仮面の男
「フゥ……」
ダレイドは、部屋の椅子に深く身体をもたれ掛からせ、重く息を吐き出す。
彼は、疲れていた。
――力を持った組織からの、干渉。
自分達の傘下に入らなければ、こちらを潰すという、
いつもであれば、そんなものはクソ食らえと中指を立てるところだが……今回は、相手が悪過ぎた。
ヤツらは、自分達『シュタルシルド組』を潰すのみならず、ダレイド達のシマであるこの居心地の良い下町を王都の経済圏から孤立させ、そしてなお従わぬ場合には血と悲鳴でここを染め尽くすと脅して来ているのだ。
仁義もクソも無く、カタギには手を出さないという暗黙の掟にも従わない、ただの下衆の所業。
だが、それがただの脅しではなく、相手にそれだけの力がある、ということもまた、わかっているのだ。
ここ最近、抗争にすらなっていない虐殺がそのクソどもによって行われているが、司法にもソイツらの力は及んでいるようで、衛兵が出て来ても全て形だけの捜査に終わり、事件自体がまるで何事も無かったかのように闇に葬られている。
逆らった瞬間、待っているのは、カタギを巻き込んでの盛大な自滅。
――別に、シマが惜しい訳じゃない。
自分達が世話になっているここら一帯の下町を守るためならば、潔く傘下に組み込まれても文句などは言わない。
だが――ダレイドを躊躇わせるのは、ヤツらがさらに、抗争のための戦闘員を抽出して寄越すように言って来ていることだ。
戦闘員と言えばまだ聞こえが良いが、その実体は、ヤツらがどこからか獲得した呪いの武器を扱わせるための、
忠誠を誓ったのであればその証拠を示せという、一見すると当たり前のようでありながら、その実吐き気を催す程の下種な命をヤツらは下して来ており、それに従わない場合もまた、敵として判断されてしまうのだ。
「……この身を贄として差し出せるなら、どれだけ楽であることか」
だが、それは出来ない。
命が惜しいとかそういうことではなく、今後の連絡要員としてダレイドは今後もこの組を指揮するように命令されているのだ。
部下は、全員が自分の命を使え、と言ってくれるが……だからと言って「はい、そうですか」と簡単に首を縦に振れる訳がない。
トップに立つ者であるため、弱音を吐くことは許されないが、しかし彼の肩には文字通り部下達やシマで暮らす者達の命が乗っかっており、その重責に押し潰されてしまいそうだった。
そうして、内にため込むしかない激しい怒りと、何も逆らえない自らのあまりの無力さに、きつく目を瞑った――その時のことだった。
――コンコンと、ノックされる部屋の扉。
いつものように入室の許可を出し、ギィ、と目の前の扉が開かれ……しかし、その先には、
「…………?」
何だ……?
不審に思い、誰か裏にいるのかと腰を上げ――。
「どうもこんにちは。しがないギルドマスターです」
ゆらり、とまるで、空間から滲み出るようにして現れる、一つの影。
――気が付いた時、いつの間にかそこに立っていたのは、仮面の男。
いつか街で見たことのある道化のような仮面を被り、黒一色のコートに身を包む、見るからに怪しい風体の正体不明者。
一瞬、愛用の剣の柄に腕が伸びそうになってから、しかしダレイドは動きを止める。
――なる、ほどな。
ヤツら、俺に余計な気を起こさせないため、先手を打って手練れを寄越して来やがったか。
ここまで忍び込んで来たくせに、わざわざノックして自分の存在を誇示して来た辺り、その腐った性根の具合が窺える。
つまり、いつでもこちらを殺せるという、そういう所作なのだろう。
胸の内にジワリと滲み出る、目の前の男を斬り殺したいという感情を奥底にしまい込みながら、そう判断を下したダレイドは、浮いていた腰を再び椅子へドカ、と下ろし、わざと相手を挑発するような態度で言葉を掛ける。
「ギルドマスター? ハッ、何を言ってやがる。この街でギルドマスターを名乗れる者は何人かいるが、俺の知っているソイツらは、テメェのようなクソ怪しい男じゃねぇぞ」
「あぁ、まあ、別に正規のギルドじゃないがな」
そう言って、肩を竦める仮面の男。
――そうか。
コイツ、
表があれば、必ず裏は存在する。
裏ギルドとは、そういう決して表には出てこない組織の総称であり、それ故表沙汰に出来ない依頼を受け、表沙汰に出来ない仕事を熟し、そして闇の中に全てを葬るのだ。
無法者達ですらほとんど関わろうとしない、生粋の闇に潜む者達であり、言わば殺しを基本の仕事とする、裏の何でも屋といったところか。
ただ、ヤツらの下部組織に、そんな裏ギルドは無かったはずなのだが……とすると、わざわざ俺の具合を確認するために、別でクソどもを雇いでもしたか。
全く以て、ご苦労なことだ。
「そうかい。それで、そのギルドマスターさんが何のようだ? 俺はもうそっちに従うって返事をしてあるはずだが、俺のおつむの具合でも確認に来たのか?」
「一つ、勘違いしているようだから言ってやるが、俺はアンタのとこを脅しているらしいヤツらとは、別口だ」
「……何?」
怪訝な表情を浮かべるダレイドを、仮面の男は気にした様子もなく言葉を続ける。
「どうも、アンタ達がお困りだって話を聞いたもんでな。助けてやろうと、
ダレイドは、一瞬目の前の男が何て言ったのかわからず、ポカンとした表情を浮かべてから、やがてようやく男の言葉が脳みそに染み渡り――その瞬間、思わず大口を開けて笑い声を上げていた。
「ハッハッハッ!!そうか!!そりゃいい、是非とも助けてくれ。具体的には何をしてくれるんだ?」
「アンタらのことを脅している組織、潰してやる」
さらりと吐かれた男の言葉に、ダレイドはスッと眼尻を鋭くさせる。
「……テメェ、自分が何を言っているのか、わかってんのか?」
「勿論わかっている。俺は夢想家じゃないからな。んで、アンタらを助けてやるから、協力を頼みたい」
「ハッ、何をやれと? 肉壁でもやらせるつもりか? ヤツら、崩れの魔導士を二桁単位で有してやがる。一瞬でミンチにされて意味ねぇぞ」
「アンタらのことを脅しているヤツらの組織名と、根城にしている場所を教えろ。そうすりゃすぐにでも潰して来てやる」
簡単そうにそんなことを言う仮面の男に、嘲るような笑みを浮かべるダレイド。
「知らないようだから教えてやるが、ヤツらの勢力は直属の構成員だけで百人程度。傘下の組織でその十倍程。あらゆる業界にコネを持ち、貴族連中にもお得意様がいる。名も知らねぇテメェみたいな怪しい男が、どうこう出来る相手じゃねぇ」
「ご親切にどうも。じゃあ、それ用に装備を変更しておくことにしよう」
が、しかし。
ただ淡々と、まるで決定事項のように話す男の姿に、ダレイドはだんだんと、表情を真面目なものに変えていく。
「……俺が、我が身可愛さのために、テメェを売るとは考えねぇのか?」
「別に? 好きにすればいい。標的が一つ増えるだけだし、むしろソイツらから襲いに来てくれるなら万々歳だ。手間が省ける」
強がりでも何でもなく、自然な動作で肩を竦める、仮面の男。
その仕草に、何か感じるものがあったダレイドは、先程より大分真剣みの増した態度で、さらに口を開いた。
「……聞きたいことがある」
「何だ」
「テメェがヤツらを潰すとして、テメェには何のメリットがあるんだ」
「あぁ、それは簡単な理由だ。アンタの組織を脅しているヤツらが持っている武器に用がある。ソレを回収したいんだが、誰が持っているのかわからなくてな。アンタのところに脅しに来ているんなら、その情報も聞けるだろうと思ってな」
――なるほど。あの呪いの武器の方で、コイツは用がある訳か。
ヤツらが勢力拡大に使用している剣……フルーシュベルトとか言ったアレには、使用者は最後に必ず死ぬというとんでもないデメリットがあるが、しかし他の武器とは隔絶した凄まじい性能がある。
呪いなど自分には効かないと、根拠のない自信からあの武器を欲しがる馬鹿は多数いることだろう。
この男も、その馬鹿どもの一人、ということだろうか。
「……あの武器を使ったら、最後には死ぬことになるんだぞ」
「別に、使いはしない。ただ、アレを回収しなきゃいけない事情がこちらにはある、とだけ」
……もしかすると、どこかの好事家にでも、武器の奪取を依頼されたのだろうか?
コイツは、自分を裏ギルドのギルドマスターだと言った。
表のギルド、特に最も武力派である冒険者ギルドなどとは違い、裏ギルドのトップというものは、他の構成員が畏怖する程の、非情なる腕っ節の強さを必要とすると言う。
相手にする組織がかなりの規模であることがわかっており、その依頼をより確実に達成するために、一番の実力者であるギルドマスターが出張って来た、という可能性は高そうだ。
と、目の前の男の実力を見定めるため、睨み付けるように注視していると、部屋の外の階段を誰かが昇って来る音。
コンコンと部屋の扉をノックされ、部下の一人がその向こうから姿を現す。
「――ボス、どうかしました? 何だか、騒がしいようでしたが……」
「……何でもない。気にするな」
「……しかし、ボス――」
「本当に何でもねぇ。ただの独り言だ」
ダレイドは、チラリとつい先程まで仮面の男が立っていた方を見ながら、部下へとそう言葉を放つ。
そこには――
仮面の男の姿は、一瞬扉の方を注視したその隙に、まるで夢幻であったかのように見えなくなっていた。
「……ボス。お辛いことは、俺達もわかっています。俺達如きに、何が出来るかはわかりませんが……ですが、何かあったら言ってくださいよ。ボスのためなら、俺達は、斬り込み役でも何でも、喜んでやりますんで」
「……あぁ。ありがとな」
最後に「では」と言葉を残すと、彼の部下は部屋を出ていき、階段を下って行った。
「……テメェのせいで、俺は部屋で一人騒ぐ変態みてぇになっちまっただろ」
「それは悪かった。まあ、アンタは慕われているらしいし、聞かなかったことにしてくれるだろ」
ダレイドの言葉に、即座に返ってくる、声。
見ると、再びいつの間にか出現していた仮面の男は、窓際に腕を組んで壁にもたれかかって立っていた。
……仕事柄、そういう『殺し屋』という連中と対面したことはあったし、『暗殺者』なぞも出会ったことがあったが……この仮面程に、巧みな技を使う者は果たしていただろうか。
今のはもはや、存在そのものが完全に消失していた。
見ているその前で、姿形はもちろん、気配も完全に消え去り、同じ場にいるのにもかかわらず見失ってしまっていたのだ。
それだけで、この男の技量が如何程に卓越したものであるのか、自ずとわかろうものだろう。
――やれるの、だろうか。
この仮面に情報を渡した時点で、敵対行為も同然。
仮にこの仮面が捕まりでもすれば、情報をダレイドが渡したことも同時に知られてしまうのはまず間違いなく、その時点でこの組は壊滅である。
あの組織を相手に喧嘩を売るなど、冥界への通行券を買うようなものだが……この組と、このシマと、そして部下達を全員守るために、この怪しい仮面を信じる、という選択肢は、アリなのだろうか。
「で、どうなんだ。そろそろ返事を聞かせてもらいたんだが?」
しばし押し黙ってから、ダレイドは。
「――いいだろう。教えてやる。知りたいことの一切合切を」
――胸に一つの決意を固め、重く、そう口を開いた。
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