第5症例 日陰病
私は涙を流す。赤い血の涙。痛くて痛くて堪らない。誰にも知られたくない。こんな醜い姿。ああ、苦しい。眩しい。目が痛い。頭が痛い。こころが、いたい。まるで伝説の魔物、吸血鬼みたい。どうせなら、そうなりたかったわ。こんな中途半端な病にかかるくらいならば。いっそのこと、誰か殺してくれないかしら。この胸に杭を叩き込んで、朝日を浴びさせ、私を灰にしてくれないかしら。
***
症状はある日唐突に始まった。ある朝起きて、
「あ、死んでしまいたい」
と、思った瞬間から、どうにも太陽の光が怖くて堪らなくなった。眩しくて堪らない。元々家にあった薄手のカーテンではちっとも遮れなくて、目が潰れてしまうかと思ったほどで。寧ろ潰してしまった方が良いのではないだろうか、なんてバカ真面目に迷ったりして。あまりにも辛くて眼球を瞼の上から指圧したが、痛さに耐えられずに辞めた。代案はとりあえず布団を被って過ごすことだった。カタツムリのように布団に籠って過ごす。目はすぐに暗闇に慣れていく。真っ暗な小さな世界の中でも本を読めるようになった。夜になると明かりが毒になり、電気は点けずに生活した。ああ、落ち着く。開放的な気持ちになれる夜は、まるで自分の領域。何処までも飛んでいけそうな軽い気持ち。自由自在に暗闇を移動し、私は闇の住人と化した。
夜の自由さが昼の不自由さを呪う。あっという間に朝はやって来て、私は再び目を潰される恐怖に震える。そのうち、朝が来る度に血の涙が出るようになってしまった。いよいよ自分は昼には生きられない体になったのだと絶望した。
でも、だからといって、特別困ったりはしなかった。何故? だって私は、昼間の世界に元々居場所なんてなかったのだから。だから妥当と言うならば、確かにその一言で済んだ。私が闇に生きることになったのは、必然だったのかもしれない。けれど不便さは否めない。だって世界は昼間に動く。何もかもが光の中で生きている。夜に蠢くものなんて、夜行性の動物と魔物くらいだ。
そうか、その理屈でいくと私は、ニンゲンではなくなってしまったのかもしれなかった。
「お前はバケモノだ」
そう言って私を捨てた人のことを思い出す。当時は胸が痛んで、死んでしまいたいと何度願ったことか分からない。けれど今は違う。あの人に言ってあげたい。
「あなたの感覚は正しかった。間違ってなかった。有難う。私はとっくにバケモノでした」
と。
どうせバケモノならば、どんなことをしてやろうか。人を襲えばいい? 人を壊せばいい? 人を食べればいい?
いいえ。どれも違う。
私の標的はいつだって、あの人だけだから。
あの人の首筋に牙を立てる。じうじうと音を立てて中身を吸い出す。きっとそれは天へも昇れるほどの恍惚を齎してくれる。そうして私は天使になれるのだ。こんなバケモノの皮を脱ぎ捨てて。
さぁ、そうと決まれば最後の舞踏を。
あの人への求愛を。
誓いのキスの代わりに。
忘れられない贈り物を。
重い布団を取り払って私は朝日の中へ歩み出す。体が溶けてしまいそうに痛む、なんて、そんなの錯覚に過ぎないのだから。恐くない。怖くなんか、ないのだから。こんなの幻でしかないのだから。
ねぇ、誰かそうだと言ってよ、ねぇ。
***
ある朝、ある街のある家で殺人事件が起きた。引きこもりだった娘が突然家族に襲いかかったというのだ。娘は怪物に成り果ててしまった、と家族は語る。抵抗した末に母親は娘を殺してしまい、だが正当防衛ということで罪にはならなかった。娘が血の涙まで流し、母親に救いと許しを求めていたことなど、誰も知らない。
***
『日陰病』という深刻な病にかかっています。太陽を恐れ、日陰でしか生きられなくなります。この症状は毎月発症します。悪化すると痛みと共に血涙を流すようになります。
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