第2話 抑える心と飲み込む度量
3・南部の勇者
皇国本領の南部に位置するヘイパー州は温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、農作物の栽培が主な産業というのどかな州である。代々この地を治めるエルトリオ家は民衆にも慕われ、治安の良さからシルヴァレート住まいの貴族が別荘地として利用することも多かった。ブルートはそのような安定した州の12代領主・オランの長子として生を享ける。L999休眠期99日という偶然が重なる日、フレッドよりおよそ5周期ほど早いその日に彼は生まれたのだ。
「やっぱり軍学は性に合わないな。机にかじりついているより、俺は外で思いっ切り剣を振っているほうが好きだ。」
若きブルートもまた、将来は領主の跡を継ぐべく州の学校に通わされていた。学問の成績は辛うじて上位グループに入れるかといったところだが、運動神経のほうは学校でも有数の逸材で、剣技の腕も大人顔負けなほどであり将来を嘱望されていた。そして彼は「長所をより伸ばしたい」と嘯いては、軍学の授業を落第ぎりぎりまで抜け出す始末であったものの、教師たちも強くは叱らなかった。ブルートが領主の息子ということもあったが、人に好かれる性質だったため可愛がられていたのだ。
「しかしブルートさん、あんまりサボってると弟さんや妹さんに示しがつかないんじゃないですか?この前も二人で「兄を見習って」サボったって話ですぜ?」
そう話すのは古くからの学友で、名はグロウ=ランサム。良い事も悪い事も含め多くをブルートと一緒に行ってきた、親友と言える男である。そんな男に注意され、さすがのブルートも思うところがあったようで、しばらくは真面目に講義を受けると約束する。ブルートが2周期下の弟・キーンと4周期下の妹・リィンには「いい兄」であろうとするのをグロウもよく知っており、それを利用したのだ。
「弟たちが俺を見習ってサボったとあっちゃ、両親にも教師たちにも顔向けできないからな。真面目に講義には出て、話を聞きながら剣術のことでも考えるさ!」
それを真面目とは言わねぇでしょうが……というグロウの指摘もどこ吹く風のブルートだったが、この時はまだ彼の周囲には穏やかな時間が流れていた。しかしそれを一変させる事件が起こってしまったのである。
「亜人の子供……あいつら奴隷商人か?うちの州じゃ亜人も含め奴隷は禁止だから、ここで売るわけではないのだろう。が、見てしまったからには看過できないな。」
それはブルート17周期のある日、野外訓練の一環で州境の山道の整備を行った際に起こった。山道を外れた場所で檻車を引く一団が休憩しており、その中には罪人とも思えない子供が多く入れられていたのを発見したのである。気の利いた大人なら見過ごし、州の外に出てくれれば問題も起こらないと考えたのだろうが、ブルートはそういうことができない、一本気の通った性格だったのだ。
「お前たち!そうやってコソコソしてるってことは、ヘイパーが奴隷禁止と知っているわけだな。今すぐ解放するなら見逃してやってもいいが、どうするか!」
休憩中の奴隷商人と3人の護衛はその大声に驚愕するも、声の主がまだ若い男が一人だけと知り、安堵しつつブルートをからかいだした。
「おう兄ちゃん、見過ごしてやるからとっとと家に帰りな!」
「どうしてもってぇなら、ここで死んでもらうしかねぇなぁ?」
相手が武器を手に威嚇するのを見て、交渉の余地なしと判断したブルートも剣を引き抜く。最初の犠牲となった護衛はブルートの剣技の力強さに、たった一合で武器を弾き飛ばされ無防備になったところ喉元に突き入れられた。残りの二人は左右から同時に攻め掛かるも、一人が横からグロウが放った矢に怯み気を取られたうちに、もう一人はブルートに討たれてしまう。
「今一度、機会をやろう。捕らえた者たちを解放するなら見逃してやってもいい。その気がないなら、あと2つ死体が増えるだけだな。俺はどちらでも構わんが?」
いくら領主の息子といっても賊を捕らえる権限を有しているわけではなく、戦ったことが露見すれば危険を冒したことを叱られる可能性も高い。ブルートとしても相手が逃げてくれるのが一番と考えたのだが、結果から見れば彼は相手の言うことなど聞かずに討っておくべきだった。商人の口から放たれた言葉が、運命を大きく変えてしまうものだったからである。
「へ、ヘイパーの公務関係者ならブラウ様の名は知っておろう。わしはあのお方に許可を頂いて仕事をしておるのだ!ここに許可証もあり、通行の自由も保証されておる。守られる理由はあっても、殺される理由などないわ!」
その言葉を聞き、ブルートと合流したグロウは顔を見合わせる。ブラウ=オラトリオは現領主オランの弟で、州の要職にある身。ブルートにとっては叔父にあたるその人物が、州の法を破る奴隷商を認めているというのだ。にわかに信じられる話ではないものの、聞かなかったことにできる筋のものでもなかった。
「詳しい話は官憲にするんだな。お前の話が事実なら咎めも受けんだろうが、俺の知る限りこの州でその言い分は通らんよ。そうさ、そうに決まっている……!」
こうして若きブルートの活躍により、奴隷商人に運ばれていた20人あまりの子供は解放され、その多くは故郷に帰る。すでに親がなく、親族に売られ帰ることを望まない子供には住み込みで働ける奉公先が探され、そのうちの一人はエルトリオ家で身請けすることになり、ブルートには弟妹のほかにもう一人、彼を慕う家族同然の者が増えることとなった。
「ブルート様は、私たちの勇者様なんですっ!奴隷にされてもう未来に希望も持てなかった私たちを、救ってくださったんですから!!」
妹リィンと同じ歳の少女の名はシアンと言った。身体的にどこか秀でた部分があるファロール族において数少ない、特に秀でた部分も劣った部分もないというファロール・ネトゥーラで、人より優れた部分を武器にして生きるファロール族の中では活躍の場が少なく、それゆえに奴隷とされやすい種族だった。
「俺が勇者って、そんなのは柄じゃないな。俺は気に食わないと思った奴に裁きをくれただけさ。ああいう、力で誰かを虐げようとする奴らが嫌いなんだよ。」
子供たちの問題も解決し、これですべて終わったと思うブルートだが、彼の知らないところで問題は大きくなっていた。あの一件からおよそ半周期が過ぎ、奴隷商人が話していたブラウの許可が事実であると判明したのである。
4・怒りの炎
「弟よ、ではお前が奴隷商人に通行許可を与えていたのは事実と申すのか!我が州では奴隷を禁じていること、知らぬわけではあるまい。なぜそんなことをしたのだ!」
領主オランは血相を変えて弟ブラウを問いただしたが、ブラウのほうはといえば冷静そのものであった。彼は自分の行いが間違っているとは考えていなかったのだ。
「まぁ落ち着いてくださいよ兄者。そもそも皇国では奴隷を禁止しておりませんし、他の州では奴隷を活用することで力を伸ばしています。我が州も奴隷を解禁し、他の州に後れを取らぬよう開発を進めて参りましょう。このままでは時代遅れの州として、辺境州にも劣る未開の地となってしまいますぞ?」
その手法はともかく、ブラウがヘイパーの未来を憂いていたのは確かであった。南部に隣接するプローク辺境州すら奴隷の活用で発展を進めており、奴隷商人の売り上げで経済的にも強くなってきている。仮にも「本領」に属するヘイパーが辺境州以下の存在になるなど、領主の家に生まれた男として見過ごせるわけもなかった。
「我が州は治安悪化の要因となる奴隷を廃したからこそ、現在のような平和が保たれておるのだ。民も治安を手放してまで富を求めはせんだろう。それが分からぬか?」
結局、この両名の話は最後まで平行線を辿り分かり合うことはなかった。オランはブラウの役職を解き、ブラウはこの兄の下ではヘイパーが滅ぶと叛逆を決意する。オランよりブラウが領主になったほうが得をする者たちの協力もあり、ブラウの反逆は着々と準備が整い……L1018収穫期74日、ついに運命の日を迎える。
「なにぃ!キーンたちの竜車が襲われただと?それで皆はどうなった!賊の正体は分かったのか、どうなんだ!!」
報告の兵は肩を両手で掴まれ、ブルート持ち前の剛力で揺さぶられては報告もままならず、グロウが止めに入らなければ目を回してしまうところだった。犯人はキーンとリィン、シアンの3人を攫うと同時に手紙を残しており、そこにはブルートが身代金を持ってくるようにと記されていた。
「まあこれには一人で来いとは書かれてませんし、一人で運べる金額でもありませんしね。僭越ながらこの私めも御同道いたしましょう……てなもんでいかがです?」
ブルートは親友の心遣いに感謝しつつ、両親に事の次第を報告し身代金を用意してもらった。額は「皇国金貨20枚相当」とあり、金貨だけで無理なら銀貨でも銅貨でも可能な限りかき集めて来いという意思表示でもある脅迫の常套句だった。
「しかしなぜブルート殿に来させるんですかね。勇猛果敢な男と名高い旦那のことを避けたがるならまだしも、わざわざご指名って怪しいですわな。連中の狙いはあなたのお命かもしれませんし、とにかくご注意ください。」
グロウの言うように、狙いは命だった。しかし最重要目標はブルートではなく、彼の近くにいた父親である。ブラウはオラン暗殺の際に最大の障害となるであろう剛勇の持ち主を引き離すため、その弟たちを攫うという手を打った。目的がそうである以上、人質を最初から生かしておくつもりなどなく、ブルートの前で殺害せよと指示してあったが、実際にはそうならなかった。リィンは辱めを受けるくらいならと死を望み、キーンは隠し持っていた懐剣でリィンの望みを叶えた後、その後を追ったのだ。
「貴様ら、よくも弟と妹を……絶対に生かしてはおかんっ!誰一人としてだっ!!」
取引の場に現れたブルートは「二人は勝手に死んだ」と告げられ、怒りを爆発させた。人のものとは思えぬ叫び声を上げながら突進するブルートに5人が横並びで斬りかかったが、一薙ぎで5人は両断される。ブルートは意識していなかったが、これが彼の思念術である「大剛大力」の顕現した瞬間であった。20人いた賊は咆哮と共に繰り出される一撃で数人ずつ四散し、ほんの一瞬で最後の一人となってしまった。
「依頼主は誰だ。今すぐ死にたくなければ答えろ。余計なことをしゃべっても殺す。聞かれたことにだけ答えるんだな。」
そしてブルートは、依頼主が叔父であることを知る。それを聞いたブルートは最後の一人にもトドメを刺し、宣言通り賊の誰一人として生かすことなくその場を制す。そして奥の部屋にある家族の遺体を回収して帰ろうとしたとき、二人の遺体の傍らでただ座り込み、生き残っていたシアンの姿を目にする。
「勇者様が……ブルート様が来て下さるはずだから、それまでは頑張りましょうってお止めしたのですが、お二人ともお聞き下さらなくて。でもお二人の最後はとてもご立派でした。賊に屈しないという誇りを胸に旅立たれたんです。それをどうしてもお伝えしたくて、恥を承知でお待ちしておりました。でも、これで……」
そこまで言うと、シアンは二人の命を絶った懐剣を自らの喉に突き立てた。本来なら二人と共に自害すべきだったところを、その最後を伝えるためだけに永らえていたのだ。自害しようとした彼女をブルートは止めに入るも、声も手も届くことはなかった。自らの腕の中で消えゆく命を見たとき、ブルートの怒りは天をも衝かんばかりに膨れ上がり、復讐心は炎の如く激しく燃え上がった。
「何が勇者だっ!家族も守れないような男のどこがっ!……あの野郎、相応の報いをくれてやる。俺がこの手で始末してやる!」
ブルートはグロウに三人の亡骸を運ぶよう頼み、自身はブラウの邸宅に向かう。そしてその途上で、両親の死も知った。障害となる自分が家を出た後に賊が押し入り、家に火を放って去ることもすべてブラウの企みだったと気づくも、その心に悔悟や後悔といったものはなく、その怒りをただただ燃え広がらせるだけである。
「ブラウ叔父!罪を認めて裁きを受けろとは言わん。ただ、俺の前で死ねぇっ!」
ブラウの邸宅に到着したブルートは門をけ破り、二階のベランダに出てきたブラウを睨みつけ怒鳴り声を上げた。その明確過ぎる殺意と怒りの籠った声を聞いて賊の一味も怖気づくが、ブルートは片っ端から斬り捨てていった。怒りに染まり、視界に入る者はすべて敵でしかなくなっていたのだが、それがさらなる悲劇をもたらす。
「従兄さま……?なぜ、このようなことを、なさるの、ですか?」
ブルートは背後から近づく影を敵として認識し問答無用で斬りかかったが、その相手は丸腰の従弟であった。気付けば周囲には賊ではなく、家の使用人と思しき姿も散見される。極度の怒りが正常な判断力を失わせ、ブルートを常軌を逸した殺人鬼とさせていたが、それでも彼は止まらない。
「俺も!叔父上も!!望みを果たすためならどんな手段も犠牲も厭わない!!俺とあなたは確かに一族さ!!こんな一族は……滅んでしまえばいいんだぁっ!!!」
最後のタガが外れ、涙を流しながら高笑いして親族を斬り捨て続けたブルート。後に「血濡れの復讐鬼」と呼ばれた彼はこの日、怨敵ブラウとその妻、息子二人と家の使用人や食客扱いの賊を合わせて40名ほどをたった一人で殺害する。剣で斬られた者はまだ幸せで、中には頭を握り潰されたり地面にたたきつけ潰されたりと、屋敷中に無残な死体が散乱していた。官憲が到着したとき、ブルートはブラウの心臓に弟たちが命を絶った懐剣を突き立て、カラカラと乾いた笑い声を上げていたという。
「みんなの仇は取ったぞ……でも、俺はみんなのところには行けないな。こっちはあのブラウ叔父と一緒に、天の底で罪を償うとするよ。フフ、ハハハ……」
「判決を申し渡す。エルトリオ家の領主資格をはく奪し、ブルート=エルトリオはヘイパー州より永久追放と致す。ブラウ家における殺人に関しては、ブラウ=エルトリオが領主オラン=エルトリオと妻、子息家人に至るまで暗殺せしめた件を考慮し罪は問わぬと決定された。もっとも、かの者には仇を討つべき遺族もおらぬ状態だが。」
予想外の判決は、グロウが必死に証拠を集め弁護に奔走した結果だった。ブルートにとってはもう生きる意味のない世界だったが、グロウは初めて親友を殴りつけ「生き残ったなら生きている人間にしかできないことをやるべき」と檄を飛ばしたのだ。
「今はもう、生きることにも迷いはない。すべて君のおかげだなグロウ。俺はヘイパーに戻れないし、つらい記憶もあるから戻りたくもないゆえ……俺たちが逢うことは二度とないかもしれないが、ここでの思い出は俺の中に残る。現世では無理でも、いつか天で逢えたら思い出話に花を咲かせようじゃないか。では、さらばだ!」
若きブルートもまた、こうして故郷を旅立った。各地を旅して困っている人がいれば助けたのも、それが贖罪になればと思えばこそである。そんな彼の活動はやがて同志を集め、友を呼び、ついには巨悪をも討ち果たす力を得たのだ。
5・夢の共演者
「あの頃の俺は、怒りを抑える心も飲み込む度量も備えちゃいなかった。ただ眼前の事象に喜怒哀楽を示し、その感情に従って行動していた。歳のせいにするのもなんだが、いわゆる若さゆえのって奴さ。」
ブルートは自身の過去を話し終え、やや気恥ずかしそうにそう締めくくった。あまり感情を表に出さないフレッドから見れば、今でもブルートは十分に喜怒哀楽を出しているようにも思えたが、重要なのはそこではなかった。
『今でも、抑える心や飲み込む度量は持ち合わせておりませんか?一たび怒りの炎が燃え上がれば、自身を消し炭にするまで燃えてしまうと。』
これはかなり意地の悪い質問だったが、ここはフレッドとしても譲れないところであった。もしそうなら怒りの矛先を民衆に向ける圧政者が生まれてしまうかもしれず、自身の夢をともに戴くことなどできようはずもないのだから。
「さぁどうかな。あれから多くを経験し、怒りの力を制御する術も得た。しかしどうなっても俺は俺で、人はそう簡単に変われるものでもないとは思う。ただ、救えなかった家族のことが俺の中にある限り……俺は同じ過ちは犯さねえさ。絶対にな。」
フレッドにとってそれは受け入れ可能な返答であり、満足げに頷いて返した。そう、確かに人は簡単には変われない。しかし変われないことと、過ちを繰り返すことは同じようで違うのだ。過ちを繰り返さないように心を強く戒めれば、自分では変われていないと思っても、他人からの評価は変わってくるものなのだから。
『私としましても、期待以上のお話とお返事をいただけました。あらためてご協力をお願いしたいと存じますが、いかがでしょうか?』
「皇国ともユージェとも違う、人も亜人も関係なく自分の未来は自分で決める国があってもいいよな。俺も皇国の奴隷制には思うところもあるし、いいぜ。お前の夢の片棒を担がせてもらうとするか!」
このL1027開墾期27日の夜は、フレッドとブルートにとって忘れ得ぬ日となった。気付けば外は明るさを増しており、二人は時が過ぎるのも忘れて夢の世界のために必要となりそうなことを語り合ったのだ。ただ、フレッドは「朝食前に少し休む」といって自室に戻ろうとした際、ブルートの部屋から出てきたところを兵に見られ妙な噂が流れてしまうことになり、違う意味で忘れ得ぬ日となってしまうのだが。
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