まいを感じさせる大きな木造の館であった。



17・始祖プラテーナ


「よくぞ参られたな、お客人。あなた方の話はシェーファーたちから報告を受けておったが、話通りの[抗者]じゃのう。」


 幕の奥から聞こえた声に「コウシャ?つまり巧者ということかな。戦技のことについての話か……」とフレッドは考えたが、幕が開かれるとその考えは一気に吹き飛んだ。そこにいたのは、まだ成人にも至らない10周期ほどの少女だったのだ。


「こちらが、当ギルドの長を務められるプラテーナ様だ。さぞ驚かれたと思うが、けっしてあなた方を愚弄しているわけではないことはお誓いいたす。」


 シェーファーにそう言われても、このような少女が長というのはなかなかに衝撃的である。魔導士の長ともなれば、髭を蓄え尖った帽子でも被った杖をつく老人……というような印象を勝手に持ってしまっていたからだが、実力本位であれば幼くとも長に選ばれることもあるのだろうと、フレッドはそう割り切って挨拶を交わした。


「存じておるよ、統一の英雄殿のことは。だが国を捨てるとは予想外じゃった。流れた先がザイールで、そこでシェーファーらと縁が結ばれたことも、すべて私には予見できぬ未来であった。これも[抗者]の運命が為せる業かのう……」


 聞けば、ユージェにもギルドの手の者はいるのだという。もちろん刺激しないようギルド統一のローブは纏わず、政治にも関わらないただの民衆として暮らし、情勢を伝えるだけが役目ということだが、フレッドはもちろん多くのユージェ有力者もギルドのこと知らず、気付かぬうちに入り込まれたことには空恐ろしさすら感じた。


「我らは政治に興味はないよ。じゃが、国は問わず術を悪用する輩はおる。そう言った者たちを放置すれば、世界はより混迷を極めるであろう。それを阻止するのも、術を生み出した者としての役目なのじゃ。」


 確かにユージェでも、悪い噂が立っていたまじない師や詐欺まがいの行為を行った術師が、謎の死を遂げたり失踪したという話は聞いたことがある。あれらもすべて彼らの手によって不届き者が「成敗」された結果だったのだろう。しかしフレッドはそのことよりも、知り得たいと思うことがあった。


『私が聞き及んだ範囲ですと、このギルドの設立者が皇国を離脱した司祭プラテーナであるとのことでした。そして今、あなたもその名を名乗られた。ギルドの長は代々その名を受け継がれる……と考えればよろしいのでしょうか?』


 司祭プラテーナが皇国を離反したのはおよそ1000周期前。そんな人物が目の前に少女として存在するわけもなく、名を受け継ぐと考えたフレッドの意見は至極まっとうなものである。しかし返答は、あまり要領を得ないものであった。


「その意見は半分ほど正しく、半分ほど正しくない。私は始祖プラテーナであり、同時にラティでもあるからじゃ。あ、ラティというのは私の本名でな。私はラティとしてL1017周期に生を享け、ついこの前プラテーナとなったのだよ。」


 さすがのフレッドも理解が追い付かず、リリアンに至っては完全に混乱状態であったが、その詳細が彼女から語られる。いわく、始祖を始め代々プラテーナとして生きた者の記憶はサークレットに残され、次代のプラテーナに引き継がれていくという。しかしラティとしての記憶も感情も残っており、それらが混ざり彼女の存在を成しているのだ。年相応とは思えない言葉遣いも、それによるものという。


「私は歴代プラテーナでも最年少でな。シェリーも候補の一人であったが、先代が逝かれた時は身重であったゆえ私にお役が回ってきたのじゃ。おかげで、まだ10周期というのにババ臭いなどと言われてのう。まったく失礼な……」


 眼前の少女が1000周期前からの記憶を引き継いでいること、そしてシェリーが子宝に恵まれたことと2つの驚きがもたらされるが、フレッドは「記憶を引き継ぐ」ということについて考えずにはいられなかった。肉体は入れ替わるとしても、精神が引き継がれるのだとしたら……それは神の領分に入るのではと思うのだ。


『つまりあなたの中には、始祖たる司祭プラテーナが健在であった1000周期前の記憶が今も残っていると。文献などの記録ではなく、当時の光景が浮かぶ明確な記憶として。であれば、時代をも超越して在り続けるその様は、人というより……』


 フレッドが知り得る長寿の話では、長命なエノーレ族の記録が200周期ほどで、その先祖にあたる第2界の住人がさらに長かったという言い伝えを聞いたことがある程度であった。彼らは自身の寿命のことなので、精神を引き継ぐプラテーナのケースとは異なるが、やはり超常的な存在としか考えられない。


「そのあたりも含め、少し長くなるが話をするかの。途中で休憩を挟めるよう、飲み物や食べ物も用意させよう。シェーファー、ご苦労じゃが頼むぞ。あ、チャロの実は要らんからの。あれは青臭くて好まぬのじゃ。」


 子供とは思えない気遣いと話し方。そして子供が嫌いな野菜の代表格たるチャロの実を避けるという、年相応な部分。思わず笑いそうになるフレッドだったが、この後に聞かされる話がああも深刻なものだとは、予想することもできなかった。

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