夜の街は奇人の為にある

井澤文明

シャングリラ

「生まれる事を体験して、さらに生きる事を体験したので、お次は死を体験しに行きたいと思います」

 莫迦なあいつは嗤う。白く輝く月の下で。

「恥の多い生涯を送って来ました。誰かの言葉を借りるならそう云う事になる」

 くるくる踊りながらあいつは嗤う。別に嬉しい訳でも、哀しい訳でも、誰かを莫迦にしている訳でもない。何の感情もなく、ただ嗤っているだけだ。

「ああ、月曜日は嫌いだ。嫌い嫌い。月曜日は嫌い」

 日曜日の月光る夜にあいつは云う。だが実際は月曜日も火曜日も水曜日も、全部どうでも良いのだ。それなのに月曜日は嫌いだと云う。

「脳味噌は空っぽだ。何にもないのさあ」

 阿呆なあいつは売れ残りの林檎でジャグリングをし始めた。店の店員に怒られながらもジャグリングをする。

「私はここにいて、ここにいない」

 あいつはまた意味不明な言葉を云う。

 先程から何を云っているのか、と私はあいつに云う。あいつは微笑みながら、

「頭をおかしくする為の訓練だ」

 と云ってからまたジャグリングをする。今度は檸檬一個を足した。

「ああ、煙草は良いねえ良いねえ。あれはパパからのプレゼントなんだ」

 煙草は父からのプレゼントで、自分も煙草が好きだと云っているが、実際はあいつもあいつの父親も煙草は大嫌いだ。

 あいつは売れ残りの林檎と檸檬を元の籠に戻し、また夜の街を歩み始めた。

「私は詐欺師だ。詐欺師だよ〜」

 それを大声で云うものだから、私は黙る様に叱る。するとあいつは悪戯心をくすぐられたのか、さらに大きな声で続きを云う。

「幸せを貰う為に詐欺師になったんだが、どうも上手くいかん」

 すれ違う人には、気味が悪いと避ける人と、興味を持って近づく人とがいた。興味を持つのは酒臭いおっさんばかりだ。

「いやあ、寄ってくるのなら、美人なお姉さんが良かったのになあ」

 脳味噌が傷みだしているあいつは、思っている事をすぐ口に出す。そして今度はふらふら酔いの回った酔っぱらいの様に踊りだす。

 お前は酔っぱらいか、とあいつに云えば、

「バレリーナと云い給え」と私に注意する。

「『給え』という言葉は男性が使うものだ」とあいつに注意すれば、

「そんな事はどうでも良い。私は好きだから使っているだけだ。性別なんて関係ない」と眉を顰める。しかしすぐに機嫌を戻し、

「シャングリラ〜シャングリラ」と呪文の様に延々と繰り返した。そしてまたくるくる踊る。

「へその緒をたどり、母の胎に戻りませう」

 そう云いながら踊る踊る。そして足下をきちんと見ていないものだから、マンホールのふたが外されていた事に気付かず、穴を落ちて行く。

 大丈夫か、とマンホールの穴に向かって叫べば、

「蜘蛛の糸を登り、地上に戻りませう」と普段通りの阿呆で莫迦な声が返って来る。

 息を切らしながらマンホールを出た下水道臭いあいつは、何もなかったかの様にまた大人の街でスキップをし出す。

「どこにでもありそうな、平凡な日々だけれど、幸せで嬉しくてさらに楽しいな」

 あいつはいつもと変わらない満面の笑みで私に云う。私は何も云わずにただ頷き、あいつの背中を追い掛けた。

 私と莫迦で阿呆で変人なあいつは、今日も夜の大人で溢れる街を徘徊する。死ぬ時が来る、その時まで。上を向きながら、意味不明な言葉を繰り返す。

「シャングリラ〜シャングリラ〜」

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夜の街は奇人の為にある 井澤文明 @neko_ramen

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