26 天野操、享年16歳

 グッドルッキング邸の客室に運び込まれた、洗濯機みたいな大きさの箱。

 そこからスパゲティじみてケーブルがたくさん伸び、いま僕が手にした“装置”に繋がっている。


 野球選手のヘルメットにタコメーターのような機器がいくつも取り付けられている装置。

 いかにも手作り感があるじゃないか。


「電子工作が趣味なの」

「ミネル博士が作ったんですか」


 そうよ、とメガネの位置を正す博士が、恒例の説明モードに入る。


「この装置を使えば、西暦2010年代の地球、日本国を再現した仮想現実空間へ没入することができるわ」


 仮想現実(VR)。ってことは。


「本当に地球へ行けるわけじゃないんですね」

「あちらへ行くこともできるけれど、まずは“視て”来なさい。あなた、迷いがあるでしょう? 生活基盤は既にこちらにあって、元の世界の記憶はそもそも曖昧なのだから」


 見透かされていた。

 確かに、僕は元の世界へ帰りたいかと問われれば迷ってしまう。


「だけど、それでも……見ておきたいんです」


「――私もだ」


「ヴィナンさん、も?」

「私も見てみたい。ミサオの故郷を。そしてミサオの行方を見届けたい」


 ヴィナンさんの美しい瞳がミネル博士を、そして僕をじっと見つめる。

 いつだって真っぐな眼差しが、心からの望みを投げかけてくる。


 博士が小さくため息をついた。


「ミサオ君が良ければ同行は可能よ、ヴィナン君。例の観測は、その間に進めておくから」


「――良いかい、ミサオ?」

「僕も……ヴィナンさんに、一緒に来て欲しいです」


 僕の返事を聞いて、博士は二つ目のヘルメット型装置を取り出した。


「それ、もう一個あったんですか」

「こんなこともあろうかと、ね」

「さすがの手際だ、ミネル女史。ところで、この兜のようなものはどうやって使うんだ?」

「かぶって目を閉じるだけよ。脳へ直接、感覚情報を入力するの。オペレートはこちらで全て行うわ」


「脳て。この機械、手作り、なんですよね? 作り始めたの昨晩でしたよね?」


「大丈夫よ」


 博士は即答。

 眼鏡のレンズが冷たく光り、僕たちを射すくめる。

 有無を言わさず椅子に掛けさせられ、脳へ直接アレする機械を頭にセットされた。



「始めるわよ――シミュレーション、ゴー」



 *



 降り立ったのは、懐かしく賑やかな街。

 ビルとビルの間に空が見え、足しげく行き交う人々はみな、顔も知らぬ誰かたち。


「――日本だ、ここ」


「ここがトーキョーなのか、ミサオ」


 ヴィナンさんは、物珍しそうに周囲を見回してから、僕と自分の格好を見比べて。


「……変わった装いだな」


 ほうほう、と感心するヴィナンしん。


 本当だ、僕達の服が現実リアルとは違うものになっている。


 僕は黒いセーラー服。

 ヴィナンさんは白っぽいスーツとタイトスカートの、ビシッとした出で立ちだ。

 きっとミネル博士が、この空間に馴染むようにしてくれたのだろう。


 とはいえ、絶世の美女なヴィナンさんは居るだけで存在感がすごいので、道行く人が漏れなく振り返ってくる。

 あ、あの女子中学生たち、こっそり携帯端末スマホのカメラ構えてた。この辺の反応もリアルだな。仮想現実(バーチャル)のシミュレーション世界とは思えない。


「凄いな、ミサオの故郷は。街中に天資シングがひしめいているようだ」

「あそこまでメチャクチャじゃないですよ」

「さっきから走り回っている乗り物は、かなりのスピードだ。こんな速度を出せる乗り物はシングくらいのものだが」

の方じゃ、自動車は免許証があれば運転できるんですよ。人間がつくった機械ですし」

「なに、人々が自ら作ったのか! すると、あの塔に貼り付けられている動く絵も?」

「はい。あれはビルに巨大なモニターがついてるんですね」

「街の皆は何を持っているんだ。ずいぶん熱心に覗き込んでいるようだが……手鏡か?」

「スマートフォンです。ええっと、説明が難しいんですけど、読書とか手紙のやりとりとか、全部あれ一つでできるんですよ」

「すごいな……!」


 一つ一つに驚いてくれるヴィナンさん。僕もなんだか調子に乗ってしまう。


「せっかくだから東京見物しちゃいます? ちょっとなら案内できますよ、僕」



「いや――私は、ミサオが暮らしていた場所を見たいな」



 *



 道々で目に入る風景のうち、より懐かしいと感じる方向へ歩いていく。


「あ、このコンビニ……」


 おぼろげな記憶は、こうして仮想現実の東京を行くことで少しずつ色づいていくようだった。


「こんびに?」

「お店です。一日中やってて、ちょっとしたものならだいたい置いてて便利なんですよ。僕、この店には帰りによく寄ってて――」


 びゅん! という音に、声がかき消された。


 ヴィナンさんは、今しがたスピードを出して通り過ぎていった自動車を見やり、眉をひそめる。


「……車って便利だけど危ないんですよ」

「だろうな。あんな大掛かりなものを多くの人々が利用しているとは。事故は起きないのか?」


「うん、起きてます……ほら、あれ」


 指差したのは交差点の片隅。

 騒々しい路傍に、花束が寂しく添えられていた。


「あれは“手向け”か」

「はい。あの場所で、誰かが交通事故に遭って……」


 沈黙。


 しばらく二人で行き交う車を眺めていると、ヴィナンさんが切り出してくれた。


「ミサオ、さっき“寄る”と言っていたが、となると本来のはどこなんだ」


「あ、それは学校です――ああ、そっか。そうだ。はい、の帰り道に」


 思い出した。

 ここは、毎日通っていた通学路なんだ。


 空を見上げれば。


 毎日二回、必ず目にする東京タワーが、何も言わずそびえ立っていた。


 *


 たどり着いた。


 僕にとってはなんの変哲もない一軒家。


 表札の大理石には『天野』と彫ってある。


「ミサオ。ここは」

「はい。僕の、家です」



「あら、どちら様?」



 インターホンを押すと、見知った女性が怪訝な顔で僕とヴィナンさんを見比べてきた。


「えっとね、お母さん」

「?」

「ああ、いや、ミサオ……くん、の、お母さん。ですよね」

「もしかして、操のお友達?」

「――はい。こちらは教育実習のヴィナス先生、です」


「そうだったのね。上がっていってちょうだい。あの子もきっと喜ぶわ」


 生まれ育った家の玄関から、母さんに通されたのは僕の部屋。


 きれいに掃除の行き届いた部屋は、僕が居た頃そのままの状態にしてあった。

 そして、デスクには。



 僕遺影しゃしんだ。


 傍らの線香が、細い煙をゆらめかせている。



「……」


 生前おとこの自分を前に、黙って手を合わせる。

 ヴィナンさんも、僕にならって同じようにしてくれて



 ――僕、は――




 <<この辺りがね。シミュレーション、終了よ>>



 *


「ミサオ君。ミサオ君、大丈夫?」


 目を開けると、ミネル博士が僕の顔を覗き込んでいた。

 どうやら現実空間リアルに戻っきたようだ。


「あ、はい。大丈夫です」


「ミサオ」


 隣には、ヴィナンさん。


 じっと僕を見つめてくる。


「あはは……本当に死んじゃってましたね、僕」


 ヴィナンさんは何も言わない。


 ――どうして。


「自分の遺影に手を合わせるのって変な感じ。なんか未だに実感わかなくて、逆におかしいって言うか」


 笑いかけてみても。

 ヴィナンさんは、ただただじっと見てくる。



 ――どうして。



「この分だと、本当に向こうへ戻っても居場所なさそうですよね。それが分かったのは収穫でした」



 ねえ、どうして? ヴィナンさん。




 ――どうしてヴィナンさんが、そんな顔してるの?




「ミサオ――――!」


 ヴィナンさんは、突然僕を抱きしめて。


 少しもがいてみたけれど、ヴィナンさんは僕を強く、優しく、抱いてくれて。




「ミサオ――いいんだ」




 それで、僕は、泣いた。



 いつまでもいつまでも、ヴィナンさんの胸で、泣いた。

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